血戦のはじまり
十六夜は、しぶしぶと言った感じでヒールの魔法をかけてくれる。いやいや、お前のせいで顔面大ダメージなんだから、しっかりと治療して欲しいものである。
「それで、その……百花さんにべ、べろ……ディープキスをされたのが緊急事態なんですか?」
どうやら『べろちゅー』というのが、ハードルが高いらしい十六夜。可愛らしいところもあるじゃないかと思っていると、突然澪の手が俺の顔を包み込む。
「み、澪。どうした?」
「私も、べろちゅーしようと思って」
いやいや。女の子が、軽々しく男とべろちゅーするとか言っちゃダメだから。
「それより、百花が心配なんだよ」
「ちゅーしたからですか?」
『ちゅー』だけなら普通に言えるんだ。頬を膨らませて怒っている十六夜さんは、それでもどうにか会話を続けてくれた。
「ちゅ、キスしたことは置いておけませんが、『今夜で吸血鬼事件は終わり』と言うのは気になりますね」
百花は事件を調べていたが、どうして今夜、それが終わる事を知っている?それに、あの言い方では、自分が終わらせると言っているようだ。まるで、彼女が事件に深く関わっているような……
それに、どうして百花はあの時俺を俺だと認識できたのか。あの時俺は、確かに魔拳士の職業に転職していた。それを正しく認識できるのは、同じワーカーだけだ。校長のように闇ギルドに利用されただけの人間では、魔獣もワーカーも正しく認識できなかった。
だからきっと、浅間百花は世界から外れている。
間違いなく、今から学校に戻ればろくでも無い事態が待っている。危険な目にあうだろうし、痛い思いをするだろう。正直それは死ぬほど嫌だけど、あんな顔で助けを求めてきた女の子を放っておくのは、もっと嫌だな。
「俺は学校に戻るけど、二人はどうする? たぶん、物凄い面倒なことに巻き込まれるけど」
十六夜は、これでもかと言うくらい大きなため息を吐くと、腰に手を当てて俺の目を見やる。
「アタシが行かなかったら、九十九さんが痛い思いしても誰も治してくれませんよ」
真剣な瞳でそう告げる十六夜。どうやら俺は、余計な気遣いをしてしまったようである。
「それに、また百花とちゅーされたら困る」
「確かに、それは断固阻止ですね」
本当に、余計な気遣いだったようだ。そう思いながら、俺たちは陽の沈み切った空の下、学校に向かって走り出したのである。
陽が沈み切った夜闇の中、百花は桜の下に立っていた。百花が幹を撫でると、その部分からさらりと光の粒が零れ落ちた。
「その力を吸い出すのは、今夜だと思っていましたよ」
突然かけられた言葉に、百花は短剣を携え、声の方へ振り返る。そこには、頭までローブをすっぽりと被った何者かが立っていた。声から、おそらく男であろうと思われる。
「闇ギルド同士は、干渉し合わないはずです」
短剣をローブの男に向けながら、百花は腰を低くして臨戦態勢をとる。
「怖い怖い。ですが、その力を使用されるのは、こちらとしても困るのです」
「あなた、ボクの術式を邪魔するように、大蛇の魔封石を使用したですね」
百花の言葉を聞いて、ローブの男は楽しそうに口の端を上げた。
「あれを使ったのは、ここの校長先生ですよ。我々は関知していませんね。それよりも、です。あなたが集めた『生命力』を、あなたの飼い主に渡されるとこちらが困るのです。あなたの飼い主は、アレを起こそうとしているのですから」
百花は当初、この桜の木に呪術をかけて、桜を見に来た生徒から少しずつ生命力を奪うつもりだった。それが、吸血鬼の噂のせいで生徒がほとんど訪れなくなり、大蛇の魔獣が設置されたことで、術式がうまく発動しなくなってしまった。
全てはこの男が、生命力を集めることを妨害したせいだった。
そのせいで、危険を冒してまで校内で呪術を行使し続け、魔獣を討伐してもらうためにハロージョブからワーカーをおびき出した。まさか九十九たちが来るとは思っていなかったが、笠間神父のおかげで、クレーターを見に集まった生徒から必要量の生命力を集めることができた。
もう少しで、計画は上手くいく。それなのに……
「どうして邪魔するです!」
「言ったでしょう? それを使ってあれを目覚めさせられると、我々の計画が狂ってしまう。それがとても困るのです」
男はそう言いながら懐に手を入れると、三つの魔封じの水晶を取り出した。
「大変申し訳ありませんが、あなたにはここで消えていただきましょう。あぁ、安心してください。あなたが集めてくれた生命力は、我々が有意義に使わせていただきます。この狂った世界をまとめ上げるためにね」
そう言った男は、三つの水晶を地面に叩きつける。そこから黒い霧が噴き上がり、二十体にも及ぶ魔犬の群れが現れた。さらに男は木の棒を取り出すと、魔獣に向かって振り下ろす。
「闇に住まいし者たちよ、汝らの同胞のため、その力を我に託したまえ」
男の持つ杖の先から黒い霧がじわじわと溢れだし、三体の魔犬を覆い隠す。その霧が晴れると、低い咆哮と共に三頭を持つ巨大な魔犬が姿を現した。
「さあ、御行きなさい。全ては皆が、世界樹の加護を賜るために」
魔獣は代わる代わる遠吠えを上げると、一斉に百花に飛びかかった。
「せっかく、ここまできたのに!」
百花は短剣を握り直すと、魔犬の群れと対峙した。
「これ、どうするよ」
百花と魔犬たちの乱闘を、俺たちは屋上から眺めていた。先ほど到着したばかりなのだが、百花は善戦している。飛びかかる魔犬の群れを、短剣一本で確実に急所を突いて一体ずつ確実に仕留めている。三頭の魔犬には手こずっているようだが、時間の問題だろう。
「助けないんですか? っていうか、なんで屋上に来たんですか! 屋上に上がったら、アタシまた留守番じゃないですか!」
確かにその通りだ。俺たちがなぜ屋上まで上がって来たのか、それは、ついいつものくせで、だ!
「焦ってたからしょうがないだろ。それに、おかげで悪い奴を捕まえられそうだぞ」
百花と対峙している魔犬。それを使役しているのは、間違いなく笹田だろう。幸い、向こうはこちらに気付いていない。百花に集中している今がチャンスだ。
「澪、あのローブの男にぶっ刺せる?」
「殺すの?」
俺の言い方が悪かったのは申し訳ないが、どうして咄嗟に殺すとか言っちゃうの?
「心臓、喉、頭以外なら良いかな? 十六夜がいるからある程度無理しても大丈夫だろ?」
「アタシ、また階段降りるんですか? 今日すでに2往復半もして足パンパンです!」
「じゃあ、留守番してる?」
「む~!」
頬を膨らませて、彼女は階段を駆け下りて行った。それでは、こちらも行動を開始しよう。澪は刀を抜刀し、笹田に対して突きの構えをとる。
「桜観斬月流剣術……月牙」
澪はそうつぶやくと、自由落下の三倍以上の速度で笹田に突撃していく。あれを食らうとなると、体は一溜りも無いだろう。即死でさえなければ、生け捕りにできる。生け捕りにさえできれば、どうとでもなるだろう。
「あれが当たれば、一溜りもないでしょうね」
「即死じゃなければ、どうとでもなるだろ?」
「意外と恐ろしいことを考えますね」
ん?俺は誰と話しているんだ?澪は下に降りたし、十六夜も階段を降っているところだ。それに、二人の声にしてはおっさん過ぎる。
俺ははっとして振り返るが、すでに遅かった。いつの間にか俺の背後に立っていた笹田が、俺を見て笑っている。
「即死でなければどうとでもなる、ですか。では、どうにかしてください。来たれ、呪いを孕みし同胞よ、ライトニングレイ」
笹田の魔法が発動する。彼の持つ杖の先が一瞬光ったかと思うと、腹に激痛が走った。
「ぐは……」
なんだ、なんだ、どうしたんだ?俺の口から大量の血液が噴出した。腹は焼けるように熱いし、ワイシャツが真っ赤に染まっている。腹から血が出てるってことか?
「ふっふっふ。これでこの間のお返しはできましたね。すぐに剣士の少女は戻ってくるでしょう。私は、その間にあの少女を殺してきますよ」
そう言って、笹田はすぐに姿を消した。
腹が熱い。喉の奥が熱い。でも指先は少しずつ冷たくなっていく。視線も霞むようだ。さっき倒れたばかりで、また倒れるのかよ。
ここで倒れるのは最悪だ。澪が十六夜を連れて戻ってくれば、百花は確実に殺される。今は魔獣を使って遊んでいるが、俺たちがいることが分かった以上、本気で戦うはずだ。それでも澪は、俺が重傷だと聞けば、間違えなくここへ戻ってくる。だから、俺はここに居ちゃいけないんだ。
足は重い。歩く度に腹から血が噴き出すような思いだ。
視界は狭い。ぼやけて前がまともに見えない。
でも、耳は聞こえていた。うるさいくらい耳障りな、魔犬の鳴き声が。
音の方向へ、ふらふらと歩く。何度歩みを止めようと思ったかはわからない。一瞬のような、永遠のような、あやふやな時間が続き、ようやく俺は、空へと身を投げることができた。
「澪、お願いだから受け止めてくれ……」
そうつぶやいた瞬間、冷え切った俺の体を、温かいものが包み込んだ。
「つっくんのことは絶対離さないよ。一生ね」
最後の、すごく怖いんですけど……




