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アサシンと少年

作者: 三隅来夢



 人間が寝静まった深夜二時半。夜道を歩く一つの影。伸縮性の黒いズボンに、黒いマウンテンパーカーのフードを目深に被った男は、人通りのない街頭が照らす道を歩いていた。


 歩く先には一つの豪邸。男はその家に用があった。折り畳みナイフをポケットの中で確かめるように握る。男の前に大きな門がそびえ立った。






 目の前に広がる深紅。この血しぶきが作る模様を何度も今まで見てきたが、綺麗だと思ったことは無い。出来るだけ小範囲に留めておきたいと思うが、切る場所が場所なのであまり上手くもいかない。男女の死体二体を横目に見つつ、取り出したハンカチでナイフについた血を拭った。マウンテンパーカーは撥水性なので少し揺するだけで血は落ちる。


 顔を拭きながら大きな部屋を見渡す。今回は割と難易度低めの依頼なので、余裕がある。


 一般家庭のリビングよりも大きな部屋。その大きさに見合ったサイズのベッドが部屋の大部分を占めている。そのベッドの上にはさっき殺した萩原(はぎわら)夫婦が横たわっている。


 萩原家はわずか一代で食品界のトップに躍り出たことで有名である。まぁ、有名な分恨みも買ってしまうわけだ。今殺したのは二代目の社長。今回の依頼主は電話での依頼だったため詳しい素性はわからないが、報酬額の高さから推測するとライバル会社の関係者かなんかだろう。


 こうやって命を狙われる羽目になるなんて社長さんも大変だ、とのんきに考える。


 そろそろお暇するか、と時計を見た。腕の上の時計盤は二時四十五分を指している。事前の調べで二十二歳の長男と二十歳の長女はそれぞれ用事があってこの家にいないことはわかっている。この家には使用人も雇われているが、この部屋とは別の館に部屋がある。


 あとは一階の端にある部屋で防犯カメラのデータを消せば完了だ。時間に余裕はあるが、もうこの部屋にいる意味もない。部屋を出よう、そう思ってドアの方に体を向けた瞬間。



 カタン。



 微妙に開いていた扉が完全に閉じたのだ。まず俺がこの部屋に入ったとき完全に扉は閉めたはず。なのになぜか扉が開いていて、それが閉じた。なぜ扉が開いた時気付かなかったんだ。いくら油断していたとはいえ、普段なら気付いているはずなのに。それほど気配を消す奴がこの扉の先にいる。慎重に調べた上で今日任務を果たしたわけだが、俺の動きがばれていて人員を派遣されたか。


 色々な考えが頭に浮かんでは消えたが、とりあえず姿勢を低くしてしまっていたナイフを取り出して構える。そして扉に素早く近づき、耳を寄せた。なにか気配を感じる。同業者か使用人か、今ある可能性はせいぜいこのくらいだ。どっちにしろ見られているわけだから殺さないといけない。


 あんまり依頼以外の殺しはしたくないんだけどなぁ。


 長々と考えて逃げられたほうが面倒だ、と割り切って扉を開け放った。



「うわっ」

「……?」


 扉を開けた先にいたのは同業者でも使用人でも無かった。中学生くらいの少年だった。


 俺が扉を開けた勢いで後ろに倒れたのか、尻餅をついたような体勢で俺のことを見上げていた。


 あどけなさと穏やかさを持つ瞳とそれを縁取る黒の四角い眼鏡。人を殺した人間がナイフを持って目の前に立っているのにも関わらず悲鳴をあげることも、怯える様子もなく、ただじっと俺のことを見ているだけ。


 調査で出てこなかった存在。まるで恐怖を知らないような表情。この少年は誰でどうしてここにいるのか、疑問はいくつも浮かんできたが、もう見られてしまった以上殺さなければいけないんだからとナイフを首に当てた。


 すると逃げもせず少年は口を開いた。



「僕はあなたを誰かに告げ口をする気はありません。むしろ感謝したいくらいです」



 そしてナイフが首に当てられているにも関わらずにっこりと笑った。心からの笑顔だった。今の状況に不釣り合いすぎる表情にぞっとして殺すのを一瞬躊躇う。そんなことは初めてだった。


「僕の部屋でお話しませんか?」


 俺は静かに首元からナイフを離した。この少年から敵意は一切感じなかった。


 少年は立ち上がってポケットから鍵の束を取り出した。その中から何本か鍵を試して夫婦の寝室の扉の鍵をかけた。


「これで少しは時間稼ぎになると思います。さぁ、行きましょう」


 従ったほうが得策だろう、と大人しく後ろをついていく。しばらく歩いて、館の端の部屋の前で少年は立ち止った。そしてまた鍵の束から一つ選び、その扉を開けた。すると部屋が広がっていると思ったのに反してその扉の先には階段が下へ続いていた。


 少年はどこからか出した懐中電灯の明かりを付け下り始めた。少し下ると、通路が前に一本続いている。


「父さんはこんな通路あることなんて知らないんです。興味がないから」


 父さん、ということはこの少年は萩原夫婦の息子なのだろうか。いやでも調査ではこの少年のことは出てこなかった。また答えの出ない疑問が頭に浮かぶ。


 少年は得意げに歩みを進めた。しばらくすると上に続く階段が現れた。


 それを上っていくと扉が現れ、少年はそれをゆっくりと押した。徐々に光が差しこんできて人ひとりが通れるほどの隙間が開いた。その隙間に少年が体をねじ込むようにして入っていく。扉を更に押して少年に続く。ただの扉にしては重い。


 扉の先は広い部屋が広がっていた。少年は俺が入ったことを確認すると扉を元の位置に戻した。扉は部屋側から見ると本棚になっていた。つまり今通ってた道は隠し通路だったわけだ。


「すごいでしょうこの部屋はおじいさんが設計したんです」


 また得意げな少年を尻目に部屋を見渡す。本棚が壁いっぱいに広がり隠し扉はその本棚たちの一部だった。その本棚には古い本が並んでいる。


 床には重厚感のあるカーペットが敷かれ、古びた木製の大きなデスクや動物の皮でできたソファーがある。おおよそ中学生の趣味には思えないので「おじいさん」の部屋だったのだろう。


 ダブルサイズのベッドのそばには窓があって、そこからはさっきまでいた屋敷が見えた。つまり今いるこの部屋は別館で、あの通路はこの二つの館を繋いでいたわけだ。


 少年はベッドに腰かけ、ソファーに座ることを促した。お言葉に甘えてソファーに座る。


「お前、誰だ?」

「萩原修汰です。十二歳です。殺してたあの男の息子です。一応」

「どうしてさっきあそこにいた」

「眠れなくて外を見ていたらあなたが本館に入っていくところが見えて、気になっちゃって」


 どこか腑に落ちない。息子なら調べたときにわかるはずだ。でも嘘をついているわけでもなさそうだ。

 黙っている俺を見て、萩原修汰は更に話し始めた。


「もしかして色々調べてるんですかね。僕のことは?」

「何もわからなかった」


 正直にそう言うと萩原修汰は自分の生い立ちについて話し始めた。


 萩原修汰は父親と愛人との子供であること。金銭面で父親の方に引き取られたこと。本当の母親が今どうしているかはわからないこと。愛人との子供であるから世間に子供であることは明かされず、この別館で隠すようにして育てられているということ。学校にも行かせてはもらえず、勉強は家庭教師に教えてもらっていること。


「最低限萩原家の息子として恥ずかしくないようにしてるんでしょうかね。誰かに見せる予定もないのに変ですよね」


 そう締めくくって萩原修汰は悲しそうに笑った。


「お前は親を憎んでいるのか?」

「憎む……うーんそれはちょっと違うと思います。生まれた瞬間捨てられててもおかしくなかったわけで、ここまで育ててもらった恩はあります。ただ悲しいというか」

「悲しい?」

「はい。なんで僕は望まれてないのに生まれてきちゃったんだろう、とか。他の家に生まれてたら今頃愛されて育てられてたのかな、とか無駄なこと考えちゃって」


 その時ゴーンゴーンと壁にかかっている時計が三時を知らした。そろそろこの屋敷から出なければ。


「俺はそろそろここから出る。お前はどうする?」

「どう……とは?」

「今が家を出るチャンスなんじゃないか」

「チャンス……そんなこと考えてなかったです」

「家を出たいと思わないのか」

「出れるなんてこと非現実的で考えないようにしてました。この歳じゃ出ても生きていけないですし」


 一対一で話しているはずなのにこの少年の言葉の裏側には父親の影があるような気がした。死んでもなお愛してもいない息子を縛る父親の姿が。


 金持ちの家庭はこうも腐っているものなのか。俺が育ってきた地域も治安が悪かったけど、日本も大概だな。


 何か悩んでいた様子の萩原修汰がぱっとこちらを向いた。


「やっぱり、出れないです」

「どうして」

「僕病気らしいんです」

「病気?」

「はい、外の空気は僕の体には合わないって父さんが」


 無意識に舌打ちが出ていた。父親はどこまで世間体を気にするんだ、どこまでこいつを縛れば気が済むんだ。


 父親の言い分的に病気を患っているなら呼吸器系だが、部屋に何か医療器具があるわけでも、薬が置いてあるわけでもない。外に出られないほどの重い病気を患っているようには見えない。つまり、だ。


「はぁ……」


 一番の問題は、このことを本人が()()()()()()()()だ。年齢的には小学生か中学生かぐらいの歳だが、そこら辺の同じ歳の子供より賢く、聡い。わかっていて従っている、縋っている。もう縛り付ける存在はこの世にいないのに。


「俺はもう行く。お前は」


 念を押すように目を合わせる。


「でも……」

「ここで一生自分を殺して生きていくのと、外で野垂れ死ぬの、どっちがいい。お前が選べ」


 少しうつむいて考えたが、すぐにその顔を上げた。決意が固まった顔だ。元より、きっと最初から思いは一つだったんだろうが。


「外に行きます」






まだまだ深夜ではあるが、予定よりも時間は押してしまっている。身支度がとかなんとか言っている修汰を置き、屋敷を出た。


「なんで置いていくんですか!」


 短時間でよく準備出来たな、と言ってやりたいほどの大荷物を背負って追いついてきた修汰が頬を膨らませる。


「一緒に行くなんて一言も言っていない」

「なんでですか」

「一緒にいてこちら側に利点がない」

「ありますよ!」

「例えば?」

「例えば……えぇーーーーっとぉ…………」

「ほら」

「ありますって!ほら、えっと、雑用とか出来ますし」

「雇ってない」

「こう見えて部屋の掃除とか出来ますし」

「間に合ってます」


 横でやかましい修汰を適当にあしらう。既に子供を連れてきたことを後悔している。修汰はまだ大人びているからましかもしれないがやっぱり面倒だ。すぐに泣くし、自分じゃ何も出来ない。まるで昔の自分を見ているみたいで―――。


 いらない考えは修汰の感嘆の声でかき消された。


「館の外とか何年振りだろう……。うわぁぁあれ誰かが最近出来たって話してたところだ!」


 目をキラキラさせながら言っているところ悪いが、そのビルは一年前に出来たところで最近でも何でもない。だが夢を壊すようで指摘は出来なかった。


「これってどこに向かっているんですか?駅ですか?」

「馬鹿かお前は。こんな時間にどの電車が走ってるんだよ」

「家ってここから近いですか?」

「いや?」

「じゃあタクシーは?」

「足がつく」

「じゃあ今からどうするんですか?」

「歩く」

「えぇ?そんなの聞いてませんよ!」

「言ってないからな。嫌なら付いてくるな。野垂れ死んでしまえ」

「ひどい」

「面倒なんて見ないからな」


 子供の歩幅を無視して先に行くと少し小走りのような形でついてくる。しばらく黙ってついてきていたが、すぐに我慢が出来なくなったのかまた話し始めた。


「あっあのっ」


 無言で少し振り返る。小走りしているせいか少し息が上がっている。辛いなら話さなければいいのに。


「なんてお呼びすればいいんでしょうか」

「なんとでも」

「それは困ります」


 困る、と言われても教えるような名前がないから教えようがない。いや、一つだけあるが……。


「俺はこんな仕事をやってるから本名はとっくのとうに捨てた」

「でも何か呼び名はありますよね。ないと不便ですよね」


 変なところで目ざといな……。


「ベルセルク」

「べるせるく?」

「仕事ではその名前で通ってる。他は適当な偽名しかない」

「へぇ……ベルセルク、かぁ」


 噛みしめるように復唱する修汰。本当は一般人である修汰に教えたくはなかった。


 そんな話をしていると空が明るくなってきた。時計を見ると五時を回ろうとしている。始発も走り出している時間だ。


 今歩いている場所から一番近い駅に向かった。


 切符を買っていると横からの視線が。


「……金は」

「あると思いますか」

「はぁ……買い方は」

「券売機というものを初めて見ました」


 俺は静かに券売機の大人と子供のシルエットか描かれたボタンを押した。


 電車はまばらに人が乗っていた。この時間なら無理もない。


 大人と子供(大荷物)でいると浮いている気もするし、誘拐かと疑われそうな気もするが(実際そう)、気にしないように決めてイヤホンを取り出した。二曲目を聞いている途中で目的の駅のアナウンスが聞こえた。



 俺の今の住居は駅から十五分くらい歩いたら着くアパートの一室だ。


 住民を起こさないように静かに階段を上りドアを開けた。修汰は結局ここまで着いてきた。この歳で生粋の箱入り息子でもあるし仕方はないだろう。初めて見たものを親だと思い込む鳥のようだと思うと少しおかしく思えた。まぁ、一人で暮らせるようになったら追い出そう。


「うわ」


 部屋に入った途端失礼な声が横から聞こえた。


「なんだよ」

「いや、さっきあなた間に合ってますって言ってましたよね」

「言ってましたけど」

「全然間に合ってないじゃないですか」


 修汰の視線の先には大量の紙の束。確かにワンルームのこの部屋の床と机の上を埋め尽くす紙達を見たら整ってない部屋に見えるのかもしれない。


「仕事が忙しいんだよ」

「いやそれにしても」

「俺が置いてある場所がわかればいいの」

「わかるんですか?」

「きっと」


 修汰は俺に哀れみの目を向けながら荷物を置く場所を確保しようと紙の束をかき集めだした。配置が変わるからやめてほしい。


 段々と書類の内容が気になり始めたらしく、黙々と内容を読み始めた。


 書類の内容は事前に調査した結果をまとめてあったり依頼の内容がファックスで送られてきたものだったり報告書だったり様々。依頼が終われば処分する必要があるが、手が回っていなかったりする。


「これ……」


 修汰がある一枚の紙を見つけた。その紙の一番上には萩原という名前が書いてあった。


 今回の事前調査で判明したことが記されている。


 すぐに全部読み終えたのかその紙を綺麗に積み重ねられた山の一番上に置いた。


「僕はあなたが調査してもわからなかったんですね」

「ああ」

「ふーん」


 興味がない振りをしてまた別の書類を見始めた。だが顔には微妙に悲しさが滲んでいる。


 他の書類を読み込んでいる修汰を放っておいてキッチンに向かう。一仕事終えたからか腹が空いた。戸棚を開けるとカップラーメンの類が顔を出す。


 適当なものを二つ見繕ってお湯を沸かして注ぎ込む。三分待って箸を取り出し一つを修汰の前に置き、向かい側に置いた。匂いにつられて修汰が書類から顔をあげた。


「なんですかこれ」

「見たらわかるだろ、カップラーメン」


 蓋を開けるとより一層匂いが増して湯気と一緒に上ってくる。


「かっぷらーめん……」

「もしかして食べたことないのか」

「はい」

「ラーメンは」

「何度かは」


 一応はお坊ちゃんだっただけある。食事はいいものを食べさせてもらっていたらしい。


「不味くても文句は言うなよ」


 未知のものと対峙している修汰にそう声をかけ一口すする。修汰も俺に倣っておずおずと口に入れた。


「安っぽくて美味しいですね」

「お前馬鹿にしてるだろ」

「誉め言葉です」


 そんなことを言いつつも全て食べて、キッチンにごみを出しに行った。そして勝手に冷蔵庫を開け、声をあげた。


「なんも入ってないじゃないですか」

「よく見ろ、味噌が入ってる」

「それは入ってるに入りません」


 また呆れた目を向けられた。家にいる時間が短いからあまり食材を買い込んでないだけであって、自炊くらい出来るし呆れられる理由はないのに。


「なんかあなたのことが心配になってきました……」

「お坊ちゃんのほうが心配だけどな」

「僕だって一般常識くらいあります」

「どうだか」


 カップラーメンも知らなかったくせに。


 俺もカップラーメンを食べ終えてテレビをつけた。早朝ということもありネットショッピングだったり時代劇だったりチャンネルをいくら変えても興味のない番組ばかり。それは修汰も同じだったようでいつの間にか机に突っ伏して寝てしまった。


 修汰にタオルケットを被せ、俺も寝ることにした。



 何か物音が聞こえて目を開けた。仮眠のつもりがしっかりと眠ってしまっていたようだ。起き上がると体の周りに散らばっていた紙たちがなくなっていた。


「あ、おはようございます」


 マスクをして紙を抱えた修汰が顔を上げて微笑んだ。


「……何してんの」

「掃除です。雑用するって言ったので」

「ありがとうございマース」


 あまり感情の乗らない声で感謝を述べると修汰は不服そうにしながらも掃除を再開した。


 軽くシャワーを浴びて部屋に戻るとそれに気付いた修汰がくるりと振り返った。


「僕、決めました」

「なんでしょうか」

 家を出ることだったらありがたいと思ったが、流石に一日で心変わりはしていないようだった。


 修汰は声高らかに宣言した。


「僕、セルクさんって呼ぶことにします!」

「……はぁ」


 気の抜けた変な声が出た。


「昨日教えてくれたじゃないですか、名前。それでどう呼ぼうかな~って考えてたんです。ベルセルクさん、だと長いなって思って」

「ほー……でもなんで後ろを取ったんだ」


 ベルさん、とかならまだしもセルクさん、なんて。


「普通じゃつまらないかなって思って」

「そうですか……もうそれでいいよ」


 それ以上突っ込むのにも諦めて、承諾すると何か勘違いしたのか嬉しそうに顔を緩めた。承諾はしたが、快諾はしてないぞ……。そうは思いつつも今更呼び名にこだわりはないので黙っておくことにした。


「改めてよろしくお願いします。セルクさん」






 修汰が上がり込んできて一週間が経った。


 修汰を追い出すことが出来るわけもなく、ワンルームに男二人がいる狭さにも慣れかけてきた頃だった。


「待ってください」


 家を出ようとした俺を修汰が引き留めた。


 現在深夜一時。俺は修汰が来てすぐ舞い込んだ仕事の調査のために連日出かけていた。


 いつもなら寝ている時間だし、起きていたとしても普通に見送るのに。


「どうした」

「行かないでください」

「どうして」

「それは……」


 うつむきそれ以上何も言わない。


 今日は仕事の山場。今から暗殺を遂行しなければならない。そんな重要な日をずらすことも出来ない。時間も遅れさせられない。


「行かないでください」


 理由は頑なに言おうとせずただ行くな、と言う。理由もなしにじゃあ行かない、ともならないのだ。玄関を開け出ていこうとすると修汰が俺の服の裾を掴んで引き留めた。


「僕も、僕も連れて行ってください」


それ以上構う時間もなく、手を払いのけ家を出た。子供のわがままだろうと割り切ったが、普段引き留めることなんて無いからか心のどこかで引っかかりが取れないままだった。




電車を乗り継いでターゲットの家に向かう。今回のターゲットは暴力団の傘下のグループの幹部。こういう界隈は殺し屋がいることなんて当たり前。それだけ骨が折れる。しくったら俺が死ぬ。生きていたいと強く願うわけではないが、死ぬのは今じゃない。


 なんて考えながら歩いているとターゲットの家の近くまで来ていた。暴力団関係者だからなのか周りに民家はない。これは依頼遂行にとって好都合だ。


 そう、ここら辺は人気がない、はずなのに。


「誰だ」


 どこからか気配がする。空気でわかる、これは素人ではない。


「あーあ、バレちゃったか」


 言葉の割に空気は張り詰めたままだ。ヘラヘラとした笑顔を張り付けた男が後ろに現れた。手は拳銃をくるくると弄んでいる。


「何の用だ」

「用があるのはそっちでしょ?」


 笑顔を崩さない男にイラつきを覚えながらもどうにかこの状況を打開できないかと考える。慎重に調べていたつもりだったが、どこかで暗殺の情報が洩れ、警備がついたようだ。まずはこの男をどうにかしないと依頼を遂行出来ない。相手は拳銃。どうにかするにはまず間合いに入らないと。


「俺相手にお前一人なんて、相当金をケチったのか?」


 相手を煽ってみる。そこそこの強さの奴なら有効な手だ。怒りは正常な判断を狂わせる。逆上して一発撃ってくれたら隙が出来る。


 少し顔を引き攣らせた男。だがすぐに薄気味悪い笑顔に戻った。


「確かに、俺一人じゃ無理かもね。俺だけじゃね」


 その言葉でハッとする。増える気配。少し油断しすぎたようだ。どんな状況でも油断は死を引き寄せる。俺はそれを分かっているはずだったのに。


 嫌な予感。これほど当たるものはない。後ろから銃声が聞こえて、俺は―――。



「セルクさん!」



 何かがぶつかりバランスが崩れる。そのまま俺は地面に倒れていた。


 鈍い痛みに少し顔が歪む。だがそんなことを気にしている暇はない。お前の気配はいつも気付けないな。

 なぜかこんなところにいる馬鹿を背中に隠す。


「何しに来た馬鹿」

「セルクさんが死ぬって考えたら初めて怖いって思ったんです」


 顔は見えないけど苦笑いしているのがわかる。


「生憎誰かさんのせいで死ぬのはまだ先みたいだ」

「よかったです」


 死ぬのは先延ばしになったが、状況は好転したわけじゃない。人数は一緒だがこっちには足手まといがいるだけ。笑顔男がこちらに拳銃を向けている。


「動くなよ」


 長考している時間は無いため、ナイフを手に持ち駆け出した。


 予備のナイフをまだ姿を現さない二人目がいるであろう場所に投げてけん制する。そしてその動きに一瞬気を取られた笑顔男に近付き、拳銃を蹴り上げた。


「嘘だろ」


 無駄口を叩いているうちに足をすくい地面に倒し動けないように組み敷いてナイフを首に当てた。


「流石ベルセルクだな」

「どうも」


 男は組み敷かれながら手を挙げた。もう敵意は失せたらしい。男から離れると速やかに姿を消した。もう一人もいつの間にか気配が消えていた。


「ふぅ……」


 久しぶりにちゃんと動いた気がする。


 振り返って突っ立っている修汰に拳骨を落とした。


「痛い!」

「お前は馬鹿か?アホか?」

「ひどい!僕がいなかったらセルクさん死んでたかもしれないんですよ?」

「俺だけじゃなくてお前まで死ぬところだっただろうが」

「それはそうですけど……居ても立っても居られなくて……」

「はぁ……もう帰るぞ」


 今回の依頼はまた今度にしよう。


 修汰を引き連れて来た道を帰った。






『あぁ!?依頼は今日遂行するゆうてたやんか!何しとんねん殺すぞ!!』

「いやだから事情があるんですって!」

『知らん!一週間以内だからな!それ超えたら知らんからな!』

「わかってますよちゃんとしますんで……じゃあ」


 まだ何か言いたげな相手を無視して電話を切った。

 まだ夜中ではあるが電話をかけるとワンコールで出た。いつかけてもすぐに出るあたり薄気味悪い。


 出来れば電話なんてしたくなかったんだけど……と恨みを込めて元凶をにらみつける。


「すごい電話から大きな声が聞こえましたけど」

「社長だよ、社長。俺も雇われの身なの」

「へぇ……癖が強い人なんですね」

「まぁ今日はな……」


 社長と言えど、姿年齢性別どれを取ってもわからないことだらけだ。連絡先はしょっちゅう変わるし、今みたいに電話しても、毎回別の人のように出る。今回はなぜか関西人のおばちゃんだったわけだ。ふざけてるのかと疑いたくなる。まぁどんな人が出るにしても、社長に電話するときは精神力を奪われる。なにかどっと疲れるのだ。


「本当、誰のせいで電話することになったと思ってるんだ」

「少しは感謝してもいいじゃないですか」

「ハイハイ、感謝してます」

「嘘っぽい!」



 徐々に日が顔を出し始め、心地良い風が前髪を揺らした。もう春が来る匂いがする。街路樹の桜は蕾を大きく膨らませて準備をしている。


 横を見ると修汰も風に目を細めていた。



「ありがとな、修汰」



 修汰は細めていた目を見開いた。


「えっ!?今ありがとうって言いました!?というか名前……!?」

「知らん」

「えっちょっともう一回今のセリフ言って下さい!!」

「何か言ったっけな」



 今年の春はいつもより騒がしくなりそうだ。


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