第九十九話:両手両足に花
「ええと……どうやら我々の間にも影山さんに関する情報の量に不均衡が発生しているようですが……影山さん、貴方には結婚しても結婚生活の継続に支障が出るであろう過去の所業や行動癖があるということですか?」
相田はホワイトボードにキュッキュと音をたてて何やら書きはじめた。すでに冷静さを取り戻しているらしく、動きに淀みがない。立ち直り早いな。
「とりあえず、今わかったところまでをまとめてみましょう」
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Kについての情報
貴子さん:
・自分よりも凄い超能力者? ←はぁ?
シャーロット:
・市川さんを若返りさせた? ←マジか!
市川さん:
・Kの能力で若返り?
・Kの致命的な問題
・Kのストレスが溜まると危険??
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「こんなものでしょうかね」
ここまで書き終わると、相田は俺達の方を向き、マーカーの軸でホワイトボードをコンと小突いた。Kってのは俺のことか。ご丁寧にちょっとずつコメントを書かれているのが少々ムカつくがまあこんなものだろう。
「影山さん、司会だから我慢してますが私ぁ残念ですよ。私、この中のどれ一つとして知らないです。知っていることといえば」
再び相田は再びホワイトボードに向かった。キュキュっという音が室内に響く。何を書くつもりだ?
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相田:
・K、出張後一年以内に確実に出張先で起こる暴動・騒動
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「こんなことくらいですね。次は南極ですか……どうなるんでしょうね南極」
「え……あ……ちょ」
「これについては議題その4で詳細な説明がなされると信じていますよ、影山さん。
議題その2では夢みたいな話をごちそうさまでした。実現は100%無理とは言いませんが、10年、20年と続けるのはなかなか難しいことは否めないでしょう。
それで、結婚生活が事実上継続不可能になるという事情については今話しますか? それとも後で一緒に話しますか?」
「うん……後でまとめてのほうが良いな」
「わかりました。議題3に関してはこれまでの流れでだいたい分かって来ましたが、影山さんは誰か特定の一人と早期にご結婚したいと思っているわけではなさそうです。『いい人がいれば』って感じですよね? 違いますか?」
俺はコクコクと頷いた。実際、こんなおおごとになるとは思っていなかったのだ。お前らこそ何をそんなに事を荒立てて騒いでいるのだと小1時間問い詰めたいくらいだよ。
「その上で、あえて……あえて言わせてもらいます。ここにいる四人全員に『先行者特典』とでも言いましょうか……そういうものを認めていただきたいのです。
ある日いきなりどこぞの女と恋に落ちて私達の知らない間にあれよあれよと、なんてのは相当な人間関係の悪化を引き起こすと思って下さい」
「わはは。しかしそんなヤツいっぱいいるぞ。どれだけそいつのために尽くしてきたかで選ばれると考えるのは幻想に他ならん。儂ぁ腐るほど見てきたわ。たった一晩の寝技に参ってしまった男とか、たった一皿の肉じゃがで逆転した女とかな」
「お父様!」
「おっとすまんすまん、少し下世話だったか。しかし下半身の相性が決定要因になることは結構あると聞くぞ? ほら、相談サイトとかでも……」
そう言って壬生さんがナントカ小町だとか知恵袋だとかの画面を映し出そうとするのを相田はにっこり笑って丁寧に阻止した。
「壬生さん、タブレットはおしまいください。言わんとすることはよく分かりますし我々も大人なので、そのあたりは肝に銘じておくべきことでしょうね。
私が言いたかったのは、影山さんが寂しさのあまり軽々にその辺の女と関係を持ってそのまま結婚するということになった場合のリスクを、影山さんは理解すべきだということなのです。
それと、我々もいい歳ですし、婚期を逃すリスクをこれ以上積むのは出来れば避けたいんですが……」
「相田さん、自分の意見を私達の総意みたいに話すのは止めてくれない?」
「失礼。今のは半分以上私見でした。では影山さんの方から何かあれば。このまま議題4に移られるならそれも」
やっと俺のターンがまわってきた。
「あー、まず、聞いていると打算も結構混じっているようだが、皆が俺を憎からず思ってくれているのは嬉しく思う。
貴子さんのカミングアウトには正直驚いたが、貴子さんの立候補の直接の動機ってのは能力の指南ってことでいいのかな?」
「あ、いや、それは確かにそうですけど、それだけではないというか……それはただの好きになったきっかけというか……」
貴子さんが何かモニョモニョ言っているが、俺は続けた。
「俺の能力が俺を好きになったきっかけなんだったらいいが、もし能力の指南が目的なんだったらそれは出来ないと最初に言っておく。
あの能力は俺の脳にあって、おそらくは貴子さんの脳にもある特殊な器官を使うんだが、俺にはその器官を使うのに必要なソフトウェアがインストールされているんだ。
一方で貴子さんにはこのソフトがない。俺から見れば貴子さんが能力を使えるほうが驚きなんだ。
おそらく幼い頃、まだ脳の機能が未分化な時に経験を蓄えていったんだろう。これは言ってみればメモリマップドI/Oを膨大な時間かけて叩いていたらなにかしらの機能が使えてしまったというくらいレアなケースなんだ」
「え……そ、そうなんですの? 最後の方がよく解らないけど、私と影山さんは違うってこと……?」
俺は貴子さんの方を見て軽く頷き、次にシャーロットの方を向いた。
「シャーロット、俺のために手を挙げてくれてありがとう。そして恩返しのためにそこまで覚悟してくれて感謝している。お前がそこまで律儀で、誠実で、努力家であることを知って、俺は本当にお前をあの日ラゴスで救ってよかったと思った。
しかし、お前にはもう一度考え直して欲しい。お前の残りの人生は恩返しのためだけにあるのかどうかをだ。
お前のその素晴らしい才能を、恩返しのためだけに使って良いのかどうか、俺は正直悩まざるを得ない」
「えー。本人がいいって言ってるのに?」
「今はそれでも良いかも知れないが、後々今の判断を後悔するようであれば問題になるだろう。俺は未来を見通す大賢者ではないが、お前の才能の大きさから考えてそうなる可能性は高い。
俺は、お前がどこまでやれるか見てみたいから今日この場で婚約だの何だのと言う決断は下さないつもりだ。逆に、俺がなんとしても嫁に欲しいと思ったら花束持ってプロポーズしに行くからそれを待っててくれ」
「そういうことなら納得。私のこと嫌いってわけじゃないなら今はそれでいい……かな?」
俺は軽く頷いてシャーロットと目配せを躱し、とりあえずはお互いが元の関係に戻れたと思うことにした。さて、次は市川さんだ。
「市川さん、他の誰かを選んだら去っていくなんて悲しいことを言わないでくれよ。俺が市川さんから見放されたら誰がこの会社を、何よりだらしない俺を切り盛りするんだ? 市川さんの貢献度は誰よりも光ってるさ。
でも考えてみてくれ。今まで誰かが『二人はお付き合いしてるんですか? 』って聞いてきたらいつも物凄い顔して睨み返していたのは市川さんだぜ? 『面白い冗談ね』とか言って斬って捨てたこともあった。
俺だって空気は読めなくても人の顔くらいは見ているんだ。ここで俺が市川さんを選ばなかったとしたら理由はそこにある。つまり断られる相手に花束を渡すやつはいないってことだ」
「え? 私そんな酷い顔してたの……? ちょっと待ってそれ誤解よ?」
市川さんが驚いた顔をしていた。本人にはその自覚がなかったらしい。あの殺気や表情が誤解と言い切れる代物だろうか……?
「そうなのか? とりあえず俺が実務的には女房役と信じて疑わない市川さんに恋愛的なアプローチが出来なかったのはそのあたりに理由があるんだ。
そもそも、お前ら多少は自覚しているかも知れないが、それぞれが相当な美人なんだぞ? 健康な独身男性の俺がどれだけ眠れぬ夜を過ごしたのか分かってんのか? 出来れば一戦お願いしたいのをこちとらずっと我慢してんだ畜生め」
「なんだ」
市川さんがきょとんとした。
「言えばいいのに」
相田がしょうがないなあという顔をした。
「そうならそうと……それを盾にもできましたのに」
貴子さんが残念そうな顔をした。ちょっと怖い。
「じゃあ今晩にでも。今日は勝負パンツじゃないけど」
シャーロットがそう言うと市川さんがパシンとシャーロットの頭を張った。
俺はこれが皆の俺に対するポーズだと分かっていた。本気で一戦お願いしたらやんわり断られるだろうし、そもそも俺が「じゃあお願いします」と言ってこないことが前提での彼女達のこの発言なのだ。
「シャーロット以外の連中は実際頼んだら怒るかごまかすかのどっちかだろう。そんで俺がシャーロットに手を出せないのも知ってるだろ」
みんなが乾いた笑いを発した。シャーロットは「えー? なんでー?」と言ってたが、こんな頑張り屋さんを俺のような男が興味本位でベッドレスリングに持ち込んで良い筈がないだろうが。
じゃあ他の人は良いのかと言うとだいたいみんな似たり寄ったりか……。ええいくそ。
「もうそこに書いてるから言ってしまうが、市川さんと貴子さんに関しては俺が若返り措置を施している。ああその通りだ。
なんならここで相田やシャーロットにもそれをやってもいい。今日は自分のことを全部話す気でいたからな」
「ああ、それは助かるわぁ。最近さすがに無理がきかんようになってきたし、貴子さんと市川さんに囲まれて自分だけ老けてきたん嫌やったし……影山さんもそんな特技があるんならケチケチせんとさっさと言うてくれたらええのに……」
相田が急に伊賀弁でリラックスしたふうな態度になった。
「ほな、婚期が遅れる分はなんやしらん、そっちの若返りとかでリカバーできるっちゅうことですよね? それやったらナンボでも待てますから、影山さんはしっかり時間かけて嫁さん選んでください。
ほしたら今すぐ決めぇ早よせぇ言うの、私は一抜けかな。あとは影山さんのプレゼンをワクテカしながら聞かせてもらうわ」
「私も、今すぐ決めるなら手を挙げなきゃって思ってましたけど、時間的猶予があるならこのままが良いです」
貴子さんがちょっと半べそになりながら声を絞り出した。
「私もまあ、そんなとこね」
「じゃ、今日はこれで終わりかな? なーんか、なんにも結論出なかったね? でも若返りの権利獲得は良かったね、相田さん! あ、私もか?」
「壬生さんから何か一言、いただけますか?」
「そうだな……うむ、影山君は打算とか言っていたが、それは結婚に必ずついて回る問題だ。婚活に必死な女性が相手の年収や学歴を細かく聞くのと同じで、女性は『自分がこの人と結婚するのには正しいと人様に胸張って言える理由』が欲しいんじゃないのかね?
うちも実子や近縁者の相手になる人間はそれなりに調べるしな。影山君も100%の恋愛要素だけでお相手を決めるようなことは止した方がいいかもしれん。自らも打算を持ち、相手の打算とすり合わせたまえ」
「お父様、良いこと言ってるように聞こえますけど、実質何も言ってませんわよ?」
「む……」
「さて、じゃあ少し休憩して議題4を待ちましょうか。15分休憩しましょう」
相田の休憩宣言で全員が席を立った。さっきまでの緊張を解きたいのか、部屋に残る者は居ない。部屋はそれなりに広い筈なのに、異様な熱気が籠もっていた。
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「私、影山さんとお似合いねって言われた時、そんな怖い顔してたの?」
女子トイレで市川は貴子を捕まえて、先刻影山に指摘されたことを聞いた。彼女自身には殺気をだした覚えもなければひどい顔で睨んだ覚えもない。
「そうねえ、相当嫌そうな顔をしてたわ。それと敵意かな? 影山さんに限らず、大学時代からそうよね貴方」
泣いて化粧が崩れた貴子は市川の質問よりは自分の化粧を直すほうが忙しいようだ。
「そっか……」
市川には実は思い当たることがあった。
彼女が中学2年の時のことだ。市川が通っていたのは公立の中学校。まるで玉石混交なクラスメイトの中でずば抜けた成績の男子がいた。噂では愛媛の六年一貫校を落ちて公立に来たのだと言う。中学受験失敗組ならそれほど大したことはないだろう―― 若き日の市川はその男子生徒のことをその程度に考えていた。
しかしその見込みは完璧にひっくり返された。私立校の受験失敗は体調不良によるもので、本来の彼の学力は遥かな高みにあったのだ。
幼い頃から議員を輩出する家の娘として恥ずかしくないようにと鍛えられ、学力に自信のあった市川でさえ彼にはテストで一度も勝てなかった。勝負にすらならなかったと言って良いくらいだ。
そのうち市川は彼から眼が離せなくなった。あれはまあ、思春期特有の何かなのだろう。目ざといクラスメートがその様子を見て市川とその男子を囃し立てる日々が続いた。娯楽の少ない中学生にはよくある話だ。
市川は当時から美人で目立つ女子だったため、その状況が長引くことはさまざまな悪影響をその男子生徒の周囲に呼び寄せた。市川が名前も知らない先輩がその男子を連れて行ってリンチをしたとか、女子が入れ代わり立ち代わり、または数人同時に「いつ市川さんに告白するのか」と詰め寄ったとか、彼にとっては全く身に覚えのないことで迷惑この上なかったろう。誰も市川の耳に詳細は入れなかったが、警察が動くような傷害事件にもなっていたらしい。
その話を聞いた父の後援会の会長が彼の家に行って何かを話したらしく、彼は消えるように転校していった。しかしそこで彼の受難は終わらない。転校先にも噂が届き、「市会議員の娘を妊娠させた」などとあることないこと吹き込まれた連中が彼の勉強を邪魔し続けたのだ。
彼は夢見た六年一貫校の高校編入にしくじり、次の春に自殺した。
狭い地方都市の話だ。当然その訃報は市川にも届き、事の次第を聞いた市川の心に深い影を落とした。
それ以来、市川は当て推量で他人のプライバシーを暴き、囃し立てて楽しむ人間が許せない。市川がもし「影山さんと付き合ってるんですか?」と言われて怒った顔を見せていたのなら、それは影山への嫌悪感から来るものではなく、他人の無責任な興味や言動がどれだけ人を傷つけるか分かっていない人間への怒りから来るものであろう。
「彼の呪いかもね……」
市川はリップを塗りながらぽつりとつぶやいた。
「なあに? 呪いとか物騒ね、イッチー」
「ああごめん。気にしないで。久しぶりに恋愛の話なんかしたから学生時代のめんどくさい話を思い出しちゃって」
「何よ。聞かせなさいよそれ」
「あんたの超能力の方がよっぽど聞いたことなかったわよ。そっちが先よ」
◆◆◆◆◆
「うわっ」
トイレからの帰り道、給湯室の自販機の影から俺と壬生翁の前に現れたのはさっき退散させた筈の邪悪な影だった。
「いやぁ溜まってたんなら言ってくださいよ、影様ぁ。いつでもお相手しましたのに。南極のポッドでも手ェ出してこなかったから、もしかしたら女性に興味ないのかと思ってましたわ」
「瞳! まだ帰ってなかったのか? それと影様は禁止! 今後影山さんと呼べ。さん付けを許す! 以後命令厳守のこと!」
いつもなら慇懃無礼に言うことを聞く瞳が今日に限って言うことを聞かない。
「む。さっきの娘っ子か。まだいたのか。面白い子じゃのぅ」
いや、違うんです壬生さん、こいつやばいんです。いろいろと。
「これから面白い話をするんでしょう? 出来れば私も聞かせてもらいたいですね。駄目って言っても聞きますけどね?」
盗聴器は全部外した筈なのに中の会話は全部聞かれていたようだ。となると、もう秘密にするよりちゃんと理解してもらったほうが良さそうな気がする。しかし、こいつをあの部屋に入れるのは大型肉食獣を羊の小屋に解き放つのと同じだ。俺の嫁候補を全員殺してご満悦……なんてことになったらどうする?
「お前があそこに居る全員の安全を約束したら許可してやる。誰一人殺すな。それが条件だ」
「了解しました〜ん」
その言葉と同時にウキウキと足取り軽く廊下を先行く瞳がスッと消えた。なんだ? 今の新興宗教はそんな忍術教育とかやってるのか? 瞳だけの特技なのか?
「偉いやつに見込まれたもんだな」
「いや、ああいうのが一人いたほうが面白いぞい」
壬生翁が言うのだから間違いないんだろうけど、今の俺にはまだ経験値が足りないらしく、気苦労のタネだけが増えていくという印象だ。
そして15分後、会議は再開した。




