第九十八話:地獄の沙汰は成り行き次第
「はいはーい。では席について下さい。これより臨時役員会議を開催します。司会は私、相田が務めます」
相田がパンパンと手を叩き、俺達は役員会議室のオーバルテーブルの周りの席についた。
「あー、シャーロットさんごめんね。今日は役員会だから社外の方はご遠慮願ってるの」
相田が申し訳なさそうにシャーロットに退場を促したが、シャーロットは席を立とうとしない。シャーロットは代わりに持ってきたカバンから少しくたびれた社員証を出した。
「え……?」
「私、影山物産の社員ですよ。社員番号0004。相田さん、あなたの先輩なの。今は大学に通うために休職中ですが社員の身分は保持しています」
「あ……」
なるほど、確かにシャーロットは影山物産に入社した経緯がある。彼女が日本で銀行口座を作るために就労ビザが必要になり、日本語検定に合格した段階で通訳技能者として影山物産で雇ったのだ。あの頃は社屋もない時代だった。懐かしい。
ちなみに社員番号1番は俺の祖父、2番は市川さん、3番は俺だ。俺がナイジェリアから帰って来た時に祖父には引退願ったが、これはマスコミの不躾な目から祖父を守るためであって、俺が簒奪を企てたわけではない。うむ。
「そっか。いつも社員名簿のC.ゴールドウィンって誰だろって思ってたんだけど、シャーロットさんだったか……」
「でーす。ま、役員じゃないと駄目ってわけじゃないんでしょ?」
「……ですね。私も役員ではありませんから……」
相田の顔からは変に意地を張る様子は見て取れなかった。「しょうがないな」というちょっと困ったような笑顔が見えるだけだ。妹の我儘を聞く姉の表情ってこんなのだろうか。
「で、こちらのお2人は?」
「なんじゃあ、儂がおったらいかんのか?」
「ああ相田さん、こちらは壬生由武さん。貴子のお父様だけど、7月からウチの社外取締役をやってもらってるの。
うちほら、あんまり役員会やらないし、壬生さんはお忙しいから今日が初めての出席なのよ」
「ひ……壬生グループの総帥ですか……」
相田の顔から血の気が引いた。俺がそうであるように、相田もやはりグループ企業で働いたことで刷り込まれたヒエラルキー意識があるらしい。
「そんな偉いもんじゃない。もう引退したからな。今はただの爺じゃよ」
壬生翁は愉快そうにカッカッカと笑った。その笑顔を見て相田も少し安心したようだ。
「で、こちらは?」
「え? 私?」
「え? お父様の付き添いの方ではなくて? 確か一緒に入ってきたでしょう?」
「儂ぁ知らんぞ。今日は一人で来とる」
俺はがくんと肩を落として溜息をついた。
「瞳……なんでお前がここに居る……というか、どうやって入ってきた?」
「あ、影山様の一大事とか聞きまして、ここは一つお助けしようかと」
茶目っ気たっぷりに「バレたか」という顔をして瞳が皆に挨拶をした。が、皆の警戒心は逆に高まる一方だ。当たり前だ。誰にも怪しまれずに会社の役員フロアに入ってこれる人間を見ることなんかそうそう無いだろう。
「誰からどうやって聞いたそんなこと……。確かに俺は今日はこれから吊るし上げられるようだが、物理的に吊るされるわけじゃないからお前の助けは要らん。出て行きなさい」
「ちぇ……はーい……」
瞳は舌打ちをして出て行った。まったく、油断もスキも……いや、あいつが出ていったくらいで油断していてはいけない。
「相田。この間田辺さんが盗聴器発見用の電波探知機を買ったって喜んでたな。アレ借りてきてくれ」
「へ……? ああ、はい」
相田が急いで田辺さんから電波探知機を借りてきて会議室を一周りすると、盗聴器が3個見つかった。
「これ全部、さっきの人ですかね……?」
「3個全部かどうかはわからんが……少なくとも一つは瞳だろうな。まったく油断もスキも……」
その時、俺の携帯電話がSMSの着信を告げた。瞳からだった。
『私のは1個だけです』
「……相田、どうやらもう1個どこかにあるらしい」
結局俺と相田は室内だけで計5個の盗聴器を見つけ出して水に沈めた後、レーザー盗聴器対策としてブラインドを閉めた。これでようやく会議が始められる。
「で、今日の議題は何だ?」
「今日の議題ですが、影山さんの『嫁さん欲しい』発言が世の中に多大な影響を及ぼしている昨今、会社としてどのように対応するのが望ましいかをここに居るメンバーで確認するのがまず一つ目の議題です」
最近では会社の周りにもマスコミがうろちょろし始めて社員に不躾な質問をしているらしい。対策を講じるのは当然だな。
「2つ目は?」
「影山さんが『嫁さん』とやらにどのような期待と幻想を抱いているのかを聞いてみようというのが2点目です。DVだ育児放棄だと寒いニュースの多い昨今、影山さんの家庭観を聞いて、もし事件性があるなら阻止しようという話になっています」
「酷い言いぐさだな。3つ目は?」
「ここにいる人は全員、影山さんに恩義があったり、個人的な親交が深かったりする人達です。正直なところ、我々女性4名はそれなりに影山さんに対して愛憎さまざま思うところもあるでしょう。そこで、影山さんの『嫁さん欲しい』発言の対象に、私達も含まれているのかどうかをお聞きしたいのが3点目」
「私達もって……まあいいや。それを話すには条件がある。それについては後で話そう。4点目として俺からちょっとしたプレゼンをする。ただし希望者のみの参加とするので、帰宅時間等を考慮して用事がある人は帰ってくれ」
相田がウンと頷き、「では、まず一点目」と話し出した。
会議室の大画面にこの一週間の電話やメールの着信、取材依頼の激増、検索サイトでのヒット数や各種SNSでの「影山社長」というキーワードでのバズり具合などがグラフで示され、そこに相田の解説と説明が添えられる。
「このような状況下では、特にマスコミへの対応を一歩間違うと大変な状況になると思われます。可能であれば影山さんには発言を引っ込めてもらうか、偽装結婚の一つもしていただいてこの状況の沈静化に当たっていただきたいところです。
あ、『心に決めた人がいる』ってのは駄目ですよ。パパラッチが地の底まで追いかけてきて心の平安なんて得られたもんじゃありませんからね」
「ふええ。影山サン大人気だね! 下手な芸能人や王室の人より影響力あるじゃん。それより凄いのは相田さんだね。良くこれだけの資料用意できたね……」
シャーロットが感心して拍手した。壬生翁も隣で頷いている。
「詳しくは言えないが影山君がストレスを溜めるといろいろと良くないことが起きるからな。できればその方向は避けなさい」
壬生翁が意味ありげに発言し、それを聞いた市川さんも軽く頷いていた。そうだな。ストレスは厳禁だ。最悪カーソンの別宅に籠もってやりすごすか。今年は寒そうだが。
「偽装結婚じゃなくてホントに結婚しちゃいけないの? 良いなら私手を上げていい?」
「なっ……」
シャーロットの屈託のない笑顔と予想外の発言にそこにいた全員が凍りついた。
「私はラゴスで影山さんと同じ家に住んでましたし、慣れないながらに掃除洗濯もやってました。一緒に住んで彼の人となりを見てきましたし、正直、彼に対して恩義や好意以上の感情もあります。幸い、日本円にして50億以上の資産も所有していますから『玉の輿狙い』と言われることも無いでしょう」
俺はクラクラした。シャーロットの言うことは間違っていない。ラゴスでは一緒に暮らしたし勉強の面倒も見てやった。
50億以上も持ってるってのは意外だが、以前宝くじで当てたのと市川さんの会社の仕事や何かで頑張って稼いだのだろう。頑張り屋のシャーロットらしいといえばシャーロットらしい。
頑張り屋と言えば今の彼女の日本語も、その辺の語彙の無い大学生よりよほど上質なものに聞こえる。やはり相当勉強を頑張っているのだろう。
この先制攻撃にクラクラしたのは俺だけではないようだ。市川さんは珍しく青ざめ、貴子さんは「なんてこと……なんてこと……」と肩を震わせながら小声で呟き、相田は声を失っていた。
「えー……というわけで、影山さん、おめでとうございます……」
「ちょっと待て。シャーロットはまだ大学生だ。これから先の人生の苦楽を経験していくための準備をしている段階の若者だぞ? そんなヒヨッコがいくら俺を好いてくれていても『はいそうですか』と貰って帰るわけにはいかん。俺は彼女が何者かになるまでは見届けるつもりだが、青田買いして籠の中の鳥にするつもりはない」
「影山さん、私のこと嫌いなの?」
シャーロットが少し泣きそうになっている。いかん。
「違う。好きか嫌いかで言えば好き……というか、お前はもう俺にとって家族みたいなもんだ。お前はいつ俺の家に来てもいいし、いつ帰っても良い。抱きついて甘えてもいいし……いや、お前はいつだってハグはしてくれなかったな。はは……。
まあ、お前は今、せっかく大学で頑張って勉強してるんだ。自分の可能性をぶつけてやりたいことがあった筈だろ? それをまずはやれるところまでやってみろ。俺との結婚生活に時間と神経をすり減らす必要は、今はない」
「偉い! よく言った」
市川さんが俺の背中をバシンと叩いた。シャーロットが一番に手を上げたことで少なからず緊張していたのは市川さんも同じだったようだ。
「じゃあ……待っててよ。終わるまで。それまでは婚約者ってことでいいからさ」
……場は再び緊張状態に戻った。凄い空気だ。ここに居る誰一人、シャーロットにここまで破壊力があるなんて思っても見なかっただろう。しかし考えてみればファッションブランドの看板娘になれるほどの美貌に加えてUCLAの医学部が狙える頭脳、実直に努力を積み重ねる根気と素直さ、これがいわゆる完璧超人なのでは……と思わざるを得ない逸材なのだ。もしシャーロットを安全牌扱いしていたのならそっちの方がおかしい。
「わ……私も立候補します」
意を決した様に唇をぎゅっと結んで貴子さんが手を上げた。顔は真っ赤で涙目だ。壬生翁が「おおっ」と声を漏らし、その後「まさか断らないだろうな?」という顔で俺の方をギラリと睨んだ。
「私はその……子供の頃から特殊な…… いわゆる超能力というものがあるようです。いえ、ご心配なく。誰が何を考えているかとか、そういうのは分かりません。
物を飛ばせたり、気がついたら何kmも離れた遠い場所にいたり、そういうことが頻繁にあるというくらいのものです。ほら」
貴子さんが指さすと、誰も座っていない椅子がすっと消えていった。
「ディ……」
「ディゾルブ……!」
俺と市川さんが思わず声を上げた。
「ご心配なく。椅子は隣の部屋に移動しただけです。こんな変な能力は私と兄だけにあると思っていましたが、私達の何倍も、いや、比べようのないくらいの力を持った人が目の前に現れた時は本当にびっくりしました。その力をひた隠しにしてきた私に比べ、奔放に使いながら人生を楽しんでいる影山さんの近くで、ご指導を仰ぎたいのです」
「た……貴子お前……!」
「貴子さん、ちょっと待ってくれ!」
「いいえ待ちませんわ。今日の4つ目の議題というのはこの力のことなんでしょう? だったら私が今、前座で少しお話しするくらいいいじゃありませんか」
「あー、影山さんは市川さんを若返らせたりしたしなあ……私も見ちゃったなあそういえば」
シャーロットがしれっととんでもないダメ押しをした。
相田は自分の信じる物理法則と目の前に起きた事象の間に起きたギャップについて調整中だ。しばらく彼女の意識はあるべきところに帰ってこれそうにない。
やはり一番冷静だったのは市川さんだった。さもありなん、彼女はディゾルブを見たくらいでは動じない。昔からの友達が「能力持ち」だったことについては市川さんも少なからず驚いていたようだが早々にリカバリし、シニカルな笑みを浮かべていた。
「貴子、それはあなたの影山さんへの思慕だか弟子志願の動機だかを一方的に口にしただけで恋愛とか求愛の策としては下策よ。何の勝算もないのにサイコロを振ってどうするのよ?
それに、私や相田さんが負けじと手を挙げる可能性を考えたことはないの? 完全に収拾つかなくなるわよ?」
「イッチーもなの⁉」
「私はシャーロットや貴方みたいに自分が影山さんをどれだけ好きか、なんて口が裂けても言わないわよ。でも、影山さんがここに居る私以外の誰かを選んだら私は静かに身を引いて、どこかへ行っちゃうわね。そして金輪際かかわらないでしょうよ。それが私のやり方よ」
市川さんがある日居なくなるなんて、俺にとっては最悪の事態だ。彼女はこれまでブロックが激しく恋愛対象として見てもらえなかったが、得難いほどの良き相談相手であり心の癒やし手であることは間違いない。そんな市川さんが居なくなるなどと言われては……。
ううむ、これは一種の脅しではあるまいか。
「はい、皆さん落ち着きましょう……とりあえず議題を戻したいと思います。立場表明として軽くコメントしときますが、私も皆さんに譲るつもりはありません。議題1について壬生さん。経営、そして人生の先輩として何かご意見いただけますでしょうか?」
お、相田が復活した。
「ふむ。さっきあんたが言ったように偽装でもなんでも、さっさと身を固めるのが一番だとは思うが……さっきから見とったら貴子も含めてあんたら、こっちの金髪のお嬢さん以外は少し『影山君と結婚したい』という感じではないな。『今の関係を崩したくない』とか『影山君を独占されたくない』とかそんなところじゃないのか?
方法としてはいろいろあるだろう。ひとまず海外に逃げるとか、大物芸能人のスキャンダルをこしらえてそちらにマスコミを誘導するとか……。
まあ、これはマスコミに煽られる層と今、影山君にアプローチをしてる層が同じだと考えた場合だな。しかし、肝心要のここにいる君達はそうではないんだろう?
影山君もいい歳だし、これだけの美人が目の前にいて、自分のことを憎からず思っている素振りをチラチラ見せられていたのだとしたら『嫁さん欲しい』って思う気持ちもわからんでもない。いや儂もあと40年若ければな……」
「お父様、お母様に言いつけますわよ」
「失敬。最後の一言は余計だった」
「まぁ、確かに影山さんと家庭を築きたいと思ってるかというとそうじゃないなあって思うわね。こんな毎日が続けばいいなって思ってるのかな」
市川さんが壬生翁の発言に妙に納得した様に口を開いた。
「それは私もですね。じゃあ影山さんに聞いてみましょう。議題2に移ります。影山さん、具体的に『嫁さん』にどんな期待と幻想を抱いているんですか?」
女性陣の視線が俺に集まった。
「そりゃ、疲れて家に帰ってきたら『おかえりなさい』って言ってくれて、温かい飯を一緒に食って、その人と一緒にいると安心できて……あと、まあ、夜とか……一言で言うと心の平穏と家庭が欲しいってやつだな」
「うむ……幻想だな」
「幻想ですね」
「幻想ね」
「アホやん」
「影山さん、意外にドリーミンなのな」
俺がなんとか絞り出した言葉は全否定の集中砲火を浴びてしまった。理不尽極まるとはこのことだ。
「影山さん、極端な話、それはエリザベスと家政婦さんが居れば半分以上叶ってしまうんじゃないの?」
相変わらず剛速球で言葉のビーンボールを投げてくるな、市川さんは……。
「うわぉ、市川さんは酷いね! よりによって私にそっくりのロボットを影山さんにあてがうの? だったらさっきから言ってるように私がやるよ、それは。さすがにロボットには負けないよ?」
「そういうこと言ってんじゃないわよ。影山さんの家庭観が思いっきり上っ面なんじゃないかって言ってるの。影山さんはこの5年1度だって実家に帰ってないし、ご家族の話なんか聞いたこともないわ。映画やドラマで見たような家庭を見て憧れるのは住宅のCMのモデルハウスを見ていつかあんな家を欲しいと思うのと同じだと思う。
それに現状影山さんには平穏な家庭とやらを築くには致命的な問題を抱えてる。その問題を解決出来ていないのなら要件を満たすのは難しいと思うわ」
要件定義をしたと思われたわけか……俺は。
しかし致命的問題を抱えている、というのはその通りだ。俺がお役目を持つ以上、今後も多くの人間の命を刈り取って行かなければいけないわけで、そんな血塗られた道の先に平穏な家庭がある筈がない。
「俺だけが幸せで良いのか」とか言い出して定期的に悩むに違いない。子供が出来てからも、今みたいに2,3ヶ月に一度フラッと出かけて戻ってこない親父がいて良い筈がなかろう。
あ、詰んだかな。こりゃ。




