第九十七話:遠くの他人と近くの他人
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その日の夕方近く、成田空港の到着ロビー付近ではちょっとしたざわめきが起きていた。
「うぉ……なんだか知らんが凄いスタイルの良い人達ばかりだな……」
「なんかスゴイ存在感だ……」
「あっ! あれ、C&Vのビクトリアじゃない?」
「ほんとだ! ビクトリアよ! ついに日本にもC&V来るのかしら?」
「えっ? 何? 有名な人?」
ざわめきの半分以上がシャーロットを見つけた若い女性達によるものだった。C&V twins. のイベントで市川さんと一緒にニューヨークを訪れていたシャーロットは市川さんの急な帰国の理由を聞き、それは自分にとっても一大事と市川さんに同行する形で急遽来日したのだ。
「ああ……私、日本でもビッキーに間違われてるわ……日本ではまだ大丈夫かと思ってたのになあ」
シャーロットは苦笑いをした。道行く日本人の誰もが自分を指さしてビクトリアだというのだから苦笑いしたくもなるというものだ。確かに、影武者に間違われる本物というのはあまり気分がいいものではないだろう。
「まあしょうがないわね……シャーロット、あなたが日本で有名だったのは3年も4年も前の話だし、それも瀬戸内限定だったからね」
「いや? それは聞き捨てならないよ? 私一応全国紙からのインタビューとかも受けてたし」
「それは『肝っ玉ボランティア』としてであって、モデルとしてじゃないでしょ。今日本であなたのことを覚えている人がいたとしたら『いじめられっ子大学生』としてなんじゃないの?
C&Vのほうでもビッキーがあなたの5倍くらい頑張ってメディア露出してるからね、彼女の方が名前売れてて当然よ」
「ううう、軒先を貸して母屋を取られた気分……それにいじめられっ子ってなんかやだなあ」
「シャーロットの負担を軽くするためにビクトリアを雇ったのに、何を贅沢言ってんのよ」
市川は少し苛ついて見せたが、それ以上に成田についてからスラスラ出てくるシャーロットの日本語会話に感心していた。
「いつも感心するけど、日本語ホントに頑張って勉強してるのね。日本人でもあんたみたいに四字熟語や諺知ってる人そうそういないわよ」
「そこは負けないよ! あ、エマは日本初めてなの?」
「うん。シャーは凄いね。私国外に出るのはカナダを除けば初めてなんでなんかこう……勝手が分からなすぎて怖いよ。英語で案内書かれてるけどフォントがすごく小さいし。あとさっきから気になってるんだけどこの匂い何?」
エマと呼ばれた女性が顔を上げて鼻をフン、とならせた。
「え? 匂いなんかする?」
市川は少しびっくりしたようにエマと同じように顔を上げて周りの匂いをかいだが、その意味するところは良く分からないようだった。
「あはは。ショーユの匂いかな。成田はショーユの匂いがするよね。日本人は当たり前すぎて感じないみたいだけど」
シャーロットが言い当てた匂いの正体についてエマも市川も納得したようだ。シャーロットは久しぶりの日本が嬉しくてしょうがない様子で、成田は初めての筈なのにずんずんと進んでいく。その様子を見て安心した市川は旅慣れないエマの方を気遣うことにした。
「連れてくる前にも言ったけど、エマにはちょっと会わせたい人がいるのよ。出張手当ははずむから今日はゆっくり休んで明日に備えて頂戴」
「はは。ほとんど着の身着のままで日本に連れて来られましたからね。自分にそれだけの価値があったと思いたいところです。でもいいんですか? 私は裏方のロボットオペレータですよ? それをビジネスクラスに乗せて東京まで連れてきたかと思えば手当をはずむ、だなんて」
「それは構わないわ。私は必要なことにはお金を惜しまないの。あ、言うの忘れてたけど明日私とシャーロットは会議があって、その時間だけはあなたのケアができないんだけど我慢して頂戴」
「アイアイ・マム!」
「じゃ、私達も行きましょうか。迎えの車が来てる筈よ」
「それにしても、市川さん……私が『シャー』って言うたびに周りの日本人、特に男性がこちらを振り返るのは何故なんでしょうね? 日本では『シャー』って有名人がいるんですか?」
「うーん……心当たりはあるんだけどほっといていいと思うわ」
市川とエマがシャーロットに追いつき、迎えの車に乗り込むとシャーロットは急に真剣な顔になってエマに忠告をはじめた。
「エマ、今から大切な事を言うからよく聞いて頂戴……これを聞いておかないとあなたは多分、日本滞在を後悔するから」
「何よ、シャー……急に怖い顔をして。確かに私、国外旅行は初めてだけどちゃんと危険地帯とかは避けるわよ。正直、あまり出歩くつもりすら無いの。秋葉原くらいかな、行きたいところは」
「秋葉原! あそこは……あそこはかなり危険だよ! 神保町や神田に近いし!」
「ちょっとシャーロット、何を言ってるの? 秋葉原は確かにサブカルの街ではあるけど貴方が言うほど危険な場所じゃないわよ?」
市川が怪訝な顔をしてシャーロットを制した。
「いやだって、日本では気をつけないと、食べたいものを食べるだけであっという間に5kgくらい太っちゃうからさ……それを先に言っておこうと思って。前に神保町に行った時は半日で3㎏太ったし」
「シャーロット、あなた今回の滞在中神保町禁止ね」
「WHAAAAT?」
「3kgも太ったら仕事に支障が出るでしょ」
その日、夕暮れ迫る東関道に獣の遠吠えが悲しく響いたとか響かなかったとか。
◆◆◆◆◆
「おっはよー影山さん……ってうわ何それ?」
緊急役員会という名前の俺の吊し上げ会が行われる日の朝、市川さんは俺の机の上を見て気持ち悪い物でも見るような目で毒づいた。
俺の机の上には小綺麗に包装された小包や小さな紙製の手提げ袋が山と積まれていたのだ。俺自身、この山をどうしようもなくてとりあえず空いているダンボール箱でも探そうとしていたところだ。
「何って……今日はバレンタインデーだろ? 貰ったと言うか、贈られてきたんだよ。ほとんどチョコレートじゃないかなこれ。知らない人ばっかりだけど」
ああ……という顔をして市川さんは状況を理解したようだった。
「なんだか……困ったことになったものね。迂闊に食べちゃ駄目よ。何が入ってるかわからないから。
毒とかならまだ可愛げがあるけど、髪の毛のみじん切りとか血とか入れてくる頭のおかしいのもいるからね」
「うへえ、勘弁願いたいな」
妙に具体的な例が並ぶのは、市川さん自身がシャーロットの芸能活動のマネジメントをしてきた中で得た経験があるからなんだろう。知らなかったら一つ二つ開梱して食ってたかも知れない。
こういうのをちゃんと気をつけてくれるようなアシスタントとかやっぱり必要だろうか? 俺が時折鉄砲玉のように海外に行くため、常勤のアシスタントを雇うのは無駄が多いかなと思っているのだが。
「例の南極の方はどう? あれから何もない?」
「あ、そっちの方は大丈夫というか、連中さんもようやく祖国に帰ったみたい。何かあるとすればこれからだと思うけど、まあ、何もないと思うよ。多分」
件のロシアンマフィアの連中の位置は逐一捕捉しているので場所だけはわかる。連中さん、あの後南極から帰るのに相当手間取ったようだ。まあ、持っていった物資や設備をほとんど投げ出して成果も出せずに帰りたいって連絡が来たら本人達の希望はともかく、派遣した側は素直に納得も手配もできないよな。気分的にも予算的にも。
「やっほー影山さん、元気ぃ?」
「おお、シャーロットじゃないか。なんだよ、随分日本語上手くなって! ちゃんと勉強してるか?」
俺がロシアンマフィアの今後について考えを巡らせていると市川さんの後ろからシャーロットが手を振って現れた。
「おかげさまで今年無事卒業できそうだよ。4年分、学費ありがとうございました。あと兄のことも。今はサンフランシスコで上機嫌で研究生活をしてるみたい」
「おお、じゃあ今はロスの家に一人で住んでるのか? ちょっと寂しいな。治安とかは大丈夫なのか?」
「あ、今はビッキーと一緒に住んでるの。市川さんもロスに来る時はホテルを取らずに泊まりに来てくれるのでそんなに寂しくはないよ。治安の方は警備会社とちゃんと契約してるから大丈夫。場所柄おかしな連中は来ないしそこそこ安全だね」
「そうか。で、今後はどうするんだ? ルーカスと同じように医学部に行くのか?」
「そこはまだ考え中。一応メディカルスクールに行く方向で進めてるけど、他も考えてる」
「分かった。じゃあ昼飯はカレーだな! 影山物産のオフィスは初めてだろ? 空いてる席がいっぱいあるから適当に座るなり見て歩くなりしてくれ。相田はまだ来てないけど席はそこだ。あ、Wi-Fi使うなら設定はそこにゲスト用のが書いてあるから」
「はーい。じゃ、しばらくお邪魔します」
シャーロットはにこやかに空いている席に座り、自前のノートパソコンを開いてなにやら書きだした。なんだかインターンみたいで初々しい。俺は市川さんとその姿を少しの間微笑ましく見ていたが、はたと我に返り市川さんに小声で話しかけた。
「市川さん! どうしてシャーロットがここに来てるの! 何で?」
「あら、だって影山さんの嫁問題って言うなら連れて来ないわけには行かないじゃないの。あの子は『この身の全てを賭して受けた恩を返すのが自分の今後の人生だ』って言って憚らないんだから……」
「何それ? 聞いてないよ! それに恩を返すのにお嫁さんじゃなくてもいいじゃない!」
「それシャーロットに言ったら私があなたを張り倒すわよ。あなたに恩を返すためだけに生きてるって言ってる娘に『恩なんか返さなくてもいいから好きに生きろ』なんて言ったら今度はあの娘が魂の抜け殻になってしまうわ。以前のルーカスみたいにね」
どうしろって言うんだ……まさかシャーロットを嫁にもらえと市川さんは言ってるのか?
「影山さん、イッチー、聞こえてしまったので言わせてもらいますけど、その手の話は今日の会議までは根まわし禁止ってことで話ついてますわよね? 盤外戦術は減点厳しいわよ」
どうしたの貴子さん? 仏頂面してなんだか怖いよ? それに盤外戦術? 減点? 何のことを言ってるんだ?
今晩の会議はそんなにフェアにやるべきものなの? 誰がそういうルール取り仕切ってるんだ?
「ああ、ハイハイ。大事な話だったので影山さんにはちゃんと言っておかないといけなかったのよ。それより影山さん、もう一人紹介したい人が居るんだけど、心に余裕ある?」
「余裕なんてこれっぽっちもないけど、今なら混沌の要因が一つ増えるだけのような気がするので面倒事なら今のうちに言ってくれ」
俺の了解を得たと解釈した市川さんはオフィスの入口に立っていた女性に手招きをした。身長は貴子さんと同じくらいでスレンダーな体つき、メガネにポニーテール、鋭い眼が印象的な美人さんだ。
ゲームなんかではムチか拳銃でも持って戦いそうなイメージ……って誰もわからんだろうな、そんな事言われても。
「エマよ。MITの院生でうちのニューヨーク店にバイトで来てもらってるの。コンピュータシステムの専門家よ。知恵が欲しいって言ってたでしょう?」
紹介された女性がペコリと頭を下げた。ああ、この人が以前「美人の知り合いをこれ以上増やしたくない」って言って断ったあの人か……。なるほど美人だ。
「はじめまして、影山です。お噂はかねがね。確か非ノイマン型コンピュータのシステム設計についてお詳しいとか……」
「はじめまして。エマ=ブラウンです。最近は次世代インターコネクトとデータフロー型アーキテクチャを共存させるメモリ実装に関する数理モデルを研究しています」
あ、本物だ。どうしよう。俺、この人の言うことちゃんと理解できるだろうか?
「エマ、影山さんと話をしておいてもらえる? 主に彼の質問のうち答えられるものを答える形でいいから」
「わかりました。ではミスタ影山、いろいろ資料を持って来ています。投影できる画面とディスカッションできる部屋があればそこへ連れて行って下さい。ああ、ホワイトボードも必要です。マーカーは青赤黒の3色お願いします」
俺とエマさんはその後昼まで2時間、シャーロット達と昼飯に行って帰ってきてからさらにみっちり4時間ほど非ノイマン型コンピュータに関するディスカッションを行った。
シャーロットも興味本位で最初少し参加していたが途中脱落したようだ。
彼女とのディスカッションの中で特に印象的だったのは、おやつの時に頭のリフレッシュのつもりで俺が振り出した「もし、世界シミュレータなるものがあるとして、どのようなメモリモデルだろうか」という質問をした時の彼女の変わりようだった。
この質問に対してエマは異様に食いつき、暫くの間ホワイトボードと会話をしていたかと思うと数式や様々な前提を書いては消し、最後は「ガッデム!」等と言いながらホワイトボードを殴ったりしていた。
この質問は彼女にとってかなり新鮮且つ有意義なものだったらしく、そんな質問をポンと出した俺の彼女からの評価はぐんと上がったようで、その後のディスカッションは随分雰囲気が変わったものになった。
そんな楽しいコンピュータ談義も夕方まで。
日も沈んだ18時、ついに運命の会議は始まってしまった。




