第九十三話:花より資源
ケープタウンを出発してから5時間半後、俺達はツアー会社が持つ氷路滑走路に降り立った。
南極は現在、領有権問題が凍結されているため入国審査などは無いし、上陸にあたって審査をする窓口も無い。耐寒装備の買い揃えが少し面倒だったことを除けば普通に飛行機に乗って降りたくらいの感覚だ。雄大な景色と真夏の筈なのに結構寒いことを除けばだけど。
「ううぅぅぅるるるるる……影山様、寒いです……」
南極では真夏と言っても12月。このあたりの月平均気温はマイナス10℃ほどで、寒いのは当然だ。
「寒い寒い言うな。今からもっと寒いところに行くんだぞ」
「タイからいきなり南極はさすがに……うるるぶぶ」
今回の俺達が参加したのは一人900万円もする超豪華ツアーだ。ペンギンの営巣地だの南極点だのをあれこれ見物出来て、合間には腕利きのシェフが作った豪華な料理が食べ放題。温かいシャワーと心地よいベッドが用意されているという「何それ」的な極地ツアーである。
俺と瞳は本番となる7日目までは極めて普通の観光客として過ごした。参加者の平均年齢より大幅に若い俺達二人を見て「新婚旅行かい」とからかう老婦人を適当にあしらい、極地の観光をそれなりに楽しみながら。
「影山様……ペンギン、いっぱいいますね……」
3、4日目には南極点に行き一泊。6日には瞳念願のコウテイペンギンの営巣地を訪ねたが、雄大な景色とは裏腹に参加者の皆の表情は冴えない。
「うん……うちの実家にあった鶏小屋の何十倍も臭いな。ひどい匂いだ……」
「ここに来ることを夢見ていた人達の夢が一瞬で崩れ落ちるようなこと言わないで下さいよ……」
「いや、これだけの数の鳥が食うもん食って出すもの出してるんだ。現実を見ろ」
「ハイ……すいません……」
過去に見た映画やドキュメンタリーから、南極の移動というのはもっと辛く苦しいものだとばかり思っていたが全然違っていた。最近は随所に氷路滑走路があり、高緯度地帯にも給油基地があるようで、楽をしようと思えば南極の外からでも南極大陸内でもそこそこ楽に移動はできるようになっているらしい。
雪上車と徒歩で、いつクレバスに落ちるかも知れないと怯えながら視界の悪いブリザードの中を進むという悲壮感たっぷりのイメージはどうやら過去のもののようだ。
このツアーでも途中南緯83度あたりに航空機用の給油基地があった。管理している団体の詳細などは教えてもらえなかったが、チリルートから来る場合も南緯90度あたりのシェール山脈付近に観光機用の給油基地があるのだそうだ。
このような給油基地の氷路滑走路を利用する飛行機はタイヤではなくソリをつけて離着陸するのが当たり前のようで、だいたい民間機はBT-67バスラーかDHC-6ツインオッターにソリをつけて使う。
大国の研究所が使う大規模な物資輸送となるとロシア製の軍用機IL-76とかアメリカのC-130とかを使うようだが、そんなデカブツを見かけることは無かった。ちなみに日本の基地はヘリコプターで物資輸送を行うそうだ。
民間の飛行機が南極の空を飛ぶのは11月から2~3ヶ月に限られているようだが、意外に便利かつ快適であることに俺は何度も驚いた。
そうして飛行機で訪れた南極点付近にもビジターセンターとか公衆トイレとか、なんなら民間人専用キャンプ場さえあるのだ。もう開いた口が塞がらない。
遠目には小さな耐寒ポッドで身を寄せ合って寒さを耐えしのいでいるように見えるが、耐寒ポッドは二重三重構造のテントになっており、中では皆セーターの袖を捲って星付きシェフの飯をたらふく食っていたりする。
辛かったことと言えば、バスラーに乗っていた時に上空で加圧されなかったことだろうか。フライト中、結構長い時間頭痛に見舞われたのには正直参ったが、逆に言えばここまでで辛かった事と言えば寒いこと、頭痛がしたこと、ペンギンが臭いことくらいだった。
アクティビティが終わってベースキャンプに戻るとフェデリコとの打ち合わせ。現地に持っていくスノーモービル等の機材、リスクとその回避方法についての確認などを行う。
決まりきったルートで観光するのとは危険度が格段に違うから、これは必要な作業だ。
どれだけ待てば見捨てていいか、という質問をフェデリコからされた時にはさすがに少し身震いがした。うまくレグエディットを使えればいろんなリスクは無くなるのだが、この極限環境でそれができるかどうかは分からないしな。
7日目の朝……朝と言っても概念的なものでこの時期は南極は白夜で日が沈むことはない。時間で言えば午前7時……と言いたいがそもそも日付変更線が密集しているこの地域では正確な時間などわからないのでとりあえずフェデリコと瞳と俺はツアー会社の標準時間に合わせて集合し、フェデリコが用意したツインオッターに乗ってドームA方面へと出発した。
ドームAは南極東部のガンブルツェフ山脈の上に600mから数千mもの氷床が長年積み重なって出来たドーム状の地形のうち、南極大陸東部にあるものだ。その頂点は海抜4000m以上あり南極東部では最高地点となる。
俺がレアメタルを放置したのはドームFとドームAのちょうど中間地点で、標高も3000m以上ある場所だ。ちょっとしたスポーツ感覚で登ってくるには無理のある場所なのに、なんでこんなところに置いてあるものが見つかったんだろう……。
そもそも、俺はなんでこんなところにレアメタルを置いて来てしまったんだろう。いや、本当は回収する気もあまりなくて、2,3回冬が来たら全部埋もれる筈だったのに……南極が夏の間にやったのが失敗だったのか。
俺は窓の外にどこまでも続く氷原を見て、少しばかり自己嫌悪に陥っていた。
「どうしました? 影山様、浮かない顔をしていますが……そもそも、我々はドームFだかドームAだかで何をするんですか?」
ウルフズファンを出発してから4時間。瞳は黙っている俺に声をかけるのを遠慮していたようだがそれでも疑問を抑えきれなかったらしい。
「え? 言ってなかった? 隕石拾いをするんだよ」
「それは伺っておりますが、そもそも隕石を拾いに南極までというのは忙しい影山様の行動の理由としてはあまりにも突拍子が無さ過ぎます。何か他の理由があるのではと思うのは当然です」
隕石採取は南極の地質研究員や宇宙物理研究者の重要な仕事だ。隕石が地上に落下した場合、そのあたりにある石と見分けがつかなくなることがほとんどだが砂漠や氷原に落ちた隕石はあからさまに目立つので採取が楽なのだ。これらの隕石は月や火星から飛来したと考えられるような学術的に貴重なものもあるが、南極の観光ガイド達に拾い集められて小遣い稼ぎになっているケースもあると言う。
「言わないと駄目か?」
「少なくとも私は影山様にいただいたこのミッションに命を賭けています。であれば、影山様の命の次に、何を優先すべきなのかは知っておく必要があります」
俺のどこにここまで瞳を心酔させる要素があったのか、あの日の木更津の状況を何度思い返してみても見当がつかないのだが、俺も若干そこにつけ込んでいるところもあるし、本当の事を言うかどうかは迷うところだ。
「えーっとな……その」
俺が適当な出まかせを言おうとした時、フェデリコが話しかけてきた。
「影山の旦那、今から給油に降りますんで少しの間お喋りを我慢して下さい。でないと舌ぁ噛みますぜ」
「え?」
フェデリコはそう言うとツインオッターの高度をゆっくりと下げ始めた。ツアー会社のアテンダントに教えてもらった給油ポイントはこの辺りには無い筈だ。大丈夫なのか?
フェデリコは俺達の困惑など気にもとめず、飛行機を整備があまり行き届いていないであろう氷路滑走路に軽々と着陸させた。手慣れたものだと俺は感心したが、違和感が無いわけではない。普通なら常駐している筈の係員や管制官が見当たらないのだ。
「フェデリコ、ここはどこなんだ?」
「ここは俺達観光業者の秘密の滑走路……というのは冗談で、50年ほど前に閉鎖されたアメリカのプラトー基地に併設されてた滑走路でさぁ。さあ、ドームFに着きましたぜ。此処から先、ドームAまで200kmは雪上車でってことになりますね」
「雪上車も……ここにあるのか?」
「少し型は古いですが何でもありますよ。いろんな国の研究機関が基地を閉めたり、新型機材を買ったは良いが旧型を廃棄する手間を惜しんで右往左往している際に、俺達がこっそり声をかけて安く買い上げたりしてるんでさ。発電機とか雪上車とか。もちろん燃料もね。昔は機材も燃料も遺棄していったりする国があったりしたんですよ。ここじゃ廃品回収車は来てくれませんからねぇ……。
ま、年式が少々古いのは我慢して下さいな。旦那がスポンサーになってくれて新しいのを買ってくれたら助かるんですが……」
魚心あれば水心、ということか。まさか南極でそんなビジネスがあるなんてな。
「考えておくよ」
「じゃ、こっちに来て下さい。オレは給油がありますんで」
夏とはいえドームFは標高3000mを超える上に南極大陸にある。付近の気温はマイナス30度くらいだろうか。俺達は肩をすぼめながら数百m離れたゲストハウスに入り、そこで一息ついた。
フェデリコは給油車両を運転してツインオッターに給油をし、復路分の燃料を給油し終えると雪上車のアイドリングを始めた。まだエンジンは健在だ。燃料も十分らしい。
暖気と各部チェックが終わると俺達は雪上車が牽引するソリにスノーモービルを2台積み、地図とGPSを頼りに「その場所」へ出発した。
「旦那、ここでは地図はちょっと役に立ちませんよ。それよりクレバスがないかどうか見てて下さい」
高緯度になるとグーグルマップは白く塗りつぶされている。当然、クレバスの情報など記載されていない。何故地形や基地の位置などの役立つ情報を掲載しないのだろう。まさか宇宙人の基地だのナチスドイツのUFOの基地だのが本当にあるわけでもなかろうに。
「おっとお嬢さん、手伝ってくれるのは嬉しいが今日は天気が良すぎる。サングラス持ってないなら外は見ないほうが良いぜ」
サングラスをしていない瞳が運転席に近寄るとフェデリコがそれを制した。
「どうして? こんなに広いんだもの。クレバスを見つけるのくらい手伝うわよ」
「この真っ白な景色の中では太陽の紫外線が乱反射してんだ。サングラス無しだと一発で角膜がやられちまわぁ。下手すると失明するぜ?」
失明、という言葉にはさすがの瞳も少しひるんだように見えた。
「瞳、フェデリコの言うことは聞いておけ。彼は南極のプロだ」
「へへ、そんなお嬢さんに良いものがありますぜ」
フェデリコは手荷物に手を突っ込んでゴソゴソした後、その中から釣具屋で売っているような偏光サングラスを取り出し、瞳に差し出した。
「今なら1個、400米ドルってとこだ。いるかい?」
……どう見ても一個2000円もしなさそうな偏光サングラスだ。やるなあフェデリコ……。
「い、いらないわよ! 何よ! 足下見ようっての?」
「いい、俺が買おう。400だな?」
意地を張る瞳とフェデリコの間に火花が散りそうになったので俺は中に入った。ここで瞳がフェデリコをプスッとやってしまっても、意地を張りすぎて失明されても、これからの行動に支障をきたしそうだったからだ。
「申し訳ありません。ご厚意に甘えさせていただきます……」
瞳はしゅんとしながらフェデリコからサングラスを受け取った。まあ、これはこちらの準備不足だ。土壇場をカネでリカバーできるのなら問題ない。ありがたいくらいだ。
それから6時間半ほど、俺達は真っ白な雪原に危険はないかどうか、目を凝らしながらひたすら走った。
「それで影山様、さっきのミッションの話ですが……」
うーん……この質問にはちゃんと答えないとスッキリしてもらえそうにないな。
「ああ、どうも今から行くところでレアメタルなんかの地下資源がドバーッと撒き散らされたらしい」
「へ? レアメタル?」
瞳もあまりの唐突さに頭がついてこないのだろう。まあそんなもんだな。
「それを見つけた連中が『誰だか知らないけど良いもの掘ってるじゃんよう、だったら俺達だって掘りたいんだよぅ。掘らせろやゴルァ』って南極条約締結国相手に迫ってるんだってさ。具体的にはロシアと中国がそういう事を言ってる」
「は、はあ……」
「レアメタルの発見場所から一番近いのは日本のドームふじ基地、そして中国の崑崙基地だ」
一番近いのはどうやら閉鎖されたアメリカのプラトー基地だったみたいだがな。
「はい……」
「俺のミッションはそのドバーっと撒き散らされたとか言う資源の確認と、できればその事態の収拾だ。どうだ? スパイ映画みたいだろう?」
「でも……どうやって……?」
「お前、木更津で自分の身体に何があったか考えた末に俺の方についたんだろ?」
そう、瞳は俺の中に超自然的な力があると見込んで俺に入れ込んでいる筈なのだ。何度か海外でのお役目に付き合わせた結果、ただの気前のいい兄ちゃんにでもなっていたのだろうか。
「あ! え……あっ? ……でも……ウソ……ええええ?」
瞳の混乱はかなりのもののようだ。どうやら「凄い人、もしかしたら神様かもしれない」と思ってた人が「じゃ、見せてやるよ。神の力ってやつを」と言うとは思ってなかったらしい。
俺的には瞳にはもう誤魔化しきれていないと思っていたので今さら事例が一つ二つ増えたところでどうってこと無いのだ。忘れさせるようなスキルはないしな。
「嬢ちゃん、悪いけどちょっと黙っててくんな。なんかきな臭え事になってきやがったぜ」
目の前には大きなクレーターのようなすり鉢状の窪みがあった。フェデリコはその手前で雪上車を止め、俺の方を見てから窪みの底を指さした。
「げ……」
窪みの下では巨大なソリを三つも繋げたこれまた巨大な雪上車とショベルカーが数台、俺が放置したレアメタルを持ち去るべく作業していたのだ。そして銃を持った連中がその周りを警備している。
「何者だろう……フェデリコ、わかるか?」
「DT-30があるな。ロシア軍が北極圏で活動するための輸送車両だ。てことは連中には少なくともミーシャやイワンのお友達がいるってことだ。どうする? 旦那の目的地ってのがあそこなんだったらここから先は面倒臭えことになりそうだぜ」
「もう……面倒臭いことになってるような気がするが……」
俺の目には、窪地の下からスノーモービルに乗って来る、とても作業員とは思えないお兄さん達の姿が見えた。




