第九話:え?なんで?ダメ?
二日以上かけて飛行機を乗り継ぎ、俺は太陽降り注ぐ赤道直下の赴任地に降り立った。場所はナイジェリアの旧首都、ラゴス。
昨今驚異的な成長を続けるナイジェリア。ラゴスはその中でも最大の都市だ。人口増加率、人口密度、その他もろもろがナイジェリアでNo.1のこの大都市は、国内はおろかアフリカ大陸をぐるりと見渡してみても三本の指に入る都市圏を築いている。
そのラゴスを擁するナイジェリアは今やアフリカ最大、2億の人口を抱える多民族国家だ。人口序列は世界でも7,8番目で、その中に250以上の民族がひしめく民族と宗教のるつぼ。超カオス国家と言って良いだろう。
この人口の多さがナイジェリアの経済を底上げしており、近年成長を続けるGDPは世界20位。これはアフリカでは最高位で、第二のBRICsと言われるMINTの一角を占めるまでになった。ナイジェリアは今や、長年アフリカの顔だった南アフリカを抜き去ってしまったイケイケの新興国なのだ。
俺が出向してきた壬生商事も、この急成長する国と街に可能性を見出してやってきたらしい。日本企業は壬生商事の他にも少しはラゴスに来ているらしく、三十社程がこの国に根を張ろうと奮戦している。
俺の着任するオフィスはIT産業と大学などがあるラゴスでも文教地区といわれるヤバ地区の一角にあった。豆知識だが、ヤバ地区は実はこのあたりでは比較的ヤバくない地区で、Googleなどもオフィスを構えるエリアだ。豆知識おわり。
「影山君だったね。着任を歓迎します。長旅ご苦労さん。とりあえず荷物を隅に置いてくれ。君達の住居は後で案内する。まずは我々のこの国での事業と、この国で安全に暮らすために必要な知識を身に着けるための研修を受けてくれ」
ラゴス現地法人の大場社長が俺を出迎えてくれた。いかにも日本人という感じの、人が良さそうで恰幅が好く、目の細い、そして少々頭髪が残念な感じになりつつある40代後半の男性だ。
大場社長率いる現地法人は日本人は俺を入れて六名、全部合わせても十九名の小所帯。
今日からここが俺の戦場だ。
◆◆◆◆◆
壬生商事はこの国にクリーンエネルギープラントを作って電力供給に悩むナイジェリアへの社会貢献と収益拡大を見越していた。
しかしナイジェリアは産油国だ。どこの誰とも判らぬ他所者にクリーンエネルギーで商売されて、それが好調にでもなると困る人も出る。主に政府筋に。
そんなわけで壬生商事のここでのエネルギー事業は一部の業者と癒着した官僚に目の敵にされてしまい、あれこれ不利益を被ったため方針変更を余儀なくされたのだそうだ。
ナイジェリアは中国からの無償援助や無利子借款も多い。そのせいか、日本の企業に厳しくあたる官僚には何かと中国の出先機関から美味しい特典があるらしい。そういう事情も官僚による嫌がらせの原因かと思われるのだが、証拠はないし、あったとしても握りつぶされるのが関の山だ。そんな事情を講師の先輩はギリギリと歯ぎしりをしながら説明してくれた。
電力供給による売電収入の道を断たれた壬生商事だが、彼等は既にクリーンエネルギープラントを作ってしまっている。これを遊ばせる手はない。
で、彼等はプラントで発電した電気で仮想通貨のマイニングファームを作ることを思いつき、さらには仮想通貨取引所を設立し、成長著しいこの国の富裕層の投機熱を引きこもうという計画を打ち立てた。
そのためにはマイニングファームのための設備を購入・設置・設定し、取引所のシステムも合わせて作らなければならない。俺のようなコンピュータエンジニアが必要になったのはそのためだ。
「ここらは比較的安全な地域だが、通勤ルートは毎日変えること。昼も夜も、一人で出歩かないこと。メイドや運転手にお金の在処を見られないこと。高額な金品はロックのかかる金庫に入れておくこと……」
安全講習が続く。しょうがない。ここは日本ではないのだ。うかつに夜中にコンビニに買い物に行けば翌朝には死体になっているかもしれない。残念だがラゴスは犯罪発生率も国内随一らしい。
夜に限らず、ここの治安はヨハネスブルグと同程度(注2)なのだ。
着任早々の、命を守るための長い研修を受けた後、大場社長が俺に話しかけてきた。
「じゃ、影山君は今後、技術ディレクターとして実作業と現場の手配に当たってくれ」
「ディレクター……って、部長ってことですか? 系列とはいえ超大手商社の? 俺まだ、元の会社じゃ係長試験の手前ですよ?」
「出向元ではどうか知らんが、ここではディレクターだ。うちの会社の規定でな。『その分野では業界有数の技能と知見を持ち、社内他部門や他社との交渉にあたる技能があり、マネジメント層、経営層に的確な情報と選択肢を提供できる』ものは部長扱いなんだよ」
「俺がそうだというんですか?」
「当然だろう。この会社では随一のコンピュータ使いで、これから発注やら開発やらをやるために現場やベンダーと交渉するわけだし、私にその進捗を報告し、問題点を告げるのであればそうなるよ。はいこれ名刺。こっちじゃまだあんまり使う習慣ないけど、近くにアメリカのIT企業とかあるから使うこともあるかもね」
「わかりました……やれるところまでやらせてもらいます。ところで……」
俺は大場社長の隣に立っている女性に目をやって、多少ドスの効いた声で話しかけた。
「なぜここにいるんですか、市川さん」
「え? なんで? ダメ?」
「俺に海外勤務を勧めたのは市川さんでしょう? なんで市川さんがここにいるんですか?」
ばつが悪そうな顔で市川さんがこちらを見つめていた。
南国対策なのか、髪を後ろでまとめてお団子にしているのが新鮮でグッとくるが今はそんな場合じゃない。
「だって、うちに募集があったのはコンピュータが解ってて海外赴任できる人って条件だったよね? だから間接部門と事業開発部と法人営業部と運用部の人って基本アウトじゃない?」
なんか、有楽町のオフィスで話す時より若干……くだけたものの言い方だな。こんな話し方する人だっけ? あ、あれだ。女子会の時こんな話し方してたかも。
「そうですね」
「残るのはシステム開発部と技術開発部とプロジェクトマネジメントオフィスでしょ?」
「そうですね」
「で、うちみたいな国内銀行系の総研に入ってくるドメドメ理系のどれだけが英語話せると思う?」
「でも、市川さんじゃなくても、相田とか……」
「相田さんは新入社員だよ? スタンフォード大の院卒を、ろくに成果も出さないうちから系列会社に出向させるわけないでしょ? そもそも影山さんと相田さんがそろって出向したらうちの人工知能システム開発どうなっちゃうのよ?」
言い返せない。
「市川さん、そんなに英語できたんでしたっけ」
「んー。まあ、Pythonのリファレンスマニュアルを原文で読むくらいはできるわよ?」
結構できるってこと……だよなあ?
ちなみにナイジェリアの公用語は英語だ。社内募集へ応募するための必須条件が英語だったのは、ただ外国語にアレルギーがあるヤツ除けではなく本当に英語が必要だったわけだ。
俺も赴任先がナイジェリアと聞かされた時は驚いた。アフリカのどこか、くらいの認識しかなかった国だったし。
英語が通じるならなんとかなるだろうと思って最終面接で出向に同意したのだが、聞いたところでは行き先がナイジェリアと聞いて辞退した人も結構いたらしい。
いやいや、今はそれどころではない。
「今まで、英語で電話かかってきたら『誰か、代わって〜』って言ってませんでしたっけ?」
「英語できるってバレると評価にもお給料にも関係のない英語の業務が次々舞い込んできちゃうからねぇ。すっとぼけるに限るのよ」
確かに。うちの連中は英語となると誰かに押し付けるのだ。業務的妥当性がそこになくても。
「でねえ、私も『廊下の天使』とか言われるのめんどくさくなっちゃって。私の取り合いで誰と誰が喧嘩したとか、私のマグカップが無くなっていたりとか、前世俺とお前は夫婦だったとか意味不明なことをしょっちゅう聞かされるのももう嫌だし」
「そんな理由で地球の反対側まで来たんですか?」
「それに……影山さんを地球の反対側までやっちゃった手前、責任てものがあるじゃないですか」
「責任って……」
「見知った顔は一人でもいたら楽でしょう? それに、あなた一人でマイニングマシンの調達できるの? アマゾンで電源壊れたAntminerS9の中古(注1)つかまされてオイオイ泣いてるのが目に見えるわよ?」
うぐっ……痛いところを。確かに調達と交渉は苦手分野だ。まして英語。俺には無理そう。
市川さんの言う通り、助けてもらうことになりそうだ。
てか、市川さん、ほんとに何考えてるんだ……?
◆◆◆◆◆
湿気のこもった新しいマンション。雨季がそろそろ終わるらしいがやけに蒸し暑いのはずっと使われず空気がこもっていたせいだろうか。ほぼ赤道直下のこの国で暑いと愚痴るのは、俺にこの国を訪れる本当の意味での覚悟がなかった証拠だ。反省。
ヤバ地区から南東へ、橋を渡って6㎞程行ったラゴス島の高級住宅街(ただし現地基準)に俺と市川さんは隣り合わせで部屋を与えられた。毎朝、会社から車で迎えをよこしてくれるらしいが、その際の利便を考えてのことだそうだ。
車といえば、出勤はともかく休日に私用で出歩く際は車が必要になる。自分で車を買う場合でも運転手を雇うのがここでは普通らしい。
俺は前任者が置いていったという防弾仕様のメルセデスを2万ドルで譲り受けた。大場社長が個人的に前任者から買い取って死蔵していたものだそうだ。大場社長はBMWも持っていたが、これは市川さんが一万四千ドルで譲り受けていた。
これらの金額は一定期間勤務するとかなりの部分、会社から補助が出るらしい。フル防弾のベンツが200万円そこそこで買えるのもそのおかげだ。
このラゴス島も、少し西に行けば混沌の支配する地元民のマーケットが広がっている。身の安全を考えればフラフラと一人自動車を運転して出かけるべきではないのはオフィスからこちらに戻ってくるまでの道沿いの景色を見るだけで十分理解できた。
だが一方で、俺がこの街で人口削減のアイデアを試したくてうずうずしていたのもまた事実。何より、俺には使命がある。とっとと人口を減らさないといけないのだ。40億人ほど。
「あいつ」が何も言ってこないからといって、何もせずに私腹を肥やしてのうのうと生きていたらある日『地球終了のお知らせ』が来てしまうかもしれない。それは駄目だ。出来れば避けたい。
そのためには百年単位で世代を経て人口を減らすやり方を考えつつ、並行して人命の削減もやって行く必要がある。「あいつ」に対するポーズ的な意味で。
俺は腹を決めると、日本から持ってきて税関でもひと悶着あった金塊の形をした菓子を取り出した。見た目金塊にそっくりな形の箱の中身を取り出し、箱の内側にサランラップを敷いてから石膏を詰める。
これも税関で「なんで石膏なんか持ってるんだ」と聞かれたが、「日本製の最新の壁材のサンプルなんだ」と言えばすんなり通してもらえた。
どうやら空港職員にとっては、荷物の中に麻薬がなければ後はどうでもいいらしい。空港の麻薬犬の鼻先に石膏の袋をぶら下げても犬は見向きもしなかったので、俺は入国ゲートを楽勝で通関できた。
このあたりの日本の信用ってのはすごいなと感心する。ありがとう外務省。
石膏を箱の形になみなみと入れた後、レグエディットで水と硫酸カルシウムを金に変える。これで金塊の形をした金塊の出来上がりだ。もちろんお菓子の中身は俺がおいしくいただきました。
とりあえず3つ金塊を作ったところで、俺は安物のスポーツバッグにそれらを入れて治安が悪いと噂のスルリア地区の裏通りに赴いた。完全防弾の車でさえ信号で止まると危ないと言われている地域だ。
薄暗い宵闇に光るお兄さん達の目が、目が怖い。つか、チョー怖え! ホンモノのヤバさを感じ取った俺は少し作戦を修正するしかなかった。
多少治安がマシな歓楽街の近くの外国人向けカフェあたりでも思っていた事はできそうだ。近くで車を止め、スポーツバッグを持ってカフェに向かおう。
ここで俺は、日本風に店の外にあるテーブルにスポーツバッグを置いて「席取り」をやってみた。ドル札を数枚ポケットに入れて店の入り口でジンジャーエールを頼む。戻ってきたときにはもちろん、金塊を入れたスポーツバッグはなくなっていた。
俺は「オーマイガー!」と派手にリアクションしてみた。周りの客にアホ扱いされて笑われつつ、ファッキンファッキンといいながら地団駄を踏んで車に戻る。
うん。計画通り。
俺は相田のラノベの一説、「善意の井戸」を応用したのだ。
おそらく、置き引きのコソ泥は中身が金塊などという想定を超えた金額の代物であることは予想もしなかっただろう。
金塊を見たコソ泥は何をするだろう? 仲間同士で奪い合い? こっそり換金? 情報を聞きつけたボスに金塊を巻き上げられるかな? 奪われまいと逃走、銃撃……? いやいや、金塊の噂を聞きつけた対立組織と壮絶な奪い合いをするかもしれない。
というか、そうであってほしい。
翌朝、イラサマジャ地区で派手な銃撃戦があり、20人が死傷したというニュースがあった。TV中継で派手に惨状をまくしたてるリポーターの後ろには多くの血痕のほかに、俺がカフェテーブルに置いたら「何者かに盗られてしまった」安物のスポーツバッグが無残な姿で転がっているのがバッチリ映っている。うん、やっぱりそうか。そうだよな。
俺の方は石膏が2㎏ばかりとスポーツバッグが無くなっただけで何の痛手もない。むしろそれくらいの出費で地元の犯罪グループを何人か始末したんだからグッジョブだ。
そして何より俺にとっては初めての人口削減、それに成功したのは大きい。悪いが俺には悪人にかける情けは今のところない。むしろ計画通りの成果が出たことで俺は妙な高揚感さえ感じていた。
あの金塊は、おそらくどこかの銀行の金庫に収まるまでの間にまだまだ人を殺す筈だ。なにせ出所不明のインゴットだ。犯罪組織がうまく換金するのは時間がかかるだろう。
ナイジェリア二日目の朝は、こうして多くの人々の血とともに明けた。人が死んでもあまり気にならないのは、やはりメンタル強化のおかげだろうか。ただ実感がないだけか……。
さて、次はどんな手を使おうか。
(注1)Antminer S9 の中古……作品発表当時 (2018年9月) の段階ではまあまあ使えていたビットコインマイニング専用機。専用の演算チップを使い高速にマイニングできるが1台で1200Wも電力を使う。改造され電源が壊れたS9がオークションサイトに多く流れた。
(注2)ヨハネスブルグの治安……判らない人は「ヨハネスブルグのガイドライン」でググるか、あなたの近隣のガラの悪い町を思い浮かべて、そこの百倍くらいしょっちゅう死人が出る街と考えて下さい。