第八十九話:人口統計と狂戦士
「市川さん、ちょっとこれを見てもらえるかな」
俺は人工知能開発の合間に見つけたWebサイトを社長室に設置してある80インチ大画面に映し出した。
「これは?」
「国連人口統計による各国地域別の人口予測だよ。悲観的、楽観的、中央値、いろんなパターンで予測がされてる」
「ああ、ベイジアン階層モデルを使って相関係数の許す範囲で出生率なんかのパラメータを揺らしてあるのね。ふうん……」
「見てほしいのはまず、これ、インドの人口予測なんだけど」
インドの人口予測のグラフを映し出した。
「2038年頃にピークを迎えて、その後10億人程度に衰退するのね(注1)。これは先進国のデータを基に推測されてるのかな? 中央値を取ると2060年にピーク、遅いと2100年にピークでこの頃にはインドの人口は20億人……」
「実際、20億人分の食糧を確保しなくちゃいけないとなるとインド政府は苦労するだろうね。宗教的な殺し合いも相当起こると俺は思ってるんだけど、問題はそこじゃないんだ。人口転換のプロセスってやつなんだけどさ」
「人口転換?」
「ああ、人口転換って言葉は知らなくても国の人口の変化プロセスとして知ってるだろ。多産多死から多産少死になって、それから少産少死になるってやつ。本当はヨーロッパの18世紀から20世紀にかけての人口推移の過程を指すんだけど、今ではもう少し一般化されてるみたい」
「うん、それなら知ってるわ」
「インドは現在、多産少死の状況だと言われてる。多産多死から多産少死の過程で人口爆発が起こると言われてるんだけど、日本の例を考えるとインドが少産少死のフェーズに入るには最低でもあと10年、その間にインドの人口は2億人以上増えるみたい」
「ま、許容範囲じゃないの? 何か気になることでも?」
「うん……発展途上国や新興工業発展地域では多産少死の期間が先進国に比べて長い傾向があるんだよ。早いところ少産少死になる方法はないものかと思ってさ。 あ、こっちがアフリカね。最速でピークは2100年、30億人……。うわ、ナイジェリアなんかただの直線だ。なんだこりゃ」
「世界全体のデータを見たいわ」
「これだね。一番悲観的な予測で2050年にピークを迎える。その時のピークは88億人くらいかな……」
「私が2年前に予測を立てた頃より実績値が減ってるわね。最もポジティブな予測でも人口100億を超えるのは2042年になってるわよ。
2年前にあと19年あるって言ってたのに、今でもまだ19年も猶予があるなんて、頑張ったじゃない。
予測中央値だと人口100億を超えるのは2058年、35年後かあ……もう私達定年になってる頃ね」
ちなみにこの「最もポジティブな予測」で日本を選択してグラフを見てみると、なんと一度は減った人口が神風でも吹いたかのようにもう一度増えるという予測になっている。日本政府が移民政策を本気で採用した場合を想定しているんだろうか……。
てことは何か? 自然増減よりは政府判断の方が人口増の要因としては大きいのか? ならば、世界予測の方も自然増減だけで考えれば19年どころかそれ以上に余裕があるのは確実じゃないか。
「なあ、これ、俺もう何もしなくてもいいってことなんじゃないのか? 今も発展途上国に人口抑制のためのグッズを沢山輸出しているわけなんだし、俺の寿命が尽きるまでに100億になることないよな?」
「その……なんだっけ。『あいつ』ってのがそう思ってるなら何もしなくても良いとは思うんだけど、多分何もしなかったら怒ってくるわよね。100億って数字が何を意味するのかが問題よ。なんで100億なのかしらね?」
寿命についてはスルーか。確かに、俺達2人には寿命という概念は当てはまらないからな。
「そりゃやっぱり『あいつ』の保有する計算リソースがにっちもさっちもいかなくなるのがそのあたりってことなんだろうなあ」
「本当にそうなのかしら……」
「どゆこと?」
「例えば……そうね。その『ゲーム』だか『シミュレータ』だか知らないけど、それの終了条件があったわよね。人類による外宇宙航行か、シミュレータコードの書き換えだっけ? 人口100億にもなるとそういう事が出来そうなくらい科学技術が発展するってことが『あいつ』さんの経験の中にあるんじゃないの?」
「なるほどなあ」
経験か……そんなものがあるとするなら「あいつ」は地球の他にもいくつかの惑星を育成してきたということになる。それはどんなところだったのだろう……。ネトゲらしいからプレイヤー同士の情報交換とかもあるのかなやっぱり。
「あ」
「どうしたの?」
「あ、いや、何でもない。今変な考えに至っただけ。忘れて」
俺の中に、初めて「あいつ」と出会った時の会話が蘇った。
「普通、君達の世界でもコンピュータで長いことゲームやシミュレーション演算などをやっていると途中までの結果を保存セーブしたりするだろう」
なるほど、おそらく「あいつ」は1度か2度、人類を100億にまで増やした結果ろくでもない結果に見舞われ、やり直している最中なのだ……。つまりあいつの経験とはすなわちこの地球だということか。
◆◆◆◆◆
服部が抜けた穴を埋めるべく採用した田辺さんは、多芸な上にそれぞれの分野にそれなりに深い見識を持っているので、今では会社の知恵袋的存在だ。服部には悪いが田辺さんのほうが数段仕事が出来るので、彼の評価も給料も絶賛鰻登り中である。
こういう人は理不尽な就業規則で縛り付けるよりは、話を聞いて納得さえできればルール側を曲げてやったほうがより成果が出やすい。
コンピュータのプログラムを組んだこともない総務がプログラマーのための機材を勝手に決めて「お前は今日からこれで仕事をしろ」と言うのは会社にとって自殺行為以外の何物でもないが、現在日本の大企業はだいたいこういう自殺的手段を何のためらいもなく採用している。
自分で自殺を選択しておいて高度な人材の流出が問題だとか言ってる経営者があちこちにいるが、俺から見たらとんだお笑い草だ。高度な人材が周囲の低いレベルに合わせることを強いられながら仕事してたら期待した成果なんて得られるわけ無いだろうに。
プログラマーが4Kディスプレイが2つ必要だと言えば4つ買ってやればいいし、まともなキーボードが欲しいと言えば迷わず最高級品を買い与えればいい。まともなキーボードのおかげで年間5時間残業が減れば十分にプラスだろう。
高額だが性能の良いGPGPU用のボードを何度申請してもその価値と用途を上司に理解してもらえず、なかなか買ってもらえなかったせいでプロジェクトが遅れに遅れた壬生システム時代を思い出すと本当に腹が立つ。ああもうなんかいろいろ思い出してきた。
そんなわけで俺は田辺さんが必要だと感じた機材の購入について文句を言うことはなかったし、知見を得るために必要なら一日中ネットサーフィンをしてもらっても全然構わないと田辺さんとその周りに周知徹底しておいた。もちろん田辺さんに限らず、成果が出る、または出そうとしているのであればその準備の為になにかすることについて俺が文句を言うことはない。
あれから社員が増えて今では15人を抱える影山物産だが、相田のシステムは順調に利益を叩き出しているし、保有する株式の配当だけでもこの15人が食っていくには十分な利益が出ている。実際、影山物産はルーカス・マイニング売却以降、納税以外で現預金と資産を減らしたことがほとんどないのだ。
そんなわけで、俺は若手社員が投資先の会社に張り付きたいと言えば行かせてやったし、投資先の会社の開発するゲームで遊びたいと言えば勝手にしろと言ってきた。
さて、そんな環境を与えられた田辺さんが昨日からずっと、最新PCの中に仮想マシンを作り、少しばかり古いPCゲームをプレイしている。
「田辺さん、何ですかそのゲームは?」
「これですか。これは『ポピュラス・ザ・ビギニング』というゲームですよ。いわゆるゴッドゲームです」
「ゴッドゲーム?」
「神の視点で全体の状況を把握し、神の化身となるプレイヤーを動かすゲームですね。手番のない将棋みたいなものです。一応、零和有限確定完全情報ゲームですが、手番という概念がないのでゲーム理論的には論じにくいゲームですよ。自軍の人口が神のマナと直結していて神はマナを使って多彩な攻撃や人口増加支援を実行できるんです。増えた人間達もマナの供給源としてだけでなく、敵に対する戦力として使えるんですよね」
「へえ……後ろで見ていていいかな」
「どうぞどうぞ。でも、3Dでグルグル画面が回りますから、気分が悪くなったら見るのは止めて下さいね」
人口が増えると神のマナが増える、というところが少し気にかかった俺は、その後田辺さんのゲームプレイを後ろから見ていた。なるほど、異教の神を崇める部族を人口と信仰の力で殲滅するのが目的のゲームか……なんともえげつないルールだが画面が全体的にユーモラスなので、見ているだけでも面白い。
田辺さんが序盤の数面をクリアしたところで、俺は気になったことを田辺さんに聞いてみることにした。
「田辺さん、これさ、敵をほったらかして自分達で増えたい放題増えるとするじゃない。そうするとどうなるのかな?」
「うーん。増えるにはここにある木、これが必要なんですよ。これは資源の象徴みたいなもので、人が増えるとこの木はどんどん切り倒されて街を作る建材として使われてしまいます。人が増え過ぎると綺麗に整地された平野には木が一本もなくなってしまうんですよ。序盤はしばらくすると生えてくるんですが、終盤はもう、悲しいくらい木が生えてこなくなります。そうなると街は資源が足りず、維持できなくなって廃れてしまい、最後には一定数の住民だけがつつましく暮らすことになります」
「なるほど。資源の枯渇で人口は逆に減るかも知れないと。それでもひたすら平野部だけを増やせば?」
「そのうち敵も成長してこちらに攻め込んできますよ。それより、もったいないと思いますね」
「もったいない? 何が?」
「ほら、ここに神様が使えるマナのゲージがあるでしょう? 人口が十分になるとこのマナのゲージが溢れてしまうんですよ。神様的にはこれ以上人口が増えても嬉しくもなんともない状況になります。
敵側のマナがそうなった場合、敵AIは天変地異や疫病を雨あられのようにこちらに仕掛けてきますよ」
「マナが……溢れる?」
「何ですか? 面白そうなやりこみプレイでも考えついたんですか? でも実際、そんなやりこみプレイをやるのは一度か二度、全面クリアをしてしまって、だいたいのルールや隠されたゲーム内の因果律が全部理解できてからですよ。特にギリギリプレイってのは何をどうしたらそうなるのか、分かってないとすぐに破綻してしまいますからね」
何か、今いくつか大変な事を聞いた気がする。もし「あいつ」がギリギリプレイを楽しんでいるのなら、とか、今「あいつ」のマナはどうなってるんだろうかとか、今まで考えもしなかったことでいくつか考えておかなくてはならないことがあったように俺には思えた。
「なあ、田辺さん、こういうゲームって面をクリアしたら次の面にアドバンテージを持ち越せたりしないんだろうか?」
「それは……ゲームデザイン次第ですね。ご褒美的に持ち越せるものもありますし、パズル的要素が大きければ全部まっさらな状態から次の面をってことになりますし……」
その時、ゴガァッ! という音とともに画面に大きな雷が走り、画面の左側にアイコンが追加された。盾と剣を持った人間のアイコンだ。
「よし、騎士が使えるぞ!」
田辺さんは嬉しそうだ。
「それは?」
「神の意志を代行して、敵の部族を次々と殺し、街を滅ぼしていく騎士なんですよ。自分が殺されるまで人を殺し続けます。騎士というより狂戦士ですかね」
田辺さんは迷わず狂戦士のアイコンをクリックした。俺は田辺さんの操る神が1人の男を選んで狂戦士にし、その狂戦士が次々と敵部族を討ち滅していくのをしばらく見ていた。
「まるで俺みたいだな……」
「え? なんです?」
「いや、何でもないよ」
俺がその場を立とうとした時、丁度画面の中で田辺さんの狂戦士は敵に囲まれ、袋叩きにあって殺されていた。
嫌だ嫌だ。ああはなりたくないな。
(注1)
実際は2022年11月15日に80億人を突破するようです (2022.07.18 追記)
国連の人口統計と予測についてはこちらを御覧ください。
https://population.un.org/wpp/Graphs/Probabilistic/POP/TOT/




