第八十六話:出生前と成長後
2年ほど時間が飛びます。
俺がケニアから帰ってきて1年と10ヶ月が経った。
その間に俺は様々な研究開発活動と間引き活動を交互に繰り返しながら、次なる間引きの仕込みも着々と行っていた。「あいつ」からのクレームや催促が来なかったところを見ると、俺は1年に1万人のノルマをどうやら果たせているらしい。
お役目に関して最近注力しているのは二つ。投資先の性具メーカー「タルタルーガ」の生産設備を増強するために結構な額を投じたり、インド市場向けコンテンツの強化策をあれこれ考えたりして一定の成果を上げたりしている。
俺がポンコツと呼んでいたプロデューサー達は今や、インド向けコンテンツのご意見番としてビジネス誌の取材記者の前でろくろを回して(注)ご満悦らしい。
「ビッディ・ペッソン」のベアトリスは完成体の値段がやはりネックになっていたのと、持ち主が結婚した時にどうしても邪魔になるという欠点を覆せずにいたので国内市場での売上は低迷している。
しかしベアトリスは国内外の愛好家達の間で根強い人気があり、事業としては採算は取れないが生産中止にするには惜しいという状況だ。
そこで狭山社長は思い切ってベアトリスの下半身だけ、上半身だけという売り方を考えた。これとVRコンテンツの制作会社「ヘキサエース」社のコンテンツを併せることで女性の尊厳を傷つけない性サービスを提供出来ると考えたのだ。
サービス担当の女性を雇わずとも娼館が経営できるというこのアイデアに飛びつく事業家は結構な数に上り、特に性犯罪が深刻化する南アジアとアフリカでは地方政府が導入を検討するなど、この「上下分離策」は一部では成功を収めはじめていた。
「今日も我が社は順調そのものか……。誰もウチの会社がこんなに世界の下半身需要に貢献してるって知らないんだろうなあ……。でもそれで有名になっちゃうのもなあ……」
俺は東京オフィスの社長室でエリザベスⅡのAI設計をしながら軽く呟いた。先週ヨハネスブルグから帰ってきてまだ時差ボケが取れていないが、自作のAIを触っているとそれだけで体調が良くなる気がする。
「3年前の予測では、世界の人口は今年9月で83億4000万人になるって話だったけど、今の速報値では82億1000万人よ。1億3000万人ほどの効果が出てるわ。もう少し、何かできると良いんだけど……」
市川さんが人口統計の報告がてら俺にコーヒーを淹れてくれた。彼女は C&V twins. の経営をすでに腹心の部下に任せており、今は東京のオフィスに常駐している。
「スポーツバッグに金塊を入れて盗ませるパターンはもうそろそろ飽きたしなあ……」
「金塊バッグ」は他の犯罪多発都市でもやってみたのだがどうにもマンネリ感が否めない。間引ける数も少ないし。初めてラゴスでやった時のあの高揚感はもうどこへやらだ。
「ビクトリア湖上の島の領有権争いは軽い紛争に発展してるわ。あと、水難事故が7000件、死者は9000人を超えてるんですって」
「俺が頭を捻って絞り出した間引きのアイデアより、避妊具や性具を十分行き渡らせたほうが人口増加防止の効果が出るのはどうにもやりきれんな。貴子さんから何か報告はある?」
貴子さんはスフヤーンが経営するスーパーマーケットチェーンの経営指導に当たるために数ヶ月前からデュッセルドルフに赴いている。現地では壬生商事の清水さんが精力的にバックアップしてくれているおかげで貴子さんの仕事、ひいてはスフヤーンの会社は好調なようだ。最近では立体駐車場をいくつか作ったり、警備会社を立ち上げたりと多角化を進めているらしい。
「数字的には特に無いけど、人の雇入れが結構多くなってきたからかしら、やはり従業員による不正が多発しているみたいね。マネジメント層はそうでもないみたいだけど。人前で叱ると闇討ちで報復してくるとか、サボるために全力で働いているふりをするとか良く解らない人達相手に苦戦はしてるみたい」
「従業員の不正か……ある程度は織り込み済みってことで承知しておかないといけないのかな。難民なら職を得て生活力を確保するために真面目に働く筈だって思ったんだけどなあ……」
「あと……」
「何?」
「貴子が『最近疲れやすいからあと2年分くらいなんとかならないか』って……」
「ああ……そこは市川さんの意見を聞きたいね」
貴子さんは市川さんの身体がいつまでも20歳そこそこに見えることと、自分の身体の経年劣化が止まったことについて深く検討した結果、俺が肉体年齢をかなり操れるという結論に達したようだ。
俺は市川さんとの協議の結果「28歳くらいまでなら」ということで今は貴子さんに若返り施術をしているが、貴子さん本人は市川さんと同程度の待遇を望んでいるらしい。今回貴子さんがドイツに赴いてくれたのも、市川さんが特別扱いなのはその絶大な貢献度が理由だと考えてのことらしく、成果を上げて俺に貢献度をアピールしたいということなのだろう。
「まあ、貴子にしては我慢してる方よね。いいんじゃないの? もうしばらくしたら戸籍上の年齢と肉体年齢の乖離については誰だって疑問を持つようになるし、だったら今のうちにぐっと若くしちゃってもいいと思うわ。ただし、本人にリスクはきちんと伝えてね。なんだったら貴子にはお役目の話をしてしまっても良いんじゃないの?」
「……ちょっと壬生さんと相談しておくよ。やりすぎるのを嫌うからな。あの人は」
俺のお役目を貴子さんに話すということは必然的に自分の父親が何をやってきたかを知ることになる。ゆえに、この件は壬生さん抜きで判断できることじゃない。
「あ、そう言えば対馬に行ってる『凄塩』の山本社長から連絡来てたわよ。そろそろオキザヨリとダツが出荷できそうだって」
「そういえばもうそんな時期か……長かったなあ。タイやハマチも出荷するまでに最低2年もかかるんだってね。今後は成長促進剤とか検討するわ。でも魚の成長促進剤って正直、効くって話と効かないって話がまちまちでさあ」
「成長促進剤で育った魚食べたら食べた人も成長したりしないのかしらね? まあそれはともかく、初出荷分は皆で試食したいんですってよ、行ってきたら? 私は行かないけど」
「はは。じゃ、明日にでも行ってくるよ。チケットはこっちで手配するからご心配なく」
「了解。お気をつけて。じゃ、今日は私はこれで帰るわね」
社長室のドアが音も立てずにすっと閉まると、俺は天井を見上げて大きなため息をついた。やはり壬生さんがやっていたように、システマチックに出生数を減らしたほうが、生きている人間をあの手この手で減らすよりは随分と楽だ。気持ちも手間も。
1万人が死ぬ大暴動を演出するには俺の能力をもってしても1ヶ月前からの準備が必要だ。千人が死ぬ暴動でも1週間。俺が直接レールなんかの大質量を人の集まりの上に落とすならその10倍は効率良く間引けるが、無差別殺人を避けながらとなると計画立案はかなり面倒くさい。
それがどうだ、性衝動のはけ口を少し変えてやるだけで出生数は1億も減らせる。いや他にもいろいろ各国の社会背景や事情があってその数字になっているとは思うんだけどさ。結局アイーダ月ヶ瀬先生の書くチキン魔王がやるように、人間社会のしくみを利用したりした方が良いってことなのかなあ……落ち込むなあ。
せめて俺は「悪人を間引く」ということで社会貢献をしたのだと自分を納得させたかったが、最近のお役目の際の高揚感を考えると完全に自分の趣味になっているような気もするし……ああいかん。ネガティブスパイラルにはまるのはよろしくない。飛行機のチケットでも予約して今日は帰るとしよう。
◆◆◆◆◆
羽田から対馬へは早朝の便に乗れば4時間足らずで移動が可能だ。というわけで俺はチケットを取った翌日の昼には対馬に着いていた。
空港近くのレンタカーでバンを借りて親父さんのいる養殖場へ向かう途中、空を見上げるとあいにくの曇天。沖の方では雨が降っているようだった。9月だし台風がまたやって来るのだろうか。
俺は翌日に予約してあった帰りの便が少し心配になって天気予報をチェックしてみたが、台風がやって来るにはまだ数日余裕があるらしいとのことだった。
「やあ! 来ましたね影山さん! 親父さんはやってくれましたよ!」
俺が養殖場近くの船着き場に着くと「凄塩」の山本社長が駆け寄ってきてくれた。向こうでは水揚げされた1.2mほどのオキザヨリや50㎝くらいのダツが見える。長崎大の川口教授の教え子さん達が巻き尺や秤でサイズと重さを一匹ずつ計測しているようだ。
「ありがとうございます! これでウチのラーメンを世界へ安定供給できます!」
「いやいや、養殖魚の食味は与えた餌にかなり左右されるようですし、まだ安心するのは早いですよ」
何か見落としがあったりした時のために、ある程度失敗の心がまえをしておくことは大切だと俺は知っている。それに、この後加工調理する過程でどんな落とし穴があるかもわからないうちに大喜びするべきではない。「百里を行く者は九十里を半ばとす」という言葉もあるじゃないか。今はせいぜい七十里ってところだろう。
その日俺達は旅館の調理場を借りて、オキザヨリとダツの料理を楽しんだ。あっさりした塩焼きや唐揚げ、新鮮な刺身はどれも身内には好評だった。
調子に乗った学生達が他の宿泊客にもオキザヨリを振る舞ったりしたがその人達にも好評だったので食味に問題は無いということだろう。
「じゃあ、後は干物加工業者を見つけて干物にして、それから実際にラーメンにしてみないとですね。山本さん、夢が広がりますね!」
成功の美酒に酔った川口教授が山本社長を祝福して語りかける。養殖可能な水産資源として新しい価値を持つオキザヨリの養殖を一発で成功させた川口教授には今後それなりの評価と様々な形でのインセンティブが与えられるのは確実だ。なので当然、川口教授はすこぶるご機嫌だった。
「ですね。しかし干物……こればっかりは今日はできませんね」
「味の方はどうですか? 思った通りですか?」
「うーん……ハマチと同じ餌を与えて育ててくれたようなので、実際脂にハマチっぽい匂いはしますがこれが餌の匂いってことなんですかねえ……これも、干物にしたらどうなるかわかんないですね」
「これ、上手く行ったら次どうします? ここで生産拡大しますか?」
川口教授は次の研究課題がないか、それが最も気になるところなのだろう。山本社長は矢継ぎ早の質問にたじろいでいた。
「地中海……なんてどうです?」
俺は山本社長を助けるように口を挟んだ。
「地中海……ですか?」
川口教授は俺が次に何を言い出すのか、興味深そうに俺の方を向いた。
「山本社長はラーメンチェーンを世界に展開するために、そのダシの原料としてダツを考えていらっしゃる。しかし昨今の不安定な国際事情の下、EU加盟国への水産物持ち込みはいつその基準が変わるかわからないじゃないですか。だったら加盟国の領海内で養殖してしまった方が良いでしょう。
地中海にはガーフィッシュって言う美味で知られるダツの仲間がいます。骨も緑色で同じですし、やってみる価値はあるのではないでしょうか?」
「なるほど。地中海のガーフィッシュですか……面白いですね」
「先生、それってワニみたいな顔したあれですか?」
川口教授の教え子の学生さんが酔っ払って真っ赤になりながらも真剣な顔で聞いてきた。
「いや、ガーフィッシュはダツ目ダツ科で、君の言うワニみたいな魚はアリゲーターガーと言ってガー目ガー科、この2つは全く違う生き物だよ。ところでおい君、大丈夫か? 顔真っ赤だぞ?」
「そうなんですか〜なんで同じ様な名前つけちゃうんでしょうね外国の人はぁ〜も〜」
そう言うと学生は窓際に行ってコテンと寝てしまった。
「あーもう、しょうがないな若いもんは……親父さん、ダツの養殖どうでしたか?」
「うーん。餌撒きを自動にしたのと、あまり夜中に見回りに行かんかったよってピョンピョン飛びよることもなかったし、全体的にはおとなしぃて手ぇかからん印象やったわ。こんな扱いやすいとは思わんかった。
ただ、餌を食べる量は大型魚だけあってやっぱし凄い。採算をとるには相当高く売るか、餌のグレードを考えんと。
地中海はええんちゃう? 行ったことないけど温かいイメージあるし。対馬と同じくらいの温度条件揃えられるなら十分可能やろうな」
扱いやすかったのはおそらく、俺が遺伝子操作をしてパニック習性を取り除いたことが功を奏したからだろう。
「あとは、せやわな。共食いの抑制と……高く売れるようなら防犯をもうちっと考えんといかんかな。
ここんとこ生簀荒らしがまたぞろ出没してて、佐伯んとこなんか3年もののタイをゴッソリいかれてもぅたとかでよぉ……」
そういえば親父さんは前にも言っていた。オキザヨリは遠目に、というか欲に目の眩んだ人間にはタチウオに見えるかも知れないと。前に聞いたときはまだオキザヨリは網の目を簡単にくぐれそうな稚魚だったが今は十分な価値を持った商品だ。それなりの対策はしておかないといけない。
「そうですね。明日一度、生簀を見せて下さい。本格的に考えましょう」
俺達はその晩、翌日の生簀訪問があるので早々に床についた。そして翌朝、親父さんの船でオキザヨリの生簀に向かった俺達は海上保安庁の船がオキザヨリの生簀の近くにいるのを発見したのだった。
(*)ろくろを回す…昨今のビジネス誌では何故か取材される側は両手を前にしてろくろを回すようなポーズを取りがちで、これを揶揄する表現です。




