第八十四話:ハクレンとバイオフィルム
ケニアに行くと瞳に告げた日から2日後の早朝、俺は渡良瀬川と利根川の合流地点辺り、埼玉県の久喜市栗橋というところで流れる川面を静かに眺めていた。この近辺で漁をしている人は居ないかと埼玉東部漁協に問い合わせたところ、河野さんという人を紹介してもらえたので、現地で会うためにやって来たのだ。
利根川では流域の漁協が稚魚の放流なども盛んに行っているため鮭、鮎、鰻など換金性の高い魚が多く獲れるが、河野さんはそれらの魚のシーズンの合間に比較的不人気のコイ科の魚も注文次第で獲ってくれるという頼もしい川魚漁師だ。実際、川魚料理店からの注文は結構あるらしい。
「それで、えーと、ハクレンが欲しいの? 6月ならともかく、あれは普段は霞ヶ浦の方にいるんでなぁ。ここから下流のトロ場にも少し居着いてるけど……どうだろなぁ……」
物好きな人だな、という顔で河野さんが俺を見ている。
「ええ、コクレンやソウギョなどもお願いしたいんです。今度中国のお客さんをたくさん呼んで連日パーティをする予定なんですよ。食べる前にしばらく泥抜きをしたいので生きたままで、30匹くらい獲っていただけないでしょうか?」
「30匹! いや、そりゃ構わないけど30匹! ……ふわぁ…… こりゃ頑張らんと……ふひゃひゃ」
「50匹でもかまいませんよ。できれば大きめのをお願いします。
八珍活魚を作るために中華街からコックを呼んでるんです!」
「パァヂェン……?」
「ああ、なんでも内臓なんかを綿で保護して、生きたまま油で鯉を揚げる宴会料理らしいですね。私も食べたことはないので。いやあ、楽しみです!」
「ああ、テレビで昔みたことあるなあ……で、いつ必要になるの? それに合わせて獲っとくよ。生きたままがいいんだよね?」
「ええ、生きたままでお願いします。一週間後の今くらいの時間に取りに来ますよ。でっかい水槽持って!」
「しかしなるほど、中国人ねえ……。日本じゃ川魚って言っても鯉やらハクレン食べる人はあんまりいないからねえ」
支払い条件や受け渡し場所などを打ち合わせている間、河野さんはずっとニコニコしていた。久しぶりの大型注文なので嬉しいんだそうだ。
次に俺は猿楽町の建機リース会社に赴いた。ここは安価で活魚を運ぶ特殊車両のレンタルをしてくれる会社だ。
「ええと、集荷が栗橋……で、下ろすのは豊洲ですか?」
「いや、私の自宅でお願いします。住所は――」
俺の要望に係の人はびっくりしていたが、なんとか納得してもらう。確かに、数百kgもの活魚を自宅のプールに持ち帰るために活魚運搬車なんぞを使うやつはそうそういるまい。
その後帰宅した俺は普段水を入れていなかった自宅のプールに初めて水を張り、カルキ抜きをした。ハクレン達をお迎えする準備ってやつだ。
◆◆◆◆◆
ビクトリア湖。アフリカ最大の湖で、タンザニア、ケニア、ウガンダに岸を持つナイルの源流だ。俺はその湖岸、ニャンザのムイータというところに来ていた。約一名、歓迎されないお供と一緒に。
ビルに遮られることなく開けた空、たなびく雲、光る水面とそよぐ風。足に感じる砂利の感触も心地よい。視界の端に時々ちらちら映る生命体がいなければより爽快な気分になることは間違いない。
「で……お前誰だっけ?」
俺は俺の左斜め後ろを当たり前のようについて来てやたらウキウキしている20代半ばで頭の軽い感じの美人に尋ねた。
「イヤですねえ、その質問、一昨日から何回目ですか? 私ですよ。
山中瞳! ひ・と・みって呼んで下さい!」
やっぱりそうか。そうなんだろうな。でも納得し難い。
「いや、俺の知っているひ・と・みはもっとこう地味な顔でさ…… お前別人だろ? 身長以外で同じところないじゃないか」
「あー、普段は教団の工作員……って言っちゃって良いのかな。まあそんな感じでしたので常に変装をしてたんですよ。ほら、口八丁手八丁で他人の人生をこう、教団側に寄せて」
「歪めて」
「……歪めて来たわけですからね。ご家族とか途中で気がついた御本人とかからそれなりに痛い逆襲もされたりしますので、それ避けに……」
「で、ここケニアでは変装の必要がないというわけか」
「いやあ、ぶっちゃけ暑いのと、パスポートの写真は素顔で撮ってましたので……あ、影山様は変装した方の私のほうが好みでしょうか? でしたら今すぐにでも」
「いい。分かった。それはしなくていい」
パスポートチェックのこともあり、瞳は飛行機に乗る前から変装は解いていたそうなのだが、搭乗口が違うので俺はそれに気が付かなかった。ナイロビ空港の出口で親しげに素顔の瞳が近づいてきた時はどこの美人局かと思ったくらいだ。もちろん俺は飛び上がらんばかりに驚いたし、その驚きはまだ続いている。
なんというか、美人なのだ。瞳のくせに……。
身長は160㎝ちょっと。陸上選手のようなスリムでスレンダーで出るところが出てない痩せた体型だがそれが上手く収まっていて耽美系のアニメの登場人物のようだ。
俺は美人は嫌いではない。しかしここ3年、美人が絡むと何かとビッグイベントに発展しては大きな精神的負荷をかかえこむのを繰り返したので、可能な限りこれ以上の美人の知り合いは欲しくないと思っている。瞳を好きだとかいう男性が勘違いして服部みたいなことになるかもしれないし。
「で、今日はどこ行くんですか?」
ナイロビ空港に到着した夜、俺はラゴスでやったのと同じことを挨拶代わりにやって来た。ダウンタウン近くの酒場でうっかり金塊の入ったバッグを置いて注文に行くというやつだ。
瞳が俺の放置したバッグを盗られないように見張ると言って聞かないので随分苦労したけどな。
他にも、街なかで強盗にあったのでやたら高い時計を渡したり、空港の警官に賄賂を要求された時に凄い金額を笑顔で渡したりしておいた。まあ、あれで10人以上は間引けただろう。ナイロビも酷いところはラゴスと同じかそれ以上に酷いからな。
この「挨拶」にあたっては、俺に害をなすであろう強盗や警官を瞳が殺しかねなかったので、制止するのはなかなかに骨が折れた。俺が言い出したこととは言え、なんでこんなことで苦労してるんだろうか。
「まあ、今日はこのへんで観光だな。観光」
「嘘ですね。目が嘘だって言ってます」
「昨日9時間も車の運転したからケツが痛いんだよ」
デルフィノさんが聞いたら大喜びしそうなセリフだ。
「それにな、ガソリンスタンドがどこにあるかも分からない状況で必死で次の給油ポイント探しながらあの悪路を走ってたんだぞ? 肩も目もバチバチに凝ってるんだ。今日くらい何もしなくてもいいだろう?」
「おや、肩こりでしたら私がハリを打ちましょうか? 少し心得がありますので……」
「いや、絶対に拒否する」
その針に何が塗られているか分からんからな。まだまだ警戒を解く気はないぞ俺は。
「そうだな。このあたりで小舟を借りれそうなら借りて、湖に浮かべてみたいものだな」
「あ、それだったらそこのロッジで貸し出してますよ」
瞳は遥か向こうに見える観光客向けの貸しボートを指さした。
「お前、どこまで遠くが見えるんだよ……」
ほんとに何かの加護でもついてるんじゃないだろうか、瞳……。
◆◆◆◆◆
夜9時半、自然の雄大な景色だけが観光資源のこの辺りではホテルのバーに行かないと決めれば他に出歩く先もない。「シャワーから温かい湯が出ることに感謝して寝なさい」と瞳を寝かしつけた後、俺は軽く日本へと移動し、レンタル予約をしていた活魚車を受け取りに築地に行った。
引き渡し場所にはレンタル会社から派遣された運転手さんが来てくれていた。俺にはこんな特殊な車、運転はできてもそれ以外の機能は使えない。だから予約時に運転手さんの随行オプションをつけておいたのだ。
これで運転を含む各種オペレーションは滞りなく出来るだろう。まったく便利な時代になったものだ。いや、不便な時代を知ってるわけじゃないけど。
俺は運転手さんと軽い挨拶を交わして活魚車に乗り込んだ。
「意外にいいシートですね」
「長距離を走ることが多いから、そのへんはしっかりしてますよ」
「いやあでも楽でいいですね。引っ越し屋だと絶対に隣に乗せてくれないのに」
そんな軽い会話を交わしつつ、俺と運転手さんは栗橋へと向かった。
「おう、来たね。時間通りだ」
栗橋では河野さんが42匹のハクレンと6匹のソウギョ、12匹のコクレンを捕まえて俺を待っていてくれた。結局利根川だけでは数が揃わず、霞ヶ浦の同業者に頭を下げてまで数を揃えてくれたのだというからありがたいやら申し訳ないやら。
ハクレンは最大で130㎝にもなる魚だが、料理に使うと俺が言ったのを気にして最大サイズのものは避けてくれたらしい。それでも俺が大きめのをとお願いしておいたので、河野さんは50㎝級から80㎝級の魚を中心に取り揃えてくれていた。この辺りの気遣いはさすがプロだ。
俺達は次々と活魚車の水槽にハクレンを取り込んだ。水槽に投げ入れられたハクレン達は二酸化炭素濃度を比較的高めに設定された水の中でぐんにゃりとなっていく。あまり水槽の中で暴れると、せっかくの魚が身焼けを起こしたり毛細血管が切れて血生臭くなったりするらしいからこういった措置をするのだそうだ。
河野さんに十分なお礼を支払った俺はそのまま活魚車を自宅に向かわせ、裏口からハクレンを次々とプールに放した。ひょっとしたら永遠に使わずに埋めてしまうだけだったかも知れない庭のプールに出番が来たのは実に感慨深い。俺は初めてこの大きくて広いだけの漫画家の豪邸だった物件を買ってよかったと思った。
伝票にサインをして運転手さんに活魚車を引き取ってもらった後、俺は早速行動に出た。自宅のプールでようやく一息ついたハクレン達を俺は残らずディゾルブでビクトリア湖に叩き込んだのだ。
ちなみにこのサインは俺の名前でしていない。影山物産の社長室の牧田という男がしたことになっている。いつどこで入出国記録と照らし合わされるかわかったものではないから、多少なりと小細工はしておこうというわけだ。
◆◆◆◆◆
ビクトリア湖にはナイルパーチという、最大で2mにもなるという肉食魚がいる。これは1950年代に宗主国イギリスの指導で水産資源として放流されたものだ。ビクトリア湖には草食性の在来種しか居なかったためにナイルパーチは湖の食物連鎖の頂点に立ち、以後200種以上の在来種を絶滅させながら今に至っている。
これほどの食害魚の駆除が叫ばれない理由は簡単で「美味しくて高く売れる」からだ。ファーストフードチェーンや給食の白身魚といえばチリ沖で穫れるメルルーサが有名だが、それに負けず劣らずの人気なのが実はこのナイルパーチで、その経済性の高さからほとんどが輸出され、地元民はほとんど食べられないほどだという。
いや、実際この辺の市場でも売ってるからにはそれは嘘だと思うんだけどね。
このナイルパーチの好漁場になっているのがミギンゴ島という島の周辺水域だ。ミギンゴ島は長いところでも端から端まで150mも無いような島だがここに800人以上が住んでいて、人口密度世界一と言われている。そのほとんどがナイルパーチを獲る漁師か仲買人らしい。
が、その実体はナイルパーチで一攫千金を夢見ている素人の集団だ。漁猟スキルの低さもさることながら、魚族資源の保護意識や環境への意識も負けず劣らず低い。目先の金のためなら湖も魚もどうなろうが知ったことかという連中なのだ。
800人の島民が出す排泄物は毎夜ビクトリア湖に垂れ流され、それを糧にアオコが繁茂し、水質汚染でナイルパーチは減る一方。かといって在来種が盛り返すかと言うとそういうわけでもないのが今のミギンゴ島周辺の事情だそうだ。
「うぇええ……じゃあ、白身魚のフライはもともとウンコ魚ですか……」
「……口を慎め。刺身を食わせるぞ」
実際、水質汚染を公的に認めてしまうと風評被害で水産業がダメージを受けるという理由でケニア政府は水質調査そのものを嫌がっているらしい。
「少し前にこのミギンゴ島、ナイルパーチのあまりの経済性の高さからウガンダが領有権を主張し出してケニアとの間で紛争直前まで行ったそうだ」
「儲かると分かると領有権を主張ですか……日本にも確か似たような島があったようななかったような……」
聞くところによるとこちらの島で住んでいる漁民の多くがウガンダ領でナイルパーチを獲っていたのに全然ウガンダにカネが落ちなかったのが紛争直前まで行った理由の一つらしい。これはこれで理由としてはどこぞの国よりはマシな理由だな。うん。
俺がビクトリア湖に放ったハクレンやソウギョは伸び放題伸びて湖底の酸素バランスを崩している藻を食べまくるだろう。何より、ハクレンの消化器系にはアオコを消化するバクテリアがいる。そう、ハクレンはアオコを食べられる数少ない種なのだ。
そしてコイ科のハクレンは環境汚染にも強く、ナイルパーチに簡単に捕食されないくらいに大きい。ビクトリア湖はハクレンが覇を唱える条件が揃っている。
環境アセスメント云々はこの際無視だ。もともとナイルパーチだってそんなものを考えて移植されたものではないのだから。
「ぐぎぎ……影山様……なんですかこれ……重い……」
「泣き言を言うな。俺もお前と同じだけの量を持ってるんだ。ほら、さっさと積み込め!」
翌日、俺と瞳はガイドを雇ってミギンゴ島の近くまで船を出した。ちょっといかした外国人富裕層向けの高速クルーザーだ。
緊張状態が続くミギンゴ島への外国人の立ち入りは原則認められていない。なので俺達は上陸はせず、国境にも近寄らないように島を遠巻きに見ることにした。
「島ごとスラム」と評判高いミギンゴ島を遠巻きにでも見たいという観光客は結構いるのだそうだ。船を出してくれたガイドは俺達もそんな観光客だと思っているだろう。
「よし、始めるぞ」
船を島から数百m離したところで俺達は持ち込んだ荷物を湖面にドボンドボンといくつも落とした。
「うぎぎぎ……これ、何なんですか?」
「ウンコ水をキレイにする装置だ」
「なんでそんなものを……うう重い……ぐぎぎ」
「文句を言わずに頑張れ」
「ちょっとお客さん!何やってるんですか?」
ガイドはびっくりして俺達を止めようとしたが、厚い札束を渡すと何も言わなくなった。
別におかしなものを沈めているわけではない。業者向け通販で買ったカーボンファイバーの布の四隅にそれぞれ2㎏のオモリをつけたものだ。
沈めたカーボンファイバーはそのうち立派なバイオフィルムになって800人の排泄物を少しずつ浄化するだろう。多少は環境改善しないと俺の目的が達成できないからな。
◆◆◆◆◆
翌日俺達は同じ船を借りて、ウガンダとケニアの国境近くの島、というか国境がある湖上の離島イレンバ島の海岸にレジャーを装って上陸した。
「昨日と違って今日はのんびりですねえ……」
「ああ……」
湖岸に吹く優しい風と、湖面に散乱する光が疲れた神経を癒やしてくれる。傍目には金持ちのいかにもなレジャーに見えるだろう。もちろん瞳にも。
「今日は何もしないんですか?」
「俺は今日、『何もしない』をしているんだ」
瞳は不思議そうに俺を見ていた。彼女には俺が湖岸を眺めながら近くの石を気ままに投げているようにしか見えないだろう。どっこい、俺はその辺の石を拾い上げてはダイヤモンドの原石に変えて撒いていたのだ。
「さて、帰るか」
気の長い話になるが今後定期的にハクレンをビクトリア湖に移植すればナイルパーチはハクレンの稚魚を食いながら増える筈だ。
そしてナイルパーチの経済効果が再び沿岸部を賑わせれば、今でさえ年間5000人も出るというビクトリア湖の素人漁師の水死者数はどんと跳ね上がるだろう。領有権争いが再燃して、ウガンダとケニアが国際紛争に突入すれば犠牲者はさらに増えるに違いない。
加えて、イレンバ島に撒いたダイヤモンド原石が見つかってニュースになればエヘブーイグボのゴールドラッシュと同じ様なことが起こるに違いない。山師達はワニではなく湖と未熟な船頭達に殺されることになるわけだ。
今回はこんなものだな。適度に忙しく適度に生臭くて非常に充実した生き抜き……もとい息抜きだった。相田にキーキー言われる前に日本に帰っておくか。
俺の謎の行動に付き合わされ、危険地帯を歩かされるかと思えば荷物持ちをやらされ、現地料理の毒味までさせられた瞳はさぞや夢と現実の区別がついたことだろう。これに懲りて俺から一歩遠ざかってくれれば良いのだが……ああ駄目だ。アフリカに来るのが夢だったとか言ってるわ瞳……。
今回の息抜き旅行の大半は飛行機のシートとナイロビで借りたパジェロの運転席とクルーザーのソファで過ごしたようなものだったが、俺は不思議とすっきりした気分で日本に帰れたので良しとしよう。




