第八話:アイーダ先生の虐殺教室
出向が決まるまでの数週間、俺は相田のラノベ、アイーダ月ヶ瀬・作「★転生したチキン魔王は人類絶滅の詔を下す。ただし猶予は300年★」を見て人口削減のネタを漁っていた。
主人公の魔王は日本からの転生者で、中世並みの文明世界から人類を一掃するために魔力を駆使してできるだけ自然に人口の削減を行うというものだ。
「あいつ」も人選を間違ったなと俺は思った。相田を呼んで人口削減を頼めば会社そっちのけでやっただろうに。
この作品の前半では、日本から転生した魔王が思いつくままに様々な手段で人間世界を襲っていく。
干ばつ、冷夏による飢饉、致死性の伝染病、イナゴの大発生、気象兵器……
魔王は自分の仕業とわからないよう、慎重に、自分を倒しに来る勇者が生まれないようにじわじわと人々をこの世から消し去っていくのだ。
ただ、これらの手段は俺には実行できない。イナゴの大量発生などはレグエディットの能力の範疇を超えているし、干ばつや冷夏もおそらく無理だろう。また、飢饉や致死性の伝染病については現代地球では国連や篤志家の人道的支援でリカバリーできてしまうから思ったほどの人口削減は期待できない。
気象兵器は環境改変兵器禁止条約がある以上、俺がなんとかして作ったとしても解体されたうえ、俺自身が当局によって処理されてしまうだけだから駄目だ。俺も勇者は怖い。
相田の小説の前半はあくまでファンタジー世界の医療と生産・物流状況が前提になっている。飢饉や伝染病は俺でも思いつくネタだ。これでは読者のウケも悪かろうと思っていたら、話が進むごとに短期短絡的な人口削減をあきらめる、という大方針が出てきて面白くなってきた。
―――第11話「富士山と釣鐘」より―――――
「なんということだ。余が魔王になる前、余の郷では代を重ねる毎に人が減っていたのに、それを忘れていたわ! ふはは。よし。釣鐘作戦を開始する!」
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釣鐘作戦……要するに多産多死の世界で医療技術が発展すると多産少死になって人口爆発が起きてしまうため、意図的に文明をゆがめて発展させ、人口構成を釣鐘型にするということか。
これは人道支援でなんとかなる代物じゃないな。しかも実際に日本の人口減ってるし。これの対策があれば日本政府は涙を流して喜ぶだろう。
いいネタだ。次。
―――第17話「8ミリの悪魔」より――――――
「人は子をなす。なそうとする。それは未来永劫変わるまい。ところでな、余の郷では我らに仇なす邪悪な魔物を捕らえ、子を成せぬ呪いの光をあてて野に放ったのよ。数世代で奴らの数は驚くほど減り、ついには里に来ることは無くなったわ」
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これは、沖縄県病害虫防除技術センターが最凶最悪の病害虫「ウリミバエ」の根絶と再進入禁止のために採った手段だ。ウリミバエを大量に養殖してコバルト60か何かの放射線を当て、生殖能力を奪ったうえで野に放つとそのウリミバエと交尾したハエは卵を産まないことに目を付け、何世代もこれを根気よく繰り返したという「不妊虫放飼法」。それを人間にも行うのか。なんというえげつなさ。
相田えげつない! 怖い!
―――第26話「善意の井戸」より――――――
「戦など、些細なことで起こるものよ。王がどうの軍がどうの、そのようなことよりも面白いものを見せてやろう。げに恐ろしきは人の嫉妬と独占欲よ」
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これは読んでいて結構なショックを受けた。
日本のテレビ局の特番で、発展途上国の山間の部族の村に井戸を掘ったり水力発電機で電気を通したり、学校を建築したりして現地の村民に感謝されるというのがあった。
あれの後日談で、いくつかの井戸や発電機は隣り合う部族との奪い合いとなり、多くの部族が存続不可能なまでに殺しあったとかどうとか。
……こういう話、どこから探してとってくるんだろう? これは結構いろんなところで使えるかもしれない。
―――第27話「命のため池」より――――――
「いかに良い知恵があったとしても、試行錯誤の結果だけをかすめ取るのではいつか破綻をきたす。にも拘わらず人はそれを止められぬ。そんな愚かしさを人々に見せつけてやるのも一興よ」
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これはなんというか……さっきのと同じようで違う。
発展途上国の山間部の村で、片道2時間かけて水くみに行く少女達を学校に行かせようとNPOやら海外青年協力隊やらが村の近くにため池を作ったら蚊が大発生し、村が根こそぎマラリアで全滅したというどこかのエピソードを応用して書かれている。
ため池を最初に作った村は、ため池を作る方法を教えた賢者の言うことを聞いてきちんと管理していたが、これを羨んでため池を見よう見まねで作った村々が全滅していくという話だった。
いかん。俺の精神汚染がひどい。
メンタル強化人間の俺でもこのラノベは覚悟なく読んではいけないような気がする。気が付けば街を歩いていて「どうやってこいつら一掃しよう」とか考えだしてる。マジでヤバイ。
てか、相田、あいつが一番ヤバイ!
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歓送迎会やパスポート、就労ビザ等の取得、予防接種、現地習慣の研修、マンションの解約、引っ越し先の手配などをあわただしくやっているともう、秋の風が吹く頃になっていた。することがたくさんあると時間が経つのは妙に早く感じるものだ。
その頃になると、例の「影山作・幻の競馬予測システム」をめぐる不穏な空気はかなり薄くなっていた。
経緯はこうだ。
まず俺は東京都宝くじに続き、サマージャンボの1等前後賞をレグエディットを使って当てることにした。
宝くじ当選者には様々な精神的負担やリスクがつきまとうと聞くが、海外へ逃げてしまえばそんなリスクは無いも同然になるだろう。いくらなんでも赴任先まで当選金をせびりに来る奴がいるとは考えられないからだ。
そうした目論見を抱いて、俺はわざわざオフィスで宝くじの当選番号を確認し、「やった!当たってる!」とわざとらしくはしゃいで見せた。
この時の宝くじの当選確率操作はレグエディットの性能評価も兼ねていた。くじ側で確率をいじればきちんと当選できる事がわかったのは収穫だ。
だが周囲の連中は俺がそんなことをしていたとは知る由もない。連中は俺という人間を「一生分の運を使い果した代わりにツいてツいてツキまくっているラッキーマン」ぐらいに思っただろう。
それこそが俺の狙い通りだった。
俺が「物凄くラッキーな人」であるとの認識があれば、先の競馬の大当たりも「ツいていた一例」と認識されるに違いない。実際、周囲の連中の俺を見る目はだんだん変わっていったように思う。
そして9月のGI、スプリンターステークスで俺は「幻の競馬予測システム」の存在を疑わざるを得ない状況にしてやった。会社の連中が見守る中、馬券を盛大に外してやったのだ。
この一件でそれまで俺の周囲で暗躍していた不穏な影は徐々に消え、一部の理解不能な確信を持った連中以外は俺の周りをうろつくことはなくなった。
この結果、俺に対して直接金を無心した方が得策だと判断した連中が増えたが、状況は遥かにマシになった。彼らはそれまでの連中と違い、犯罪まがいの手段で俺の家のカギやPCの中身をどうにかしようとはしなかったのだ。おそらく極めてローリスク志向なのだろう。
付き合ってほしいとか、実家の工場が倒産寸前だとか、借金取りに内臓を売られてしまいそうだとか、黒服に地下に連れていかれるとか、夜討ち朝駆け、いろんな奴が俺のところにカネ目当てにやってきたが、俺は海外赴任を理由に逃げ回り続けた。
例のシステムの存在感がこれほど希薄になった今、海外へ出向する意味が本当にあるのか疑問ではあるが、海外赴任で逃げ切ることを前提に宝くじを当てたのだから赴任は既定路線と考えるべきだろう。
それに、やはり社会人として自分から希望した出向を直前になって「やっぱりやめます」なんて言える筈もないしな。
ほどなく出国日が決まり、俺は今の会社のオフィスから姿を消すことに成功した。
それにしても、身の安全のためとは言え海外赴任か……アレ以来落ち着かない生活が続いているが、はてさて……。