第七十九話:プロ市民の弱み
7月の最終日、その日の朝がやってきた。今日は俺の命日となるのか、それともいつものように「あー疲れた」と言って家に帰って寝る日になるのか。結果はこの半月の間に仕込んできた策の成否にかかっている。
そもそも現状、はっきりと「殺したるからツラ貸せや」と言われているわけではないのだ。もしかしたら寄進のおねだりかもしれないし、講演とか対談とかの依頼かもしれない。
……いや解ってるよ、そんな筈がないってことは。そんなのがお望みだったら服部になんか頼まず玄関のチャイムを鳴らしてくれればいいだけだ。その場で丁重にお断りするけどな。
これだけ準備をしておいて今さらなんだが、俺は新興宗教団体に呼び出しを受けるほど彼等と関わった覚えがない。
だからなぜ俺なのか、そこのところを知っておきたい。不当な理由だったら抗議する権利くらい俺にもある筈だ。
まあ実際は、壬生戦略研究所の資料を見て、奴らが俺を狙う理由は大体の見当がついているのだが……。
昼過ぎ、俺と服部とデルフィノさんの三人はアクアラインを渡って木更津に入った。
「これは……エアコンの効いた車の中ならともかく……」
「熱中症になりそうですね……」
高速道路を降りた辺りで秋葉原で買ってきたケプラー製の防刃ベストを着込んだのだが、正直、この季節には着たくない分厚さだ。通気性も良いとは言えない。しばらく着ると汗だくになりそうなのが簡単に予想できる。
しょうがない。これも身を守るためだ。
「影山さん、こっちは?」
服部が俺の持ってきた小さな水槽を指さして不思議そうな顔をしている。5月に買った、タコや貝、オコゼを育てていた水槽のうちの一つだ。
「ヒョウモンダコのひょうちゃん」
「何? なんですって?」
「ひょうちゃんだ、ヒョウモンダコの。文句あるのか? 今更聞かなくても俺の家にずっといただろう?」
「確かに水槽にいましたけど……何で連れて行くんですか……?」
「俺が今日殺されたらひょうちゃんは家で餓死してしまうだろう? だったら連れてきてもいいじゃないか。いいか服部、お前の今日の役割はひょうちゃんのお世話係だ」
「なんですかそりゃあ?」
「大事な役割だ。頼んだぞ」
俺が真剣な顔をして頼むと服部も黙って頷いた。
実際ひょうちゃんの出番があるようだと相当にまずい状況なわけで、俺もできればひょうちゃんの出番はない方がいいと思っている。
壬生戦略研究所の救世聖杯信教に関するデータによると、不審死した信者の死因の半分以上が山中での死亡で、ドクウツギやトリカブトなどの毒による中毒死だ。俺はこのことが妙に気になって頭から離れなかった。そのためのひょうちゃんだ。
準備も終わり、服部の記憶を辿って房総半島を横切るようにひた走ると、案外あっさり救世聖杯信教の本丸に到着できた。道中襲撃があるかもしれないと身構えていたのに拍子抜けだ。
「影山様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
なるほど、今回の趣向では俺達は賓客らしい。俺達の乗った車は正面の車止めに誘導され、そこで車を降りた俺達は大聖堂へと連れて行かれた。
上級信徒らしき男と、瞳という服部の顔見知りらしい女が前を歩き、俺達のまわりをぐるりと警備の連中が取り囲みながらの移動だ。あまり良い気はしなかったが、警備の連中もタコの入った水槽を持った俺達に良い印象は持っていないだろう。
俺達が大聖堂につくと、壇上に一人の男が現れた。
左右に何人も信徒を配置して、自分がその中心でスポットライトを浴びるという時代がかった演出だ。
「ふははは。服部さん、あなたは素晴らしい。タイムリミットギリギリでしたがよくぞ影山さんをこの場に連れてきましたね。
そして影山さん、この日を待ちわびていましたよ……」
「竹内さん、やっぱりあんただったか……」
壇上にいたのは元経産省の官僚、竹内だった。俺が身辺調査をしたせいで中国との内通がばれ、経産省を自主退職に追い込まれた男だ。
壬生戦略研究所の資料にあった教団の幹部リストの中にこいつの名前を見つけた時は偶然かと思ったが、逆に教団が俺に用事があるとすればこいつの逆恨みくらいだろうと目星はついていたのだ。
「貴方の卑劣な策略で経産省を追われてから、私は復讐を誓いました。一日たりとて貴方への恨みを忘れることなく雌伏の日々を過ごし、今日ようやく貴方に私が味わったのと同じ辛酸を舐めさせることが出来る日が来たというわけです。
影山さん、気の毒ですがここから五体満足で帰れるとは思わないことですね」
意味のない口上だ。それに敬意のこれっぽっちもこもっていない敬語は腹が立つ。
だいたいこの手の話し方をする悪の幹部は途中で口調が維持できなくなって、その5分後くらいに死ぬと相場が決まっている。
「卑劣? 辛酸? お前、本気でそんな事言ってるのか? 経産省辞めても中国と縁が切れず、あいつらからカネを貰ってデモの手配をしている裏手配師風情が随分と偉そうな口をきくじゃないか」
「なっ…… 強がるな下郎!」
竹内が声を荒げた。案外こらえ性のない奴だ。周りの信徒もびっくりしているじゃないか。
「……うほん……さて、手始めに貴方がお持ちの資産をそっくり、我が教団へ寄進してはもらえないものでしょうかね? さすれば冷たい牢獄の中でなく、畳の上で死ぬことが出来るくらいには取り計らってやれましょうに」
「お断りだな。お前に渡すカネなんか1円だって無い。
そもそもお前は調査が杜撰だってんだよ。俺はここに来る前に公安の委員さんに事の次第を全部言ってある。
俺が帰らなければお前らだってカルト宗教やらテロ組織やらに認定されて終わりになるんだぜ?」
「なるほど、強気の根源はそこですか。いいでしょう。別に貴方を幽閉しなくても全然構わないんですよこちらは。
ただし、貴方の家や、貴方の会社の大事な社員や、貴方のご実家の方々がある日どういう事になっても私は知りませんからね?
頼みの公安の委員とやらも四六時中守られているわけでもありますまい。街中で、路上で、寝ている時、何が起こるかわかりませんよ?」
「陳腐な脅しだな」
これは関西のヤクザがよく使う脅しそのものだ。
「お前ムカつくやっちゃな、家まで着いて行って火ぃつけたろか」という殺し文句がある。
「俺にはいくらでも時間があるからどんな嫌がらせでもできちゃうよん」という意味だが、ヤクザにこんなことを言われるとまっとうな人間は聞いただけで震え上がってしまう。
竹内もよく勉強してるな。後ろに沢森いたりしないだろうな?
「私が嘘を言っていると? その気になれば貴方がどこで何をしていたのか、朝食のおかずから歯ブラシのメーカーまで調べられますよ。それに、貴方の生死にかかわらず貴方の財産を引き出すことも出来ましょうな。それはもう、いろいろな方法で」
「俺も調べられるぞ?」
「何?」
俺は持ってきたタブレット端末を取り出して、カメラを竹内の隣にいる上級信徒っぽい男に向けた。
「そこの、その人、えーと、鈴木さん」
「は?」
鈴木と言われた男が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして素っ頓狂な声をあげた。
「先月まで沖縄と山口でデモしてましたね。あと、去年は反原発デモですか。あ、その前はあまり活動してないんですね。ずーっとさかのぼって4年前……あ、そうか。お孫さんが就職活動をしてたんでデモ控えてたんですね……。ご実家は山形ですか。ふうん……」
デモをしている連中の半数くらいは顔を隠している。巻き起こる砂煙を吸い込まない知恵というよりは、デモに名を借りた違法行為と自分の日常生活を切り離すための手段だろう。
マスクを外してヘルメットを脱げば別人となって日常に帰り、孫や子供の面倒を見る良い市民になれると彼等は思っているようだ。
残念、そんな都合の良い話はない。
少なくとも、282人の探偵達がデモの参加者の後をつけて洗い出した1万2000人分の個人データと、カメラ画像から信者を一瞬で同定するストラトマインドのシステムの前には通用しない。
なので、今俺が持っているシステムはまだ帰る場所がある人間にとってはとてつもない脅威だ。このシステムとデータが世の中に流通でもしようものなら信者達は自らの反社会的な活動が世に晒され、表の顔が社会的に抹殺されることになるのだから。
ちなみに、行くところまで行った信者にはこの攻撃はあまり効かない。デモに名を借りた違法行為は一般層からの嫌悪感こそ強いが刑法的にはさほど重罪で無いことが多く、大抵の場合は留置場に一泊しておかえりいただく程度のものらしい。なので腹が座った信徒は自分が何回警察で寝泊まりしたかを自慢するようになるのだが、こういう信徒はもう社会に返り咲くことをハナから捨てているため、素性を晒すぞと言われても怖くもなんともないのだ。
幸いなことにそういう腹の座ったヤツは今ここにはいないようだが。
「……不愉快な。あんなもの、取り上げてしまいなさい」
警備員……といっても多分体格が良いだけで警備員にされただけの信徒なのだろうが、そいつが俺からタブレットを取り上げ、竹内のところに持っていった。
「面倒なものを作ってくれましたね」
「そりゃまあもともとシステム屋だからね。おっと、高橋さん、秋にお孫さんが生まれるんですか。おばあちゃんがカルトだと知ったらお孫さんどんな顔するでしょうね」
竹内は驚いて自分の手を確かめたが、そこにタブレットはなかった。俺がレグエディットで手元に戻したのだ。竹内の傍らでは高橋と呼ばれた初老の女性がブルブルと震えている。壇上の信徒達には明らかに動揺が広がっていた。
「え……影山さんどうやったんですか? それ?」
「手品だ。松花堂のマジックにそういうのがあるんだ。苦労して身につけておいてよかったぜ」
「マジっすか」
「お前、俺が毎日練習してたの見てただろう?」
「そういえば……」
その場の雰囲気に飲まれてなんとなく信じてしまう、そこがお前の良いところだ、服部。
「もう一度取り上げなさい! 叩き壊してしまっても構いません!」
また警備員がやってきて俺からタブレットを取り上げたが、次の瞬間タブレットは俺の手の中に戻ってきた。警備員はもう、何がなんだかわからないといった様子だ。
「えーと、小林さん、いくらオリンピック代表に漏れたからといってこんなところに居ちゃ駄目ですよ? まだ引き返せるうちに引き返したほうがいいんじゃないですか? そろそろ世の中を取り巻く陰謀なんて無いって薄々気がついてるでしょ?」
小林と言われた警備員が「何っ!」と凄んだが俺はそんなことで怯まない。こちらにだって肉弾戦闘員は居るのだ。
「まあまあ、怒ったって良いこと無いぜ」
空気を読んだデルフィノさんが笑顔で俺と小林の間に入ったかと思うと、目を血走らせた小林をすっ転ばせて腹を踏み抜いた。
可哀想だが十秒前まで威勢がよかった彼はもう何処にも居ない。
うわあ痛そう。てか、変な色のゲロ……。
「言っておくがこれを取り上げたってムダだぞ竹内。システムはクラウド上にあるし、タブレットはカメラと結果の表示に使っているだけだ。便利だぞ。URLさえ知っていれば誰のスマホでもこのシステム使えるからな」
その場にいた信徒達はガクガク震え出した。もともとハイスペックな連中だし、まだまだ失うものも多いのだろう。だったらこんな場所に居らず、さっさと競争に戻ればいい。
一定の地位や評価を得てしまって、それから先は運と他人様次第なんて思ってるから陰謀論なんかに乗せられるんだ。
「取り押さえなさい!」
竹内はその場の信徒に広がる動揺が尋常でないことに気が付いたのか、覚悟を決めたようだ。とは言ってもこいつも馬鹿だから具体案のないまま俺を監禁して、稼げた時間がなんとかしてくれると思ってやがるんだろうな。やっぱり。
「うぐふぉっ」
デルフィノさんは暴れ放題暴れたが、最後にはゴム弾をいい角度から食らってしまい、俺と一緒に捕らえられてしまった。服部は俺達とは別室に連れて行かれるようだ。まだヤツは手に水槽を持っている。いいぞ、その手を離すな。
「まったく……大人しくしていれば痛い目も見ないで済むものを」
「ふん。竹内、いいのか? 俺とこんなことをしていて」
「まだ口が減らないと見えますね……。手足を抑えられてなお大口を叩けるだけの余裕がお在りとは羨ましい」
「そうだな……」
俺達が竹内達のいるホールから連れ出されるまさにその時、空からガラガラという雷のような音が聞こえ、大きな衝撃とともに巨大な何かが降って来た。
大聖堂の天井には大きな穴が開き、それまで屋根だったものは竹内と信徒達の頭上へと降り注ぐ。
カエルが潰された時のような声が、いくつか聞こえた。
★★★★★
楊はまた上海に出張に来ていた。上海の国際展示場で行われていた国際ロボット産業展とこれから始まるライセンシングエキスポの海外参加枠の事前調整でやって来たのだ。
だが、わざわざ出張してきたのに仕事は2時間ほどで片付いてしまった。後は合意事項をオフィスに送って実作業組に任せるだけだ。
「また、あそこに行くか……」
余った時間で、楊は例の上海郊外の鉄道資材置き場を訪れた。あのタングステンカーバイドでできたレール材は、楊にとってはどうにも気になる存在だったのだ。
これまでも楊は出張で上海に来るたびに、時間があれば積まれたレールを見に来ていたのだが、今日はいつもと様子が違っていた。
「レールがない、どこへやった?」
楊は驚愕した。顔なじみになった係員に聞いたが搬出記録は無い。32本の50m長尺レールが……1本5トンのレールが32本、忽然と姿を消すなどということがあるのか?
楊は驚きはしたが、自分には捜査権限も無いし報告義務もないことも思い出した。
そもそも、こんな話を誰が信じるというのか。合計160トンのタングステンレールが搬出記録もないまま消えた? 事件に汚職、どちらが原因でもこんなことを騒ぎ立てたらこっちが命を狙われてしまう。
楊はなんとなく今まで自分の心を縛っていた軛が解かれたような感じがして、これはこれでいいかと納得し、深く考えるのを止めた。
「障らぬ神に祟りなし……ってね」




