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人類が増えすぎたので減らしてほしいと頼まれました【本編完結済】  作者: にゃんきち
人類が増えすぎたので減らして欲しいと頼まれました
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第七十六話:難民の自立支援とそれぞれの思惑


「言葉通りだよスフヤーンさん。あんたがこの店を大きくしたいなら俺はそれに協力できるんだが」


 スフヤーンは今ひとつピンと来ていないようだ。無理もない。俺を客だと思っていたら客ではない何かだったのだ。

 そろそろ木の芽時も終わろうというのに厄介な奴が来ちまった。面倒なことになったぞ……。スフヤーンはそんなことを考えているに違いない。


 スフヤーンは少し苛立ち、そして身構えた。当然の反応だ。


「何言ってんだ? あんた、俺をからかってるのか?」


「ああ……失礼。俺は投資家でな。将来有望な企業家や店に投資して後でガッポリとリターンを貰うって仕事をしてるんだよ。もし俺があんたの店に投資をしてあんたがうまい具合に上場なんかした日にはウハウハってやつだ」


 軽く自己紹介してみたが、スフヤーンは警戒を解かない。というか、あからさまな若造が投資家を名乗った事で一層警戒したようだ。


「ちょっと待ってくれ。上場って……うちはただの街角のチンケなアジア食材店だぞ?」


「そこをなんとかしようって言ってんじゃないか。俺には金がある。スフヤーン、あんたには長年ここでやってきた知恵と信用がある。2つ合わせれば何とかなるって寸法だ」


「うまいこと言って、お前詐欺師だろ? 俺の親父も一度店を取られそうになったことがあるんだ。その細い目には騙されねえぞ」


 細い目は関係ないだろう。俺だって傷つくぞコラ。


「何か勘違いしてないか? 詐欺師は普通カネを盗って行くもんだろ? 俺はあんたにカネを出してやるって言ってるんだぞ?」


「そこが分からないんだよ。どうしてあんたがこんなちっぽけな店にカネを出す気になったのかがだ」


「あんたが高等教育を受けた論理的な物の考え方ができる人間で、地元の信用があり、カネを手に入れても逃げ出さないヤツだからだ」


 スフヤーンが急に眉をしかめた。俺がリーディングかプロファイリングもどきのことをやってみせたのが気になったらしい。


 プロファイリングなどしなくても、スフヤーンの頭の良さは話をしていてはっきり分かる。観光客に難民や地元の状況をわかりやすく教えたり、喜怒哀楽を上手く隠して客あしらいをしたりといったスキルはなかなかのものだ。


 それにスフヤーンの話す英語はメディア仕込みの汚い英語ではない。どちらかと言うと知識階級を思わせる訓練された綺麗な英語だ。

 2秒に1回 you know を挟まないし、下顎を突き出してウォウォ言いながら言い訳ばかりを話すわけでもない。


 総じて、スフヤーンの話す内容と表現には知性が感じられ、俺との意思疎通に澱みが無かったのが、彼が高等(けっこうな)教育を受けていると考えた理由だ。おそらく、マーケティング用語か技術用語、どちらかを投げかければ水を得た魚のように食いついてくるに違いない。


「……なんでそう思った? 俺が高等(それなりの)教育を受けてるって……」


「難民二世が生きていくには人一倍の努力が必要だろ。それはあんたの顔に滲み出てるさ。知性と一緒にな」


「ふん……言うじゃないか。この国は大学が無料だからな……俺はそこのハインリッヒ・ハイネ大学を卒業して、しばらくは自動車会社で働いてたのさ。ベルリンのオフィスでマーケティングをやってたんだ……親父が死ぬまではな。

 親父が死んで一人になったおふくろをここに置いてベルリン生活ってのも気が引けたんで、この食材店を継いだってわけだ」


 スフヤーンは東の方向を親指で指さした。そちらに大学があるのだろう。


「いい会社に勤めた経験はあるだろうくらいに思っていたが予想以上だな。実際この店のサービスレベルは中東や東南アジアレベルのものじゃない。アメリカ以上だ」


「どうしてそう思った?」


 スフヤーンは店を褒められたせいか目を細め、笑顔を見せた。こういう屈託の無さは貴重だ。俺は店の棚から醤油の瓶を取り出してラベルをスフヤーンに向けてニヤリと笑って言った。


「俺がアメリカにいた時に行ったアジア食材店に置いてあった醤油は全部、賞味期限切れだったのさ。だが、この店の醤油は全部、あと3ヶ月は大丈夫そうだ」


「なるほど。そういうところか」


「そういうところさ。これがなかなか出来ないことなんだよ」


 日本から輸入した食材のパッケージに書かれた「賞味期限」という文字を読める食材店の店主はそうそういない。それは洋の東西を問わず同じだ。

 この店はその辺が妙にきっちりしている。おそらく、このようなサービスレベルの高さを維持してきたことで地元の信用を勝ち得てきたのだろう。


 ひとしきり話したところで俺とスフヤーンはかなり打ち解けた仲になった。イスラム教徒は年齢の上下関係に厳しいと聞いたことがあるが、見た目若造に見える俺を()めず脅さず(あなど)らず、きちんと話をする態度はこちらで身についたものだろうか。


「で、どうする? 投資の話」


「そうだな。この店を小さなスーパーにするくらいの話なら挑戦してみたいと思うよ。逆に目立つのはダメだ。俺みたいな浅黒い肌をした人間が中心街の目抜き通りにデカい店なんか建てると例の『怖いドイツ人』達に襲撃されてしまうからな。虎の尾は踏みたくない」


「スーパーか……500万ユーロ(注)くらいあればできるか?」


 スフヤーンが投資話に脈ありと見た俺は具体的な話に入った。ここから先は真剣勝負だ。と言っても俺は別に金額を絞るつもりはもともと無い。

 デューデリジェンスについては今までずっと直感でやってきたしこれからもそうするつもりだ。それで今まで一社の資金持ち逃げも無いのが俺の密かな自慢なのだ。

 あ、NGOに何団体か逃げたのがいたが、あれは俺が選んだんじゃない……よな?


「十分過ぎる。そんだけありゃあ2,3店舗は出せるだろうな。本当にそんなに出してくれるのか?」


「いいぞ。だが条件がある」


「おいでなすった。聞こう」


「従業員は難民を雇ってやってくれ。あんたと同じ高学歴で、語学力があり、できれば信仰心の薄いヤツがいい。喧嘩の種は一つでも少ないほうが良いからな。

 それと出身国だ。イラクならイラク、シリアならシリアでいい。国はできるだけ偏らせるんだ。これはコミュニケーションをある程度スムーズにして、店内での派閥活動なんかを抑制するためだ。そうそう、難民の送還措置が始まった国は避けてくれ。

 次に出国理由。国に帰ったら政治犯とかで殺されるってヤツを雇ってやってくれ。逃げ道が無いヤツの方が良い。ドイツで一旗揚げようと思って来たやつは駄目だ。カネを持ち逃げされるからな」


「……やけに具体的だな……しかしあんたが慈善家とは知らなかった。ま、いいよ。その条件で募集をかけてみよう。それよりスーパーなんかやったことないからどれだけ人を雇えば良いんだか分からんぞ」


「品出しと管理とって感じでボチボチ増やして行くといいよ。あまり一気にガバっと雇うんじゃないぞ? IoTとかレジロボットとか使ってうまくやってくれ。この国じゃインダストリー4.0とか言って頑張ってるんだろ?」


「皮肉か……? 日本やアメリカのIoTとこの国のIoTの間にどれだけでかい差があるか分かってて言ってるだろ。あんた」


 ドイツが提唱するインダストリー4.0とアメリカが提唱するサイバー・フィジカル・システムズとでは同じIoTを視野に入れた国策でもその目指すところが天と地ほども違う。

 まともな工場労働者が欠けた穴をITシステムで補い製造業を活発化させたいのがインダストリー4.0で、センサー・ネットワークを張り巡らしビッグデータを有効活用して次の時代の知的財産に結びつけたいのがサイバー・フィジカル・システムズだ。どちらの方がより未来志向で利益を出せるのかは案外早く決着が着くだろうと言われている。


 まあ、俺はそんな大それた皮肉を言うほど頭は良くない。買いかぶりすぎだ。てへ。


「ああ、条件を一つ忘れてた。俺が今投資している会社で一社、世界展開を狙っているラーメンチェーン店があるんだ。美味いラーメンを出す連中だからもし良かったらフードコートにでも出店させてやってくれ」


「ラーメンか。最近のスーパーはフードコートで客寄せするって話も聞くな。紹介してもらえるんならそれは願ったり叶ったりだ」


 後日、俺はスフヤーンに法的拘束力なしのMOU(基本合意書)を送り、口座番号を貰った次の日には500万ユーロをスフヤーンの店の口座に振り込んだ。


 俺はその後もデュッセルドルフだけでなく、ミュンヘン、ベルリン、ドルトムントでスフヤーンのような地味だが堅実な商売をしている中東出身の商店主や若い起業家に小口の投資を繰り返した。


「変わった投資の方針ですね」


「ま、うちは壬生みたいな大きな会社じゃないんで、投資のやり方も違って来ますよ」


 壬生商事の清水さんは俺の投資が理解できなかったようだが、彼は悪くない。儲けより人口削減を重視した投資など理解できる筈も無いのだ。俺への理解を諦めた清水さんはその後ずっと、貴子さんのご機嫌を取ることに終始していた。むべなるかな。


 考えてみれば、貴子さんと上手く行けば壬生グループのオーナー一族に名を連ねることになるのだ。野心のある人間なら動かない手はない。

 当の貴子さんは、オフの時間は清水さんそっちのけで高校時代の友達と会うのに大半の時間を使っていたようだったが。


 ドイツに着いて9日目の深夜、相田から電話がかかってきた。服部の動きが怪しいらしい。


「早く帰ってきてください! 今オフィスは私一人なんですよ?」


 俺は相田の必死の懇願に応えるべく、日本に帰るチケットを早々に手配した。

 ドイツでの仕込みがほとんど済んだ後で良かったと言えば良かったのか。



★★★★★


 能面のような笑顔をした警備員達は極めて丁寧に服部に下車を促した。

服部は一度は下車を拒んだものの、車の前と後ろに警備員が立っていてはどうしようもない。どうやって知ったのかは知らないが名前も顔も割れている。となればここでとぼけても無駄だろう―― 服部は軽くうなだれ、警備員の誘導に従った。


「ご協力、ありがとうございます」


 警備員達はふかぶかと頭を下げ、乗ってきた車に服部を押し込み、煌々と光る建造物群の奥の方へと服部を連れて行った。服部が連れて行かれるのは真奈が入って行った建物とは別の建物だ。

 ここから大声で真奈を呼んでも彼女に届く筈もない。服部は自分がこれから何をされるのかよりも、どうして真奈が瞳と一緒にこのような施設に出入りしているかの方が気になっていた。


「こちらへどうぞ。お話を聞かせてもらいます」


 警備員に連れられて服部が入った部屋は想像していたような恐ろしげな部屋ではなく、普通の事務室だった。窓もあり、ドアの前に人が立っているわけでもない。


 「トイレや食事が必要ならば遠慮なく言って下さい」


 警備員は相変わらずの笑顔で服部に言った。監禁する気は無いと言いたいのだろう。

 服部は住所や勤務先、緊急連絡先などを聞かれ、運転免許証のコピーまで取られた。

 

「個人情報、取りすぎじゃないですか?」


 服部は少し皮肉ったが不法侵入者の意見が通る筈もない。

 その後も警備員の事情聴取は延々と続き、服部の顔には焦りの色が浮き出て来た。

 

「おとなしく事情聴取には応じたでしょう。それにもう夜中ですよ。いったいいつになったら帰してくれるんですか?」


 服部が強めに食って掛かっても警備員は皆、困ったような顔をするだけだ。

 そんな時間だけが無駄に過ぎて行く状況は明るい女の声によって打ち破られた。


「服部さん来てるんだって?」


「瞳さん?」


「山深い我らが(さと)へようこそ。ご苦労様ですね、こんなところまで。う〜ん真奈ちゃん、愛されてるわねえ……」


「瞳さん、ここはどこだ? いったい何なんだここは? なぜ瞳さんが真奈さんと一緒にいるんだ? 何がどうなっているんだ!」


 服部はそれまで抱いていた疑問を堰を切ったように瞳にぶつけた。


「そんなに一気にまくし立てないで下さいよ。もうだいたい想像はついてるんでしょう? ここに来て何時間経ちました? 考える時間ならあった筈でしょう?」


「何だと……?」


 瞳がいつか聞いたあの、1オクターブ低いドスの聞いた声で半目を開けて話し始めた。


「ここは『救世聖杯信教』っていう教団の総本山ですよ。世間一般に言われるところの新興宗教というやつです。真奈はこの教団のニュンペ。私は真奈の警護をしたり信者を獲得するための初動を担うエイギス。改めまして宜しくお願いします」


「なっ……」


 新興宗教の施設だろうというのは薄々分かってはいたが、具体的な名前を聞かされてもどんな宗教か服部は知らなかった。ニュンペだとかエイギスだとかもきっと、教団の中だけで使われる言葉だろう。


「ニュンペだかなんだか知らないが、お前らが真奈さんをこんなところに閉じ込めているんだろう? 真奈さんを出せ!連れて帰る!」


 服部は拳に力を込めてスチールの事務机を叩き、立ち上がった。大きな音を合図に警備員達は臨戦態勢に入ったが、瞳がそれを右手を水平に上げて制する。


「威勢がいいのね、服部さん。連れて帰るって……それ、真奈が望んでいなくても?」


「何を言っている! お前らのせいで真奈さんが……くそっ」


「おめでたい頭してますね、服部さん。真奈はこれ以上貴方と一緒にいるのが嫌で嫌でしょうがないそうですよ。だけど彼女偉いわ。仕事だって割り切ってずっと貴方と付き合ってたんですよ。でも今日で一応そのお仕事もお仕舞いなんですっごく喜んでましたわ」


「仕事……? 今日で……終わり……?」


 ――今日、これ以上逢わないほうがいいと言い出したのは確かに真奈だ。想いに応えられないと言ったのも真奈。二人に未来なんて無い、私を困らせないで……そう言ったのは全部真奈だ。

 なんてこった、全部自分の一人相撲だったのか―― 服部はそのまま椅子に崩れ堕ちた。


 それでも服部の真奈への恋は本気だった。


 真奈がたちの悪い新興宗教にひっかかってハニートラップのマネごとをやらされているのならその状況からだけでも救ってやりたい。服部は本気でそう思っていた。


「真奈さんを解放してやってくれ。俺はどうなっても良い!」


「だから、真奈は貴方とは金輪際関わりあいになりたくないって言ってます。なんでそんな相手にそんなに一生懸命になれるの?」


 瞳は侮蔑と愉悦、そして少しばかり哀れみのこもった言葉の剣を服部に突き立てた。何度も何度も、まるでそうするのが楽しいかのようにケラケラと笑いながら。


 服部はたまらず事務室を去ろうとした。瞳の言うことが真実だとは限らない。真奈に会って話さえすれば―― そう考え、勢いをつけてドアに向かった服部だったが、警備員達がそれを許す筈もなかった。

 

「くそっ離せ!」


 だが服部の心はまだ折れずにいた。そうそう一日に何度も折られてたまるか―― と気を張っていたのかもしれない。

 警備員達が服部を羽交い締めにしても服部は大声を出して抗い続けた。


「騒がしいですね。何事ですか?」


 少し怒気のこもった声とともに事務室のドアが開き、ひょろっとした男が二人の女性を従えて事務室に入ってきた。警備員達とは纏う空気があからさまに違う。いわゆる文官タイプの男だ。


「元気が良いのは大いに結構……ですがもう夜も遅い。お客様にはもう少し静かにしてもらわないとねえ? 諸君はどう思いますか?」


「静かにしてもらう」という言葉に服部以外の全員が一瞬凍り付いた。文脈からお茶でも出して客をなだめろと言っているわけではない。なんらかの方法で口を閉じさせろと言っているのだ。


「竹内様! このようなところに……」


 服部以外の全員が恐縮した様子で竹内と呼ばれた男を迎えた。どうやら竹内はこの場の誰よりも立場が上の存在のようだ。しかも、一つ二つの階級ではなく、組織の支配層にいるように服部には見えた。


「お前が瞳や真奈さんの上役ってわけか……」


「さて、どうもそういうことになっているようですが」


 服部が威嚇するような目で竹内を見据えたが、竹内はまるで意に介していない。どうも服部のリスのような愛嬌のある顔では威嚇は難しいらしい。


「こんなバカでかい建物をいくつも建てるくらいのカネを信者から巻き上げて、信者の自由さえも奪ってるんだ。さぞかしご満悦だろうな!」


「お客様は何か勘違いをしていらっしゃるようですね。当教団が信者にお願いするお布施はせいぜい年に1万円かそこらですよ、子供の塾の月謝の20分の一にも満たない額です。それに自由を奪うなんてとんでもない。ニュンペの皆さんは自らの意思でここに住んでいるのですから」


「デタラメを……」


「竹内様、これを」


 瞳が机の上にあった服部の取り調べ記録とタブレット端末を竹内にうやうやしく差し出した。お付きの女性がそれを受け取り、竹内に渡す。


「ああ、彼が例の……」


 資料に目を通した竹内の顔から微笑みは失せ、鬼のような顔が代わりに現れた。タブレットには何が表示されているのか。服部はゴクリと唾を飲んだ。

 

「服部さんと仰るか。貴方に素晴らしいチャンスを与えましょう。このチャンスに挑戦するなら貴方は無傷で帰れるだけでなく、結果次第では当教団の上級信徒になることさえ可能です。もちろん身の安全も保障します。望むなら真奈を侍従に付けてあげましょう。どうですか?」


「なっ? 俺に何をさせようって言うんだ⁉」


 竹内は手首をくいと曲げ人差し指で真下を指さした。


「貴方の飼い主、影山をここに連れて来ていただきたい。手段は問いません。首尾よく影山を連れてくればそれで良し。出来なくても一向に構いませんが……」


 なぜここで影山の名前が出てくるのか―― そこが服部には分からなかった。それに成功報酬にと提示された上級信徒云々についてはこれっぽっちも興味がない。真奈をそんな形で自由にできてもそれは服部の望む二人の関係ではないのだ。

 

「俺はもうあの会社を辞めたんだ。影山とは関係ない!」


「もちろん断っても結構ですし、失敗してもそれはそれで……。ただその時は貴方がどうなるかは私の知るところではないし、血気に逸った熱心な信徒達がどんな先走った行動に出るのかを思うとそら恐ろしくて身震いがしますね……。さしあたってご実家のご両親や、ここで寝ている真奈がどうなるかくらいは想像してもよろしいのでは?」


「き、汚い真似を……」


 服部の顔が歪む。


「では、貴方が英断を下されることを期待しています。ああ、私はせっかちなので、成果を出していただけるなら今月中くらいがいいですね。そうそう、警察に駆け込んでも構いませんよ。今のところ我々は不法侵入者を一人捕まえたに過ぎないのですから」


 それではごきげんよう、と竹内が言うと服部は追い出されるように事務所から追い立てられ、取り上げられた車も携帯も免許証も全部返却された。


 回答は「やる」しか用意されていないという意味だ、これは。


 帰りの道を逃げるように車で飛ばす服部は状況を整理しようと必死に考えた。影山に相談するにしても逃げ出すにしても、アワアワしているだけではどうしようもない。待っていれば状況が好転する何かが降ってくるわけではないのだ。


「つくづく嫌になるな……自分の情けなさが……」


 真奈のハニートラップは自分の財布を狙ったものではなかった。最初からあの教団のターゲットは影山で、瞳は自分の勤務先を最初から知っていて近づいたのだ。

 何という用意周到さ、何という冷酷非情さ。そして何という自身の間抜けさ。穴があったら入りたいとはこのことだ。


 翌日の朝、服部は万策尽きて影山に電話で連絡を取った。


「おう久しぶり。調子はどうだ? ドイツ土産買ってきたんだ。お前も食うか?」


 意外にも影山はいつもと全く変わらぬ口調で明るく服部に話しかけてきたが、服部が本題を切り出すとさすがに真剣な口調へと変わっていく。そう、これは命に関わる問題なのだ。


 服部は今までの出来事をできるだけ私情を交えず包み隠さず影山に話し、今後のアクションについて相談をした。


「で、俺はどうすればいいんだ?」


「僕と一緒に、木更津へ行って欲しいんです……すいません。影山さんにはリスクしかありません。でももう、僕にはどうしようもないんです」


「おう、いいぞ。で、お前、会社はどうするんだ? 戻ってくるのか?」


 まるで週末のピクニックにでも行くかのように服部の無理筋且つ危険を伴う願いを承諾した影山の器を、服部はまるで測ることができなかった。


 電話口からはカタカタと、影山が忙しくキーボードを叩く音だけが聞こえてきた。





(注)500万ユーロ……だいたい6億3000万円(2019年二月時点での相場)




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