第七十五話:完璧な推理と稚拙な追跡
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当面の金銭的な危機から宝くじの当選という安直な形で脱出できた服部が、心を入れ替えて真面目な生活に戻ることはなかった。高額の当選金は服部に期間的な猶予と根拠のない自信を与えてしまったのだ。
服部の年齢での金融業での平均年収は600万円程度であることを考えると、先日の当選金があれば服部は2年は何もしなくても食っていける。これに失業保険が加われば猶予はさらに数ヶ月伸びるだろう。
つまり服部はもう、退職金目当てに相田に許しや譲歩を請わなくても良くなったのだ。この数週間のような派手な生活さえしなければだが。
「しかし、そろそろ考え直さなくちゃな……」
今回の一件で、服部にも分別に近いものが出来た。というより、ある程度は自分の行動を見直さざるを得なくなったという方が正しいだろうか。
多くのスピリチュアル大好き女性に対して精神的支配の修行をしてきたつもりだったが、いざ実践となると結果は惨憺。相田を相手に、支配し操るどころか箸にも棒にもひっかからない体たらく。
正社員の身分を捨て、自分にとって膨大と言える時間と情熱と費用をかけてなお、当初思い描いたゴールからはまだまだ遠かったのだ。
「何がいけなかったんだ。何が……」
悩んでいるうちに服部は、いつの間にか自分の目標が「いかに多くの女性と出会い享楽的な結果を得るか」に変わっていたことに気がついた。変な男性雑誌やネットの情報に踊らされていたのもしれない。
当初の目標は『影山に負けないくらいミステリアスになって、貴子さんのような女性とラブラブに』だった筈だ。
しかし、今のように女性に声をかけてはデートに誘い口説くのを繰り返しても、場馴れはできてもミステリアスにはなれまい。更に、そういった行動が後でパートナーにバレたりしたら元も子もないのではないか。
服部は今一度考え直した。現時点で自分が最も求めているのは何か? その結論は意外にも貴子や影山に関することではなく、「真奈とずっと一緒にいたい」というものだった。
一人っ子のうえに中高一貫の男子校、理系の単科大学を卒業した服部は、自分と同じ年頃の女性と世間話をしただけでとっちらかるほど女性に対して幻想はあっても免疫はない。場数を踏んだ今でも根本的なところは変われなかった。
なので、自分がどんなヘマをやらかしても次のデートにはちゃんと応じてくれる真奈は得難い存在だったし、そんな律儀な真奈に対して服部が特別な絆を感じるのも無理からぬことではある。
ただ残念なことに服部は、真奈が自分をどう思っているのか、きちんと考えてはいなかった。
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「ねえ真奈さん、今度の日曜日はあいてる? 花火大会があるんだけど一緒に見に行かない?」
これまで真奈が服部の誘いを断ったことはない。服部も二人の関係はある程度安定したものだと安心して次のデートの予定を提案したつもりだった。
「え……あ、うん……」
真奈の表情が暗い。
服部の背中に冷たい汗が走った。一瞬の間に入り込む7月のセミの声がやけにうるさく響く。
「服部さん……私ね、あのマッチングアプリ使って婚活してたんだよ?」
「え? だって真奈さんまだ20代の前半だよね? 婚活するには早くない?」
「そうかな? 私達の業界はまともな出会いが少ないからね、若いうちからやっとけって先輩に言われてるの。だからね、服部さん……その……今、無職なんでしょう?」
真奈の真剣な表情と絞り出すような声が服部に突き刺さる。
婚活中の自分が無職の三十路男とこれ以上ムダな時間を過ごすわけには行かない―― 真奈はそう言っているのだ。
「今、次の仕事を探してるんだ。すぐに見つけるから心配しないでよ。これでも前の会社では部長だったんだぜ?」
実際、服部は無節操なデートを止め、飯田橋のハローワークにちょこちょこ顔を出していた。
失業保険の給付には求職活動のちゃんとした実績が必要だし、あまりに仕事のブランクが長いとどんどん採用されにくくなるとも聞いたからだ。
2年遊んでその後どうなるかを考えないほど服部は馬鹿ではなかった。
だが、そんな服部の都合と希望的観測にまみれた言葉で真奈の決意が覆せるかと言うと、そうは問屋が卸さない。
「そうかも知れないけど……私達、これ以上逢わないほうがいいと思う。私は服部さんの想いには応えられないなって最近思うの」
「そんな……待ってくれよ。もうちょっとちゃんと話し合おうよ」
服部の中で感情的な部分……すなわち真奈とこれからもずっと一緒にいられそうだという根拠のない自信と願望が一瞬で瓦解したこと、そして打算的な部分……これまでいくら真奈につぎ込んできてどれだけのリターンがあったかという2つの思考がドロドロに混じり合った。
「あんなに……あんなに楽しかったじゃないか。それに今までどれだけ君に尽くしてきたか……僕は……」
それを聞いて、普段はおとなしい真奈がカッと目を見開き、激昂した。
「自分ばっかり可哀想だと思わないで下さいよ、服部さん! 私だって言いたくてこんなこと言ってるんじゃありません! 仕方ないじゃないですか! 私達2人には未来なんてありません! これ以上私を困らせないで下さい!」
それは真奈の本心なのだろう。だが表現はかなり抑えられ、言葉も選ばれている。この発言では真奈の言いたいことが服部に正しく伝わるわけはない。
案の定、服部には真奈の言葉が「自分達の恋愛に何者かが理不尽な介入をしている」というふうにしか聞こえていなかった。
「何か理由があるんだね……? 聞かせてくれよ。でなきゃおかしいもんな。こんなに急に……」
「もういいです! さようなら!」
真奈は顔を真赤にしながら足早に去って行き、ちょうど来たバスに逃げるように乗り込んだ。
「え……?」
一連の出来事に理解が追いつかず固まっていた服部だったが、貴子の時よりはリカバリが早かった。この辺りは良く言えば人生経験、悪く言えば馴れというやつだ。
「理由があるなら言ってくれよ、ちくしょう……いや、それすら言えない理由があるのか……?」
今、真奈と物別れになったら最後、二度と真相を知ることも、真奈を取り戻すことも出来ない―― そう直感した服部は顔を上げ、近くを走るタクシーを捕まえた。
「外堀通りを外神田へ、急いでお願いします!」
運転手の尻を叩きに叩いて家に戻ると、服部は車のキーを持ち出し、近所に借りているガレージに走った。そこにはまだ真新しく、赤いスポーツカーが鎮座している。カネがなくなった時、真っ先に手放そうとした金食い虫の外車だ。
「ごめんな、売ろうとして」
ポンと車のハンドルを叩いて車に軽く詫びを入れ、エンジンを始動させると 3.2リッターV型6気筒エンジンが引く唸った。
「飛ばすぞ」
初めて味わうアルファロメオ・ブレラの暴力的な加速。今までデートにしか使われなかったエンジンは咆哮を上げ、赤い車体を南西の湾岸道に向けて蹴飛ばした。
――以前真奈に聞いたことがある。彼女の住んでいる場所は確か木更津の方だ。代々木行きのバスに乗った真奈が木更津に着くまでには電車でたっぷり2時間かかる。だが車だと湾岸線からアクアラインを使えば木更津までは50分だ――。
傍から見ればフラれた男がトチ狂ってストーカーになったようにしか見えないが、服部自身は白馬の王子にでもなったような気分だった。今、真奈を覆う何か不穏な状況から救い出せるのは自分しかいないという強い信念が服部の中にはあったのだ。
「思い出せ、今までの話を……木更津のどこだ……?」
木更津と言っても広く、木更津駅で待っていても真奈が降りてくる確率は少ない。だが、あまり奥地だとそもそも東京に何度も出てくることそのものが億劫になる筈だ。
服部は多少冷静さを取り戻し、闇雲に走るのをやめて一旦海ほたるのパーキングエリアでどこに向かうかを検討した。頼りはスマートフォンの地図アプリとおぼろげな記憶だけだが無いよりはマシだろう。
「うちの周りは山とゴルフ場ばっかりですからね……都会の景色は嬉しいですよ」
真奈はそんなことを言っていた。ならば――
「久留里線馬来田駅……ここに賭けるしかないな……」
夜、9時半。服部は慣れない夜の高速道路を涙目で飛ばし、信号だらけの一般道に舌打ちをしてやっと馬来田駅にたどり着いた。タクシーが1台、客待ちをしているくらいの閑散とした駅だ。乗降客がすっかりはけたのか、駅員とタクシー以外の人影は見当たらない。
服部は車を降り、深く深呼吸をしながら自分の乗ってきた車の周りをぐるりと周った。
いきなりの本気走りに赤い車体がキンキンと鳴っている。タイヤと車体の間からむせ返るような熱気が上がっているのを感じて服部はようやく我に帰った。
「そうだな。フラレて、高速を爆走して事故なんか起こした日には何を言われるか分かったもんじゃない」
なんとか少し落ち着いた服部は、ここまで来たことが実はとんでもない悪手だという事に気がついた。
ここでもし真奈に会えたとして、自分が何を口走るか、自分を見て真奈がどういう顔をするのか想像がついたのだ。勿論、服部にとって愉快なシーンは浮かんでこない。
だが、高速料金だけで片道七千円近くもかけてここまで来て何もせずに帰るのも癪だ。そう思った服部は、とりあえず真奈が駅から出てくるかどうかだけでも確認することにした。
いつか違う気持ちで真奈と話が出来る日が来るかも知れないし、真奈の方の事情が変わることもあるかも知れないではないか。
そうと決まると服部は車を少し駅から離れたところにある小路に入れてエンジンを切った。服部の車はさすがにこの辺りでは派手すぎる。駅前に置いておくとすぐに真奈に見つかって自分が追いかけて来たことがバレてしまうだろう。
服部は車を置いて駅の近くの小さなフェンスの影に陣取り、時刻表と時計をかわるがわる眺めながら真奈が帰ってくるのを待った。
蚊がか細い音をたてて服部の周りを飛び回っては腕やら首やらを刺して行く。それらをぴしゃぴしゃと叩いているうちに服部は自分が何に苛立っているのか判らなくなっていった。
「ちくしょう……まだかよ」
夜10時過ぎ、黒い大きなバンが駅前の開けた場所に停まった。6、7人は乗れそうだが、マイクロバスよりは小さい。妙に威圧的に見えるのは大きめのグリルのせいか、それとも夜にあってなお黒光りする車体のせいか。
ほどなくして木更津からの下り電車が馬来田駅に到着した。疲れた様子のサラリーマン達が改札を通り、それぞれの家路を急ぐ。その後ろをトボトボと歩いて改札から出てくる若い女性の姿に服部は目を止めた。真奈だ。
「まっ……」
服部は真奈に声をかけそうになって、やめた。当初の予定通りにしようと自制心が働いたわけではない。そこに信じられないものを見たからだ。
「おっ疲れ様ー。上手いこといった?」
憔悴しきった顔の真奈に笑顔で語りかけていたのは黒いバンから降りてきた瞳だった。瞳は真奈を労いながら車のドアを開け、真奈と一緒に後部座席に乗り込んだ。
「え……?」
スモークシールドに遮られて車内は良くは見えないが、真奈の隣に座っていたのは服部には見覚えのある女性だった。マッチングアプリをはじめて最初にデートに誘い出せた女性だ。最近は全然連絡をとっていなかったが、なぜ彼女がここにいるのか……。
混乱した服部ではこの状況が全て瞳によって仕組まれていたと考えるには至らなかった。無理もない。膨大な(と、服部が感じていた)マッチングアプリの登録者の中から服部が選び、デートを申し込む人間をあらかじめ用意することなど出来る筈がないではないか。
「どうなっているんだ……こりゃあ……?」
服部は黒いバンの走り去って行った方向を確認すると、急いで自分の車に乗り込み後をつけた。幸いにして一本道。車を飛ばしていくとすぐに追いつくことが出来たが、どこに向かっているのかはまったく予想がつかない。
「えらい山の中だな……」
フロントガラスに虫がバンバン当たる。潰れた虫の死骸が視界を悪くしていく中、服部は目を凝らして黒いバンを追跡した。
20分程も経った頃、突如視界が開け、山を崩して整地し区画整理をしたようなエリアが服部の目の前に現れた。整備された道路脇には太陽光パネルのついた街灯が設置されており、遠くには光に包まれた巨大な構造物群が見える。
「何だ……ここは……?」
服部はこのエリアが何の施設なのか皆目見当がつかない。それでもしばらくは黒いバンを追いかけたが、当のバンが大きな施設の駐車場に入ってしまったので追跡を止めた。
「ここまでかな……何かヤバそうだ」
服部が車を止めて、この辺りの施設が何なのか、スマートフォンで検索をしようとした時だった。
コンコン
何者かが面のような固まった笑顔で、服部の車の窓を叩いた。警備員の服を着ているからここの施設を警備する人達だろう。
まずったな―― 服部は舌打ちをした。
「あの、勝手に入って来てすいません。いったいここはどこなんでしょう?」
――とりあえずここはしらばっくれるしか無い。ここに来るまでに立入禁止の看板は無かった筈だ。言い訳すればなんとでもなるだろう―― 服部は楽観的に考えた。
まさか、フラれた女を追いかけてきたらここに来ていたなんて言い訳が出来る筈もない。
しかし、そんな思惑も次に警備員が発した言葉でどこかに吹き飛んでしまったのだった。
「困りますね……ここは関係者以外立ち入り禁止の区域なんですよ、服部さん」




