第七十二話:本当にやりたいこと
カレーの饗宴が終わった後、俺はシャーロットに是非にと勧められたので予約していたホテルをキャンセルしてルーカス邸に寄留することにした。
「よう、ルーカス。久しぶりだな」
「あぁ……あんたか」
ルーカスとの話は久しぶりだったが、聞いていた以上に憔悴していたのには驚くばかりだ。
これではシャーロットが俺になんとかならないかと泣きついてくるのも無理はない。
「このまま生きた死体のような生活をしていてもしょうがないだろう。サンフランシスコにでも行ってちょっと違う空気を吸って来たらどうだ? お前を雇うかどうか考えてもいいって会社があるんだ」
「……あんたとはもう袂を分かった筈だが……。今さら俺に命令しようってのか?」
「命令じゃないさ、これは仕事の紹介だよ……ルーカス。嫌なら行かなくても良いんだ。それに、お前が採用されるかどうかもわからん。
だが一つ面白い話をしてやろう。お前を面接する予定の研究所長のクロエって女だけどな、若い頃にガンが全身に転移してもう駄目だって医者が全員匙を投げたのに今はピンピンしてるんだぜ。すげえだろ?」
「……何の話だ?」
「そいつな、腫瘍溶解性ウィルスを投与されたんだよ。ステージⅣ末期で免疫が低下していたのか、そこかしこに腫瘍があったせいかは知らんが、ガンが根絶したそうだ」
「ほう……」
ルーカスの目に少し、ほんの僅かだが光が戻った……気がする! 今だ! 畳み掛けろ俺!
「その時使った腫瘍溶解性ウィルスは日本から持ってきたヘルペスウィルスだったそうだが、それを投与した医者と、投与された患者が副社長と研究所長だ。どうだ? 面白いだろ? 会って話を聞いてみるだけでも面白いと思わんか?
ここからシスコまでは飛行機なら1時間半てとこか。日帰りで自分の論文の成果を生で見られるんだ。しかも向こうから会いたいと言っている。どうするね?」
「日本のヘルペスウィルス……弱毒性だとするとナゴヤ大のやつか? 面白そうだな……シスコにはいつ行けば良いんだ?」
かかった! ルーカスの顔に知的好奇心が満ちてきた! 少なくともさっきとは明らかに様子が違う!
「いつでもいいさ。ここに連絡をして自分で行け。ついでだから向こうに行ってしばらく周りを見てこい」
俺はクロエの連絡先を書いたメモをルーカスに渡した。研究所のあるサンフランシスコのミッション・ベイは今やバイオベンチャーの巣窟だ。わざわざ博士課程まで行ったルーカスなら近くのカフェに入っただけで興味のある話に出会えるだろう。そうやって外をぶらぶらしていたらそのうち何かしたくなるに違いない。本格的な鬱病ってわけでもないんだからな。
「汚い字だな……わかった……明日にでも行ってみよう。ここに居てもどうせやることもないしな」
「おい、事前にアポイントはちゃんと入れるんだぞ?」
「わかってるさ。あんたと違って俺は育ちがいいんだ」
こうして2年ぶりに近いルーカスとの再会は俺の職業斡旋という形で終わった。そのやりとりを影で見ていたシャーロットは涙ぐみ、俺にいつまでも「ありがとう、ありがとう」と言っていた。
◆◆◆◆◆
主がいなくなったルーカス邸で、市川さんと俺はゆっくりと話をする時間を取った。シャーロットは一限目から講義があるとかで出かけた後だ。
「影山さんのやり方みたいなのはこないだのアジア旅行でわかったんだけど、なんというか、成果と手段が両方セコいわよね……? 本気でやる気あるの?」
「ごふっ! げへっがはっ」
コーヒーを飲んでいた俺は市川さんの強烈な一言にむせた。そうなのだ。40億人以上減らせと言われているのにその千分の一も達成できていないのは俺もよく分かっている。いつも「殺らなくちゃ」と気難しい顔をしている割には成果が出ていないと言われてもしょうがない。
「まあ、それはいいわ。今日は別の話……影山さん。あなたホントは何がしたいの?」
「何がやりたいって、そりゃ間引きだよ……人口の削減だ。それがこの能力を授かった時に出された条件なんだからさ。丁度いい機会だし、今日はきちんと話しておくよ」
俺は「あいつ」との出会いからこれまでの経緯を市川さんに打ち明けた。会話からの分析結果、壬生さん関連の情報なども全部。一方でレグエディットの能力の全てを解説するのはやめておいた。聞き手の素養がなければ徒労に終わるのは目に見えているからだ。
「あらまあ……想像していた以上に凄い話だったのね……しっかし、まさか貴子のお父さんまでがねえ……」
「貴子さんにはまだ言うなよ」
「言わないわよ。シャーロットにもまだ言ってないわ。でも、もし言うならあなたの口からにしてよね。私が言っても『下手な嘘つくな』って言われて笑われるだけだし。
でね、私が聞いたのは、あなたにそんなお役目が無かったら本当は何をしたかったのかってことなのよ」
……それはあまり考えないようにしていたことだ。「たられば」は考えてもしょうがないからな。
そういえば最近朝から晩まで暇さえあればヤキイモとヒョウモンダコの飼育……ではなく、どういう奴らをどうやって間引くかばかり考えていた。そこに俺自身の人生は無いも同然じゃないかと言われればその通りだ。「あいつ」に言われたことを唯々諾々とやっているだけの生活になっているのだから。
俺は何をやりたかったんだっけ―― 俺は自分の内面を市川さんの前で見つめ直すという恥ずかしい状況に身悶えしそうになったが、例のメンタル強化でそこは乗り切った。
ああ……こんなことになる前の俺は、次世代人工知能の開発を夢見ていたんだよな、そういえば。
毎月のように論文発表される新たなニューラルネットワークのモデルに目を輝かせながら誤差関数の数式をなぞったりしてさ。
初めてYOLO(注1)のサンプルプログラムを改造してカメラ映像から物体認識をさせるのに成功した時はホント嬉しかったよ……心が踊った。仮初の万能感に身が震えたよな……。
でも今なら分かる。ディープラーニングや強化学習はあくまで人工知能ではなく機械学習の手法だ。そこを突き詰めていっても人工の知性にはならない。超高性能な判別機と名人をも負かす将棋ソフトが出来上がるだけだ。
もちろん機械学習が全くの役立たずというわけではなく、機械学習は将来の人工知能の大事な一要素であって、それが全てではないということだ。
それに気づいた時、俺には結構な喪失感があったし、自分で知性の創造に挑もうかとも思ったけれど、お役目が思ったよりも重く日常にのしかかってきたので断念していたんだっけ。
「そうだな。あえて言うなら人工知能の開発かなあ……?」
俺は思いついたように呟いた。
「いいんじゃないの? 人工知能の開発。対人プラットフォームにはエリザベスがあるし、開発資金も唸るほどあるし、エキスパートの相田さんだっているし。
投資先は私が見ててあげるからそっちも頑張ってみなさいよ。そして1年に1ヶ月だけ、ちょっと積極的にお役目をやればいいんじゃない?」
実に優雅で魅力的な提案だが、それだとノルマがこなせるか自信がない。何より、地球の人口が100億になれば本格的な殺人鬼が送り込まれてくるのだ。世界中の原発を爆破してまわったり、アブソリュートであちこちに核融合爆発を起こしたりするかもしれない。
市川さん的には俺のストレスが極力減るように提案してくれているのだろう。それが分かっているだけに、俺はその提案を辞退するのが申し訳なく思えた。
「えーと、それはちょっとその……まずそうな」
「そんな心配そうな顔しなくていいわよ。私の考えが正しければそこまで悲観も楽観もする必要はないわ。ちょっと待ってね。えーと」
市川さんはノートPCを取り出してきて、世界の人口統計をエクセルにポチポチと打ち込み始めた。そしてソルバーを起動し、世界の人口推移との相関係数が0.96の指数関数の曲線を描いて、ふう、と息をついた。
「ほら。これが人類がこのまま何もしないで増えるがままに増えた場合の人口の予測推移よ。少し誤差はあるけど、影山さんが何もしなくても人類が100億人に届くにはあと19年かかる。影山さんが頑張ればそれが30年以上になるでしょうね。それまでになんとかしちゃえばいいのよ」
「なんとかってどうするんだよ……?」
「私が関わった以上失敗はしないから大丈夫よ。詳細はいずれってことで」
ああ、いつも俺が何をするか相談せずに物事をずんずん進めてるのを真似してるのか……。でも確かに、思ったより猶予はあるな。19年もあれば本当になんとかなるかもしれない。
それに市川さんというブレーキの壊れたダンプカーのような馬力を持った人が凄い知性で策略を巡らしてくれるなら願ったり叶ったりだ。
俺が楽をしすぎているという罪悪感が多少心配ではあるが。
「わかったよ……じゃあ今後はいろいろと任せよう。俺の出番が来たら教えてくれ。あと俺、今回市川さんのプロジェクト一通り見たらドイツ行こうと思ってるんだ。貴子さん連れて行くけどいい?」
「そうね……私は今、アメリカを離れるわけにはいかないからお好きにどうぞ。ドイツ了解。しっかりぶっ殺して来なさい。でも、貴子には知られないように、慎重にね?」
「了解……」
俺は努めて平静を装っては見たものの、嬉しくて嬉しくて、市川さんが向こうに行ってしまったのを見計らって少し涙ぐんでしまった。うん。やはり市川さんに打ち明けたのは正解だった。
19年の猶予! 19年の猶予だ! 素晴らしい! 今まで怖くて計算していなかったがこんなにも猶予があったのだ! 少なくとも俺は19年間は送り込まれる殺人鬼の影に怯えなくていい。その間にやれるだけのことをやりさえすれば人類は助かる……筈だっ!
でもね、市川さん……。俺は最近、お役目が楽しいと思えるようになったんだよ。おかしいかな……?
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【俺のバイト先にあるロボットが盗難対策にアホな機能を実装している件について Part11 (201)】
188 名前:サンディエゴの名無しさん 20XX/06/13 (Sun) 01:36:10.64
できた。好きなのを持ってけ。東アジア対応wwwww。利用は自己責任で
ttps://github.com/*****a/illaccess/mbed
ttps://github.com/*****a/illaccess/x86
ttps://github.com/*****a/illaccess/armv8
ttps://github.com/*****a/illaccess/android
ttps://github.com/*****a/illaccess/ios
189 名前:デリーの名無しさん 20XX/06/13 (Sun) 01:42:01.42
>>188
天才現る
190 名前:ミョンドンの名無しさん 20XX/06/13 (Sun) 02:01:03.02
>>188
mbed の必要メモリは?
191 名前:ロスアンゼルスの名無しさん 20XX/06/13 (Sun) 02:03:11.55
>>190
README 嫁
ちなみにこのモジュール単体だと128KBもあればOK
あとはお前のプログラムが何MB食うかだけだ
192 名前:ヒューストンの名無しさん 20XX/06/13 (Sun) 02:10:33.48
>>188
東アジア以外もお願いします!
193 名前:サンディエゴの名無しさん 20XX/06/13 (Sun) 02:15:12.37
>>192
そこまで面倒見切れんス
例のオープンソースコミュニティのインターネット掲示板は、何人かのお調子者の登場でさらにヒートアップしていた。
ビッディ・ペッソンの対盗難トラップの機能を聞いた、暇でかつ有能なソフトウェアエンジニアが数名、プロジェクト体制を組んで同じ機能のものをより高性能にして作ってしまったのだ……ご丁寧に様々なプラットフォーム対応で。
このソフトを組み込んだスマホのアプリやゲーム、さらにはIoT機器は対象の特定国に持っていかれると、勝手にSNSのアカウントを作り、国家主席の悪口や政治的なタブーを次々と検索したり書き込んだりしてしまう。
当然これらの機能は、その特定国で使われない前提のソフトや機器、例えばそれらの国から輸入禁止措置を受けているゲームやIoT機器などに使われても何も問題はない筈だった。
しかし米国で大ヒットしているようなゲームやIoT機器はどういうわけかそれらの国の富裕層達によって普通に使われていたりすることがあるのだ……どういうわけか……。
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数カ月後、中国版つぶやきSNS・新波小博の上海本社にある厳重なセキュリティで守られた部屋の中で、政府の人力資源和社会保障部から派遣された世論分析官達がいつもの数十倍の数の小博への書き込み警報に戦慄を感じていた。
「江部長! 不穏分子による大量の書き込みが止まりません!」
「書き込みの多い地域からの回線を一旦切れ! 五毛の連中に沈静化を急がせろ!」
世論分析官達は政府から見て好ましからざる書き込みがSNSに書き込まれた時に適正な対処をするために各企業や地方政府などに派遣されている、情報統制のプロだ。
その彼等もこんな一斉蜂起のような書き込みははじめてだった。
「今日は何か、国際関係の政治イベントが有る日だったか?」
「ありません。サミットもASEANも高官の外遊も予定なしです」
「ネットは? 美国のリベラル派とかが何か問題提起でもしたのか?」
「いえ……強いて言えば美国で大人気のスマホゲームのメジャーバージョンアップがあるくらいで……」
「くそっ! 発信源を特定して、必要があればしょっぴいてしまえ。
数は多くても1件1件潰していけばいつか無くなるからな! 五毛に連絡はついたか?」
その日、小博だけでなく国内あちこちの検索・SNS等のネットサービスが同じ事態に見舞われていた。
押し寄せる警報の波に飲まれた分析官達に出来ることは少ない。せいぜい思考を停止し、マニュアル通りにひたすらに回線を切りまくることだけだ。
それがどういうことになるかも考えずに。
(注1)YOLO……ジョセフ・レッドモンらによって開発された物体検出アルゴリズム。You Only Look Once の略。2016年に発表されたもので、処理の速さ、汎化性などに優れている。2018年の国内外のAI系展示会ではどの会社もこのアルゴリズムを使ったデモを画面に映していた。




