第七十一話:俺の頭と市川さんの本気
サンフランシスコに着いた俺は早速ネオイリアの新研究所に向かった。
実際には新研究所とは名ばかりで、潰れたベンチャーの研究所を居抜きで買い取ったものだ。あちこちくたびれてはいるが、それでも内装はピカピカ。実験機材はカーソンで使っていた見慣れたものもあれば新たに調達したらしい最新型のものまでさまざまで、その中で見たことのあるヤツないヤツが生き生きと動き回っていた。
「研究開発の調子は良さそうだな。このぶんだと早いうちに、開発中の薬が認可されるなんてこともあるんじゃないか?」
俺の挨拶がてらの軽い質問に、出迎えに来てくれたアメリアさんは肩をすくめて首を小さく振った。
「冗談はよして……この後長い長い臨床試験が待ってるのよ。お金もとんでもなくかかるわ。今は影山物産からの資金が潤沢だからいいけれど、この後臨床試験と製薬プラントを作るとなると一桁も二桁も違うお金が必要になるの。まったく頭が痛いわよ」
あれ、聞いてた話となんか違うな。研究がより進んで現実が見えてきたらゴールは思ったほど近くなかったってことか?
「大変そうだな。そろそろシリーズCとか考えてないの?」
影山物産がかなり多めに投資しているとはいえネオイリアはそもそもは彼女達の会社だ。今後どこからいくら事業資金を調達してくるかは基本的に彼女達に任せてある。だから影山物産から役員を送り込んだりしていないのだ。
極端な話、彼女達がどこかからお金を調達してきて影山物産の持ち株を全部買い取りたいと言ったら喜んで手放してやってもいいとさえ思っている。それなりの利益がこちらに出ることが前提ではあるが。
「今の手持ちで行くところまで行ってからね。それに、新たな投資ラウンドを実行する時間と手間を考えたらあなたに泣きついた方が早そうだし楽そう。多分クロエもそうしろって言うわ」
「事業の性質上今後必要な金額が大きくなるのはやむを得ないのは分かっているからいいけど、カネは大切に使ってくれよ?」
「あら、今だって大切に使ってるわ。この研究所だって新築ってわけじゃないのよ?」
「そうだったな。失敬」
アメリアさんは最後に会ったときに比べて段違いに顔色が良くなっていた。もう死の淵からは脱出したようだ。「あいつ」には愚痴られたが、やっぱりアレをやっておいて良かったよ。
「ところでアメリアさん、後でちょっと話があるんだ。クロエも一緒に」
「なあに? 私達今は後ろ暗い事は何もしてないわよ?」
「いや、そうじゃなくて……ちょっと相談があるんだ。ここ、DICOM見られる機材あるよね?」
「もちろん。じゃあ後で私の部屋に来てちょうだい」
DICOMは言ってみれば医療用画像の業界共通フォーマットだ。これのビューアは医療現場ならそれこそどこにでもあるが、医療関係の現場を離れるとほとんどどこにもない。
元医師のアメリアさんならその手のツールは持っているだろうと思っていたが、やはり持ってた。よかった。
カーソン時代から馴染みのある研究員達とひとしきり談笑した後、俺はアメリアさんの部屋にお邪魔した。
コンコンコンコン
アクリル製の壁で廊下と隔てられた部屋の扉をノックして部屋に入ると、クロエがアメリアと楽しそうに話をしていた。
以前の張り詰めた緊張感が消え、まるで少し年の離れた姉妹のように見える。
「いいかい? アメリアさん」
「どうぞ、そこにかけて。それで、誰のデータを持ってきたの?」
俺は鞄からUSBメモリを取り出してアメリアさんに渡した。
「俺の頭部のMRI画像だ。セキュリティチェックは済ませてあるから3.0のポートに突っ込んでくれ」
俺の話を聞いたアメリアさんはきょとんとしていた。クロエはそれに輪をかけて訳が分からないという顔をしている。
「頭でも痛いの?」
「まずは見てくれないか。所見を聞きたい」
アメリアさんは俺が持ってきたデータをビューアに取り込み、しばらく画像を眺めていた後、低く小さい声で呻き、顔をしかめた。
クロエはMRI画像の見方が分からないらしくアメリアの発言をじっと待っている。
「小脳の大脳側、後頭葉との境あたりに結構大きめの腫瘍があるわね……」
「やはりそうか」
「良性の腫瘍だといいんだけれど……クロエ、検査キットあったわよね? 持ってきてくれる?」
「ああ、いいんだ。これは病気じゃないから……多分だけど」
俺は急いで立ち上がろうとするクロエを制した。
腫瘍に見えるこれは、レグエディットを稼働させるために必要な器官だろう。それを確認するため俺は壬生さんのツテを頼り、渡米前に壬生系列の医療機器専門の子会社で頭部のMRIによる撮影をしてきたのだ。
この器官がどんな動きをすれば世界シミュレータのメモリを直接参照できるのか、その仕組は知りたいところだが、そこはいくら考えても……いや、おそらく摘出して分析しても判らないだろうから大人しく諦めることにする。
あとはこの組織が変に肥大化したりしないかだけが心配だ。場所が場所だけに俺も無関心ではいられない。レグエディットを繰り返すうちに血流が良くなって成長して……という事になったら壬生さんと同じく、摘出手術は避けられないからだ。
「ありがとう。この腫瘍みたいなものが成長しないかどうかだけ今後定期的に確認したいので協力してくれ。それと、この件は他言無用に頼む。無用な混乱を招きたくない」
「わかったわ……だけど、体調に変化があった時はまず頭を疑いなさい。調子が悪い日が続いたら必ず病院に行くのよ?」
「ああ、そうする」
よかった。どうやら他言無用にしてくれそうだ。
「今日はもう一つ相談があるんだ。人を紹介したい。俺の知り合いで学位持ちなんだがいろいろあって今はポンコツでな。目に光を取り戻させてやりたいんだが、ここで研究をさせるってことは可能だろうか?」
「一応、当社はやる気のある人はウェルカムなんだけど……やる気のない人をってのは難しいわね」
「そう思ったから上から命令するんじゃなくてきちんとお伺いをたてたんだよ。多分駄目だろうなって俺も思ってた。だがそこを少し譲歩して見てもらいたいものがあるんだ。
さっき渡したUSBの別ディレクトリ開いてみて。そう、そのPaperってディレクトリ。そこにPDF入ってるだろ? ちょっと興味ない?」
幾つかのクリック音の後、さっきまで俺の頭の輪切りが映し出されていた画面に『アデノウィルスベクターによる遺伝子治療における免疫原性の低下作用の可能性の検証』という論文が映し出された。
「あら、これは……ナイジェリア大の研究なのね……へえ……」
論文はどうやらアメリアさんとクロエの興味を引いたようだ。
「よく分からんが、腫瘍溶解性ウィルスが免疫に排除されるのをどう防いで患部に送り込むのかいろいろやってみましたって論文だろう? アメリアさんには特に興味深いんじゃないのかな」
アデノウィルスベクターとヘルペスウィルスは種類は違えど腫瘍溶解性ウィルス、つまり手遅れで見放されていたクロエをアメリアさんが奇跡的に救った時に使ったアレだ。
「うん……興味ないことはないわね。今の私達の研究とはちょっと違うけど、この論文がもしあと15年早く発表されてたらと思わなくはないわ。私がクロエを助けた時に用いた手法についても書かれてる。
実験計画もポイントを掴んでるし、うちのヘッポコよりは使えそうね……ええと、名前は……」
「ルーカスだ。ルーカス=ゴールドウィン。今はロスに住んでるんだ。俺も明日ロスに行くから興味があったら今日中に俺にメールをくれ。話をしてくる」
「クロエと相談してみるわ。でも、あまり期待しないでちょうだい」
「相談してもらえるだけでも御の字だよ」
その夜、ネオイリアの人事部から「ゴールドウィン氏のインタビューについて」というメールが飛んできた。
不合格ではないが特別扱いもしない。通常の採用プロセスを回すということか。まあ、こんなものだろう。
◆◆◆◆◆
「こんにちは。やってきたよ」
「遠路はるばるようこそ」
俺はロスアンゼルス国際空港で迎えに来てくれた市川さんとシャーロットににこやかに挨拶をした。シャーロットとは関西新空港で別れたっきりだったので1年近く会っていないことになる。
「コニチワー」
あれ? シャーロット、ちょっと印象が変わったのはお年頃だからしょうがないとして、なんか日本語下手になってないか? ロスアンゼルスには日系人も多いんだから話す機会はいくらでもあったろうに。
「久しぶりだなシャーロット。市川さんからいろいろ話は聞いていたが大変だったそうだな。どうだ最近は? 大学生活は楽しいか? カレー食ってるか?」
「……」
シャーロットは困ったような顔をしている。これは……あれだ。外国人が「当然これくらい分かるよね?」と勝手に思い込んで母国語をまくしたててきた時の困った顔だ。ええ? 俺そんなにまくしたてたか?
シャーロットが市川さんの方を見て助けを求めるような顔をし始めたので俺は日本語でシャーロットと話すのを諦めた。何だってんだええいちくしょう。
「違うのよ影山さん、彼女はビクトリア。シャーロットの影武者なの」
「へ?」
「びくとりあデスー。ヨロシクー」
シャーロットそっくりのこの美女はビクトリアという名前らしい。ポーランド系アメリカ人で、ニュージャージー州出身の23歳。アトランティックシティのカジノでバニーをやっていたところを市川さんが全米に放った探偵に見出され、スカウトされたのだそうだ。
スカウト理由はもちろん「シャーロットに激似だから」だ。
シャーロットは持ち前の美貌と濃い人生のせいでマスコミやショービジネスの世界から引っ張りだこだったのだが、断りきれない最小限の仕事だけを受けるだけでも学業に支障が出るまでになってしまっていた。それが去年の12月くらいの話だ。
その窮状を見た市川さんはシャーロットの大学生活を守るためにいくつかの手を打った。そのうちの一つがビクトリア、つまり影武者だ。
ビクトリアは顔、身長、スタイルとかなりの要素でシャーロットに似ていた。ナイジェリア育ちのシャーロットに比べると幾分野性味が足りなかったが、そこは市川さんが手配したジムのインストラクターが日焼けから筋力づくりまで徹底的に面倒を見たらしく、今ではシャーロットが見てもどちらが自分か判らないレベルになったという。
この影武者のおかげでまず、シャーロットに来るCMの撮影やグラビアの仕事はほぼなくなった。ビクトリアがこれらの仕事を全部引き受けてくれることになったからだ。
表情から何から何までシャーロットとそっくりなので、絵面だけ整えば良い依頼者はシャーロットの多忙を説明すると「じゃあ、ビクトリアさんでお願いします」と言ってくれるらしい。
ちなみに影武者と言ってはいるが、仕事の際の名前はちゃんと「ビクトリア」で出ている。つまり、ビクトリアはビクトリアとしてモデル活動やタレント活動をしている。だからビクトリアの画像を使ってシャーロットの名前で発表していいかと聞かれた時は必ず断っているそうだ。
このビクトリアの八面六臂の大活躍のおかげでシャーロットの負荷は大幅に下がり、今ではどうしても自分でなければ対処できない仕事だけをたまに受けるくらいになっているのだとか。
市川さんは次の打ち手として、手持ち資本にモノを言わせて若者向け機能性アパレルブランド "C&Vtwins." をわずか半年で立ち上げた。西海岸で才能を搾取されている若いデザイナーやお針子さん達にちょっといいお給料を提示したら皆さん結構ノリがよく、次々に移籍してくれたらしい。
市川さんはこのブランドのイメージキャラクターにシャーロットとビクトリアの二人を『twins』、つまり双子の設定で起用し、専属モデルとして社外にアピールした。「シャーロットはウチのモンだからヨソからちょっかい出すなよ」という暗黙のアピールだ。
こういう仕込みは今後じわじわ効いてくるのだとか。
「すげえなぁ……」
市川さんの新ブランドは6月はじめに全米10都市にショップを展開し、俺がロスアンゼルスに来る3日前に大々的な記者会見を行ったらしい。俺がちょうど飛行機に乗って太平洋を渡っていた頃だ。
その日に合わせてショップを展開した各都市にはシャーロットとビクトリアがカッコよく写っている巨大看板が出現し、以来、多少のエロさとはじける若さが人々の注目を浴びているらしい。
実際、俺も空港から車に乗って市川さんの事務所に行く途中、ホットパンツとノースリーブのブラウスに身を包んだシャーロットとビクトリアが描かれた C&V twins.の看板が高速道路わきなどにあちこち立てられているのを見かけた。その宣伝の規模と徹底ぶりには舌を巻くしかない。
「たった6ヶ月で出店計画に商品の大量生産、メディア展開まで全部やったってのか……バケモノか市川さんは……」
「今回はさすがにもうダメかと思ったわ。人生で一番働いたと思う。でもさすがアメリカ、お金があればなんとかなるものね。あらためて思い知ったわ」
起ち上げたばかりのアパレルブランドにいったいいくら使ってるんだろうか。市川さん……。
「ふええ……じゃ、ナイジェリアのあの時は、まだ全力じゃなかったのかよ……」
「ふふ、まだまだ。見せたいものはこれだけじゃないのよ」
市川さんの意味深な発言の正体はすぐにわかった。 C&V twins. のロスアンゼルス本店では3人目のシャーロット……というか、シャーロットを模って作られたビッディ・ペッソンのロボット「エリザベスLA」が店舗内のソファベッドに座って俺達を出迎えてくれたのだ。全国10店舗に「エリザベスNY」「エリザベスSF」などがそれぞれいるらしい。
「狭山社長に相当無理を言ったから、二足歩行とか自律行動とかの調整はまだできてないのよ。今の段階では一体当たり一人、工学部系の大学生をバイトで雇って後ろでオペレートしてもらってるの。
会話はまだできないしね。ビッディ・ペッソンにはこれで量産の際の課題を抽出してもらうつもりよ」
自社の店舗展開だけでなく、影山物産の投資先の課題抽出にまで協力してくれているのか。もう何でもありだな……。
どれ、と裏方を覗いてみると店舗の事務室では難しい顔をしてアルバイトの大学生がロボットの操作画面を見ていた。ビッディ・ペッソンのロボットの操作画面は俺も見たことがない。面白そうなので俺はバイト君にちょっかいを掛けていろいろ聞いてみることにした。
「やあ、こいつはMelodic(注1)かい?」
「いや、こいつはLunar(注2)だよ。今ひとつ、gazebo(注3)の追従性が悪いんだよなあ……。rviz(注4)はだいぶ良くなってるんだけど……」
バイト君はこちらを振り返りもせずに画面を食い入るように見つめている。市川さん、なかなかいい学生を雇ったなあ。セキュリティを考慮しなければ、だが。
「実物があるんだからgazeboはいらないだろ……まあ、あるに越したことはないか。SLI(注5)は試したのかい?」
「いや……Ubuntu(注6)でうっかりあのへんをいじるとトラブルが多くて仕事にならないからね」
そこまで答えてバイト君はびっくりしてこちらを見た。
「だ、誰っ? っていうか、ここはスタッフ以外立ち入り禁止ですよ! どうやって入ってきたんですか!」
「ああ、ちゃんとオーナーの許可は貰ってるよ。悪かったな。いきなり声をかけて」
「そうですか……びっくりしましたよ。ところであなた、ROS(注7)がわかるんですか?」
「ああ、俺もロボットをかじってた時期があるんだよ。まだIndigo(注8)とかの時代だけどな」
「あはは、大先輩ってわけですね。僕はさすがにその頃のコードはいじりたくないなあ……。なんというか、プログラム書くのが苦手な人が頑張って書きました! って感じがして」
「だろう? 俺もだよ。ところでどうだい、エリザベスは?」
「うーん。日本で動いているという初代機は本当に凄いと思うんですが、こちらはやっつけ感が否めませんね。バッテリーも3時間ももたないし……でも面白い機能があるんですよ。ジョークで入れてるんでしょうけどこれは傑作だって言うんでバイトの仲間内で盛り上がってます」
「へえ、どんな機能だい?」
「エリザベスがある日盗まれて、ネットの書き込みを監視するような国に持って行かれたとします。でもエリザベスはこうしてネットワークに繋がらないと何もできませんよね? そこで何も知らない泥棒はエリザベスをネットに繋ぐ。すると次の瞬間、エリザベスは自動プロファイリングを起動して所在国を割り出し、政府が嫌がるワードや禁止しているワードを検索したりSNSに投稿したりしに行くって機能です。面白いでしょう?」
ああ、そりゃ俺が狭山社長とバカ話をしながら盛り上がってた時にアイデアを出した機能だ。ほんとに実装したんだあの人……。まあ、取り立てて難しくもないけどさ……。
「影山さん、シャーロットが来たわよ。あと、晩御飯一緒に食べるんだよね?」
市川さんはバックヤードに行ったまま帰ってこない俺を怪訝な顔で見ていた。
後ろからシャーロットがついて来ているが元気そうで何よりだ。なるほど、こうして本物を見るとやはりビクトリアとはどことなく違うよ。主に愛嬌のあたりか……?
「おう。行く行く。どうせあそこだろ?」
「うん。CoCo壱番屋ね。6時に行くから、出られるように準備しておいて」
その日の夕食は久しぶりのカレーだった。俺は「パリパリチキンカレー400g辛さ普通」を注文し、本物のシャーロットと一緒に心ゆくまでカレーを頬張った。
★★★★★
影山がロスに来て3日後、とある組み込み系ライブラリのオープンソースコミュニティのインターネット掲示板が熱狂的な盛り上がりを見せていた。
【俺のバイト先にあるロボットが盗難対策にアホな機能を実装している件についてPart8(589)】
(注1,2,8) Melodic, Lunar, Indigo……ロボットのOS、ROSのバージョンネーム。アルファベット順に若い。
(注3)gazebo …… ROSに標準搭載されている仮想ロボットシミュレータ。環境ごとシミュレート出来るスグレモノだがちょっと遅い。
(注4)rviz ……ロボットの内部変数や各ノード間のメッセージなどがモニタできるプログラム。
(注5)SLI …… 1システムにグラフィックボードを複数枚挿して処理速度を上げるやり方。電力を食うのでご家庭でやる場合にはそれなりに注意を。
(注6)Ubuntu …… コミュニティによって作成されているLinux OSのディストリビューション。某GPGPUドライバをポストインストールするとトラブル不可避なのだが、GPUメーカーは何年経ってもこの問題を解決しない。今日もエンジニアの涙と手間を砂漠のように吸い込んでいる。
(注7) ROS …… Robot Operating System (ロボットOS)。ロボット開発やオペレーションのためのミドルウェアやツール、ライブラリをひとまとめにしたもの。




