第七十話:語学力と演技力
「私達2人に話って何ですか?」
相田も貴子さんも先ほどまでの会話を忘れたように興味津々でこちらを見ている。俺がこう言った話の切り出し方をするのが珍しかったのか。あまり期待が高まらないうちにさっさと話した方が良さそうだ。
「いやたいしたことじゃないんだよ。2人のうちどちらか、ドイツ語が出来ないかなと思って」
「なあんだ」
相田も貴子さんも期待はずれの表情を少しも隠さない。
なんだよ……もっと楽しい話題の方が良かったか?
「どれくらいのレベルが必要ですか? 私、大学時代にドイツ語はやってましたけど……」
相田がフォローを入れて会話を続けてくれた。こういうところは良いヤツなんだよな。ほんとに。
「そうだな。ドイツに行ってドイツ語で地元の人と話が出来るくらいがいいな」
「残念……それはたぶん私には無理です。学生時代の全盛期ならレストランで注文ぐらいは出来たかもしれませんが。der-des-dem-den, die-der-der-die, essen-aß-gegessen……これくらいしか覚えてないです」
相田が早々にギブアップした。なんだ、アメリカの大学生は物凄く勤勉に勉強すると聞いたが、卒業してしばらくすると忘れてしまうものなのか? 2500万円の借金背負って大学院まで出た割に……っと、それは言わない方がいいか。実際相田はその数百倍の利益を自分で作ったシステムで叩き出しているのだからな。
「貴子さんは?」
「私は……ドイツ語はたぶん、かなり出来る方だと思います」
「かなり?」
「中学、高校とスイスの寄宿舎学校だったので……」
そうだった。特A級のお嬢様というのはそういうところで外交儀礼を学び、どこに行っても恥ずかしくない知識と思考力を身につけるとかBSの番組で見たような気がする。こんなに身近にいるとは思いもしなかったが、確かに貴子さんの家ならそういうところに娘を進学させそうだ。
「ん? スイスってドイツ語だったっけ?」
「公用語は四つありますね。フランス語、ドイツ語、ロマンシュ語、イタリア語……そのうち学校で必須だったのがドイツ語で選択科目でフランス語を取りましたわ。授業は全部英語でしたし、結構大変でした」
ロマンシュ語がどこで話されてる言葉かは知らないが、中学校から親元を離れて何ヶ国語も叩き込まれて礼儀作法まで……お嬢様って大変だなあ。
「で、どうしてドイツ語なんですか? ドイツに御用が?」
「そうなんだよ。ドイツに出張に行きたいんだけれどできればドイツ語が分かる人に同行して欲しいんだ」
「ドイツだったら英語は通じますよ? 英語だったら私もお役に立てるんですけどね。てか行ってみたいわぁドイツ。主に世界遺産方面に」
相田がダメ元で言ってみたと言わんばかりの口調でとりあえず行きたいアピールをしてきたがもちろん駄目だ。
「お前の知ってるドイツは多分、お前がアメリカに留学する前のドイツだと思うぞ。いろいろ情報収集をしていると、どうも今のドイツは数年前の観光ガイドに載っているドイツとは別物らしい。特に安全面でな。
ドイツの街歩いてて、ドイツ語で『ここから先危険』と書かれていても英語しか読めなかったら分からんだろう? それが怖いんだ。スマホの翻訳機もまだまだ当てにならんし……」
「それはまあ……そうかもしれませんが……」
ドイツは去年の今頃から比べると悲惨なほどEU内の発言権を失っていた。例のラゴスの核テロの調査での不首尾に始まり、難民政策の失敗、伝染病の拡大防止策の失敗などが次々に炎上したのだ。
挙げ句に、これまでEUで旗を振っていた数々の政策も悉く裏目に出てしまい、今ではEU加盟国の中で窓際も同然の扱いになっている。
EUに加盟している各国も最近では「言うこと聞いてくれないなら抜けちゃうぞ」とドイツを脅している有様だ。
それでなくてもドイツの現地を見ない迷惑政策のせいで散々な目に遭った加盟国にとって、ドイツが我が物顔で重鎮面するEUは加盟を継続するメリットを見いだせない機構になりつつある。
そういった国際的な影響力の低下はドイツ経済に影を落とし、財務状況の悪化は経済基盤の弱い住民等の生活を直撃していた。
ドイツで経済基盤の弱い住民の最たるものは近年ひたすら受け入れてきた移民と難民達だ。戦火から逃れてドイツにやってきた人々は今度は生活苦に直面することになり、夢見た新天地でどん底の生活を強いられた人々の中には自暴自棄になる者も多かった。
結果としてドイツは第二次世界大戦後、最悪の治安状況を抱えている。日本の外務省はドイツへの渡航に慎重になるべきだとまで自国の企業に向けて指導していたくらいだ。
そんな国に行くとなれば、せめて現地語を話せる人と一緒でないと何かあった時に対処のしようがない……と、俺もない頭を絞って考えたわけだ。何でもかんでもレグエディットに頼るわけにもいかないしな。
「そんな危険なところに大事な社員連れて行っていいのか?」という迷いはもちろんあるのだが、いくらなんでもラゴスよりはマシだろう。あそこよりマシならなんとかなる気がする。
「じゃ、そういうわけで貴子さん、7月の第一週、木曜日の便でデュッセルドルフまで飛べる?」
「大丈夫です。行けると思います」
「じゃあ、現地で。こちらの状況は細かくメールでアップデートしておくから、そちらも何か状況が変わったら教えてくれ。前から聞いてたと思うが俺は明日からアメリカに行かなきゃならないんだ。市川さんが向こうで色々やってるのを俺に見て欲しいんだそうだ」
「あー、市川先輩の……。いいなあ……。私も見に行きたいですけれど、6,7月は無理です。日本の上場企業が軒並み株主総会を開催するのでその前後に株価が乱高下するんですよ。この時期の株の動きは来年以降の貴重なサンプルになりますから日本を離れられません」
ネットに繋がってるんだから、外からログイン出来るだろう、と言いかけて俺は辞めた。相田がこう言うからには何か懸念があるのだろう。
「わかった。じゃ、相田はまずこの部屋のドアの解錠番号を今日中に変更しておいてくれ。それで、今週中に服部が出社してきたらどういう形でも良いから俺に連絡するんだ。それ以降に出社してきた場合は服部は自宅待機だ。連絡あるまで出社は禁じると伝えておいてくれ」
「わかりました」
「他に何か連絡はあるか? なければ今日はもうこれで俺は帰って渡米の準備をしたいんだが」
「あ、そうだ。今朝、投資先の『タルタルーガ』から連絡がありました。壬生商事の海外販売ルートに商品を乗せることに成功して、インド陸海軍や東ティモール、中東、ザイール、ラゴスの国連PKO部隊相手に契約が取れたそうです」
「ああ、軍人さんはそっち関係大変そうだものな……分かった。引き続き頑張るようにとタルタルーガを激励しておいてくれ。設備投資が必要ならいくらか追加投資しても構わないから。
それから『受注数の2割増しぐらいを現地に送って余った分を市場で売ってみてくれ』と、併せて先方に伝えてくれ」
「タルタルーガ」といえばあの高性能超低価格の性具を作っているベンチャー企業だ。なるほど軍か……うまい売り方を考えたものだ。流通を担ってくれた壬生商事の皆さんに感謝だな。
軍に納入できたなら口コミでタルタルーガの製品の評判は現地や兵隊さんの出身地に広まるだろう。報告通りならアレの納入される場所はどこも地球では最高レベルの人口爆発地帯だ。
そこへタルタルーガの製品を投入するのは決して悪手ではない。商売としてもレイプ等の犯罪防止策としても有効だろうし、性具が普及することでわずか0.1%でも人口増が抑えられることには大きな意味がある筈だしな。
人口爆発地帯の年間人口増が仮に3600万人と仮定すると0.1%で3万6000人。うん。完璧だ。
「他になければ、俺は帰る」
翌日、俺は機上の人となった。行き先は市川さんの待つロスアンゼルス……ではなく、クロエのいるサンフランシスコだ。
★★★★★
服部は調子に乗っていた。調子に乗りまくっていた。あの雨の日、女子大生……瞳と言ったか。彼女に教わったバーナム効果を最大にする手法は服部のこれまでの人生観を根本からひっくり返すほどのパラダイムシフトを彼の中に起こしていた。
「ぐらつかせ、依存させ、支配する」の三行程をいかに効果的・効率的にやるか、それについての方法論を確立できれば今までの自分とは全く違う生き方が出来る。それが服部の出した結論だった。
「あの口先だけの沢森にすらやれたんだ。僕に出来ないって事はないさ」
大事な要素は演出、決めつけ、自分だけが持つ正解、手柄の総取り。服部はここ数年で最も能動的に、目標に向けて自分の脳を働かせていた。
「演出か……と言っても舞台装置がない以上、つまるところ演技力が大事なんだよな……」
服部は図書館にこもり、演劇についての方法論や理論について調べ、演技力は実地で磨くことにした。実地訓練とはすなわち「荒野に花を♡未来に星を☆」に登録しているスピリチュアル大好き女性相手に自らのメソッドを試しまくることだ。
こういった出会いを求める女性たちとはまず恋愛に繋がるコミュニケーションを成立させなくてはその先はない。そのため服部はネットの掲示板やまとめサイトでデートの仕方、服や化粧、芸能人の話題、女性相手の共感の仕方なども一通り頭に叩き込んだ。
次に相手を探さなければならない。服部は暇さえあればマッチングアプリを開き、好みの女性を選んではメッセージを飛ばしまくった。相手からの返信を待つ間は鏡に向かって笑顔とトークの練習だ。服部はそれを飽きずに繰り返した。
運よくメッセージを送った女性から返事が帰って来ると、服部は細心の注意で会話を続け、会う約束を取り付けた。そしてようやく出会えた女性に対して「支配」の手法を試みるのだ。
服部の最初の挑戦は、相手をコントロールして喜ばせるという罪のない「支配」だった。しかしそれは彼の真のゴールではない。ある程度の経験と演技力がつくと、服部はさらに一歩二歩と技術を進歩させ、より効率の高い「支配」を目指していった。
この技術には相手がいる。ゆえに結果も画一的なものにならないのは当然だ。服部に心酔する者、極端に恐れる者、蛇蝎のように嫌う者―― 服部の練習台となった女性達の反応はさまざまに別れた。どの女性とも最後の一線を超えることができないのだけは共通していたが……。
それでも、服部は人生の黄金期を迎えていたと言っても良いかも知れない。なにせ今までの生活では考えたこともないほどの数の女性とデートする機会を得ていたのだから。
「影山さん……ミステリアスはちょろいっすよ……」
ぼそっと呟く服部は、生まれてこの方経験したことのない全能感に浸っていた。そんな服部にとって会社など、もはやどうでも良い存在でしかない。
爛れた生活の中で2週間が経過し、服部のスマートフォンの連絡先には男性の名前に偽装された女性の名前が2桁ほどもエントリされていた。
しかし彼が目指すのは数ではない。技術だ。
服部は新たな被験者を求めてその日も新しい実践相手を物色していた。
「お、この子いいなあ。真奈ちゃんか……、ふふ」
服部はこの2週間で洗練した挨拶文を、貴子に少しだけ似ている女性に送った。あとは色よい返事を待つだけだ。
★★★★★
「服部さん、すごい勢いで食いついたなあ……さて、そろそろ回収させてもらおうかな?」
マッチングアプリの管理者画面を見て服部の行動を観察していた瞳は、それまでの服部の行動が全て予定通りのような顔をしていた。
「じゃ、頼んだわよ、真奈」
瞳が隣に立っていた女性の背中をポンと叩くと、真奈と呼ばれた女性は微妙な笑顔を浮かべながらこくんと頷いた。
「大丈夫だって。あいつなんだかんだ言っても度胸ないから最後の一線は越えようとしないってば。
これとこれとこれとこれ、あとこれが服部のタイプの女の写真ね。ふふ、好みが解りやすいよね〜。多分フられた女性ってのがこんな感じなんだと思うよ。メイクの方向性分かった?」
「うん……」
「わかってる? これは聖杯の思し召しよ? 真面目にやらないと地獄に落ちちゃうのよ?」
「わかってるわ……心配しなくても上手くやるわよ。それより瞳、私が危なくなった時は頼んだわよ?」
真奈は力なく答えた。
「そこは任せておいてよ。私はもともとエイギスが仕事だからね」
「頼んだわよ……ほんとに」
瞳が服部に教えたマッチングアプリ「荒野に花を♡未来に星を☆」は彼女の所属するカルト教団「救世聖杯信教」の草刈場だということを、そして服部がデートしてきた女性の実に8割が教団の女性で、瞳に送り込まれたサクラだということを服部はまだ知らない。




