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人類が増えすぎたので減らしてほしいと頼まれました【本編完結済】  作者: にゃんきち
人類が増えすぎたので減らして欲しいと頼まれました
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第六十八話:服部と実らぬ恋

 俺が壬生さんのオフィスを訪れたのはこの年の5月末だったか。


 受付には貴子さんの後任の女性と山崎さんがいた。案の定というか、貴子さんが影山物産(うち)に転職したことを知っている山崎さんが俺を見る眼には敵意がこもっている。


(おう)なら中です」


 山崎さんが顎でくいっと扉の方を指した。


 おいおい、まがりなりにも客だぞこっちは。3つ指立ててお出迎えしろとまでは言わないが、それなりの態度ってのがあるだろう。

 ちゃんとアポを取っての来訪だと言うのに、いったい何がそんなに気に入らないんだ?

 

 そんな俺の表情は壬生さんにばっちり読み取られていた。


「ほっといていいぞ。あいつにどう思われようが君には実害なかろう。あと数回、ここに来た時に少し嫌な思いをするだけだ」


 壬生さんは「捨て置け」というポーズを取った。どうやら山崎さんは意固地になっていて、壬生さんでもどうしようもないらしい。


「あと数回、とは?」


「前に言わんかったか? 壬生(うち)は顧問制度を廃止するんだよ。儂も晴れてお役御免というわけだ。来月の株主総会が終わればもうここに来ることもなくなるよ」


「そうですか……寂しいですね」


 そういえば空港で初めて会った時にそんなことを言っていたような気がする。


「まだ国の仕事の任期が少し残っているからな、ここではなくもう少し小さな事務所を虎ノ門に開く予定だ。そっちへ移った後は面倒なアポ取りなどせんでいいから好きな時に来なさい。山崎もおらん。で、今日は何の用向きだったかな?」


「実はですね、内外の反社会的団体の情勢というやつを把握しておきたいのです。壬生さんの今のお立場ですとそれ系の情報の入手は比較的容易なのではと思いまして」


 悪い奴から間引いていくという基本方針がある以上、悪い奴のリストを手に入れられそうなところから手に入れるという俺のやり方は間違っていない筈だ。「誰にとって」悪いのかについては俺の主観で判断させてもらうしか無いのだが。


「確かにな、儂の立場を利用すればそんな団体のリストなんぞ入手は難しくないかもしれん。しかし、いつもの委員会では議題と資料がその場で渡されて、機密性の高いものに関しては後で回収されてしまうし……こちらから特定情報へのアプローチというのは儂ぁ今までしたことがない。それに情報が情報なだけに『何に使うんだ』と聞かれたらちょっと困るな……」


 確かに。そういったリストは流出しただけで政権が揺らぐこともある。考えてみたら俺なんかが入手して良いものではないかもしれない。いや、どんどんそんな気がしてきた。俺もヤキが回ったのか、ずいぶん馬鹿なお願いをしてしまったものだ。


「そうですね……無理を言いました。すいません忘れてください」


「まあまあ、そう急がんでも……。その手の情報を持っているのは何も公安だけじゃないぞ?」


「と、いいますと? 公安でないにしろ、そんな情報を取り揃えているのはいずれも国の機関ではないのですか?」


「うちの会社では、最も大事な経営資源は人材ということになっておる。だから、サステナビリティと言ってな、事業継続性の確保の一環として、社員の生活を守るための活動も頑張っとるのだ。

 それもコンプライアンス研修だとかハラスメント対策だとか、そういう幼稚なものではなく、もう少し実地に即した形でな。例えば海外赴任をする社員の安全確保や怪しい取引相手の背後関係査なんかがそうだ」


「すごいですね。さすがは一流のホワイト企業だ」


「皮肉かそれは? まあ、そこでだ……壬生にはそういうのを専門に扱う壬生戦略研究所というのがあってな。政府からの委託調査などを請け負っているところなんだが、ここに安全情報を収集する部門がある。お前さんが必要な反社会団体からカルト宗教の情報まで、何でも揃っている筈だ。後で聞いておいてやろう」


「ありがとうございます! それなら公安に痛くない腹を探られることもありませんね」


「いやいや、腹が痛いか痛くないかで言えば激痛どころでは済まんのじゃないか? 儂らは……」


「あ……確かに。無罪を決め込んでちゃいけませんね」


 確かに俺や壬生さんは決して無垢で綺麗な体ではないのだ。この手にかけた命については知らぬ存ぜぬを決め込む権利は俺達にはない。いや少なくとも俺にはない。


「ところでどうだ、貴子の方は? そっちでちゃんとやってるか?」


「はぁ……」


 だいたいの用事が済むと壬生さんが父親に戻るのはいつものことだが、この日はいつもにもまして熱心だった。「娘をないがしろにしたらただじゃおかないぞ」という壬生さんなりの警告なのだろう。


★★★★★


 九州で梅雨入りが宣言された6月の始め、東京でも雨がそぼ降る日々が続いていた。この数年、この時期の降水量は増えていくばかりで、水害があちこちで起きている。


 日本中がなんとなく陰鬱になる……そんな時期だ。


(まじな)いって何だよ……何なんだよそれ……」


 陰鬱なのがここにもいる。小雨が降る中、秋葉原UDXの陸橋の手すりにもたれながら、服部は眼下を行き交う京浜東北線の車両を見つめて呟いていた。


 その日の昼、服部は貴子にランチに行こうと誘われたのだ。貴子がどういう気まぐれを起こしたのか服部には知る由もない。ただ、どういう経緯であっても服部にとっては意中の女性に誘われるという、降って湧いたようなチャンスだった。


「この間、社長室の前で偶然聞いてしまったんですが、貴子さんは影山さんに何か酷い事をされたんですか?」


「え?」


「どんなにお願いしても二度目がなかったとか……」


 それを聞いた貴子はきょとんとして何か思い返し、クスクスと笑い出した。


「やだ、聞いてらしたの? 指圧の話ですよ。影山さんは指圧がとても上手なんです」


 それだけ言うと、貴子はその指圧についての説明をパタリとやめてしまった。何か、これ以上は言ってはいけないと釘を刺されているようだ。


「影山さんもケチだな。指圧ぐらいしてあげればいいのに」


「ところがそうもいかないんですって。詳しくは言えませんが、理由を聞いたので私も納得しましたの。影山さんはケチでも何でもありませんわ」


「そんなものですかね……」


 服部は(いぶか)しんだ。影山の指圧とやらに何があるというのか?


「結構素敵じゃありませんか、影山さん? ミステリアスなところもあって……。でもよくよく聞けばちゃんとその行動の裏には理由があって……最初から全部お話していただけないのは癪ですけれどね」


「ミステリアス? 影山さんがですか? 確かに時々ふらっとどこかに行って全然帰ってこない事もありますが、それはミステリアスというよりは鉄砲玉みたいなもので……」


 初めて社外で2人きりになれたのに、影山の話しかしていない。服部はそんな状況に忌々しさを感じていた。自分で振った話題なのに、流れを自分でコントロールできないもどかしさ。それが服部を焦らせる。


「父の会社がですね、いつも肝心なところで(まじな)い師の方に助言を頼んでたんですって。(まじな)いが効いたかどうかは私も存じ上げませんが、今の父の会社の規模を見るに結構なものだったと思いますわ。

 小さい頃からそういうのを聞かされていると、やはりそういう雰囲気を持った人に目を奪われますわね」


「影山さんにそんな雰囲気があると?」


 服部には理解できなかった。今の影山は入社以来ずっと付き合ってきた影山とそんなに変わりはない。確かに馬券を当てるし宝くじを当てるし金山も掘り当てるし……。

 え? あれ……? なんか凄くないか? え? 影山さんは……あれ? あれええええええ?


 服部はにわかに混乱した。今まで影山の普通でないところは見てきた筈なのに、どうして自分と同じ凡庸な人間だと思い込んでしまっていたのだろうか? 貴子の言うように呪い師か何かだと思った方がここ3年の影山の行動というものは理解しやすい気がする。


 そして何より服部の心をかき乱したのは、影山にあって自分にない(まじな)い師のような部分にこそ貴子が惹かれているという事実だった。


「最初は父のように、影山さんにも(まじな)い師のお知り合いがいるものだと思ってましたけれど、よくよく聞けば日本でもナイジェリアでも大成功なさっているとか……。

 だったら影山さん自身が何かそういう……いえそんなことありませんわね。影山さん、バリバリの理系ですものね……」


 服部は目の前が真っ暗になった。今この場にいない影山が話題の中心に居座り、影山にあって自分にない素養こそが大事なのだと言われたのだ。

 そして目の前の貴子は自分にこれぽっちの興味もないことは明白だ。完敗だ。なす術がない。


 服部はその日の午後は死んだ魚のような目をして業務をこなし、定時で会社を後にした。


「貴子、大丈夫? 服部君すごい顔してたわよ」


「あなたが一度、ちゃんとお話しして来なさいって言ったんでしょう? できるだけ傷つけないように私頑張ったわよ?」


 市川と貴子がオフィスの端で心配そうに話をしているのを聞いて相田はため息をついた。貴子の採用を強力に推し進めたかと思えば早々に玉砕している服部も服部だが、影山目当てに入社してきたと言ってはばからない貴子もどうなんだ。公私混同も甚だしいではないか、と。


 相田はこの件には介入しようとも思わなかった。自分が何を言っても状況が変わらないのが分かりきっているからだ。しかしこの様子だと早々に服部の代わりを見つけないと、また仕事が回らなくなるかもしれない。相田は服部の事よりもむしろそちらを心配していた。


 夕方の空を灰色の雨雲が覆って行くにつれてオフィスの中にも陰気な空気が流れ始める。


 まったく面倒な男だ。居ても居なくても人の神経と善意を削っていくなんて―― 暗雲立ち込めるオフィスの雰囲気に苛立った市川が口火を切った。


「こんなこといつまでも話してても埒が明かないわ。私達もそろそろ帰りましょう。予報だと夕方から雨よ」


「もうそんな時間? 今日は影山さん来ませんでしたわね? どうしたのかしら」


「何でも焼き芋がどうとか……また何かおかしなことやってるんでしょうよ」


「ああ……ところでイッチーは明日向こう(アメリカ)へ行くんだっけ?」


「ええ。見送りはいらないわよ」


「了解……。疲れたし、私も今日はさっさと帰ります。お先に」


 この日、影山物産のオフィスから人影が消えたのは定時からわずか15分後。それは誰にも認識されていないがこれまでで最も早い全員退社の記録だった。


★★★★★


「どうされましたか?」


 女子大生くらいの真面目そうな女性が、死にそうな顔で鉄道を見つめる服部に声をかけてきた。服部も馬鹿ではない。こんなところで自分のような冴えない独身男性に話しかけてくる妙齢の女性がどういう存在かは知っている。イルカの版画でも売りつける気だろうか? 服部は多少身構えた。


「あ、大丈夫そうですね。今にもここから飛び降りるかと思ったので心配してしまいました。大丈夫ならいいんです。お邪魔してごめんなさい」


 服部は肩透かしを食らったような気になった。この人は自分を心配して声をかけてくれたのだ。自分は見知らぬ女性が自殺を心配するほど酷い顔をしていたのか。だとすると、自分はこの人にとても失礼な態度をとったのではないか。なにせ、頭からイルカの版画を売りつけに来たのかと疑ってしまっていたのだから。


 服部は自分の浅ましさを恥じた。


「いえ、すいません。心配して声をかけていただいたのに」


「いえいえ、大丈夫に越したことはありませんよ。それより雨が本降りになってきました。私、傘持っていないので失礼します」


 女性は服部に一礼した後、UDXの方を指さして走っていった。


「僕もです。ご一緒していいですか?」


「はーい。わーん濡れちゃううう……」


 女性はアニメのような声を上げてパタパタとUDXに入って行く。服部は何となくその女性について行った。服部自身、自分がどうしてそんなことをしたのか説明が出来ないが、もしかしたら人恋しかったのかもしれない。


 雨は本降り以上のものになっていた。商機に(さと)い電気店が一斉にビニール傘を店に並べ始め、観光客は軒先のツバメのように並んで雨宿りを始める。いつもの、雨の秋葉原の光景だ。


 しばらくすると雨脚は強まり、10m先が見えないほどの集中豪雨に変わった。各種交通網に遅れが出だしたと街頭ビジョンに映し出されたニュースが報じ始め、道行く人々の顔にも不安の色が出始める。


「雨、やみませんね……」


 空を黙って見つめている女性に服部は思い切って声をかけた。


「そうですね……今日帰れるのかな?」


 女性も不安そうに服部に応えた。


「お家はどちらですか?」


「いやそこ、いきなり家聞いちゃダメでしょう?」


 女性はぱっと笑顔を作ってすかさず突っ込んできた。


 この問答は服部の警戒心を大いに解いた。まともな教育を受けたまともな女性だと服部は判断したのだ。見れば多少地味だが衣服も整っており清潔感がある。会社で話す以外の女性と言えば秋葉原の路上で客を呼び込むコスプレ女性達くらいだった服部にとって、彼女は久々の普通の女性だった。


「あのぅ……お嫌でしたら断っていただいていいんですが、雨が上がるまでそこでお茶でもしませんか?」


 服部は思い切って彼女に声をかけた。この、無駄にポジティブな積極性とある種の空気の読まなさこそが影山が彼に期待していたことだったのだが、服部はそれを自覚していない。


「そうですねぇ……割り勘でなら」


「割り勘でOK。でも、財布の中身が心細くなった時は遠慮なく言ってください」


 服部はとん、と自分の胸を叩くと館内の案内板を上から見渡し、手近なカフェへと女性を連れて入っていった。


★★★★★


「おい、あの女また来てるぞ……」


 カフェで働くバイトの山内が、同じくバイトの滝に耳打ちをした。山内が指差した先には服部が誘った女性の姿があった。


「今週で何人目だ? そもそもあの女、相手を取っ替え引っ替えして一体何話してんだ?」


「前にコーヒー持って行った時は、なんか宗教臭い話ししてたよ。

光がどうのオーラがどうのって」


「マジかぁ……結構可愛い顔してそっち系かあ……」


「じゃあ今日のあの人も……」


「チーン、だな」


 滝が目を瞑って拝むようなポーズをとった。


「お前ら、喋ってないでさっさと働け。ほら注文取ってこいよ。5番卓のミルフィーユどうなってんだ?」


「はーい」


 店の外では雷が鳴り始めていたが、自分達にもカミナリが落ちては堪らない。店長のカミナリが落ちる前に山内と滝はおしゃべりをやめて手を動かすことにした。


 コーヒー一杯の値段で他人の人生まで心配してやる必要はない。山内にせよ滝にせよ、時給の分だけ働けばそれでいいのだ。余計なことに首を突っ込むと痛い目にあうのは新宿でも渋谷でも秋葉原ここでも同じだ。むしろ秋葉原の方が闇が深いかもしれない。


 20分後、服部が2杯目のコーヒーをリクエストした時、山内は服部の顔をまじまじと見た。入店してきた時よりいくらか生き生きしてるようにも見えるが、何かに酔っているようにも見える。


「大丈夫か、あの客……こないだ出禁にしたマルチの客にそっくりの目ぇしてんぞ」


「だからやめろって」


 滝が山内に「他人の事情に興味を持つな」と何度も忠告をしたが、山内のお節介癖はなかなか治りそうにない。山内から見て、服部の様子はそれほどまでに危うかったのだ。


「今日はありがとうございました。ではまた後日」


「いいえ、こちらこそ」


 1時間半後に店を出た2人は次に会う約束までしたようだ。それを見た山内はやり切れない思いを抱えながら皿を洗っていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 服部さん、めちゃくちゃ成功者である影山を同類と思っているのはなかなか錯誤してるよなぁ。しかも情けない嫉妬のしかた。あーでも、沢森にメンタルブレイクされてたからあんまり情緒が安定してるとも言え…
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