第六十七話:ヤキイモとダルマ
羽田から高知龍馬空港へは片道1時間半。飛行機を降りてからタクシーで西に15分走ると見えて来るのが弘北台の高知市中央卸市場だ。
「壬生さんから連絡のあった影山さんですね? ご注文いただいたオニオコゼのメス、取り置きしてありますよ。ほらこれ、立派でしょう? 背びれのね、ここのところに毒がありますから気をつけて下さいよ」
出迎えてくれたのは市場では古株の仲卸のおっちゃんだ。おっちゃんは市場で揚がったばかりのオニオコゼを嬉しそうに俺に手渡してくれた。
オニオコゼは本州中部地方以南に生息する見た目グロテスクな魚だが、味は大変に良く高級魚とされる。この魚は5月から8月にかけて産卵をするが、俺が手に入れたのも成長しきった卵を孕んだメスだった。
「すいません。これ、捌いてもらえますか?」
実際に俺が必要としていたのは腹にあった卵のほうだ。おっちゃんは俺の頼んだとおりテキパキと成熟した卵巣を取り出し、魚体を綺麗に三枚におろして行く。見事なものだ。
可食部は東京の自宅にクール便で送ってもらおう。自宅に戻ったらこれを唐揚げにして一杯やるか。
取り出した卵巣は小さな水槽に生理的食塩水を張って入れておく。水の温度と清潔さを保ち、こまめに酸素を供給してやればすぐ死ぬことはない。卵巣はすでに成熟していたので生殖腺刺激ホルモンを培養投入して卵黄の形成を促す手間も省けそうだ。
この辺りの知識はダツの卵を孵化させるときに見学して習得した。それを応用して、自宅でこの卵をなんとか孵化まで持っていきたい。
さて、水槽を持った素人が魚市場をうろうろするのはいかにも怪しかろう。俺は人目の無い場所に身を隠し、ディゾルブを発動させて東京の家に戻った。グズグズしていると卵が傷んでしまうしな。
「さて、ちゃっちゃとやっちまうか……」
家では水槽ヒーターやウォーターポンプなどのアクアリウムセットが出番を待っていた。どれも本格的なものだ。場所を取るが、そこは大邸宅の一人住まいなので問題ない。
俺は早速これらを使って卵の生育環境を構築し、稼働させた。
「よし、次は長崎だ」
次の日、俺は長崎へと飛んだ。ディゾルブは使わない。脇が甘いとさんざんこき降ろされたのに懲りて、能力の発動そのものを少し控えてみたのだ。
「やぁ、いらっしゃい」
長崎空港から長崎自動車道とバイパスを通って40分、大村湾をぐるっと周って長崎大学へ到着。俺は川口教授の研究室で、卵を持ったテナガダコのメスを受け取った。
あとは同じだ。家にもう1セット、テナガダコ用の育成環境を構築すればいい。
「おおい、これ忘れてるよ。ヤキイモ」
「ああ、そうでした。すいません、すいません」
ヤキイモと言われて出てきたのはイモガイの一種だ。通称ヤキイモ。学名はConus magusなどと偉そうな名前が付いてる。川口教授から渡されたのは、このヤキイモの卵嚢から孵化したばかりのベリジャー幼生と呼ばれる小さなプランクトンだ。
どこかの水族館で採取した卵を教授が譲り受けて来てくれたらしい。それが先日孵化してしまったのだそうだ。
「危険な貝だから、慎重に扱ってくれよ」
「ええ、気をつけます。それにしても嬉しいなあ。バイオ企業に投資してる身としては是非とも手元に置いて研究してみたかったんですよ」
ヤキイモの毒はモルヒネの千倍もの強い鎮痛作用を持ち、FDAにも認可されている薬品だ。なので、ネオイリアのように生物由来の成分で創薬を試みる会社の関係者がこれを欲しがっても何も不思議ではない。まったくいい隠れ蓑を持ったものだ。
これでヤキイモ、テナガダコ、オニオコゼと手に入ったわけだが、俺はこれらをそのまま育苗するつもりはない。以前カイコの卵のDNAをベアタミイロタテハのDNAに書き換えたように、こいつらのDNAも近縁種に書き換えてしまうつもりだ。
あ、もちろん親のオニオコゼやテナガダコは俺が美味しくいただますよ?
俺は手に入った種苗(卵や稚貝)を家に持ち帰り、水槽で大切に扱った。ある程度安定したらこれらの水槽は壬生家の別荘のある島に移設するつもりだ。
別荘の離れを貸してもらって育苗作業をすればいいだろう。別荘守りの老夫婦にはしばらく島に近づかないように言っておかないとな。
孵化・育苗用の水槽を家に設置し終えた俺は、次に品川のしながわ水族館で好評展示されている「海の危険な生き物大集合〜マジでヤバい生物達DX!」を見に行った。
ただ見に行くのではない。品川に大集合している危険な生き物達のDNAをコピーするためだ。
「いるな……いるいる。近縁種が……」
俺はレグエディットの遺伝子プラグインを活用し、オニダルマオコゼ(オニオコゼ近縁種)、ヒョウモンダコ(テナガダコ近縁種)、アンボイナ(ヤキイモ近縁種)の三種のDNAをクリップボードにコピーし、家に帰って水槽の中の卵細胞のDNAにせっせと上書きしていった。
オニオコゼの卵からオニダルマオコゼが、テナガダコの卵からはヒョウモンダコが、ヤキイモはすでに孵化した後だったのでDNAの全書き換えではなく毒の生成部分をアンボイナのものに変えておいた。もちろん三種とも生殖機能は全部取り除き、寿命は1年未満の設定だ。
こいつらが某恐竜映画のように無理やり増えようとしない限り、1年後には繁殖すること無く死滅する。なので壬生家の別荘近くに放しても時間が経てば危険はなくなるというわけだ。
これで3~4週もすればどの卵も孵化し、浜に定着できるレベルまで育つだろう。ヤキイモの食性(注)が若干心配だがなんとか頑張ってほしい。
◆◆◆◆◆
それからというもの、俺はしょっちゅう水槽を見に壬生家の別荘島を訪れた。ディゾルブがあるから移動は楽だ。出張で米国に居た時でさえ俺はここに飛んできてチビスケ達の面倒をみたのである。
そして6週間後、俺の心のこもった飼育の甲斐あって、水槽にはそろそろ放流してもよかろうと思われる妖精のように可愛らしい小さなタコ、生意気に背中にトゲが生え始めた小さな魚、ふよふよと水の中を移動する貝の幼生が出揃った。我ながらよくやったと思う。
放流する際は水槽の水温を慎重に下げていき、英虞湾の水温に合わせなくてはならない。水温の差でショック死させないためだ。
とは言っても英虞湾は温暖で、7月中旬の海は南国と同じくらい暖かい。俺は小さな生簀に稚魚・稚貝達を放してだんだん慣らしていく方法を取ったが、斃死するのは全体の2割もいなかった。
幼生達はなんとか別荘近くの浅瀬や砂浜、岩礁に定着してくれそうだ。
あとはヒョウモンダコとオニダルマオコゼが島の周囲から外に出ないように、砂浜の沖20mくらいのところにウニの侵入防止フェンスとシルトフェンスを張ればいい。フェンスは密猟者避けだとでも言っておけば施工業者も納得してくれるだろう。
もちろん、このフェンスをわざわざ乗り越えて来る連中のことも考えてある。一度旨味を知った密猟者―― 奴らはまた、ハマグリやサザエを狙ってやって来る筈だ。
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白い砂浜の主役だった海水浴客がクラゲにその座を譲り渡し、波も厳しくなり始めた頃、壬生家の別荘近くの砂浜では三種類の見慣れない生き物が幅をきかせていた。影山が放流したオニダルマオコゼ、ヒョウモンダコ、ヤキイモだ。
アンボイナの毒生成器官を持ったヤキイモは砂浜から浅瀬にいる。綺麗な貝殻を作るので愛好家も多い貝だが、うっかり手を出して刺されると刺された人間は死ぬ。毒の強さはコブラの37倍。日本の沿岸だけで年間30人程度の犠牲者を出す貝だ。
オニダルマオコゼは海底で保護色を使ってじっとしている。硬い背びれの毒トゲは軽くダイビングブーツを貫通する硬さだ。トゲにある毒は非常に強い神経毒で、油断して浅瀬を歩いてうっかり踏むと踏んだ人間は毒で死ぬか、意識を失い溺死する。
ヒョウモンダコはヒョウのような斑を体表にちりばめた、なかなか見た目気持ち悪いタコだ。小さな身体だがテトロドトキシンを唾液、皮膚、筋肉に持ち、海底でこのタコにうっかり噛まれたり、興味本位で食べたり、触ったりすると死ぬ。
この三種はどれも生物界最強クラスの毒を持ち、なぜか日本近海にはそれらが揃っている。
三種揃って見られるのは沖縄を含む少し南の方の海だ。志摩半島はこれらの種が生息できる北限よりさらに北に位置しているため、出会い頭に接触する心配は要らない。たまに三浦半島沖から降りてきたオニダルマオコゼが網にかかることがあるくらいだ。
ゆえに、英虞湾沿岸地域の住民にはこれらの生物に関する知識と警戒心は無いに等しい。漁業従事者ならいざ知らず、密猟者の知識となると推して知るべしだ。
「さあて、今日も稼いで帰るぞ」
「アイ・サー」
ある月明かりの乏しい夜、壬生家の志摩別邸にこっそりと忍び寄るボートが現れた。密猟者の船だ。当然、彼等はその別荘の砂浜が、一撃必殺の毒を持った生物達によって鉄壁の守りで固められていることを知らない。
ボートに乗ってきた密猟者は隣国籍の男達で、合計4名。各地で貝の密漁を働く常習犯だ。密猟中に各地の漁協の監視員に見咎められても、素直に収穫物を諦めて渡してしまえば逮捕されることはない。場所を頻繁に変えれば監視員に顔を覚えられることもないと気づいた彼等の手口はより狡猾で大胆なものになっていた。
「おう、ここだここだ」
4月に上質のハマグリ、サザエ、アサリ、マテ貝などを大量に捕らえた島の砂浜を前に、密猟者達は期待で胸を踊らせていた。前回同様、人の来ない金持ちの別荘の砂浜でぬくぬく肥え太っているであろう高級な貝が山ほど居るのだから無理もない。
砂浜を守るためであろうフェンスも彼等には通用しない。彼等は乗ってきたボートをフェンスに横付けすると、やすやすとこれを乗り越えて砂浜に向かって歩いていった。
大きな声が聞こえたのはその直後だ。
「うわっなんか踏んだ! いってぇぇぇ!」
「しっ黙ってろ! 誰かにに聞かれたらどうする!」
「んなこと言ってもよぉ……うぉぷ……」
最初の一人がうめき声とともにバシャンと水面に倒れたとほぼ同時に、後に続く二人の足にも鋭い痛みが走る。
「うげ。なんかに刺された」
「今の時期だとクラゲだろう。気をつけろよ」
「おい、大丈夫か?」
一人目が海に突っ伏して倒れたのを見ていた見張りは慌ててボートから降りて仲間に駆け寄った。どうも様子がおかしい。何かに躓いて転んだわけではなさそうだ。
「どうした? って、痛っ!」
暗い水面に呼びかける見張りの男の足にもちくりと軽い痛みが走った。どうしたのかとくるぶしを見ると、痛みの中心に10㎝くらいの気味の悪いタコが居る。体表に浮かぶ見たことも無い斑の模様がおどろおどろしい。
「うぉあああ!」
突然の出来事に見張りの男はパニックに陥り、足をむちゃくちゃに振り回してタコの足を振りほどいた。タコが離れた後は傷になっており、血が滲んでいる。タコに噛まれたのだ。
「ちっ……いってーなクソが……」
舌打ちをしながら傷を見ているうちに、見張りの男は自分の平衡感覚がおかしくなり、呼吸がしにくくなっていることに気がついた。次にろれつが回らなくなり、自分ではもう助けを呼べないと気がついた時には遅かった。
意識ははっきりしているのに全身は思うように動かず、最初の一人と同じ様に海面に突っ伏して行く。テトロドトキシンの中毒症状だ。
だが見張りの男がそれを知る日はもう永遠に来ない。
程なく、残りの二人もヤキイモに刺された毒が体に回り、似たような最期を迎えた。
◆◆◆◆◆
付近に強烈な死臭が漂う中、俺が海岸に打ち上げられた四人の死体を見つけたのはその惨劇の翌日だった。
「ちっ。上手く行ったら行ったで後味は良いもんじゃないな」
俺はいろんな生き物達に齧られた肉塊を手で触れること無く彼等の乗ってきたであろうボートに乗せ、ボートそのものを沖の方向へ、遠く見えなくなるまでレグエディットを使って移動させた。
あとは海上保安庁にお任せだ。死因が生物由来の毒だと分かれば不幸な事故で終わるだろう。
「終わりましたよ。念のため来年の6月までは志摩の別荘は我慢して下さい」
俺は東京に帰ると、壬生翁に終了の報告をした。壬生翁は俺に感謝と労いの言葉をかけてくれたが、その顔は悲しそうな笑顔だった。
11月になれば、気温が下がった英虞湾の水温に耐えられないヤキイモとオニダルマオコゼは死滅するだろう。ヒョウモンダコはフェンスを越えて暖かいところを探しに行くかもしれないな。
皆、強い毒を持ってはいるものの、これらの生物はみな食物連鎖の頂点に居るわけではない。海でお互い食ったり食われたりしながら順調に数を減らした後に、皆、居なくなってしまうしかないのだ。
島は本来の姿を取り戻し、暗い海は全てを希釈していく。
俺は今回のことで奇妙な高揚感を感じていた。やはり、人の手を借りるにしても最後のピースは自分で埋めるやり方が自分には合っているようだ。
(注)食性……決まったものしか食べないこと




