第六十三話:鈍感男と女の決意
「どうしてあなたがここにいるんですか?」
奇妙な既視感―― 確か、ラゴスでも同じセリフを言った事があった。
相田に呼ばれて影山物産オフィスの一角にやって来た俺は、そこで知り合いの顔を見つけてしまったのだ。
「あ……影山さん、彼女が今回財務経理担当者として採用した壬生貴子さんです。米国会計士の資格を持っていて、英語もネイティブレベルで話せるそうですよ。壬生商事からの転職です。僕らと似たようなもんですかね。僕らみんな壬生グループのスピンアウトですから」
貴子さんを俺に紹介する服部の顔はなんとも得意げだ。
ダメだこいつ……誰を雇ったのか解ってない。
「一緒にすんな」
「え?」
「俺らと似たようなもんとか、そんなレベルじゃねえぞ。この方はな、壬生グループのオーナーの御息女様だ。俺達みたいな孫会社で毎日残業でピーピー言ってた輩とは根本的にクラスが違う方なんだよ」
「ええええ⁉」
後からやって来た相田も目を丸くしていた。
「壬生って名前を見て、『珍しい名前だなぁ』とは思ってたんですよ。でもまさか……そんなやんごとない人だったとは……」
「ご紹介に預かりました、壬生貴子です。今月からこちらでお世話になっています。前職については影山社長は既にご存知かと思いますので割愛させていただきます。今後ともよろしくお願いします」
俺達の会話を黙って聞いていた貴子さんがすっと立ち上がり頭を下げた。こういった時の所作の一つをとってみてもよどみ無く流れるように優雅で育ちの違いが分かってしまう。秘書の特技「磨き上げられたお辞儀」にその場の全員が気圧されてしまった。
「壬生さん、影山さんと知り合いなんですか?」
「ええ、ちょっとご縁がありまして、このところよくお会いしますの」
「貴子さん、誤解を招く言い方はやめて下さい。
服部、この方は今まで壬生グループホールディングスのオーナーの秘書をやってらしたんだ。俺はここのところそのオーナーとちょこちょこ話をしていたからな、それで顔見知りというだけなんだよ」
「あーそれで。どこかで見たことあると思ったら、以前『凄塩』と壬生商事とのミーティングの時に影山さんを連行して行かはった人ですね?」
相田がようやく思い出したようだ。と言うかお前、面接の時に少しでも疑問に思わなかったのか……?
「相田、とんでもない爆弾を抱え込んでくれたな。お嬢様に失礼があったらと思うと生きた心地がしないぞ」
「ふふ……爆弾だなんて失礼な。お父様に言いつけますわよ」
「ああっ! すいません失言でした」
「うーむこれは問題ですね。社長より偉い人がそう何人もいると組織行動に問題が出ますよ。『船頭多くして船山を登る』の例えもあります」
「服部、知った風な口をきくな。そう何人もって、他に誰がいるんだ」
「そうですね。少なくとも市川さんは影山さんよりこの会社の経営に関しては発言力がありますよ」
「う……」
ぐうの音も出ない。毎月何かと海外に行っては何をやっているのかも分からない名ばかり社長の俺と、同じように海外に住んではいるものの状況を完璧に把握し、適切な指示を出し、挙句に事務作業の半分以上を肩代わりしている市川さんとでは役職はともかく発言の重みと掌握している権限がまるで違う。
「それにしても貴子さん、どうしてまた影山物産になんか……」
「御社の理念に共感し、自分もここで成長できたらと思った次第です」
「頼むからそういうテンプレはやめてくれ。正直なところを一つ、頼む」
「影山さん、あっちで待っていてもなかなか来てくれないじゃないですか。だったらこっちから出向くしかないでしょう? 調べてみたらこちらは面白そうなことばかりやっていらっしゃるし……。
大体あっちは退屈なんです。朝から晩まで親の世話をするなんて、これがあと何十年も続くかと思うとあんまりいい気はしませんよ? 少しくらい自分のやりたいことをやったっていいじゃありませんか」
ご結婚でもなさればいいのに、と言いかけて俺は口をつぐんだ。市川さんの例もある。古いしきたりや価値観に一番曝されているのがこういったお嬢様達なのではあるまいか。
休みに親戚が集まったりすると、やれ早く結婚しろだの子供を産めだのと散々言われているかもしれない。それを考えずにうっかりその辺りを無神経に踏み荒らすと盛大に地雷が爆発しそうだ。
「あー、つまりそれは、影山さんの近くにいたいってことですか?」
相田が別の畑にスパイクシューズで踏み込んだ。
「有り体に言うとそうなりますわね。世間一般の恋愛感情とはちょっと違うような気もしますが……」
俺だって年頃の働き盛りの男なんだから、女性から好かれて悪い気はしない。俺のお役目上、巻き込むのが心苦しいからあまり距離の近い女性を作らないようにしているだけだ。本音を言えば恋愛感情の一つや二つ、持ってもらってもいいんだが……世間一般とちょっと違うってなんだろう。ちょっと違うって……。
「影山さん、これは理不尽ですよ。不公平ですよ。金持ち同士でくっついて……」
「相田、お前の年収はすでに金持ちと言われるレベルじゃなかったっけ? それ言い続けるなら来年から減らすよ?
急に年俸が減ると目の飛び出るような厚生年金と住民税と健康保険料のジェットストリームアタックの直撃で生活できなくなるって知ってた? 一度経験してみるか?」
「あ、いや、減給は勘弁してください。はいすいません……確かにいっぱいもらってます。ただ、なんかこう、祝福できないんですよ」
「そうですよ。せっかく女子社員が入ったのに二日目で掻っ攫われた僕の身にもなってください!」
服部、これは大学のサークルじゃないんだ。新入生の女の子を先輩が掻っ攫っていくのとは話が違うんだぞ。それに残念だが多分お前のターンは永遠に来ない……。もし来てしまったらお前が不幸になるのはほぼ確実だ。あまりに違う世界の恋愛というのは悲劇しか生まないらしいじゃないか。知らんけど。俺は壬生さんの所に行って何度も世界の違いを感じていたからな、生きる世界の違いというのを痛感したことはあるんだ。
まあ、そういう意味では市川さんはどちらかと言うとあっち側なんだけどな……。
「お前ら人の話ちゃんと聞いてるか? 壬生さんは、何か面白そうだからこちらに来たんだ。俺に対しては世間一般の恋愛感情は持っていないとはっきりと言ってるじゃないか」
「そうですよ皆さん。皆さんも影山さんの周りにいることで相応の利益と相当な楽しみは得ているのでしょう?
私にも少しだけおすそわけを下さいな。全部は持っていきませんから」
突然、相田がガッと俺の袖を引っ張って自分の体もろとも俺を調理室に引き込んだ。ドアが乱暴に閉められ、怒ったような表情で俺を見ている。なんだ、色恋沙汰にアテられたか?
「どうするんですか影山さん。来週市川さん一度帰ってきますよ? このままで良いと思ってます?」
「何が?」
「アホですか? 市川さんは影山さん追っかけてナイジェリア行って、散々手伝ってきた内助の功ですよ!
シャーロットさんがずっと努力して保ってきた微妙なバランスがこれで崩れたらどうするんですか?」
「だから何が? バランスって何のことだよ? 言ってる意味がわからん」
なんでここでシャーロットが出てくる? 市川さんの功績は誰よりも俺が認めているが、市川さんはちょっと色恋の話を振るだけで鬼のように俺を睨み返してくるぞ? 意味が分からん。お前らの目には一体何が見えているんだ?
「壬生さん、目からハートマークビシバシ出しているじゃないですか! 世間一般の恋愛感情とは違うって言ってますけど、あれ絶対影山さん狙ってますよ? 影山さんハーレム無双でもしたいんですか?」
「いや、一旦ハーレム無双とかラノベみたいな考えから離れろ。俺はそういう意味では市川さんともシャーロットともハグしたことすらないぞ?」
「あーもうこの鈍感男! 知りませんよ? やんごとないお姫様を今さら解雇なんて出来ませんし、責任は自分で取って下さいね?」
相田は語気を荒げ、眉を吊り上げながら調理室を出て行った。
「ちょっと待て。どうして俺が壬生さんを雇ったような話になっているんだ? 雇ったのはお前らだろう? それがたまたま俺の知り合いだったというだけだ。俺が責められる謂れはない筈だ」
俺の反論は乱暴に閉じられた分厚い扉に遮られ、相田には届かなかった。
「なんだってんだよ……もう……」
確かに俺の周りには美女が多いが、何の役得もムフフな展開もないまま今日まで来ているのだ。なのに今さらなんだって? 一体誰が悪いって?
理不尽さを感じずにはいられない。
しかし、来週市川さん帰ってくるのか。豪腕プロマネとセレブ会計士、二大怪獣激突か、はたまたキャッキャウフフの展開が……?。
「神のみぞ知る、だな……」
俺は肩を落として調理室の冷蔵庫の中にあったプリンを4個まとめてやけ食いをした。後でそれがバレて服部に「いい」と言うまで正座させられたが、ちょっと酷いと想う。




