第五十六話:女王の目覚め
三日後、俺達はアウトドア装備をがっつり買い揃えてアルフレド・バスケス・コボ国際空港へ向かった。
ここはコロンビアとペルーとブラジルの三国国境地帯の街だ。ブラジル側はタバチンガ、コロンビア側はレティシア、ペルーは少し距離を置いてカバリョコチャの街がそれぞれもっとも近い。
アマゾンの奥地、元来地球の酸素の大生産地帯であるこのあたりは現在はペルーの新興宗教団体によって無軌道な開拓が続いている。熱帯の密林がチェーンソーで切り倒され、トウモロコシとイモの葉っぱとコカノキが立ち並ぶ景色はどこか異質だ。
コカノキと言えばご存知コカインの原料。そして世界のコカノキの実に70%以上がこの地域で栽培されている。ゆえに、この地域は世界最大のコカイン生産地でもある。
それだけの大規模生産地帯の只中にあるカバリョコチャは今や南米最大のコカインの取引所となり、ペルー最大の外貨獲得能力を持った街へと絶賛変貌中。アマゾンを切り開いた宗教団体の構成員の一部はすでに教義を捨て、コカインの売り上げで武装し、密林に大豪邸を立てているそうだ。
俺達がこんなヤバそうな街に来たのはもちろん偶然ではない。このコカノキ畑に用事があったからだ。
俺達はアウトドア大好きで頭が軽く、金払いの良い観光客を装った。
ガイドを雇い、気前よくチップを払って川下りやバードウォッチング、様々なアクティビティを楽しむ一方で、コカノキ畑に無邪気に近づいては追い払われるのを繰り返す。
俺達の頭の軽そうな様子を見てか、現地の人々も露骨な敵意は見せてこない。「困った観光客」くらいに思っているのだろう。
滞在日数が伸びるにつれ、現地の人達はスーパーや酒場で俺達を見かけると声をかけてくれるようになり、俺達も彼等にビールを振る舞うような関係になっていった。
そんな感じで3週間もの間、俺達はこの三国国境地帯で遊び惚けていたのである。
実のところ俺は、遊び呆けるふりをしながらコカノキ畑の座標を次々とクリップボードに入れていったのだが、それは現地の人々の預かり知らぬところだ。
ちなみにデルフィノさん、密林では非常に頼もしい。この3週間で俺を守るために殺した危険生物は両手両足の指の数を軽く超えていた。さすがというか何というか。
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「え……? なんでそんなものが必要なんですか? え、ええ……ああ……はい、母に聞いてみますけど、ダメだったらあきらめてください……はい、失礼します」
東京・溜池山王の影山物産オフィスにかかってきた電話の内容に相田は混乱していた。「南米に行く」と言ったまま音信不通だった影山からの久々の電話が彼女の理解を越えていたからだ。
「枯れ木のうろとかで冬眠しているオオスズメバチの女王蜂、誰かプロに相談して捕まえてもらって。捕まえてくれたら引き取りに行くから。
お前の実家のあたり製材所とかたくさんあるだろ。オオスズメバチはオガクズを巣材にするし、材木の切れっ端なんかで越冬するんだよ。うん、だからきっといるよ。じゃ、頼むねー。ガチャンツーツー」
影山はどこで何をしているのか。どうして自分の実家の近くに製材所が多くあることを知っているのか。そしてスズメバチを何に使うのか。いくつも湧き上がる疑問に相田の脳は一旦思考を停止したものの、なんとか再起動してみせた。
とりあえず、社長のリクエストに答える努力くらいしなくては。冬眠中の女王蜂なんて見つけられるかどうかは運次第だがやってみるしかない。
相田は気が重そうにスマートフォンを取り出すと、アドレス帳の「実家」と書かれたエントリをタップした。
「あ、お母ちゃん。うん、私。あんな……ちょっと事情があって……え? 聞こえへん? あーのーなー? じーじょーうーがーあってなー? え? 聞こえる? あ、よかった。
山行ったらほら、でっかい蜂おるやん。そう、スズメバチ。そう、怖いやつ。ダーウィンで見た? いや、ダーウィンはええねん。ダーウィン見んでもその辺飛んでるやん!
ほんでな、ほら、横山のおっちゃん、ようスズメバチの巣の退治やってはったやん? あ、役場はもう定年で今はそっち御商売にしてはるん? ええこと聞いたわ。おっちゃんに頼んだら女王蜂で冬にどっかで寝てるやつ、一匹二匹なんとかならんかなって。
今、うん……社長がな……せやねん……あほやろ? 困ってんねん。ちょっと聞いてみて? あ、うん。おったらでええから。ほな、お願い。頼んだでー」
この間わずかに2分弱。電話を切った相田の顔は隣の席の服部が見てはっきり判るほど疲れていた。
「……相田さん、関西の人ってどうして親に物事を依頼するのにそれだけいろいろ、しかも早口で話さないといけないんですか?」
「親やからやん……あ、親だからです」
服部はその答えを全く納得出来ないまま理解するのを諦めた。
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それから一週間後、相田に母から連絡があった。
「あんた、横山さんとこのおっちゃん、頼んでたアレやってくれたって。
おっちゃんにちゃんとお礼言うとかなあかんで? えらい一生懸命探してくれたらしいから。
おっちゃんそっちの会社に送ってくれるて言うてたさかい、住所教えといたわ。ちゃんと受け取ってな」
「マジか……。ありがとうお母ちゃん」
百点満点の朗報だ。相田はあらためて関西のおばちゃんネットワークの広大無辺さと万能さを思い知らされた思いがした。いや、一応母の努力も認めてはいるのだが……。
それからさらに3日して、相田のもとに休眠中のオオスズメバチの女王蜂が4匹、枯木の切れっ端の中で冬眠状態のままクール便で送られてきた。「横山さんとこのおっちゃん」が相当頑張ってくれたらしい。
「あ、影山さん? スズメバチの女王蜂入りました。ええ、まだ起きないように。はい。え? 取りに来る? はい。わかりました」
影山はこのスズメバチをすぐにでも取りに来ると言う。え? なんで? まさか南米に持って行くのでは……いやいや、昨今は外来生物の持ち込み持ち出しは厳しく規制されている筈だ。
いったいこの女王蜂をどこでどうする気だろう……? 相田はいくつかの可能性を考えたが、いずれも自分自身が納得できるようなものではなかった。
「うぃっす相田。女王蜂、ありがとな。お母さんによろしく言っといてくれ」
眠い目をこすりながら影山が東京オフィスに現れたのは2日後の夕方6時頃。早い。こちらからの連絡を受けてすぐ南米を発ったとしてもこれほど早く帰国できるものだろうか?
影山を出迎えた相田は、このやる気のなさそうな男のどこにこんな行動力が隠れているのだろうかと驚嘆していた。
「んじゃ、ちょっと社長室でメール処理してから帰るわ。かかった費用は俺個人で支払うから請求しといて。ふぁぁ……それにしても眠いわ」
そう言うと影山は女王蜂を受け取り、フラフラと社長室に消えていった。
「影山さん……いくら南米帰りだからって、この季節に半袖で来ますかね……?」
影山の姿が見えなくなってから、服部がポツリとつぶやく。
「確かに……まだ半袖には早すぎますね。いったいどうしたんだうちの社長は……」
南国の太陽に触れていたからか、影山の纏っている空気からは土と草の匂いが漂っていた。
◆◆◆◆◆
コロンビアから日本にディゾルブで飛ぶのは人目という点で少しばかりリスキーだったが、ギリギリ相田を誤魔化せた、と信じたい。
東京オフィスは俺と市川さんが使う役員フロアと相田・服部が使う執務フロアを分けているので、気軽に無人の役員室を使って海外とのディゾルブを使った往復ができる。
これは市川さんの提案だった。たまたま上のフロアが空いたことと、相田達が執務スペースに大きな厨房を作ったことで手狭になったから、と理由を並べてディゾルブ移動用の空間を市川さんが確保してくれていたのだ。
正式に帰国手続きを踏んでいない俺が東京にいるのを、いつか誰かがおかしいと思うかもしれない。そのリスクはできるだけ避けなくては。
「さてと……」
発泡スチロールでできたクール便の箱を抱えつつ、俺はディゾルブで東京からカーソンに移動した。
カーソンの家では薄めた塩酸で浸酸処理を施され、休眠から目覚めさせられた3万個超の卵が大型恒温槽の中で孵化を待っていた。この恒温槽内を一日8時間だけ明るく照らし、16時間は暗く、温度は一定に16℃くらいで保つ。これを三週間程繰り返せばカイコだった卵は孵化する筈だ。
俺がナガオさんから二匹のベアタイミロタテハを買い受け、そのDNAをカイコの卵に転写してから明日で3週間になる。卵は催青期をむかえて青色に変化し、今にも孵化しそうだった。
「頃合いだな」
キッチンで薄い水のような米糊を10リットルほど作り、その糊をバットに入れた濡らしたスポンジの上面に塗って少し乾燥させる。表面がニチャニチャしたところに孵化寸前の卵を置いていき、これを20セットほど用意したところで卵に関する事前作業は完了だ。
俺は再びコロンビアのホテルへと移動し、日中は楽しくデルフィノさんと三国国境地帯で過ごし、夜を待った。
そして迎えた新月の夜―― これまで入念に準備してきた作戦決行の日だ。俺はカーソンで準備した孵化寸前の卵とスズメバチの女王蜂をコロンビアのホテルに持ってきた。
用意しておいた迷彩服を着て、バットに入れた孵化寸前の卵と水の入った小さなバケツを持って目をつけていたコカノキ畑へと跳ぶ。手にはゴム手袋、足には蛇よけの厚いブーツ……完全装備の俺に死角はない。
「聞いてた通り、あまり真面目な見張りは居ないな……」
闇に身を潜め周囲を暗視スコープで見渡してみても、銃を持って巡回しているような物騒な奴はいない。小屋の中で博打をしている連中がおそらくは警備員なのだろうが、さすがに夜の闇の中に瞬間移動で現れた俺を見つけることはできないようだった。
前に酒場で聞いた話では、宗教的な戒律もあって大抵の人達は夜は静かに家で眠るらしい。ならばこの警備の緩さも理解できる。
警備が緩いのには他にも理由がある。政府や軍が本気を出してコカノキ殲滅に来る時は、まず監視塔をロケットランチャーで爆破し、残りの警備員をヘリコプターからの機銃掃射でなぎ払い、然る後コカノキを火炎放射器で焼き尽くすらしい。
つまり見張り小屋や自動小銃を持った見張りなどは本気でコカノキを根絶やしにしにくる軍や政府相手には何の役にも立たないのだ。せいぜい観光ついでに大事なコカノキの葉っぱをちぎろうとする迷惑な来訪者を追い払うのが関の山なのだろう。
それが証拠に、小屋の中の連中は博打に夢中なのか警戒のために窓を開ける気配すらないのである。
「そうか。犬がいたらヤバかったかもな……」
その可能性について見落としていたことに俺は自分の甘さを痛感した。しかし、結果オーライというところか。なに、犬がいたらすぐに逃げれば良いのだ。そうしたら見張りは犬が蛇でも見つけたと思うだろう。
俺は暗闇の中で、卵を取り出してはコカノキの葉に付着させていった。本来なら一個一個心をこめてと行きたいところだがそれは今回はパス。バケツの水を手につけて、乾いた糊の粘り気を戻しながら何度も何度も卵をコカノキの葉に付着させる作業は結構大変なのだ。
俺は時に慎重に、時に大胆に、効率を追求しながらひたすら卵をばら撒いた。そして空が白み始めた頃、あちこちに点在する三十箇所のコカノキ畑全てに用意した卵を撒く作業は終わった。
コカノキは高さ1mから2mの低木だ。茂みに隠れて見つからないように作業するためには中腰か、しゃがんでの作業になる。この姿勢をほぼ一晩中キープするのは相当に辛く、終わったあと俺の膝はガクガク揺れていた。
ドローンでこれらの作業をやることも考えた。しかし、ドローンは結構やかましい。あれが畑の上空を飛んでいたらその音でさすがに気づかれてしまうだろうし、俺にはネバネバさせた卵を上手くコカノキにへばりつけるようなドローンの操作技術もない。うん、パス。
そして最後の仕上げ。朝日が昇る少し前、街がまだ目覚める前に俺はオオスズメバチの女王蜂をコカノキ畑の近くの雑木林に放ってきた。この南国の温度に気づいた女王蜂はそのうち目覚め、産卵と営巣を開始するだろう。
「どうしたブラザー? ひどい顔だ。寝てねえのか?」
デルフィノさんが疲れ切った俺の顔を覗き込む。当たり前だ。俺は夜通し「葉っぱに卵を乗せる簡単なお仕事」をやってたんだ。
いや待て……ここで俺がデルフィノさんに食って掛かるのはおかしい。彼は俺の心配をしてくれただけじゃないか。
俺は徹夜の頭を叩き起こし、デルフィノさんに真面目な顔で向き合った。
「デルフィノさん、この1ヶ月ありがとう。南米のこんなヤバい地域で安全に楽しく過ごせたのはデルフィノさんのおかげだよ。だけど前から言ってたように、そろそろ帰らなくちゃいけないんだ。帰り支度をしてくれないか」
「そうだな。3年分くらいは遊んだような気もするし、そろそろ帰るか」
俺の顔が遊び呆けている時の顔と違うことをデルフィノさんは的確に理解したようだ。何も言わなくても判ってもらえるというのは有難い。思えばこの1ヶ月、この観察力と気遣いには随分と助けられたものだ。
感謝の気持ちを込めて、約束の金額の3倍の額を書いた小切手を渡す。
「毎度あり。絶対、また声をかけてくれよ」
デルフィノさんはニヤけながら俺の両手を掴んで何度も上下に振った。うん。感謝してるのはこっちだってば。
調査と準備に1ヶ月以上を費やし、ようやく俺は生物による人口削減構想の一つを実行できた。もうここに用はない。早々に切り上げることにしよう。結果はすぐには出てこないが、そのうちニュースで報じられることだろう。
「じゃ、ここからサンパウロまで一緒に行って、そこでお別れか。長い空旅が始まるな。ケツは大丈夫か、ブラザー?」
またケツか……と思った瞬間俺ははたと気がついた。腰と、尻から太ももにかけて激痛と言っても良い筋肉痛が走っている。一晩中の中腰が響いていた。
「どうした? 顔色が青いぜブラザー?」
「い、いや、ケツがな、ちょっと痛くてな……」
「ははは。最後の夜だってんで遊んじまったか? 俺はそっちの趣味はないけど、程々にしとけよ」
「違う……そうじゃない……」
俺はデルフィノさんの誤解を解くことにおそらく失敗し、作戦終了の高揚感と誤解を受けた失意がごちゃまぜになった状態で帰路についた。
その日の昼、雑木林の中に打ち捨てられた枯れ木の切れっ端の中で目覚めたオオスズメバチの女王の複眼が最初に見たのは抜けるような青い空。そして、南の空へ飛んでいく飛行機だった。




