第五十四話:ナガオさん
北半球の2月は南半球の真夏だ。俺はジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港経由で太陽降りしきるサンパウロのグアルーリョス国際空港に降り立った。
「やあ! 長いフライトでしたね。ケツの調子はどうです?」
「ロスから日本に帰るのと大差ないですよ。16時間程です。そっちこそ元気でした?」
出迎えていきなり俺のケツを心配してくれたのは元アンゴラ国境警備隊の勇士にして元市川さんの運転手、デルフィノさんだ。
デルフィノさんはアンゴラで長い間兵隊稼業をしていたため、現地公用語でありブラジルの公用語でもあるポルトガル語が解る。ブラジルで護衛役兼通訳としてはうってつけなので今回お願いしたのだ。
「ああ、元気は元気ですがケツが痺れましたね。昔なじみのエールフランスで来たんですが、あいつら一回パリに戻ってそれからサンパウロへ飛ぶんですよ。一旦5000㎞も北に行ってから戻ってこさせるってのはどうなんですかね?」
「それじゃ時間がかかったでしょう。ひょっとしたらアメリカから来た俺より時間がかかってないですか?」
「22時間かかりましたよ!」
核テロの大混乱からすでに半年以上が経過し、ラゴスも空港が利用できる程度には落ち着きを取り戻していた。未だPKOが治安維持を務める地区もあるが、市民は徐々に生活を取り戻しつつある。デルフィノさんはそんな復興途中のラゴスから飛んできてくれたのだ。ありがたい話である。
ラゴスからサンパウロの大圏航路を使用した際の距離は6376㎞だが、エールフランスでラゴスからサンパウロに向かうにはパリを経由するために9631㎞、実に1.5倍の距離を飛ばなくてはならない。
さらに、乗り継ぎのための時間を寒い空港の中でたっぷり使う。赤道直下から南半球の夏真っ盛りの地域に行くのに冬支度が必要となるのはなんともおかしな話だが、ルフトハンザもKLMもみんな同じようなことをやっているのでフランス人だけがおかしいわけではない。「赤信号、みんなで渡れば……」というやつなのだろう。
俺とデルフィノさんはレンタカーに荷物を積み込んで610号線を西に走った。運転はデルフィノさんだ。南国特有の蒸し暑いがちょっと芳しい風が飛行機でガチガチに固まって疲れた体に心地良い。
「荷物は無事でしたか? あの空港は空港職員が荷物をこじ開けて金目の物を盗むので有名なんですよ」
「大丈夫ですよ。連中さんきっと目が肥えている筈です。俺の歯ブラシやパンツが欲しい空港職員はいないでしょうよ」
例によって俺は金目の物など持ち歩かない。必要なものは取りに帰ればいいのだから。
「で、なんです? 今度はアマゾン川にパウンデッドを投げ込むんですか?」
「ここには190万人も日系人がいるから、俺がやらなくても誰かがやってますよ。今回は違う目的で来たんです。つまんないかもしれないけど付き合ってください」
「わかりました。せいぜいボーナスはずんでくださいよ」
「そこは期待してもらって構いませんよ。それから、お互いもうちょっとフランクに行きましょう。ブラザー的なノリでお願いします。ところで、銃は手に入りましたか?」
「オーケイブラザー。銃はあっちこっちで売ってるんですぐ手に入ったぜ。店じゃ正規品から粗悪品までまぜこぜだ。選ぶのにも苦労したさ。
銃といやあ、こっちに来る時に暇すぎて読んだ旅行ガイドじゃ、銃でブッ殺されるヤツは十万人あたりで計算するとここは世界で2番めに多いらしい。
なのに、銃規制をかけるかどうかの国民投票をやってみたらポシャったってさ。国ぐるみでわけが分からねえぜ、ここの連中はよ」
「まあ、アメリカでも純真無垢な高校生が銃規制をどれだけ訴えたって国が動いたことはないからなあ……」
「はは、高校生が純真無垢、って言えるところが凄いな。日本人ってのは」
ほれ、とデルフィノさんがスマートフォンの画面を見せてくれた。地図の上に炎やドクロのマークが表示されている。
「なんだこのアプリ?」
「アホらしくって涙が出そうだが、市内のどこで銃撃戦が行われてるかひと目で解るアプリだってよ。こんなものを使わなきゃならねえとこに今から行くんだぜ」
「半年前のラゴスに比べたら天国みたいなもんだろう?」
「ははっ違いねえ! 港湾部は地獄だって言ってたな。俺は倉庫にたっぷり溜め込んであったカップヌードルやらなにやらで十分快適な日々を送ってたけどな!」
「……俺が置いていったやつか。口にあって何よりだ」
「で、今日はこのまままっすぐリベリダージでいいんだな?」
「うん。そこで人と会う約束をしているんだ」
サンパウロのリベリダージ。書面に書く時はリベリダーデと書く。世界最大の日本人街のある場所だが、例によって最近は日系人が醸し出す治安の良さやお行儀の良さに誘引された中国人韓国人の流入が加速している。今では日本人街というより東洋人街に変貌しつつある地域だ。
流入する人達が増えればその人達を嫌って出ていく人達も多い。そのせいかどうかは解らないが、綺麗に清掃されている大通りでさえシャッターの降りた商店が結構あちこちにある。
日本の地方都市を見ているようで、俺は一抹の寂しさを感じた。
ちなみに以前はロスアンゼルスのリトル・トーキョーも日本人街として有名だった。ある時期から韓国系移民が大量に流入したため、日本人は殆ど出ていってしまい、今では治安対策にロスアンゼルス市警が特別体制をたびたび取るようなエリアになっている。似たようなことは京都でも起こりつつあるのだ。
俺達は街を彩る提灯を見物しながら車を徐行させ、トーマス・ゴンザーガ通りという小さな通りに車を止めて和食屋に入った。
「おいブラザー、俺は箸なんて使えねえぞ」
「いい経験だからこの際練習してみなよ。日本じゃ5歳児だって使えるんだぜ」
ガラガラと横に開ける引き戸ですらデルフィノさんには珍しいようだった。
「えいらっしゃい!」
元気な声が店内に鳴り響く。これこれ。カーソンじゃこのノリが無いんだよなあ。あ、デルフィノさん、怖くないから。ね? 威嚇じゃないから。挨拶だから。
「いらっしゃいませ」
作務衣を着た女性店員が熱いオシボリと緑茶が持ってきてくれたので、俺はマナーを気にせず顔を拭いた。
「このオシボリってのは、カネとるのか?」
「心配すんな」
どうやら和食レストランは歴戦の勇士デルフィノさんにとっても未知の領域過ぎるらしい。あ、こらこら駄目だよ。銃に手をかけちゃ。
「ご注文は?」
お、日本語だ。
「スシと茶碗蒸し、潮汁と……あ、こちらの人にはカリフォルニアロールでも。あと、ナガオさんって今日は来ていますか? ここで待ち合わせをしてるんですが、時間指定がなくて……」
「日本語で何いってんだかさっぱりわかんねえ。俺はフェジョアーダでいいぞ。食いつけねえもんを食って腹を壊して戦えなくなったら目も当てられねえ」
「ナガオですか? 少々お待ち下さい」
「あ、フェジョアーダがもしあれば追加でお願いします……」
「ご注文承りましたー。スシ茶碗蒸し潮汁にロール、フェジョアーダあればお願いします。あとナガオさん今日上にいましたっけー?」
「うぉーいナガオさんイッチョー!」
なんか、大雑把な店内連絡だなあ……。大らかって言えばいいのか。
暫く待つと、店の2階から日に焼けて褐色の肌をした日系らしき人が階段を降りて俺達の席にやってきた。長年苦労した年老いた農夫という感じだが、好々爺と呼んで差し支えのないにこやかな顔だ。
「あ、ナガオです。アクレ州のクルゼイロ・ド・スルの近郊で観光農園をやっておりました。私に御用というのはこちらさんで間違いありませんか?」
ナガオさんのことはミイロタテハの標本を買った標本屋からかなり無理をして聞き出した。ブラジルでは知る人しか知らない昆虫標本の大供給源らしい。
標本屋からすると、商売のライバルを作るリスクを抱えることになるから蝶の個体標本の供給元の情報など相手が誰であろうが教えるわけがない。
俺は絶対に標本で商売をしたりしないと一筆書いて、さらに自分が宝くじに当たった時の雑誌記事などをPDFにして送りつけて、今更自分で標本の商売をする必要はないと力説して、それでやっと教えてもらったのだ。
「はじめましてナガオさん、影山と申します。今日はナガオさんにご相談があって参りました。こちらはボディガード兼ブラザーのデルフィノです」
どうもどうも、とお互いの会釈やら握手やらが始まった。デルフィノも日本風にペコリと頭を下げてくれている。ありがとう。
「はーい。お待ちどおさまでーす」
女性従業員の溌剌とした声とともに俺達の目の前にスシやらなにやらが置かれていく。考えていたよりちょっと量が多い。俺はナガオさんに「どうぞお好きなのをつまんで下さい」と勧めつつ話を続けた。
「なんでっしゃろナ。もう体が動かんようになって隠居して都会にやって来た身です。静かに暮らしているただの爺ですワ。農園も手放しましたし」
「そうなんですってね。今日はお話を聞きたくて参りました。今、その農園に併設していた蝶園はどうされましたか? 観光客には大変な人気だったとか……」
ブラジルは年金大国で、55歳時の給与の70%が国から年金として支給される。そのうち破綻すると言われ続けている制度だがまだまだ健在だ。ナガオさんも長年やってきた農園を法人にしていたので、そこからの給与の最後の額の7割を年金としてもらって、今は悠々自適というわけだ。
「確かに、希少種を集めてたおかげで一時期は賑わいましたナア……今も、大学やら学会やらの先生達がどうやって蝶を育てたのかと必死になって聞いてきよりますワ。最初は丁寧に説明もしてたんですがナア……だんだん先生達、エスカレートしよりましてナ……蝶を勝手に持ち出そうとしたり、夜中に蝶園に忍び込んだりでもう、気苦労が絶えんようになって……そのうち先生等が普通のお客さんを威嚇して追い出すようになってからは、こらあかんてなことに」
世の蝶マニアは時折、行き過ぎた行動を取ることもあるということか。確かに昆虫で最も研究されているのは蝶だと言うし、研究家は世界中を周るらしいし、先日俺が買った標本も単純に価格で言えばそれなりの宝石が買えるくらいのお値段だったしな……。それだけ、蝶は情報も生体も価値があると言うことなのだろう。
「蝶園は結局、なんやかんやでめんどなってやめましたナァ……」
「おや、もったいない。蝶はどうなさったので?」
「欲しい言う人にあげてしまいましたで……あんなんでも引っ越し代にはなりましたワ。残ってるのはちょっとおるけど、あんまり高いやつはおりませんで? ミナスジェライスのだだっ広いとこに温室作ってちょっとだけ育てんのやけどナ」
「その中にルリオビタテハって居ますか?」
「ルリオビ……ああ、プレポーナかいな。おりまっせ。孫がアレ好きでな。もうちょっと暖かいところの蝶やけど、うまいこと育てられましたワ」
「それ、卵か幼虫をいくつか、譲っていただくわけにはいきませんかね?」
「は? 別によろしいけど。今、ちょうど時期やし。せやけどああいうのって空港で止められたりしませんのか?」
「ちゃんと許可は取るから、お願いしますよ」
「ワシから買うたって言わんといてくれたらええで。ほんで、なんぼ出すねん?」
「そこはまあ、まずは相場を教えてくださいよ。私は死んだ標本の値段しか知らないんですから……あ、お姉さん、こっち、男山の大吟醸を瓶でちょうだーい」
「せやけど、あんたホンマに欲しいのはアグリアスとちゃうんか? 標本屋が最初問い合わせてきたのはそれやったで? あそこからうちに連絡来るのは珍しいさかいな。普段話もせんやつから立て続けに問い合わせ来たら、そら客にヤイヤイ言われてるてわかるわナ」
なるほど。標本屋は俺の問い合わせに答えるべきか、ナガオさんに相談してたのか。どうりで回答に時間がかかった筈だ。
「まあ、アグリアス・ベアタがあれば一番いいんですが……」
「あれか。あれはな、あそこで育てたら蝶やのうてワシが殺される」
「でしょうね……あれは地域によっては大変な害虫ですからね」
「せやけどこれがまた高う売れるんや……しょうがないからこっそり育ててたんやけどな。あんたに渡った標本もそのうちの一匹やろ」
「ということは今も番でお持ちということですか?」
「学者連中とマニアどもには内緒やで。あんたはどうもそういうのと違うみたいやナ? わしゃアイツラが大嫌いやさかい、アイツラに売るくらいなら温室に殺虫剤撒くけどな」
ナガオさんはその後、日が暮れるまで俺達のカネで酒を飲み続けたが、俺は不思議に嫌な気分ではなかった。
「では、2日後に」
「場所はここでええんやナ?」
俺達は2日後にミナスジェライスにあるというナガオさんの秘密の蝶の養殖ハウスに行く約束を取り付けた。見知らぬ国の見知らぬ道をかなりの長距離、車で移動することになる。それなりの準備、そして休養が必要だ。
夜になって、ようやくホテルのベッドで腰と尻を休めることが出来た時、ふとした疑問が浮かんで来た。
「なんでデルフィノさんはケツの話ばっかりするんだろうな……」
つまらない疑問とともにサンパウロの暑い夜は過ぎていく。日本のヒートアイランドとはまた違う、自然な暑さが心地良い……と最初は思ったが、俺は結局寝付けずエアコンのスイッチを入れた。
いいじゃん。あるんだから使っても。




