第五十二話:雪の中のDIY
「あいつ」への畏敬の念を持って迎えた朝だったが、しばらくすると俺のそんな気持ちはどこかへ吹っ飛んでしまった。
「あの野郎……」
カーソンへの帰り道、俺はひたすらムカついていた。新たに授かった能力の仕様があまりにもクソだったからだ。どうりで簡単にくれたわけだ……この遺伝子操作プラグインとやらを。
今回「あいつ」からもらったプラグインの使い方はこうだ。まずレグエディットを発動する。プラグインはレグエディットの付加機能だからこれは当然だ。
今までだと、生物の遺伝子のエントリーを見るにはかなり深い階層までレジストリをかき分けて行かなければならなかった。エントリーってのは要するに名前付きのデータのことだ。それをいじれば遺伝子そのものが書き換わってしまうデータの羅列だと思って貰えばいい。
今回インストールされたプラグインを使うと、遺伝子のエントリーまではショートカットで移動でき、さらに今まではわけのわからない数字と記号の羅列だった遺伝子のデータが細かくリスト構造に展開され、項目別に見やすくなり、閲覧・編集が容易になるのだ。
以前のやり方だと、花の遺伝子をいじって白い花を青にしようとした場合、まず「花の色」に関するデータを遺伝子のリスト構造から検索していくことから始めていくことになる。
花の色が白いのは花の色素のおかげだから、その色素を合成する酵素がどうのこうのと調べていかなくてはならない。
しかしこのプラグインを使うとあっという間に色を決定する遺伝子データに辿り着けてしまう。
その部分をターゲットして編集モードに入り、サンプルライブラリの中から「青色にする」を選んで一晩経つと花は青色に変わっていく。これで作業は終了。なんてお手軽。
使い勝手の良さそうな機能だと俺も思ったよ……最初は。本当に。
実はこのプラグインには大きな落とし穴があった。サンプルライブラリのバリエーションが少なすぎるのだ。動植物に使えるパターンを全部足しても50ほどしかない。
どういう例えが適切なのか解らないが、例えば馬をユニコーンにしてみようとする。馬の遺伝子をいじって頭に角を生やそうとすると、「頭蓋骨の形状」を検索・編集することになるわけだが、ライブラリのどこを見ても「角を1本生やす」というサンプルデータがないのだ……。
したがって、馬をユニコーンにするにはまず額に角が1本ある生物を探して来て、その生物の遺伝子から、一本角を発現させるための該当部分をクリップボードにコピーした後、そのコピーしてきた遺伝子の部分データを馬の遺伝子の該当部分に貼り付けなければならない。
しかし、この世界を見渡しても角が一本だけ額に生えている哺乳類はいない。イッカクのあれは牙だ。サイの角は額というにはあまりに鼻側に寄りすぎているし、デカすぎる。
ではカブトムシの遺伝子を……と考えたがどう考えても駄目だ。そこまで種を越えてしまうと特徴が発現しないで終わるだけの無駄骨になる。いずれやってみようとは思うが……。
要するに、何か遺伝子をいじって新しい性質を持った生物を作ろうとした場合、その性質を持つ、生物学的に近い生物から遺伝子をコピーしてこなくてはならないのだ。実験器具も酵素も試薬も必要とせずに遺伝子を編集できるのだから現状でも十分大したものなのだが、感心して畏敬の念まで抱いてしまった分、期待通りの万能さでなかったことに失望し腹が立ってしまう。
昔、俺が人工知能にどっぷりハマっていた頃の話だ。ディープラーニングを飛躍的に高速化してくれるという触れ込みのUSBデバイスが発売されたので、ウキウキしながら通販で購入したことがあった。
そのUSBデバイスが家に届くとすぐに封を開け、喜び勇んで性能を検証してみたらなんの事はない。特定のライブラリ、特定のニューラルネットワークでしか動作しなかったのだ。当時めちゃくちゃがっかりしたことを今回の件で思い出した。くそ。
別に「あいつ」は何一つ嘘はついていない。勝手に期待して、勝手に感心して、勝手に盛り上がった挙げ句勝手に失望している俺が悪いだけなのだが、可能であればこの状況を誰かのせいにしたい。しかし、どう考えても自分が悪い。この苛立ちを誰かに分かってもらいたいのだ。ムシのいい話だが。
いっそ馬に鹿の角でも生やした新生物を作ってやろうか。そうなったらもちろん名前は「馬鹿」だな。
そんな自虐かヤケクソかわからないようなブラックジョークが頭にポンポンわいてくるほど俺の頭は煮えていた。そんな煮えた頭を抱えて昼過ぎにようやくカーソンの自宅に帰って来たと思ったら、玄関先に停めてあったちょっと値の張る自転車が盗まれているではないか。いい季節になったら体力づくりのために乗ろうと思って買っておいたのに……。
雪深いこの地域で、しかも道路には雪が積もっているのにどうして自転車を盗んでいくのか……売却換金目的ですか。そうですか。
ぶち
俺の、サンフランシスコからここまで持ち越していた堪忍袋の緒が切れた。100パーセント八つ当たりだが、この際無礼な自転車泥棒には犠牲になってもらう。
その日のうちに俺はホームセンターで簡素な自転車用の車庫とコンクリートブロック等の建材を買ってきて、車庫を家から5mほど離れたところにある物置の隣に設置した。この車庫の入り口以外の面をぐるりとコンクリートブロックで囲い、ブロックの孔に水を入れ、レグエディットでゆっくり凍らせたところで硫酸バリウムに変換する。このブロックの外側に鉄板をコンクリートボンドで貼り付けたあと、鉄板を鉛の板に変換。
セメントやボンドの乾燥もレグエディットであっという間だ。多少バランスを欠くところは固定具を使ってなんとかした。
「ふぅ……、とりあえず出来たかな」
作業が一通り終わり、一息ついたのは夜の7時を過ぎたあたりだった。日はとっぷり暮れて、気温は零度を下回っている。体は芯から冷えていたが気持ちは妙に高ぶっていた。
カーソンでの俺の家は繁華街から少し離れた郊外にある。隣の家までは30mはあるちょっとした田舎暮らしだ。夕日に照らされながら「フヒヒ……」と不気味に笑ってコンクリートを混ぜる俺の姿を近隣住民が見たら誰を殺して埋めているのかと思ったことだろう。
何故これほどこの作業に没頭してしまったのかは俺にも謎だ。ナイジェリアで偽金山のためにコンクリートブロックを大量に造ったときもこんな感じだった気がするが、肉体労働が実は結構好みなのかもしれない。
作業で疲れたのか時差ボケを引きずっていたのか……その夜俺は泥のように眠った。
翌日、俺は再び街の買い物通りに出かけ、自転車屋に行ってお値段高めの自転車を買い求めた。盗まれたのと同じくらいの値段のやつだ。最高級のレーサーではなく、趣味人としてちょっと人に自慢できるくらいの。
俺はその日無慈悲に徹した。サドルを固定する金属部品、およびボルトの合金のクロム含有部分の一部を放射性物質であるコバルト60に変えてやったのだった。次になにも知らずに俺の家の自転車用車庫からこの自転車を盗んでいった奴がサドルに腰を落とそうものなら1.17MeVと1.33MeVの2つのエネルギーを持ったガンマ線がそいつの股間を直撃するだろう。そのまま乗り続ければ、良くて子孫繁栄ができなくなり、悪いと前立腺ガンか精巣ガンになる。知らずに売却されたら? 知るかそんなの。
たかが自転車ドロを殺すのかと言われれば、死ぬかどうかなんてわからないと杓子定規に答えてやる。が、そもそもその問いがナンセンスだ。
大切にしていた自転車やバイク、自動車を盗まれた人や、数年間育て続けたゲームキャラのアカウントをハックされた人に「たかが泥棒」と言っても絶対に同意は得られない。大切な人を殺された人に「たかが殺人でしょ」と言うようなものだ。被害者のほぼ全員が犯人の死亡を願うだろう。そして俺は司法機関ではない。
……いかんな。最近何か狂暴になってる気がする。
ちなみに近隣住民や自宅へのガンマ線被害が最小になるように、十分な厚さの硫酸バリウムと鉛で遮蔽はした。距離もそこそこある。そして総量はそんなに多くない。自転車を盗まない限り俺やご近所さんに健康被害は出ない筈だ。
三日後の夜明け頃、俺の自転車はトラックに乗った2人組によって盗まれていったが、さて、どこでどうなることやら。
ちなみに元ネタはアイーダ月ヶ瀬先生の「★転生したチキン魔王は人類絶滅の詔を下す。ただし猶予は300年★」の第17話「8ミリの悪魔」だ。
俺なりのアレンジを施してやってみたが、とりあえず半減期が来る5年後くらいまでにはそこそこ悪人を減らしてくれるだろう。夜中にぼうっと光ったりしなければいいがどうなんだろうな……。
◆◆◆◆◆
「あら、綺麗ね。そんな趣味もあったの?」
アビゲイルさんが俺の持っていた昆虫標本を物珍しげに覗き込んで言った。
「ああ、うん。綺麗だろ。ネットで見かけてさ。買ってみたんだ。インテリアに良いかなと思って」
標本はベアタミイロタテハの成虫をアクリルで封じたものだ。この虫は研究者の間ではアグリアス・ベアタと呼ばれている蝶の一種で、緑がかった水色から紺色への翅のグラデーションが素晴らしく、コレクターでなくても標本を手にとったものはその美しさに魅了されてしまう。
その美しさ故にベアタミイロタテハの標本はコレクターの間でもかなりの高額で取引されている。が、俺はこいつを愛でるためだけに買ったわけではない。
「遊んでないで、仕事して……」
クロエが後ろから俺に近寄って、いつもの通りのぶっきらぼうな口調で俺を叱った。だが、いつもに比べて舌鋒の鋭さと言うか、言葉にこもった侮蔑の感情というか、そういうものが薄れている気がする。
「クロエ、どうしたの? なにかいいことでもあった?」
コミュニケーション巧者のアビゲイルさんがその変化に気付かないわけがない。すかさず突っ込むこの素早さには惚れ惚れとする。そこにシビれるッあこがれるぅ!
「なんで……そう思うの?」
「いや、何かアタリが柔らかいじゃないか。俺にだって判るよ」
俺もニヤニヤしながら突っ込みに参加してみた。
「あなた達には関係ないけど……いや、関係あるのかな」
「アメリアさんの話か?」
「うん……なんか、良くなってるって。意味わかんないけど、アメリア、もう治ったんだって……」
そりゃそうだろう。変異遺伝子を全部正常なものにコピペで上書きしておいたんだから、今までガンだった腫瘍は悪性ではなく良性の腫瘍に変わっている筈だ。臓器の機能不全を起こす前だったのが良かった。
あとはちょいちょい、全身に散った邪魔な腫瘍を手術で取り除くだけで治療は終わるだろう。その費用は市川さんが負担してくれることになっている。
「そっか。よかったな!」
「でも、不意打ちみたいな監査には怒ってるよ。ああいうのは気分よくない」
「それはそうかもしれんけど、それ言ったらお前だって投資家に内緒で研究内容変えてただろう。お互い様以上にこっちに分があるぜ」
「ちょっとちょっと! ほんのついさっきまでお互い機嫌よく話をしてたのにどうして急に険悪になるのさ? それに影山! 投資家って何の話だい? あんたらいったい何の話してんのさ?」
俺とクロエの間の空気が険悪になったのを察知して、アビゲイルさんが間に入って俺達をたしなめた。
「ん……ごめん。お礼を言うところを間違えた」
「お……おう」
意外にしおらしいクロエの言葉と、そして初めて見る柔らかで自然な笑顔に俺は少しドキドキした。この場を通りかかった若い研究者達も少しそわそわしている。
クロエはもともと顔の造形はいいのにいつも怒ったような顔をしていたものだから、みんな近寄りがたさを感じていたようだ。それが一転、この笑顔である。若い連中がズキュンと胸をやられるのも無理はない。
その後、クロエの仄かな笑顔はあっという間に研究所内の噂話になり、適齢期の男どもは何かと理由をつけてクロエの近くで作業をしようと彼女のいる実験室に押し掛けるようになった。
「なんだ、結構モテるんだな。あいつ」
「元はいいからね。髪の毛はウィッグだけどバッチリ似合ってるしね〜」
アビゲイルさんは何をどこまで知っているんだろう?
「え、あの銀髪、ウィッグなの?」
「うん。あの娘若い頃ガンをやってて、抗がん剤のドキソルビシンかなにかで毛根を根こそぎね。今はそこそこ髪の毛は復活してるらしいけど、ずっとウィッグ被ってるからあっちのほうが収まりがいいんですって」
「ふうん……そうなのか」
いつかあいつの地毛が綺麗になびくところを見てみたいもんだ。
その後、研究所ににわかに吹き荒れたピンクの空気と、それを見てため息をつく女性研究員達の不穏な空気の双方に耐えきれず、俺は自室にこもって昆虫標本を横から下から眺めていたのだった。
「さて、次はルリオビタテハの卵だな……」
俺はPCを起動し、ブラジル行きのチケットを予約した。行き先は南米、真夏のサンパウロである。




