第五十一話:ダイナミックリンク
眼前にいる「あいつ」は怒っているようにも見えたが、過去数回のコミュニケーション経験から察するにこれは「あいつ」なりのポーズというかポジショントーク的なものだろう。そもそも感情なんてものがあるのかどうか。
あったとしても俺達と同じメンタリティを持っているかも判らない。なにせ国が違うくらいでも道徳基準も判断基準も全く違うという経験は銀座や秋葉原に行けば嫌というほど味えるわけで、それが次元が違えばどれほどかという話だ。
「答えてみたまえよ。なぜ私の与えた能力で人を救った? あれは君、そういう用途の為に与えた能力でないのは百も承知だろう」
「これまで何十万と減らしてきたんだ。一人や二人、誤差の範囲じゃないのか? 俺が今後も気分良く仕事をするためにやったことだ。目くじらを立てるほどのこととは思えんが……」
これまでの実績を盾にこちらの要求を押し通す。社会人スキル発動だ。
「ふむ……これまでの削減数は確かに歴代の猛者と互角だな……だが救った相手が悪い。あの女が作る薬は今後何十万という人間を救うぞ?」
なるほど。ネオイリアの創薬は今後順調に進むというお墨付きが出たな。
「数か……言い出しておいてなんだが、削減数はお前にとって本当に必要なのか? 人類がまだ十億に満たない時からお前は俺のようなエージェントを送り込んでいたよな?」
壬生さんとの話の中で出てきた疑問だ。本人に直接ぶつけてやってもいいだろう。壬生さんは「あいつ」の核心を突くための質問を良く練っておけと言っていたが、準備期間が短すぎた。ここは今まで整理した内容と浮かんだ疑問をぶつけるしかない。
「痛いところを突いてきたな」
「韜晦してないで教えてくれ」
「あいつ」は少々困ったような顔をして、俺の方をまじまじと見た。
「人類はな、16世紀頃からリソース不足に怯える私にとって都合の良い進化を遂げた。既知の知識、未知の問題に名前をつけて共有化し、そこを足場にして更に新たな知識や問題を見つけ出すというやり方だ」
「それが何だ」
「わからんか……。例えばリンゴだ。リンゴという言葉がなければ『あの山のあの木に秋になると実っている拳より少し大きくて赤い、食べると甘いが酸っぱい実』で、それも誰かに確実に伝わる保証は無いだろう? それが『リンゴ』という言葉だけで誰にでも判るようになるんだ」
「そうだな」
「君がシミュレータの管理者だったとして考えてみたまえよ。個人個人の経験にとどまっているならその知識はニューラルネットごと保存されなければならない厄介なものだ。
しかしその記憶を抽象化する言葉があるならば、それをクラスとして記述し、各自の記憶にはリンクを張れば良いんじゃないかね? そうすればクラスの記述を充実させるだけでいいんだ」
「言ってることは分かる」
いちいち個人の記憶を静的リンクで扱わず、ダイナミックリンクにすることでリソース低減ができるわけか。人類にも1960年くらいからそういうこと考えてるやつはいたよな。
「そうやって16世紀以降の人類は常に知識の抽象化を進めてきたんだ。すると、何ということでしょう……個人の知識体系はほとんどがリンクで済むようになったんだよ。
君達の脳が眠っている時、シミュレータは粛々と短期記憶領域内にある知識のニューラルネットをリンクに書き換えて海馬に落としていってるわけだ。そして知識を使う時は短期記憶領域にインスタンスを作成・展開し、使い終われば残すべき差分だけは記録しつつ短期記憶領域からは消し去る。
どうだい、美しいだろ? これで雨の日におばあちゃんを悩ませた渡り廊下も……」
白い空間に松谷卓の「Takumi/匠」が静かに鳴り響く。何故だ。おばあちゃんとか渡り廊下とかそれは一体なんなんだ?
「人間の知識や行動ってのはヘタクソが書いたtensorflowのコードみたいに、食わせるデータとクラスライブラリさえあればあとはメソッドを上から順番に並べて書くだけって言いたいのか?」
まあ、正直最近は自称プロが書いたコードでもサンプルコードの寄せ集めだったり、ただメソッドを並べて書いているだけだったりすることもあるからな。
「いやいや。実際に新たな知見を開き、クラスライブラリ構築をしていく者も居るわけだからね。偉大なる先達となる存在もまた、人類に他ならない。
ただ、今や知識層として重宝されている者達の知識の多くはリンクの束に過ぎないということだ。そしてそういう連中は自分達がそうなるために、幼い頃から必死で経験の伴わない知識を拾い集めながら脳の成長期を過ごすだろう?」
「言葉で抽象化された知識が、結果的にリソース消費量の低減に役立っているということか」
……逆に痛いところを突かれた感じだな。人の言葉を借りて過ごしているような賢く見える馬鹿が多いほどリソース節約には良いってことか。そしてこの数百年でそういう連中ばかりが増えていると……。
「その通りだ。そして知識だけでなく行動、思考形態、生活様式、様々なものが人類自らの手で言語化・抽象化され、システムに組み込まれて行ったのさ。期せずして人類は極めて省リソースで発展してくれた。
だが、他者の知識を自らへ転写しない人々もいるだろう? 生存環境的に致し方ないのだろうけれどね。
そういう環境に居る人々は物事にこだわり過ぎると長生きできないから、生きることに関係のない知識や経験そのものを忘却してくれることも多い。
そうして奇跡的にバランスが取れているのが今の70億という数字だ。だが、正直この先もうまくいくという保証はない。だから私はエージェントを送り込んでいるのだよ」
「今までの担当者……エージェントは国という範囲を意識して人を減らしていたように思えるが、お前の意図が反映された結果なのか?」
「ははっ。今までのエージェントに学ぼうとでも言うのかね。いい心がけだ。
エージェントは君のように国籍にこだわらず広く減らすタイプと、国というコミュニティの中で強権を発して減らすタイプに分かれるが、断然後者の方が多いさ。これは活動領域の勝手が分かっているということなんだろうな。
私の方で特定の誰かを始末してほしくて国とやらを意識してエージェントを選んでいるのかと問われれば、それはもちろん、必要があればそうしてきた、という他ない」
「必要……何を基準に必要かそうでないかを決めているんだ?」
実はそこはかなり聞きたい。
「もちろん私の都合だ。将来的にこのゲームがきちんと私の望む方向に行かなくなる要素と可能性を排除しているに過ぎない」
「何を望んでいるんだ?」
「それは答えなくても良いことになっているな……。さて、私が言いたいのは後先考えずに人を救うのはやめろということだけだったのに、随分と話をしてしまった。酷く損した気分だよ」
えーっ? 教えてくれないのか⁉ しかも答えなくていいってどういうことだそれは? 答えていい質問といけない質問が誰かによって規定されているのか?
「残念だよ。ところで……お前から授けられたこの能力だが、睡眠時の暴発を何とかすることはできないのか?」
「もう判っていて自分でも対策をしているんだろう? 私が君の意識をリアルタイムで監視して、それが君の夢なのか覚醒時のものなのかを判断しながら能力を制御することなど無理だよ。
前回はブレークポイントを埋め込んでいたからかろうじて間に合っただけだ。『アブソリュートの初回発動』だけは監視していたんだよ。常時モニターするつもりはない。意外かもしれないが、私もそんなに暇ではないんだ」
一縷の望みを断たれた気がした。ま、しょうがない。
「それから、あまり微細領域の観察や加工をしないでくれ。最近はやけに顕微鏡で小さいものを覗き込んでいるようだが、ああいうのはリソースを食うんだ」
「だったら、遺伝子加工に必要な知識をポン! といつぞやみたいに頭に入れてくれよ。そうすれば止めてやるよ」
「私はネコ型ロボットではないのだが……」
「知ってる。言ってみただけだ。てかなんでネコ型ロボット知ってるんだ?」
「では必要ないのか?」
「あるのかよ! くれよ!」
「今までの能力に対する遺伝子操作能力のプラグインならさほど脳に負担をかけずにインストールできるぞ。
ただ、効果範囲はたかがしれている。犬を夜行性にしたり、苺を甘くしたり、アリを大型化するといった単機能の付与や変更だな。しかも条件分岐がないタイプの機能しか付与や変更ができん。
例によって身体知だが、それでいいかね?」
「上等だ」
次の瞬間頭がグラッとし、視界が一瞬歪んだ。脳の一部に機能が入ったのだろう。
「インストールは終了だ。ではまた暫くの間、変な顔と新しい機能で楽しんでくれたまえ。ここまでしてやったんだから顕微鏡をあまり覗き込むなよ」
もしかしてレグエディット発動時に変な顔になるのは意図的だったのか? この野郎……。
「こちらも了解した。ところでどうやったらお前とこうやって話ができるんだ? 何をしたら出てきてくれる?」
「君がバカなことをしない限り、私が君の望みに応じてひょいひょいやってくることはない。せいぜい頑張りたまえ。君は非常にいいセンを行ってるぞ」
「あいつ」がヒラヒラと手を振って俺に背を向けた。
「あ、おい! 待ってくれ!」
俺がそう叫んだ時には白い空間は既になく、俺は空港通りのホテルの部屋の中にいた。
今回の「あいつ」との会話も、あとで分析する必要がある。だいたいは思っていた通りだったが、それ以外にも驚天動地の事実があったのは確かだ。そしていとも簡単に遺伝子操作能力をくれた辺り、これは折り込み済みの規定事項だったということか。
謎をいろいろ解いたつもりが、また新たな謎を抱え込んでしまった気分だ。ちくしょう。
俺は少しイライラしながら部屋に飾られた高そうな白い花をじっと見つめた。
翌朝起きた時、花は青くなっていた。なるほどこういうものか。例によってなにがどうなっているのか言語化できない。植木の遺伝子をターゲットして「花が青くなるように」と考えると、青い色素を花びらの中に発生させる遺伝子が発現するのか?
俺は今までにない感情、畏敬の念を「あいつ」に持たざるを得なかった。分子生物学を学んで初めて分かる、次元の違う技術力の高度さ、突拍子もなさ。
レグエディットがシミュレータのメモリを扱うバイナリエディタだったとしても、その評価は変わることはないだろう。
この感情が「あいつ」から埋め込まれたものかどうかは正直わからないが、俺はもっと「あいつ」と話がしたいと考えていた。
★★★★★
壬生グループホールディングスの顧問室に隣接する秘書室では山崎室長が顧問の壬生由武の四女であり由武の秘書の貴子とつかの間の休憩を取っていた。
「貴子様、翁がゲームをなさっているのを見たことがありますか?」
山崎は由武が会長から顧問になった時に呼び方を「会長」から「翁」に変えたのだが、なかなか気に入っているらしくずっとこの呼び方を通している。
「ゲーム? 狩猟ですか?」
「それが……よくわからないのです。先だって影山物産の影山社長という方が翁のゲーム仲間で、ムカつく奴をギャフンと言わせるための相談でこちらに呼んだのだとかなんとか……」
「あの、山崎さんが手から血を出していた時の方ですね?」
「ええ、そうです。あの時は何がどうなってああなったのか全く謎ですが……」
「影山さんですか。確かにお正月にお話した時もなんだか不思議な雰囲気を持った方でしたわね……正体は私も知りませんが、魔法使いではなさそうですよ?」
「はぁ……」
「ゲームと言えば、父が脳腫瘍で長らく入院していた時は日本は家庭用ゲームの大ブームだったそうで、父もリハビリでよく病室でやっていたそうです」
「ほう、翁がファミコンか何かをですか……?」
山崎は由武が社長だった時の社長室長なので、由武とは15年来の付き合いだ。入院していたのは30年近く前の事なのでこういったことは初耳だった。
「それが、家庭用ゲーム機では扱いづらいとかで、大きなパソコンセットを一式病室に運び込ませてやっていたそうですよ。あの父が必死の形相でゲームをやってたなんて考えただけでも面白いですわ」
貴子はクスクス笑っていた。
山崎のゲームに関する知識は乏しい。30年前となればなおさらだ。
あの頃は大学の研究室で「テトリス」が大ブームになり、あちこちの研究室でコンピュータがテトリスで遊ぶ連中に占領されていたっけ。学生にPCを奪われた研究室では研究活動がストップし、その様子を大手メディアが「ソ連の新たな形のウィルスでは」などと報道していたものだ――。
山崎に思い出せたのはせいぜいそれくらいだった。
「どんなゲームだったんでしょう……?」
「さあ、それは存じませんが、なんでもマウスが無いと駄目だとかでパソコンを病室に持ち込んだと聞いています。病院の先生を説き伏せてなんとかOKをもらったのだとか……今でもたまに続編のようなもので遊んでいるそうですよ?」
「それは……そんなに面白いならぜひやってみたいものですね」
「なんてゲームでしたかねえ……えーと……ポピュラス? そう、ポピュラスってゲームだったわ」
山崎は執務机に置いてあるノートPCで「ポピュラス」を検索してみた。有名なゲームらしく、ウィキペディアにも記事のエントリがある。自分は知らなかったが、ゲーム好きには結構な人気だったようだ。
「ほお、プレイヤーは神で、自分を崇める民を繁栄させつつ、異教の民を滅ぼすゲームですか。なになに……神は一定の力が溜まると民の中から騎士を作り上げ、騎士は自分が死ぬまで異教の民を殺し続ける……いかにも冷戦時のゲームですな……やってみたくはありますが、こういうのって秋葉原に行けば買えますかね?」
「山崎さん、今は通販で探したほうが楽ですよ」
貴子は軽く突き放した。ゲーム=秋葉原という発想が既に過去のものだ。そんな相談されても困るわという意思表示だった。
その週末、秋葉原の萌え画に彩られたビルの谷間で呆然とする山崎の姿があったとかなかったとか。




