第五十話:死臭がする女
クロエから「いつになったらカーソンの研究所に帰ってくるのか?」と言う問い合わせがここのところ頻繁に送られて来る。
俺がいないと何か困ったことでもあるのかと聞くとそんなことはないというのだが、それにしては俺の帰還を熱望している様子だ。
アビゲイルさんにメールでそれとなく聞くと、俺がいる時といない時とで他の研究員のモチベーションが全然違うとのことだった。
ちょうど新入社員にいいところを見せようと鼻息を荒くして張り切っていた先輩社員が何かの理由で急に指導役を解かれたようなものだろうか。「後輩ロス」というやつだ。米国でもそんなことあるんだな。
米国で俺を待っている連中には気の毒だが、俺はまだ日本で片付けなければならない仕事がある。
「うう……寒ぶぃ……」
その頃俺は対馬で海風に吹かれていた。壬生商事の飯田課長の紹介で魚の養殖業者のところにダツの養殖が出来ないか、話をしにきていたのだ。
板一枚隔てれば地獄と言われる冬の海で魚達に無言で餌を与えている親父さんに、俺と「凄塩」の山本社長は自分達のアイデアを伝えた。
「帰んな」
はい玉砕。にべもなく一蹴。取り付く島もない。対馬にはこんなに島があるのに。
「ダツの養殖なんてとんでもねえ! あれは危険極まりない魚だぞ? 空飛ぶナイフ、英語では針の魚とも言われてんだ。知ってるだろ?
あの針みたいなナイフみたいな頭が刺さって大怪我をする人だって年に一人や二人じゃない。オキザヨリも同じだ。ダツより大きいけど行動はほぼ同じだからダツより危険なんだ。そんなこと少し調べれば分かるだろう」
言葉もない。俺も実際ダツの生態について調べてみたが危険極まりない危険生物だ。日本の近海では、サメ、フグよりダツの方が危険だとさえ言われている。
だが、ここで簡単に引き下がってはただの子供の使いだ。俺達は対馬に宿を取って長期戦の構えを取り、なかなか首を縦に振ってくれない親父さんのところに日参した。
「なんだ、また来たのかあんたら。ま、そういう気合の入ったヤツは嫌いじゃないけどねえ……」
俺達の粘り強い態度を見て気持ちが揺らいだのだろう。最初は話も聞いてくれなかった親父さんも、何日か経つと俺達の言うことにだんだんと耳を貸してくれるようになった。いい感じ。
さらに数日が経過して、壬生商事の飯田課長が俺達と合流する頃には俺達と親父さんは議論を交わす間柄になっていた。
「養殖そのものは難しいんでしょうか?」
「そりゃうちは卵と生育環境データさえあればなんだって養殖してはみるけどね。やったことない魚なら時間がかかることは覚悟せにゃならん。よほど温度環境が合わないか、気難しい魚でもない限り養殖は可能だと思うがなあ……。サンマやマグロみたいにパニックを起こす魚は、生育途中でパニックを起こして大量死することがあるんだ。ダツもそうなる可能性は高いぞ」
パニックと言えば、ダツは光でパニックを起こす魚らしい。夜間に水面をランプで照らすとダツはパニックを起こして、水面からジャンプして四方八方に飛び散ってしまう。
その際一部が光源めがけて突進することもあるが、あの魚体が人間に刺されば大怪我をするのは間違いない。だからダツは漁師やダイバーには恐れられているのだ。
「逆に言えば、水面を急に電灯で照らすようなことさえしなければそう大きな危険はないのではないかと思えますが」
「まあ、そりゃそうだが……」
マグロも光や音に敏感でパニックを起こしやすい魚だが、対馬ではマグロの養殖は軌道に乗っていてブランド化もされている。パニックへの対応はきっと現場の知恵で何とかなる筈だ。
ダツは肉食性なのでエサ代は結構かかるだろうが、それは鯛もハマチも同じ。日本だと内湾で大量発生するようなこともあるので、密飼いしても大丈夫なんじゃないだろうか。
「ダツの生態についてはさほど研究が進んでいるわけではありませんので、はっきりとしたことは今は何も言えません。なので長崎大学の水産学部に協力を依頼しています。
産学連携プロジェクトということで大学と、私どもと、御社で手を組んで挑戦してみませんか? プロジェクトにかかる費用は基本的に弊社が負担しますので」
俺と一緒にやってきた「凄塩」の山本社長と壬生商事の飯田課長がぎゅっと親父さんを睨む。親父さんが返答に困っていると、山本社長がクーラーボックスの中からオキザヨリの半身を取り出して親父さんに見せた。
「ちょっと、コイツを食べてみてもらえませんか? 鹿児島で揚がったやつなんですが、これがなかなかイケるんです」
山本さんは宿の調理場を借りて作ったオキザヨリの唐揚げと刺身、そして塩焼きを親父さんに出した。酒は手取川の純米大吟醸。これを食べた親父さんの表情が変わったのは俺にもはっきり分かった。
「まだこんな魚がいるんだな……長生きはしてみるもんだ。一度鹿児島で食べた時はここまで美味い魚だと思わなかったが、処理の仕方が違うのか……?」
「ね?美味いもんでしょう?」
「……分かった。小規模からでいいってんならやってみよう。ただし採卵は任せるぞ。どこで産卵しているか見当もつかんからな。完全養殖を目指すにしても、まずは卵からだ。な?」
「そこは我々が担当しましょう」
この日、親父さんの説得に同行してくれた長崎大学水産学部水産資源動態科学講座の川口教授が胸をドンと叩いて快諾してくれた。
「危険な魚だしな。普通の生簀とは別にして、沖合の少し水深が浅いところを見つけてやるのがいいんじゃないか? 往復の燃料費が結構かかってしまうが…… おい、ほんとに元なんか取れるのか?」
「実証実験ということで、費用については気にしないで下さい。その代わりうまくオキザヨリが育った暁には応分の利益を期待させてもらいます」
影山物産にはまだまだ運用しきれていない資産が俺の資金と合わせて数兆円分もある。さっさと使ってしまわないとまたとんでもない税金を持って行かれるだろうから、未来に向けての投資は迷わず素早くやらねばならない。生簀に餌を運ぶ燃料費を負担するなんて、十分に先行投資として言い訳が立つじゃないか。
その後は宿の宴会場に移動して、関係者一同でダツとオキザヨリを肴に酒盛りだ。教授について来た学生達も上手に場を盛り上げてくれた。産学連携オフィスとのやり取りは飯田課長がやってくれるらしい。これでダツやオキザヨリの養殖の目処が立てば「凄塩」は晴れて世界進出だ。
「メダカだってダツの仲間なんだ。メダカが増やせんならダツだって出来ないことあるか――! 軽いもんだコノヤロー」
気分よく酔っ払っている関係者一同の顔を見回すと、なんとなくプロジェクトもうまくいきそうな予感がする。後はこの予感が外れないことを願うばかりだ。
そして俺もまた、ダツの利用方法について色々と考えを巡らしていたのである。なにせ空飛ぶナイフだ。何かに使えないかと思わない方がおかしいではないか。
おや、そういえば本件に関してはレグエディットを使っていないな?
◆◆◆◆◆
対馬出張が終わり「凄塩」以外の投資先企業の状況も確認し終えた2月の頭、俺は米国に戻ることにした。
と言っても直接カーソンに戻るのではなく、サンフランシスコでひと仕事して行くつもりだ。ネオイリアの経営陣から、カーソンでの研究開発の内容と、投資前に聞いていた事業目標との間に大きな差異があることについての説明を聞かなければ。
そして数日後、サンフランシスコ国際空港に到着。しばらくの間、俺は空港前のホテルで時差ボケに苦しみ眠気と吐き気で七転八倒してしまった。その後何とか持ち直した俺は、サンフランシスコ市内のネオイリアのオフィスにいる経営陣二人をフォスターシティの影山物産オフィスに呼び出した。
研究ではなくガバナンスの話なので、俺はこの場にクロエは呼んでいない。というか、クロエを呼ばせないために、サンフランシスコに居るモーリーさんとアメリアさんを急に呼び出したのだ。
この呼出は言ってみれば抜き打ち監査のようなものなので事前に通告していると意味がない。そんなことをしたら上手な言い訳を用意されて何も無かったことにされる。
俺は、そんなことをモーリーさんやアメリアさんにさせたくない。
今回のミーティングにはタイラーさんと市川さんも事前に呼んでおいた。俺一人ならともかく、この布陣ではモーリーさんもアメリアさんも適当なその場しのぎはできない筈だ。
夕闇の迫る夕方5時、大混雑の101号線をなんとか渡りきってフォスターシティに着いたモーリーさんとアメリアさんは少し疲れているように見えた。市川さんとタイラーさんは前日入りして隣町のサンマテオのマリオットホテルに滞在していたようで、こちらは気力体力ともに充実しているようだ。
「さて、どういうことか説明をしていただきましょうか……」
市川さんは単刀直入に本題に切り込んでいった。市川さんはこの手の不正、企みといったものに対して非常に過敏に反応する。
解決と報復のためには手段を選ばない彼女だが、いささか過剰な手段まで用いることがあるのは俺も最近知ったばかりだ。
市川さんに言わせれば俺の真似をしただけだそうだが、より効果的な報復のための知恵の回り方が俺と数段違うので結果的にかなりえげつない報復が行われる。それは時に、相手を心配してやらないといけないレベルにまで発展するのだ。
市川さんが切り込むと、モーリーさんは初めて聞いたような顔をしてびっくりしていた。どうやらモーリーさんにも隠れてやっていたらしい。
「違うんです。誤解なんです。クロエは悪くありません。悪いのは私なんです」
アメリアさんはそれだけ言うと弁明もせず、押し黙ってしまった。
おかしい。違和感を感じる。
確かにアメリアさんは移動で疲れているだろうし、旗色の悪い話題の最中だ。顔色も悪くなっても当然だろう。ただそれ以上に不健康な、言ってみれば死人のような顔をしている。
「市川さん、ちょっと何かおかしいよ。アメリアさんはもしかしたら病気かもしれない。俺、彼女を視てみてもいいかな?」
俺は日本語で市川さんにだけ解るように小声で話しかけた。
「確かに、あれは焦って出ている脂汗じゃなくて病気に見えるわ。でも見るって……何を見るの?」
「遺伝子を直接視るんだ。遺伝子系の病気ならそれで判る」
「そんなことできるの?」
「市川さんを若返らせる時にも使う俺の能力だよ。これができなきゃ若返りなんて無理さ。あれは欠損したテロメアを修復してるんだ」
「よくわかんないけどそれをやればアメリアさんがどうして黙ってるか判るの?」
「判るかどうかは判らないけどやってみる価値はあるよ」
「私の同意が必要だとも思えないんだけれど……それでこの話が進むならやってみてよ」
「新しい能力を使うときは早めに言えって言ってなかったっけ?」
俺はアメリアさんのレジストリを視てみた。案の定、遺伝子の異なる細胞が結構な割合でアメリアさんの体内にある。そしてその数は、日常的に起きる遺伝子のミスコピーで発生する異常細胞の数をはるかに超えていた。
「アメリアさん……あなた、ガンを患っていますね?」
唐突な俺の指摘にアメリアさんはビクッと反応し、驚いた顔をしてこちらを見た。
「どうしてそれを?」
「あなたから死臭が漂って来る。私の祖母が死んだ時と同じ匂いです。私にはそういうのが分かるんですよ」
ガン患者から独特の匂いがするのは本当だ。これを利用してガンを匂いで判別する探知犬が実際に医療現場に導入されている。
探知犬によるガン発見率は90%を超すとも言われており、将来のガンの早期発見に一役買うことが期待されているらしい。
「犬のように鼻が利くのね……その通りよ。私はガンを患っています。ステージはⅣ。余命半年と言われて、もう4ヶ月が経ちました」
その場にいた全員が言葉を失った。あと数ヶ月というところまで死が迫っている人間を相手に何が言えるだろうか。
「お話ししましょう。なぜ私達が事業目的と違う研究をしてしまったのかを」
アメリアさんはポツポツと話を始めた。
もともとアメリアさんは医者だったのだそうだ。彼女は優秀な内科医で、特に腫瘍の治療に対して強い関心と意欲を持っており、彼女を頼ってやって来るガン患者も少なくはなかった。
ある日、一人の少女が彼女の治療を受けにやってきた。それがクロエだった。
「彼女は既に全身にガンが転移して手の施しようがないところまで来ていました。残された最後の可能性も、新しい治験の薬が効くかどうかという乏しいものでした」
更に間が悪いことに、この時期にアメリアさんが手配できる治験の枠は既に一杯だったそうだ。しかもクロエの病状では治験に参加できたとしても大した結果が出ないことが過去の事例から判っていたらしい。
「彼女とは一日に数度言葉を交わすだけでしたが、私は彼女に素晴らしい知性と感性があると感じていました。しかし彼女は日一日と弱っていきます。時間はそんなにありません」
こんな若い子が、既に自分の死を受け入れている―― 本当ならこれからいくらでも人生を謳歌出来る筈の、いろんな可能性に挑戦できる筈の子が死んで行かなければならないのは間違っている……アメリアさんは真剣にそう考えるようになった。
「私は、どうしても彼女を死なせたくなかったのです」
アメリアさんは一つの決断をした。それは日本からサンプルとして送られてきた、本来は上皮層のガンに使う弱毒性の腫瘍溶解性ヘルペスウイルスをクロエに投与することだった。
「幸いなことに私にはウイルス培養の知識があり、アデノウイルスベクターを利用した遺伝子治療の勉強会に参加したこともありました。自分でウィルスを培養し彼女に投与すれば、何もできなかった当時の現状よりは可能性が見出せると考えたのです」
しかしそのヘルペスウイルスはまだFDAが承認していないものだった。
患者にどんな重篤な副作用があるかもしれない。弱った体にウィルスを投入したりすればガンよりそちらが原因で死ぬ可能性だってある。そうなった時に病院に責任は取れない。
アメリアさんはその板ばさみに苦しんだ。そしてある日、何度目かのクロエの発作を見たアメリアさんは、どうせ助からないのならとクロエにヘルペスウィルスを投与してしまったのだ。
幸いそのウイルスの効果は凄まじく、全身に広がったクロエのガンはほとんど観測できないまでに縮小した。
だが、その理由を説明しなければならなくなった時、アメリアさんは沈黙を守りながら病院を去り、医師資格までも返上してしまったのだそうだ。
FDAからも警察からもアメリアさんへの追及はなかった。被害者がいないのだ。病院側は「クロエは通常の投薬が功を奏して快癒した」と言い張り、不都合な事実は何一つ表に出ることはなくこの件は処理された。
一方、賢いクロエは自分の身に起きた事を全て理解していた。ガンから解放されたクロエは大学で分子生物学を学ぶ傍らで、命の恩人であるアメリアさんを探し続け、いつか恩返しをしようとしていたという。
アメリアさんはその後カリフォルニア大学サンフランシスコ校で薬学を研究する職に就き、クロエのような若い子をガンから救う研究をしていた。
クロエはその後アメリアさんと再会を果たし、同じ志を持つものとしてガン治療薬の開発をするベンチャーを立ち上げた、というわけだ。
だが2年前、今度はアメリアさんの体内にガンが見つかった。アメリアさんは通常の治療―― すなわち手術による患部の切除、その後放射線治療と投薬治療を併せて行い、経過はしばらく順調だったのだが、最近転移が見つかったのだという。
転移はすなわちステージⅣ、治療困難を意味する。そしてアメリアさんにはもう手持ちのカネも、気前よく先端医療のためのカネを出してくれる医療保険もなかった。
クロエはそれを知り、自分なら何とかできるかもしれないと考えた。そしてそれまでの研究を一旦棚上げし、アメリアさんの病状に一番効果があると思われる、PD-L1作成機能をがん細胞から排除させるための研究を始めたのだ。
俺達はそれを聞いて何も言えなかった。話をじっと聞いていたタイラーさんも市川さんも少し涙ぐんでいる。
「あぁ……いいです。はい。私からはこの件については不問にします。これから先かかる医療費についても私が負担しましょう。あなたの未来への投資、そして厚意として」
市川さんは抜いた刀を引っ込めた上に追い銭をやるという。鬼の目にも涙。
「影山さん、なんとかならないの?」
市川さんが少し腫れぼったい目を俺に向けて小声で聞いてきた。
「え? なるけど?」
「じゃ、なんとかしてあげて。今すぐ」
「わかったよ……」
俺はアメリアさんの変異遺伝子をレグエディットで全て正常化した。この手の作業はもうお手の物だ。ものの1分程で作業は終わった。アメリアさんはまだ調子は悪そうだが、数日後には目に見えて良くなる筈だ。
「アメリアさん、一度、明日にでもちゃんとした検査を受けて下さい。そして我々と治療計画を立てましょう。もうお金を気にする必要はないのです。最先端の治療を、思う存分受けて下さい」
市川さんがアメリアさんを諭すように話した。そして数日中にアメリアさんは全快して事業はもとの筋道通りになるというわけだ。めでたしめでたし。
このミーティング後、タイラーさんは複雑な顔をしていた。今回のミーティングでは誰かしらが責任を取るという話になる筈だったのに、終わってみれば人情噺。被告人席に座っていたアメリアさんとモーリーさんは「とりあえず嵐は過ぎ去った」とほっとした顔をし、俺と市川さんは振り上げた拳が綺麗な花に変わったせいで苦笑いだ。
冬のフォスターシティは誰が見ても鬱陶しい灰色の曇天だったが、少なくとも俺と市川さんの心はミーティング前よりは晴れやかなものに変わっていた。
◆◆◆◆◆
その夜、俺は久しぶりの、そしてお待ちかねの白い空間に包まれた。
「私が授けた能力を使って、死ぬ筈の人間を救うとは一体どういう了見なのか、聞かせてもらえるかね?」
あちゃ。ちょっと怒ってる。




