第五話:面倒な作業と面倒な後輩
「肉はやっぱりいいのを食っとくモンすね! 影山さん、お肌ツヤツヤじゃないですか!」
月曜日、会社。土曜日の代休はもらえなかったので出勤。
なのに服部は朝から絶好調だ。何食えばそんなに絶好調なんだ……って、肉ですか。そうですか。
聞けば、土曜の昼過ぎに回し始めたシステムの機能テストが順調に推移していて、久々に上司に笑顔で状況報告ができたのだという。そりゃ絶好調にもなるか。
だが、俺のお肌がツヤツヤなのはA5飛騨牛を食ったせいではない。いや、食ったせいも少しはあるかもしれないが他に大きな理由がある。
昨晩、俺はやっちまったのだ……自分をターゲットにレグエディットを。
そして、自分の肉体年齢をいくばくか若返らせることに成功したのである。
それは苦難の連続だった。
まず、生物と無生物では全く勝手が違う。
俺は自分のレジストリを眺めて、その膨大さと細かさ、そして想定と全く違うデータ構造に愕然とした。メンタルが強化されていなければ結構ヤバかったかもしれない。
誰しも、初めてのコンピュータのシステムファイル群を見せられて、「ここの設定、好きなだけいじっていいよ。自己責任で!」と言われても何もできないだろう。
とりあえずなんとか分かりそうなファイルをちょっと見てみて
「うん。解らないことが判りました」
と言ってファイルを閉じ、その後は余程困らない限りそれらのシステムファイルから目を逸らす筈だ。
俺が自分のレジストリを見た時の心境はそれと似たようなものだった。とんでもない数の多次元のパラメータと膨大な数の層を形成している抽象化レイヤー、用途不明な数多くのメソッド―― それはマグカップのような簡単な構造を持つ無機物とは明らかに桁が違っていた。
さらに難儀なことに、これほど抽象化レイヤーが多層にわたっているにもかかわらず、俺のレジストリの中にはゲームでありがちな「HP」「MP」「つよさ」「すばやさ」などのわかりやすいパラメータはどこにもなかったのだ。
あるのは無機質な化学記号と数値のみ。「つよさ」関連だと筋肉部位ごとの断面積と、断面積あたりに出せるエネルギーが周囲のアミノ酸によってどう変わるかの多次元テーブルが並んでいた。これに持続時間等での減衰処理が加わるらしいのだが、生物が専門外の俺には理解不能。まるでチンプンカンプンだった。
「こんなもぉん、マニュアルもなしでどうせえっちゅうねーん」
うろ覚えの関西弁でソロツッコミを入れてみたが、もちろんそれで何か状況が変わるわけはない。軽い自己嫌悪に苛まれるだけだ。
しかしそこはメンタル強化人間。素早く立ち直った俺はとりあえずサンプルコード……ではなく、自分の希望を叶えてみようとしてみた。そのほうが捗るからね。
目指すは「若返り」。アラサーで若返りというのも変な話だが、焼肉屋での敗北感は軽く俺の自尊心を傷つけていたのだ。
だがしかし、いざ俺の年齢を29歳から24歳にしてみようとしたらこれが難しい。「年齢:29歳」などというわかりやすいデータは俺のレジストリのどこにも書かれていなかった。書かれていないなら弄りようもない。
高次元知的生命体ゲーム企業、俺的命名「あいつら」には俺という生命体の発生後地球が何回公転しようがそんなことを記録しておく意味はないらしい。俺の年齢を知りたければ俺というオブジェクトの発生時期と現在の時間の差分を取ればいいってことなんだろう。
一事が万事こんな感じで、各種データはご丁寧にMKS単位系に変換されていて大いに助かってはいるが、肝心なところがやたら使い難い。改善希望。
そうそう、俺の発生した時のタイムスタンプが誕生日より10ヶ月前、おそらくは受精の時間なのにはびっくりした。両親の営みに思いを巡らせてつい赤面してしまったぞこの野郎。
レジストリをひっくり返して見ても年齢というパラメータは発見できなかったので、とりあえず発生時期のタイムスタンプを5年ほどずらして書き換えてみたのだが、俺の身体には何の変化も起こらなかった。
一気に身体が若返るかと期待していたがそうはならなかったのだ。
年齢が意味のある数字として機能するのであれば「24歳になったから、この体の変化が現れる」というように、年齢がトリガーになって新たなイベントが起こる筈だ。だが、年齢がパラメータリストに無い以上、年齢の起点となる発生時期を直接いじっても意味はないということなのだろう。
よって、年齢や発生時期を書き換えることで若返るという方法は早々に断念。若返る機能をレジストリから探して実行する方針に変更。
それから俺は長い時間レジストリを検索し、自分を構成する膨大な量の細胞の分裂回数のテーブルと、テロメアの長さのデータをかなりの深層で見つけた。
これに一気に補正をかけたのだが、俺はそこで力尽きて眠り込んでしまったらしい。
ギギッッギギギギ……
ベッドのスプリングがおかしな音を立てるのを全く気にせず俺は眠りこけた。そして翌朝のシャワーの後、俺はついにピチピチのお肌を手に入れたのだ。どうにか、若返りと呼んでも差し支えない変化が俺の体で起きたらしい。
ちなみに、起きて鏡を見た時に肌や小便の色にびっくりしたのは内緒だ。老廃物が一気に出たのだろう。あやうく腎不全になるところだった。
若返りはチョイチョイやっておかないと、一気に数年分もやると危険なようだ。
そうそう。ついでにDNAのミスコピー確率なんていう物騒なものがあったので0にしておいた。これで外的要因由来以外のガン発生は避けられるだろう。
若返りの作業には結局何時間くらいかかったのか。明け方までってのは覚えているが。
5年の若返りによる爆発的な新陳代謝に加えて徹夜のダメージは大きく、体は疲れているし目は落ち窪むし、クマや吹き出物までできている。
これでは昨日の俺との見た目の差は相当微妙な筈なのだが、服部は俺の変化を見逃さなかった。
そう。正解。俺はちょいと若い。
これでもう焼肉屋で大量の焼き肉を頬張る後輩をただ羨ましく見つめることはなくなった。
ざまあみろだ。
◆◆◆◆◆
「眠いわ……2時間しか寝てないわ……」
本当はもう少し寝た筈だけど、内緒。
眠さを周囲にアピールしながら報告書を書いていると、背後から粗暴な輩が現れて俺の椅子を前後にガクンガクンと揺らしはじめた。
「影山さん、服部さんと肉食べに行ったんですって? どうして私も誘ってくれなかったんですか!」
「相田か……今日も元気だな。でも俺はそう元気でもないんだ。少し静かにしてくれ」
新入社員の相田―― 今年大学院を卒業してうちの会社に入った人工知能エンジニアだ。俺はこいつの教育係を拝命している。
相田は身長165㎝、短髪ボブのメガネ女子でスタンフォード卒の才媛だ。自称「グラマーなプログラマー」だが、グラマーというには少し胸が足りない。トレードマークの襟のついたノースリーブのブラウスも、本人曰く、大人の色気をアピールしているそうだが今一つだ。
おそらく、童顔で人懐っこい性格が大人の女性のイメージを醸し出すのを邪魔しているのだろう。
とはいえ、小綺麗な容姿とさっぱりした性格のおかげか、一部に絶大な人気があるのも事実。
そのため俺は日々、相田のファンから理不尽な嫉妬心を向けられているのだが、それと同じくらいこいつの残念な言動にも悩まされている。
まてよ……相田今年大学院出て新卒だったな。てことは24歳くらいか。じゃあ俺、今こいつと同じくらいの肉体年齢になったんだよな……。ククク。
「なんですか? 人の肢体をジロジロと……セクハラですか? セクハラですね? 上等です。謝罪と賠償と肉を要求します!」
「いや、そんなつもり無いって……気に障ったら謝るよ。スマンスマン」
なんで謝らにゃならんのだ。
「そうですよ! 服部さんばかりズルいですよ! 機会の均等化を求めます!」
隣の席で話を聞いていた中山も参戦。後に続きやがった。どうも肉というより競馬で勝ったあぶく銭の下りが二人の心の琴線に触れたらしい。
「いやその、たまたまアキバ歩いてたら肉、食いたいなーって思ってさ……」
「電話してくださいよ。行きますよそれくらい」
「だって、中山んちって所沢だろ? 待ってたら店閉まっちゃうよ」
「そうやってまた、埼玉県民を差別するんですね……」
中山は時々こうやって「埼玉県民は都民に差別されている」カードを振りかざしてくる。
最初は自虐ギャグだと思っていたが、たまに本気で言うこともあるので面倒くさい。
何か悲しい過去でもあったのかもしれないが、話を聞いてやるほど俺はお人好しじゃないしな。
「差別じゃねえよ。わかった。今度なんかおごるからさ、勘弁してくれよ」
ここは適当に受け流しておこう。
「あたしも! あたしも差別されてまーぁす! ねー先輩? 部署の一大事だっていうのに声もかけてもらえず、ずーっと疎外感を感じてましたよ私ぁ!
あたしは即戦力って言われて会社に入ったのにどうして現場で使ってくれなかったんですか!?
そして今度は肉! 肉にも呼んでもらえなかった! 私! 断っ固として抗議しますよーぉ?」
「相田、頼むからおかしな喋り方をするな。俺が上から睨まれる」
俺はこいつの教育係ってことになっているが、ご存知の通りデスマーチ中だったのでそんな余裕などなかったのだ。
それにこいつは人事部が結構な時間と予算をかけて選考プロセスを回し、ようやく採用にこぎ着けた大事な新入社員だ。配属2週間でデスマーチに巻き込むわけにはいかないじゃないか。
大事な新人をパイプ椅子で寝かしたり20連勤させるなどあってはならないことだ。コンプライアンス的にも。それで辞められでもしたら色んな人に迷惑をかけてしまう。
そんな俺の気持ちも知らずにこいつらは……肉一つで目の色を変えやがって。
てめえの血は何色だ……?
「わかったわかった。相田も。な? 肉でもスシでもフカヒレでも何でもおごってやるからさ。金が残ってたらだけど」
「じゃあ、私、CORCHの新作バッグがいいです!」
「お前なぁ……最低限、メシという枠くらいは守れよ……」
「CORCHのバッグは6,7万円くらいっすよ? 服部先輩は20万円分米沢牛食べたらしいじゃないですか!
それに比べたら何ですか6,7万円くらい! あぶく銭のクセに! いいですか? お金、ちゃんと残しておいて下さいよ?」
20万円分の米沢牛ってなんだよ……てか、どういう話になってるんだよ……。そもそも、なんで責められてるんだよ俺……?
膨大なレジストリデータの改変作業も、キャンキャンわめく後輩もどちらも俺には面倒くさいことこの上ない。しかし、俺はそれでもこの愛すべき日常を続けたいと思うのだ。できれば。
「米沢じゃねーし、20万じゃねーよ。なんだよその金額どこから出てきたんだよ」
「服部さんが影山さんの財布は厚さ十㎝以上あったとか言ってましたよ! だったらそれくらいの肉食べるっしょー!」
ああ、どうしよう。こうして馬鹿な話をしている間にも、一秒あたり2.5人の人間が生まれている。早くなんとかしないと……。