第四十八話:どこの小公女だよ?
市川さんは怒っていた。静かに怒るなどという生易しいものではない。明らかに怒髪が天を衝いていた。
怒りの対象はシャーロットをいじめていた奴らだ。
「この子が一体何をしたっての? ケツの青い大学生がマウント取るためだけに人を傷つけやがって! 自分達が一体何に喧嘩を売ったのか、骨の髄まで解らせてやるわ。」
市川さんは俺に、そう吼えた。
腹を決めた市川さんの動きはいつもの通り、極めて迅速だ。
初手として市川さんはネットで見つけた探偵を1ダースほども雇った。シャーロットの周囲の警護と証拠集めが目的だ。あまり近づくと日常生活に影響が出るので、できるだけ隠密行動を取るよう徹底したとのこと。
次に市川さんはシャーロットにも全天周のカメラをいつも持ち歩くように言いつけた。どこで誰にどういう攻撃をされてもその映像が残るようするためだ。多少邪魔ではあったがシャーロットはこの言いつけを守り、いつもこのカメラを持ち歩いた。
これでシャーロットへの危害があった場合、自身と、周囲に配置された探偵達に撮影された映像が証拠としてバッチリ残る。
11月に入ってシャーロットへのイジメは下火になってきてはいた。しかし、今までイジメをしてきた奴らがイジメを止めたからといってイジメをした事実が消えたりはしないのだ。少なくとも市川さん相手にそんな都合の良い逃げ方は通用しない。
2週間も経った頃、まとまった数の証拠映像が集まったところで市川さんは日本のマスコミ何社かと連絡を取った。どこもシャーロットが倉敷でのボランティア中に取材をしに来ていた雑誌社やテレビ局だ。名門大学でのイジメの映像という物珍しさもあってマスコミ各社はこの話に飛びついた。
まずテレビ局が「倉敷のボランティアアイドルがアメリカでイジメにあっている。卑劣な連中の手口はこうだ」という触れ込みで、情報番組で映像を流した。
「皆さん、倉敷で大活躍していた、あの美人ボランティア、シャーロットさんを覚えていますか? 今、彼女はアメリカで大学生活を送っているんですが、彼女についてこんなニュースが入ってきました」
中国四国地方限定の放送ではあったが、シャーロットの人気が高かったこの地域での視聴者の反応は凄まじかった。
「これどういうことなの?」
「 アメリカの大学ってそんなに幼稚なの?」
テレビを録画したSNSユーザーは次々と動画を投稿し、動画の中の悪者達を口々に非難した。
車にタバコを押し付け、エルボーを車体に叩き込んだ者。酷い言葉とともに飲み物を彼女にかけた者。すれ違いざまに侮辱する者。後ろからシャーロットに近寄って、髪の毛を引っ張って後ろに引き倒した者。カバンに付けたアクセサリを引きちぎって逃げた者。足をかけて転ばせようとした者。様々なパターンが動画で紹介され、シャーロットの悲しむ顔がそれに続く。
効果的に解説を加えられ、演出を施されたそれらの動画は見た者の怒りを煽るには十分な品質に仕上がっていた。
ほどなくSNSやネット掲示板で拡散された動画は太平洋を越え米国にも到達した。
「これ、どこの大学だ?」
「UCLAって言ってるぞ」
「この娘、ちょっとイイね。どうして虐められてるんだろう?」
シャーロットは米国では無名の学生に過ぎない。しかし、これだけ人目を引く美人があれやこれやの手段でいじめられている映像だ。退屈な日々のちょっとした刺激として人の口の端に上るのは不思議ではない。
噂が広まるに連れ、加害者被害者双方の在学する大学や本人を特定する動きは当然生まれた。そして実際にそれらの情報がネット民によって特定されるまでにそう時間はかからなかった。
281名前:カリフォルニアの名無しさん 20XX/12/06 (Fri) 01:36:10.64
なんだこれ、どこの小公女だよ?
名前:ケープタウンの名無しさん 20XX/12/06 (Fri) 03:42:01.55
>>281
お父さんはダイヤモンド鉱山じゃなくて金鉱山の人らしい
名前:ニューデリーの名無しさん 20XX/12/06 (Fri) 04:11:03.21
>>282
お父さんじゃないよ。お兄さんだよ
名前:ニューヨークの名無しさん 20XX/12/06 (Fri) 04:13:13.12
>>281
ミンチン先生……ミンチン先生はどこー?
名前:アナハイムの名無しさん 20XX/12/06 (Fri) 04:44:53.55
>>281
アクセサリパクった奴知ってるわ。うちの高校のクインビーだったクソビッチだ。
名前:デトロイトの名無しさん 20XX/12/06 (Fri) 05:01:33.26
お……おお……アルミのモノコックボディにエルボーを……勇者だ……
借金という名の業を背負っちまったな……
日本と違い「いじめられた方に問題がある」とか、加害者側の分際で「お互い様だ」などと正気を疑われるような発言をする人間はほとんどおらず、加害者達は徹底的に糾弾された。
この辺はさすが憲法の前文の一番初めに「正義の樹立」を掲げる米国民とでも言うべきか。
その後数週間で大学側が動き、動画で動かぬ証拠を押さえられた者達はほぼ全員が大学側から処分を受けた。中には運動系クラブから放逐された者や、専攻するコースの変更を余儀なくされた者まで出たらしい。
シャーロットの車にタバコを押し付け、車体にエルボーを叩き込んだ学生は、その修理代として相当な金額を親に泣きついて払ってもらわなければならなかった。
市川さんがバックについてから、シャーロットの持ち物は徐々に弁償が難しいものに取り替えられており、件の車も、自動車マニアが聞けば悲鳴を上げるような車だったのだ。
引きちぎられたアクセサリの中にはそれなりの大きさのダイヤモンドが入っており、引きちぎって行った学生は窃盗罪で逮捕された。
オレンジジュースをかけられたデニムも高価なレア物で、学生にはほぼ弁償が困難なものだったそうだ。
こうしてシャーロットに危害を加えたものは次々に大学から姿を消すか、もしくは大人しくせざるを得なくなった。自業自得とは言えこれ程惨憺たる状況を目の当たりにして、なおシャーロットに手を出そうとする者はさすがに現れないだろう。
その後、脳筋リア充達が怖くてシャーロットに近寄れなかった学生達もポツポツとシャーロットに接近し始め、シャーロットは遅まきながら普通の大学生活を取り戻していった。
「メリークリスマス! シャーロットを傷つけた奴らを1ダースほどなます切りにしてやったわ! やつらの血の赤が今年のクリスマスのお飾りよ!」
怖い……市川さん怖いわ。
◆◆◆◆◆
俺は日本で年越しした後、暫く東京に居ることにした。壬生さんのご招待イベントがあったので松の内は日本にいる必要があったし、日本に居たら居たでやることはいろいろあるのだ。
米国では新年は特に休んだりしないものだが、クロエには日本の経済界のVIPとのミーティングがあるから俺はしばらく帰れないとちゃんと説明はしておいたので問題はない。
松が明けて、相田と服部が頑張っている影山物産東京オフィスにも行ってみた。いつもの通り忙しそうだったが、連中の顔にはまだ余裕が見えたのでまだ暫くは大丈夫だろう。業務最適化が功を奏しているようで何よりだ。
「なんだ、まだ相田の株の自動売買システム動いてないじゃん。どうしたの? あれ……沢森は?」
「逃げました……あの腐れ外道は仕事を全部捨てて逃げましたよ」
相田は憤慨していた。
夏に発注したシステムがまだ稼働できないらしい。既に完成済みのパッケージがあるのにどうしてそんなにインストール作業に時間がかかるのか?
相田によると、どうやら沢森が逃げたせいで壬生システム側の仕事がまだ完了していないらしい。沢森はある日からぷつりと来なくなったそうだ。
相田と服部に、沢森をどのぐらい虐めたのかを聞いてみたが、二人とも特に何もしなかったのだと言う。むしろ仕事のできない可哀想な人扱いをして優しく接していたのが応えたのかもしれないとのことだ。
先方も「責任をもって沢森に業務を遂行させる」と言っていた以上、責任はとってもらわなければならない。
さて、どうしたものか。正月からあまり人を追い詰めたくはないのだがなあ……。
後で服部がこっそり教えてくれたが、どうやら沢森は仇敵の筈の自分に毎日優しく接してくれる相田に惚れてしまったらしい。
しかし自分が相田にしてきたことを考えるととてもそんなことは言い出せない。いろいろ悩んだ挙句……てなわけか。
服部は相田にはこのことは知らせていない。うん……おそらくそれが正解。
その後沢森がどうなったかは誰も知らない。
楽しいニュースもあった。影山物産が投資したベンチャー企業、ロボット開発の「ビッディ・ペッソン」が年末年始のTV番組でお茶の間に大ヒットを飛ばしたのだ。アイドルそっくりのロボットが艶かしいポーズをおめでたい正月番組で披露するシーンが視聴者の混乱をいい意味で招いたとかで、各方面で大いに話題になったようだ。
社長は気を良くして二台目三台目を作ると息巻いているらしい。今までバックアップ機体がない状態でテレビ局を引きずり回されていたのに、一度も壊れなかったし誤動作も無かったそうだが、それって凄くないか?
普通はどんな小さなデモでもバックアップ機体の一台や二台は用意するものだ。
特にロボットのようなものは、光学センサーや赤外線センサーを装備させている関係上、デモンストレーション会場のライトや温度条件でいくらでも結果が変わってしまう。
そのため繊細な準備や調整が必要な筈だが、調整中にロボットがぐしゃっと倒れることなんて良くあることだ。
あのお色気ロボットはそんなリスクを華麗に回避し、たった一台で出番を次々とこなし、お茶の間にその実力を見せつけた。それは讃賞されて然るべきことだろう。
聞けば国内国外からかなりの問い合わせが来たということだ。やれめでたや。どんどん出資額は増額してやって構わんぞ。
◆◆◆◆◆
俺は嵐鳳楼から帰ってきて、「あいつ」との会話を反芻することが多くなった。
「あいつ」の話のどこかに矛盾はないか? 矛盾がなくても如何ようにでも解釈できるポイントはないか? 何か見落としていたことはないか? 相手が神だというだけでこちらが勝手に思い込んでいたようなことはないか?
記憶を頼りに書き出した会話とにらめっこしながら考えると、突っ込みどころはいくらでもあるように思えた。
例えば、この世界を実行しているシミュレータが「ゲーム」と呼ばれていたことだ。壬生さんとの会話でわかったことだが、「あいつ」が壬生さんと対峙した時には、「あいつ」は壬生さんに理解できる語彙を選択して説明を行ったらしい。「あいつ」の翻訳機はどうやらこちらの持つ語彙を汲み取って翻訳をするようだ。
俺はシミュレータとゲームの両方を知っている。ではあえてゲームだと言われたのはどういうことか。プレイヤーは何をするゲームなのだろう? まさか観察だけではあるまい。現に、俺という代理人を送り込んで干渉をしているのだから。
プレイヤーの介入選択肢がひどく少なく、ただぼーっと世界や星や人が育つのを見ているだけのゲームというのもあるかもしれない。スマホのゲームにだって、放置していたら勝手にレベルが上がっているゲームなんてのがあるから、そういう発想が無いわけではないだろう。
しかしマナというスコア兼ゲーム内通貨のようなものもあるようだし、何かしら箱庭に干渉するような、プレイヤーにとってのお楽しみ要素があるに違いない。人を減らすための人間を選択し、その人間に能力を与えるだけが唯一のコマンドではない筈だ。
あいつは「運営」という言葉も使っていた。ということは、このゲームはスタンドアローンではなく、ネット配信されていて、他者と何らかのやりとりを行えるゲームだということで間違いない。
追加コンテンツの実装やバグ取りパッチの配布などがそれなりに行われているゲームなのだろう。そういえば「運営の連中がやることなんてろくなもんじゃない」といった話をしていたように思う。
ただパッチをあてるだけなら運営などという言い方はしない筈だ。このことから俺が推察できるのは、「あいつ」が持っているコンピュータの上でこの世界が動いているのとは別に、運営側がなにかの形でそのコンピューターに干渉するサーバーを持っている筈なのだ。ではそのサーバーの役目とは何だ?
あいつはこの世界がバックアップだとも言っていた。そのバックアップはサーバーで取られているのか?
俺がしくじったらセーブポイントからやり直しみたいなことも言っていた。では、今俺がいるこの世界は何度目かのやり直しの途中なのか?
そもそも運営がサーバーを動かしている状態でやり直しなんてできるものか?
こう考えると、「あいつ」の言うゲームのあり方がわかってくる。おそらくゲームというのは基本的にはソロで楽しむ箱庭型のゲームだがサーバーを介して他者の干渉があるゲームなのだ。それが対戦なのか箱庭を見せ合うような牧歌的なものなのかは今のところわからないが。
一通り、自分で納得できる論理立てができた。では、どういう質問を「あいつ」に投げかければ過去のあいつの矛盾を指摘できるかだ。今回の考察をさらに深めて壬生さんと話をせねばなるまい。




