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人類が増えすぎたので減らしてほしいと頼まれました【本編完結済】  作者: にゃんきち
人類が増えすぎたので減らして欲しいと頼まれました
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第四十三話:ピジンちゃん


「出てって。せめて学部レベルになってからね……」


 カーソンの研究所で、初日から俺は手酷い歓迎を受けた。ここで見よう見まねでゲノム編集についてのイロハを学ぼうと思っていたのだがそう簡単な話でもなかったのだ。


 ここはベンチャー企業なので当然、研究内容が経営に直結する。そこに俺のような初心者が入り込んでうろうろされては困る。何かしらやるならやるで、ちゃんとした知識を持ってからと言うクロエの意見はもっともだ。


 俺はいるだけで迷惑。そんな空気ががひしひしと伝わってくる。


 しかし鋼のメンタルを持つ俺はそんなことではくじけない。1年2年で追いつけるものなら追いついてやろうじゃないか。


「さて、と。こういうのも随分久しぶりだな……」


 俺は日本から高校の生物の教科書と参考書をいくつか取り寄せ、さらに生物学の基本的な良書と言われる数々の本も電子書籍で購入した。いきなり英語で大学レベルの生物学を学ぶのはハードルが高すぎたからだ。

 クロエはここで研究するのなら最初から英語で原書を読めとうるさかったが、俺の専門分野における英語能力が思っていたより低いことを理解した後はそうでもなくなった。


 てなわけで、最近の俺は朝から晩まで研究所のカフェでひたすら生物やら細胞やら遺伝子やらの勉強をしている。日本で大学入試の模擬試験を受けたら結構良い得点が取れるんじゃないだろうか。


「日本の大学生ってのはこういうのを読んで勉強するのかい? カラフルで楽しそうな本だね」


 俺の勉強風景を横から覗き込む研究員達が、机の上の本を興味深そうに手に取るのも日常茶飯事になってきた。


「いやこれは高校生のテキストだよ。大学の方はこちらだ」


 と大学の方のテキストを見せてやると、研究員達はそれをパラパラめくり、数式のあるところや図表のあるところを見て

 

「これは……なんというか、粒度がバラバラだね。それに一貫性がない。高校のテキストと問題集の方は良くできてると思うが、大学の方のテキストはダメだ。仮にこの本が英語で書かれていたとしても、この本を渡されたら、僕はおそらく最初の1年で専攻を変えてしまうだろう」


 と、散々に酷評されてしまった。

 

 おかしいな。日本では結構いい大学の先生が書いた定番と言われているテキストでもここではダメな子扱いか。日本人結構ノーベル生化学賞を取ってたと思ったがダメなのか?


「何だまともなのもあるじゃないか。これだよこれ」


 そう言って通りすがりの研究員君が勧めてくれたのは英語が原版の Molecular Biology of THE CELL の日本語版だった。そうですか。やっぱり最先端はこっちでしたか。


 俺は、タブレットの電子書籍リーダーの本棚に入っていた「まんがでわかる最先端分子生物学」をこっそりと「秘密のフォルダ」に移動させておいた。これは家に帰ってから一人で読もう。


「クロエが言ってたけど、もしウチで本格的にやるなら薬学の基礎知識も必要だぜ」


 ……先は長い。


 クロエは年齢の割に非常に優秀な研究者であり、ファシリテーターでもあった。聞けば小学校中学校を数年飛び級しており、博士課程を修了したのが22歳の時だったと言う。どうりでモーリーさんやアメリアさんと年齢が大きく離れているのに初期メンバーなわけだ。


 彼女は3人の研究者と5人の研究助手、そして多くの作業ロボットを手足のように扱い凄まじい速さでその日の研究目標をクリアしていく。正直どうしてこのスピードでノルマがクリアされていくのに研究そのものが遅れているのか俺にはよく解らなかった。


「今じゃ高校生でもできるって言われてるゲノム編集だけどさ、いろいろ大変なのよ。

 DNAのどこをいじればどうなるか、ある程度わかってはいるんだけれどね。オフターゲットって言って、違うところ切っちゃったりすることも結構あるんだ。

 前はヌクレアーゼにTALEN使っててさ……オフターゲットは小さかったんだけど、効率重視でCRISPR/Cas9にしろって話になってさ。機材からやり方から、結構入れ替えちゃって、今はそっちの方で四苦八苦してんのさ。楽になった反面、いろいろ面倒なこともあんのよ。

 各企業とも、どこをどう切った張ったしたらどうなったってのがキモなんで、よっぽど陳腐化した情報じゃないと流れてこないしね。気がついたときにはどこもかしこも特許取られちゃって身動き一つできやしない。

 流れてきた情報もいちいち確認して、どの程度本当なのかを確認しないとこちらのライブラリには入れられないでしょう? 信じられないと思うけど、わざと嘘の情報流す人達もいるんだよ。

 最新情報が知りたければ、学会に出たり論文検索したりせずに、サンフランシスコのチキンカレー屋にランチを食べに行った方がよっぽどマシってのが現状ね」


 研究助手のアビゲイルさんが俺に親切にいろいろ教えてくれた。なるほど、さっぱりわからんが、やっている事も高度なら競争環境も苛烈だということか。そして、やったらやっただけ成果が出るものでもないようだ。


 俺はこの研究所では自分が事実上のオーナーであることを皆に教えていない。だから所内では「初心者だがインターンで来ようって奴がコイツくらいしかいなかった」という扱いにしてもらっている。毎日オーナーが自分達の背後で勉強しているなんてのは、ホラーでしかないからだ。


 ここでは俺は下っ端でいい。実際に下っ端以下の知識しかないのだから。それに新しいことを学ぶのはこれはこれで刺激があっていいものだ。


「なあ、でもこれって、Synthe Wowみたいな会社のライブラリとツール使えばもっと簡単にできるだろ? なんでやんないの?」


 俺は勉強した知識をちょろっと出してアビゲイルさんに質問してみた。


「それ使っちゃうと、ちょっと特殊なことをしようとしたり、不具合が起きたり、性能が足りなかったりした時に全部Synthe Wow側の対応と開発計画次第ってことになるのよ。あと、製品にしたときの特許料。ガイドRNAの設計ツールやライブラリは可能な限り、オープンソースツールやオープンリポジトリを有効に使った分プラス、自分達でなんとかしないとね。オフターゲットまわりの確認プロトコルとかのツールは欲しいけど、なにせ弊社にはお金がご・ざ・い・ま・せ・ん! アンダスタン?」


 ……よくわからんが、この業界は創薬をしたいなら基本的なツールから自作していかないと、いろいろとむしられて利益を守れないようだ。


「まあ、お金についてはなんとかなったとか聞いたからそのうちなんとかなんじゃないの?」


「はぁ、何言ってんの? なんであんたが会社の懐具合まで知ってんのよ? おかしなこと言うとぶっ飛ばすわよ!」


 知ってるというか、出資者なんだけど……ここは黙っておこう。俺はこの会社に成功して欲しくもあるが、その優先順位はそんなに高くない。それよりここで得たゲノム知識で人類の数をサクっと減らせるような何かをせねばならんのだ。わりと可及的速やかに。


 あとで聞いた話だが、アビゲイルさんは昨日、デートの途中ホテルのカジノで500ドルほどスってしまい、茫然自失になって彼氏をホテルに置いて家に帰ってしまったそうだ。


 やけに饒舌だと思ったら……。


★★★★★


 シャーロットは憂鬱な毎日を過ごしていた。


 7月頭のギニア湾沖核爆発事件でラゴスを含む沿岸地域が大きな被害を受けたことで、ルーカスが酷くナーバスになっており、その状態がもう何ヶ月も続いている。


 例の事件が起きた時、ルーカスはたまたまナイジェリアの起業家達とライラさん、そして自分が保有するIT企業の初期メンバーを米国に招待していた。


 事件が報じられるや、それら招待客は皆、すぐにでも帰国しようと空港に駆け込んだのだ。

 しかし、直行便、ロンドン経由、バルセロナ経由、カイロ経由―― どこを探しても彼等を乗せてラゴスに飛ぼうとする民間機はなかった。米国政府が「ギニア湾岸は戦場と同等に扱う」と各方面に通達したため、ラゴスへの空路は1ヶ月ほど全面閉鎖になってしまっていたのである。


 ルーカスは招待客を慰め勇気づける一方で、空路が再開されるまで彼等の宿を用意し、費用もほとんど出してやっていた。にもかかわらず、感情の持って行き場をなくしたラゴス出身者達はまるでルーカスが核爆発を起こしたかのように彼を攻撃し、罵ったのだ。


 これが数週間続けばルーカスでなくとも精根は尽き果てる。招待客のほとんどがラゴスに帰った後もルーカスはどこか虚ろな表情で日々を過ごしており、感情が安定せず、時に爆発してひどい言葉をシャーロットやライラに浴びせる始末だった。

 これが、シャーロットがルーカスの家に着いた直後に起きたため、シャーロットは渡米してからまだ一度もルーカスの笑顔を見ていない。一緒に暮らせることを喜ばれるかと思っていたのに、逆に邪魔者のように扱われてしまっているのだ。


 シャーロットが憂鬱な原因はもう一つある。学校での人間関係―― 端的にいうといじめというやつだ。


 UCLAは世界屈指の大学だが、大学のランキングは学生の人間性までは保証しない。


 高校時代に無敵状態で同級生を虐めていたジョックス(スポーツ系リア充)とサイドキックス(その取り巻き)の連中は、大学でもその無敵状態が続くと考えがちだ。

 しかし、悲しいかな彼等はそのうち世界中から集まったエリート達を前に、自分が1セントの価値もない糞虫であることを思い知らされる運命にある。今まで馬鹿にしてきたナードとインテリに、数カ月後には成績で叩きのめされることがほぼ確定しているのだ。


 しかし、それまでの何か月かは彼等の人生の絶頂期。この時期はどこの大学であっても新入生同士で苛烈なマウンティング合戦が繰り広げられる。せめてもの抵抗とばかり、高校時代のスクールカーストの再構築を試みる層も珍しくない。


 シャーロットもそのマウンティング合戦に巻き込まれていた。その美貌は新入生の中でもことさら目立ち、他人の無関心を許さなかったためだ。

 シャーロットを貶め、相対的に自分のポジションを上げようとした何人かがシャーロットの出身地を知ってなまりをからかってやろうとしたが、そこで彼女の見事なRP(イングランド南部の教養階級の英語)の返り討ちにあった。

 しかし、ところどころの単語の選択だけはやはり教養と教育だけではカバーできない。シャーロットの話す英語も完全なRPとは言い難く、彼女を貶めたい連中にとって訛りは格好の攻撃の的だったのだ。


 違いと言っても「ちょっと待ってて」を「小さく待ってて」くらいなもので、意味は通じるのだが、マウンティングしたい連中にはそんなことはどうでもよかった。

 授業中彼女が発言すると何処からともなく「ピジンちゃん」と小声で聞こえて来る。教諭は「素晴らしい発音だね? 英国出身かな?」と言ってくれるが、その後すぐにクスクス笑う声が教室のどこかから聞こえるのだ。

 そのうち学内ですれ違いざまシャーロットに「ピジンちゃん」と言い捨てる輩が現れ、根拠もなく上から目線で彼女に関係を迫るような者までが現れた。

 学校での卑劣で陰湿ないじめと、自宅での身の置き所のなさ。それはシャーロットが渡米前に思い描いていた学生生活とはかけ離れたものだ。当然、シャーロットの神経も毎日ゴリゴリと削り取られていた。


★★★★★


 11月も中旬を過ぎようかというある日。ブラックフライデーを目前にソワソワする街を横目にシャーロットはため息をつきながら自室にこもっていた。


「ココイチで少し景気をつけるかな……」


 この時期特有のはっきりしない鉛色の空模様。これでは景気も糞もあったものではないなと独り言ちながら彼女が車のキーを持って外に出た時だった。


「どしたー? 元気ないぞー? なんかあったかー?」


 日本語。聞き覚えのある透き通った声。年齢より10歳は若く見える自信満々の歩くブルドーザーにして無敵のプロマネ、市川がにこやかに家の前に立ってシャーロットに手を振っていたのだ。


「市川さん!」


 シャーロットは反射的に市川に駆け寄り、飛びついた。ここ何ヶ月かの鬱屈した気持ちがぜたのか、泣いたような笑顔で市川に抱きつくシャーロットを見て、市川は自分の直感が正しかったことを確信した。


「何よ。どうしたのよ? なんかあったの?」


「ふぇぇぇぇ……いぢがわざ〜〜〜ん」


「そうか……なんか辛いんだね……そっか……」


 シャーロットは暫く市川に抱きついて離れず、泣きたいだけ泣いた。


「カゲヤマさんは……? どこ……?」


「今日は影山さん来てないよ。私だけだよ」


「いないのか……よかった。みっともないとこ見られなくて」


 シャーロットはなんとか涙を拭きながら立て直していた。


「まあ、私達あの人のみっともないとこ散々見てるように思うんだけど……」


「ふふ。そうだね」


「それはそうと、あんたがこんなになってるのに気づきもしないルーカスには一発かましとかないとね」


「お、お手柔らかに」


「そうね……私ここに暫く住むわよ。部屋一つ空けなさい」


「へ? あ、部屋ならあるけど……」


 こうして、ルーカス兄妹の家ではルーカス、シャーロット、ライラ、市川の四人の生活が始まったのだった。




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ルーカス...どこまで行ってもパシリの運命から逃れられない哀れな男や
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