第四十話:こんなのはダラダラやっても意味がない
「始めましょうか」
午前11時、影山物産溜池山王オフィスの大会議室で、俺・相田・服部と投資を希望するベンチャー企業とのミーティングが始まった。
一社あたりの持ち時間は1時間、延長を見込んで2時間。今日来社した起業家達にとっては投資の可否が半分以上決まるという運命のプレゼンテーション時間の始まりだ。
「こんなのはダラダラやっても意味がない。一日で4社、一気に見ようぜ」という俺の意見を服部と相田が受け入れて今に至っている。
俺もそろそろ米国に渡る予定だ。その前に可能な限りベンチャーへの投資判断には付き合っておきたい。失敗した時の事を考えると俺の関与があった方が服部達もやりやすいだろう。
実際素人の服部と相田にベンチャー投資をやれと無茶な仕事命じたのは俺なのだからな。……まあ、俺も素人なんだが。
「まずはこれをどうぞ」
一社目、ラーメン「サーレ・インクレデイビレ」。塩ラーメン一本で全国チェーンを目論んでいるらしい。社長は30歳で、高校卒業してからずっと都内の名店で修行してきたという苦労人だ。
濃い魚介系スープにヤワヤワのローストポークを載せて多加水麺を椎茸の食感と柚子の香りでさっぱり食わせる意識高い系ラーメンが目の前に運ばれてきた。
「美味い……」
さすが、激戦のラーメン業界で、しかも爆食系とつけ麺くらいしか儲からないとまで言われているレッドオーシャンにあえて飛び込んで行こうというだけの事はある。
「他との差別化はどうしますか? このラーメンはたしかに美味いけど、飛び抜けているとは言い難い」
服部の舌鋒が鋭く相手に突き刺さる。しかし相手も負けてはいない。ベンチャーとは言え何人もの従業員の生活を支える社長だ。半日店を休んで手ぶらで帰るわけには行かない。その気概は凄まじい。
「私はこの柚子塩ラーメンを武器に、ゆくゆくは海外へと展開して行きたいと考えています。そのため、柚子以外は極力日本以外でも調達できる材料にしています。
更に、各宗教の戒律を考慮に入れ、豚や牛がダメな地域でもちゃんと代替品を出せるようにします。ヴィーガンだけはどうしようもありませんが……
というわけで、差別化のポイントはグローバルな需要に対応できるところです」
ふむ。世界中に高血圧の種をばらまくには良いかもしれん。この柚子があれば、もう少し油ギドギドにしても……いかんいかん。ラーメン屋のスープを否定したらさすがに相手を怒らせてしまう。
「サイドディッシュに何か、米系のものがあれば良いかもしれんな ……さっぱりしすぎてて腹いっぱい食べたい人には物足りないかもしれない。しかし、美味いな! これ!」
サイドディッシュも提供すれば、総摂取カロリー増えるからな。
その後、業界分析、競合、リスク、店舗展開計画、セントラルキッチンの設置計画、収益見込みなどを聞いてプレゼン終了。社長、やりきった感全開。振りザルをノートPCに持ち替えてよくやったと思う。
「本日は有難うございました。弊社で慎重に検討した後、後日私からご連絡を差し上げます。お気をつけてお帰り下さい」
相田が〆て終了。これで一社。これを今日はあと3社やるのだ。これ、ベンチャー側はともかく俺達長丁場だな。今は始まったばかりで体力があるからいいが、後半が心配だ。
「服部さん、キッチンの後片付け、手伝いに行きましょう」
「はいっ」
まあ、ラーメンで国際展開というのはアリだな。壬生商事の食品部とかと話ができればいいのに。あの人達チェーン展開凄く上手そうだし、なにより、高血圧を世界展開するのは俺的に非常に良い。黒幕ぽくて。
午後1時。二社目、株式会社「タルタルーガ」。どうでもいいけどさっきといい今回といい、なぜイタリア語なのか。ちなみにラーメン屋は「凄い塩」で今回は「カメ」だ。
あ、相田が目をちょっとそむけ気味。そう。タルタルーガは性具のメーカーなのだ。
中高生の小遣いでも気軽に買えるほどの低価格が特徴だそうで、男女両方に製品を展開する予定とのこと。
「……さすがにここで試すわけにはいかんな」
会議室に失笑がこぼれた。
しかし、低コストと機能性・耐久性を両立するために呆れるほどの創意工夫と開発費をかけている事が製品説明と突き詰められた生産技術からもよく分かる。
自社で取ったアンケートではかなり具合がいいらしいし、これ、落としちゃダメなんじゃないか?
いや、俺的に考えるならこいつは人口抑制には最高だ。こういうのは性犯罪の多い国に輸出しちゃって「レイプするくらいならこっちで良いんじゃない?」って体で普及させるってのもありだろう。値段的に発展途上国の人達の財布にも優しい。アリだな。全然アリだ。
午後3時。三社目「ビッディ・ペッソン」。日本語の会社名が今のところ無いんだが、ベンチャーって社名を日本語にするの嫌いなのかな? ちなみにデンマーク語で「大事な人」って意味だそうだ。さすがにデンマーク語はわかんないなあ……
あれ、俺の向かいに座ってるのは……あ、これ、ロボットだ…… ってくらいは解るよ?
ただ驚くべきはその精巧さで、俺の向かいに座って微笑んでいるのはまるで生きている人間のような女性型のロボットなのだ。肌艶が人間みたいで御徒町の昭和通り沿いにショウルームがある大きなシリコン人形の会社のドールみたいな……。
不思議な雰囲気を出しながらそのロボットはガラスの瞳でこちらを見つめていた。
「では、早速デモを」
社長がノートPCにコマンドを入れるとロボットが立ち上がった。名前は知らないが有名な人気アイドルからデータを取ったというキレイな顔とプロポーション、そして社長の趣味全開で着せられたチャイナドレスがエロい。
「お、おおお!」
俺と服部が大喜び。相田も感心している。座ってお話するだけかと思いきや、二足歩行ロボットだ。1秒で1歩くらいだが、確実に前を向いて歩いている……そしてターン、おお、ポーズを取っている! しかも首はこちらを向いて目を合わせてくる。やるう!
「今は不整地歩行は無理です。リノリウムのように滑りやすい床もダメで、カーペット地で平坦なところでだけ歩けます。
御覧頂いたように動歩行が可能で、一応、こちらが用意したものに限りですがハイヒールも履けます。ハイヒールの時は毛足の長い絨毯の上は歩けません」
デモが成功して社長の鼻息が荒ぶっている。ここで社長は、自分が操作しているソフトウェア画面を80インチ画面に出した。
「あらかじめ登録してあるポーズならこのように、人間がとれるポーズならどのような悩殺ポーズでもとれます」
そう言って、社長はグラビアモデルのようなポーズを次々と、スライドショーのようにロボットにとらせた。正直、かなりそっち系のポーズが多い。
「そして全てのポーズから立ち上がることができ、充電スポットまで歩いて帰れます。今はまだ、これだけです」
……これだけって、十分凄いんじゃ? 社長の経歴は……げ、東大院、産総研、筑波の助教……なんでこの経歴でロボットにシリコン被膜とチャイナドレス着せてエロいポーズを取らせてるんだ……?
「新技術は全て、エロが普及の原動力となると言いますから、そっち方面の需要を満たすように作りました! ほら、ここにある穴にこのカセットを入れると!」
「あ、一応ここには女性もいるんで、そのへんで。はい。しっかり承りました」
「一応ってなんスか。一応って……」
これが服部がこの間言ってた、「どうしてそこにそんなに情熱を突っ込めるのかわからないほど才能を無駄遣いしている企業」ってやつか……。いや、冷静に考えると無駄ってわけでもないのか。
四社目、コンテンツ屋さん。名前は「ヘキサエース」……普通だな。
そろそろ失速気味のVRコンテンツの受託開発。うーん……地味というか、やっぱりヘッドセットが邪魔だなあ。見える映像は凄いんだけど……事業継続性に陰りがあるというか、ぶっちゃけ、オフショアに勝てなさそうな感じが……。
デモはよくある、綺麗な女性とのデート体験やレーシングマシンで街を駆け抜けるようなやつ。なんだろうねこの、やったことないのにあーはいはいってなる感覚……。
あれ、でも、このVRコンテンツ屋さんとさっきのロボットとその前の性具屋さんをうまく合併させたら凄いもの作れないかな……
一日目はこれで終了。二日目は食い詰めたアニメプロデューサーとか食い詰めたスマホゲーム屋とか漫画原作映画でコケまくったプロデューサーとかエゴサが過ぎてファンからそっぽ向かれたアニメ副監督とか、コンテンツ屋さんばっかりだった。
でもさすがコンテンツ屋さんはデモンストレーションが上手だわ。
「どうしましょう影山さん。影山さんから見て良いのはいたッスか?」
8社のプレゼンを見終わった後で、相田が俺に意見を求めに来た。
「ああ、使い所が難しいだけでどれも良かったぞ。そこそこの金額でいいならな。
投資のおかわりをホイホイしてこないならって条件でだが、みんな抱き込めば、面白いことできるんじゃないか?」
「ええ〜〜〜〜〜?」
なんだお前ら。俺が非情に全部切り捨てるくらいに思ってたようだな?
「おすすめは初日全部だな。ラーメンうまかったし、ビジョンも良かった。ロボットとVRとあの、初日の2番目のアレもいい。組み合わせ次第では海外の金持ちなんかに売れそうだよなあ……俺が営業に行ってやってもいいぞ」
「誰が何を営業に行くんですって?」
げ、市川さん。
「影山さん、タイラーさんから新研究所の候補地とバイオ施設を設立する際の関連法律の情報来てましたよ。バイオセーフティレベルを想定でもいいから設定しないとこれ以上申請書類進められないから早く決めてくれ、ですって」
「あ、レベル2でお願い」
バイオセーフティレベルとはWHOが定める感染性微生物のリスク群分類のことで、レベル2とは「個体へのリスクが中等度、地域社会へのリスクは低い」、つまりパンデミックで人がバタバタ死ぬような細菌は扱いませんよ、というくらいの細菌やウィルスを扱う予定があるということだ。
レベルは4まであるが、施設を作るための安全基準がレベル毎に違う。俺が米国で始めるバイオと創薬と人工知能の会社は別に人類絶滅ウィルスとか作らないからレベル2でいいのだ。
「即答ね。よほど勉強してたのね」
「勿論だ。見直したか」
「じゃあ、当然レベル1の基準の『微生物を取り扱う人物は、病原体取り扱い訓練を受けた人物でなければならない』を満たすための訓練受けなきゃね。探して応募しとくわよ?」
「え〜〜そんなのはルーカスにやらせようぜ……あいつの博士論文、ウィルスに関するやつだったから絶対訓練受けてるよ〜」
「ダメよ。ルーカスはもうアテにしないんでしょ? 言ってたじゃない」
そんなわけで俺は米国の安全基準に則った病原体取扱訓練とやらを受けることになったようだ。
★★★★★
マニラではフィリピン全土を襲った台風のおかげであちこちで浸水被害が出て、死者が何十人も出ていた。
幸いにもそのような災害からは逃れられたリリーだったが、相変わらず彼女の機嫌は悪いままだった。せっかく買い替えたテレビをもってしてもお気に入りのドラマを視ることができなかったのだ。
少し前からリリーの家は停電していた。ドラマの「先週までのあらすじ」が終わり、リリーの期待感がこれでもかと高まった直後に無情にも家中の電気がバツンと音を立てて切れたのだ。
リリーはいまいましそうに窓の外を見渡した。激しく降る雨の向こう側に他の家の電気が点いているのが見える。どうやら地域的な停電ではなく、自分の家だけのようだ。
「あんたッ! またブレーカー落ちたんじゃないの? 見てきてよッ!」
「あいよ」
リリーの夫、ジャスパーはやれやれと腰を上げ、玄関近くにあるブレーカーボックスを見に行ったがすぐに首を振って戻ってきた。
「ブレーカーは落ちてねえよ。どうやら電線が切れてるみたいだな」
「何よ! 毎回毎回ドラマの日を狙いすましてさ! あたしゃどうすりゃいいのよ!」
「あぁ? しょっちゅう再放送してんだしいいじゃねえか」
「そういう話してんじゃないわよ! ああもう! すぐよ! すぐMERALCO(マニラ電力公社)に電話して直してもらってよ!」
「この台風の中、屋根に登って電線繋げろってか? そんなの無理って判ってんだろが? いいから今日はもう寝ちまえ。台風が行っちまったら朝イチで電話しておくからよ」
そういえば停電するすぐ前のテレビのニュースでそんなことを言っていたような気がする。切れた電線は危険だから近づくなとかなんとか。
「わかったわよ……ふん、なにさ!」
自分はちっとも悪くないのにリリーに散々怒鳴られたジャスパーだったが、彼は一つだけリリーに隠し事をしていた。携帯電話のバッテリーが、どうやら朝までは持ちそうにないのだ……。
「ああ、電話貸せって言うとあいつ怒るんだよなあ……」
夜中に凶悪な台風は過ぎ去り、マニラは穏やかな朝を迎えた。
ジャスパーはできるだけ早起きして携帯電話の充電器をもって外をうろつき、どうにかこうにか使っても良さそうな電源プラグを見つけて、やれやれと充電を始めたのだった。
★★★★★
MERALCOから連絡を受けてジャスパーの家にやって来たのは、パコ地区の電線のメンテナンスを担当するジェロムと新入りのマーロンだ。
「なんだこりゃ? 断面の色が違う。うすら黄色い、金か?」
ジェロムはアパートの軒先から切り離されて垂れ下がっていた電線の剥き出した部分を見て、見たこともない色に戸惑っていた。通常の家庭用配電線は軟銅でできているから茶色っぽく光る筈だ。だが、この銅線はうっすら黄色いシルバーに見える。
「これはアレか? 新導入のアルミニウム鋼線ってやつか? 聞いてねえぞ俺は……」
アルミニウムは銅に比べると電気抵抗が大きいが、電気抵抗は線の断面積を大きくすると軽減できる。アルミニウムは銅に比べ値段が三分の一で済むので最近はアルミ鋼線を使って送電・配電するところも多いと聞く。
電線を地面に落とした後にそれを綺麗に巻き取ったジェロムは、自分達が乗ってきた車の排気口に電線の切り口を持っていってエンジンをかけた。排気ガスを受けた電線の切り口は最初に黄色、それから徐々に茶褐色へと変わる。ジェロムは茶色くなったこの電線をウェスで拭いてみたが、煤は拭けても色は茶色いままだ。
ガソリン車の亜硫酸ガスにさらされてこの色になるのは……
「こりゃあニッケルか銀だな、マーロン! テスター持って来い」
マーロンが車から使い込まれたテスターを持ってきた。慎重に手順を確認し、電気抵抗値を測るジェロムの顔は真剣そのものだ。
「軟銅と似たようなもんか。銀だな、こりゃ。いつからこんな高い電線使ってるんだMERALCOは?」
「ひょー! 銀? エンジニア・ジェロム、俺達の日ごろの行いを見ていた神様がボーナスをくれたんすかね? だとしたら随分粋な計らいっすねえ! これ、いくらくらいになるんスか?」
フィリピンではMr.やらDr.以外にもEng.のような職業称号がある。新入りが親方を呼ぶ時はそれなりの言い方があり、マーロンがジェロムを呼ぶ場合は「エンジニア・ジェロム」で正しい。
「お前の行いじゃぁ神様はボーナス出さねえだろう。暑さと台風で神様もイカれちまったんだよ」
「チェッ……ひでえなあ。これ、この切れたやつ、どうすんですかー?」
「俺はボスに報告してくる。お前はその銅せ……線材を車に積んで、新しいのを張る準備をするんだ。被覆は剥がすんじゃないぞ。番号を調べて、同じ時期に納入されたやつを総取り換えってことになるかもしれん」
「マジですかぁ? 今、海の向こうで次の台風が受付をしてる最中ですよ親方?」
「アホウ! 今のうちに電線の張替えをやっとかなきゃ次のが通り過ぎた後にやった日にゃそこかしこの冷蔵庫がひでえことになってオレたちゃ三日三晩は臭え街で暮らすことになっちまうんだぞ! グダグダ言ってないで急げ!」
マーロンは切れた電線を車に載せた後、ジェロムの電線の張替え作業を手伝った。リリーの罵声を背中に受けながらの作業はなかなか辛い。それでも小1時間ほどで2人の忍耐力は実を結び、新しい配電線が繋がった。
「リリーさん、終わりましたぜ」
工事終了の報告を受けると、リリーはテレビが映るかどうかを確認しに家の中にすっ飛んでいく。TVの前から離れようとしないリリーをなんとかなだめてサインだけもらうと、ジェロムとマーロンは帰路に就いた。
「ねえ親方、銀って高いんすか?」
マーロンは巻き取った配電線を見ながらジェロムに問いかけた。結構な重さだ。被覆のプラスチックを取り除いても、これが銀なら結構な値段になる筈だ。番号を控えた後はただの用済みの電線だし、持って帰ってもバチは当たらないんじゃないか? マーロンの期待は高まっていた。
「言っとくが変な気を起こすんじゃないぞ。それと、このことは誰にも喋るな。喋ったらお前の口から洩れたことになる。そうしたら」
「そうしたら?」
「多分、お前は一生、太陽の下を歩けなくなる。これはヤバい」
「ひー。おっかねえ」
ジェロムは車を道の脇に止めて、マーロンに対して真剣に話し始めた。
「いいか、これはマジでヤバいんだ。本社に掛け合ってお前にはボーナスでもなんでも申請してやる。だから、本当にこのことは誰にも言うな」
「へ……ヘヘ、ボーナス? い……いくらくらい……もらえるのかな?」
ジェロムの本気の威嚇と説得力の前に、マーロンは軽口を叩けなくなっていた。
「知るか!」
その日、ジェロム達がこの低層住宅地域で巻き取った電線は8本、うち4本は盗電に使われていた電線だった。驚いたことにそのうちの3本が金色がかった銀色をしており、被覆の番号にも、電線のメーカーにさえも共通点がなかった。
「なにが起こってるんだこりゃあ……」
マーロンはジェロムが車を運転する横でスマートフォンをいじっていた。彼が検索していたのは銀の買取相場だ。
「1gで21ペソか……」
「おい、やめろって言ってるだろう! いいか、忘れろ! 二度とそういう事をするな!」
ジェロムがどれだけ怒鳴っても、マーロンの頭の中は中学校以来ほとんど使うことのなかった掛け算の式で埋まっていくのだった。




