第四話:安息日と役得な実験
日曜日、念願の日曜日だ。
この場合の日曜日というのはただカレンダーの数字が赤い日を指すのではなく、会社に行って労働しなくても良い休息日を意味している。
20連勤の後、ついに俺は安息日を手に入れたのだ。途中なにか不穏な要素が入ったが、体と心を癒やすべく、限界までこの休みを、安息を満喫するのが正解だろう。
いや、安息を貪るためにも先にやらねばならぬことがある。
全く面倒くさいが、俺が高次元知的生命体「あいつ」から渡された能力の使い方や使いどころは検証しておかなければ。
まずは能力発動中の見た目だ。この能力を使っている時は運動機能に支障が出ることは経験済みだが、他人様からどう見えるかまでは俺は考えていなかった。
服部によれば昨日の作業の途中、俺の目はあらぬ方向を向き、口は半開き。そんな俺の異様な表情に周囲は騒然となったという。直前に倒れていたからなおさらだ。
……済んだことはまあいい。見た目についてアレコレ考えるのはもう少しこの能力に慣れてからでもいいか。とりあえず、人前で使うのは避ける。以上。
さて次だ。この能力に名前をつけよう。人間の思考は様々な事象や事物に命名していくことで、そこを足がかりとして次に進めるのだ。
まず俺はこの、人やモノといった地上のオブジェクトについてくるパラメータ群とメソッド群をまとめて「レジストリ」と名付けた。ややヤケクソ気味に。
そしてこの能力全般のことを「レグエディット(注1)」と呼ぶことにした。
自分のあまりのセンスの無さに枕に顔を埋めて転がったりもしたがそれも一分ほど。俺はニヒルな半笑いを浮かべて復活した。何、俺はメンタル強化人間だからな。大丈夫。
よし、名前も付けたことだし、せっかくのチート能力だ。有意義に使おう。例えば金儲けにつかえないだろうか。
自分に課せられた重責を考えるに、それくらいの役得は当然あってもいい筈だ。そのために自分の能力を使って何が悪い。
実績はまだ出していないが重責には苛まれるわけだし、何より俺以外の人間が人口を削減することはないと言われているのだから実績は黙っていてもついてくる……筈だ。そうに違いない。
それから暫くの間、俺は命名したばかりの能力「レグエディット」の効果的な私的利用方法についてあれこれと考えを巡らせた。
だが、なかなかこれだというアイデアが出てこない。異世界モノのラノベを結構読んだ経験はあるが、自分がチート能力を使えるなんて思ってもいなかったからこの手の思考訓練が足りていないのだ。
「とりあえず、何かターゲットが必要だよな……」
部屋の中を見渡すと、机の上に薄汚れたマグカップがあった。鳥獣戯画のウサギのユーモラスな絵が描かれている陶器のマグカップだ。
こいつは会社で俺の机に放置されていた迷子カップだったが、いつだったか「私物は持ち帰れ」と通達が出た時、いろいろあってうちに来たものだ。
試しにこのマグカップのレジストリを見てみた。その組成の大半が二酸化ケイ素と酸化アルミニウムでできている。あとはカリウム、マグネシウム、カルシウムの酸化物あたりが多い。
「よし、この組成を変えてみよう」
本当にこの能力でマグカップを構成する物質を変えられるだろうか。さしあたり金にでも。
手足のだるさと首のひきつり、そしておそらくはだらしない表情。不愉快で不本意な時間が過ぎた後、目の前にあった筈の薄汚れたマグカップは薄汚れた黄金のマグカップになっていた。
成功だ。ぱぱらぱぱー!
これでもう俺は一生金には困らない。深夜スーパーの半額弁当を近くの学生と争って買うためにバトルをする必要もないし、T-ポイントのためだけに近くのローソンでなく遠くのファミマに行く必要もなくなったのだ。
まあ、実際のところ俺の生活はそんなに困窮しているわけではない。バカみたいな残業時間の手当として結構な給料をもらっているからだ。だがストレスが溜まる仕事な分ガチャなどで浪費してしまっているので月末はいつも金欠気味だったりする。
しかしもう金欠に怯えることはない。思うがままにガチャを回しまくることだって可能なのだ。ふはは。
もし近くに友人でも居てこの快挙を分かち合えていれば、その友人は、もう会社に雇われる必要すら無くなった事を俺に教えてくれただろう。
俺がそれに気がついたのは夕方、御徒町(注2)の貴金属買い取り業者から黄金のマグカップの金額を聞いた後だった。
―― しかし、この手は何度も通用するのだろうか?
俺は乏しい知識で考えを巡らせた。
あまりパッとしないアラサーがたて続けに黄金のマグカップを買い取りに持ち込んだりしたら、そのうち税務署から目をつけられるのではないか?
買い取りの店を変えたところで領収書の名前は俺になっているだろうし、素人の俺が小手先の知識で税務署を誤魔化すなんて無理に決まっている。
その辺で拾った石を黄金に変えたら変えたで、拾得物扱いされてどこで拾ったかを散々聞かれた挙げ句儲けの大半を地主に持っていかれ、余波で近所でゴールドラッシュが始まるのも困る。
面倒はゴメンだ。今後は慎重に行動しなければならない。
思えば変身ヒーロー達は皆、素性を隠している。隠さなければ大量に舞い込む取材や怪人怪獣討伐の依頼、そして器物破損の賠償請求に応じなければならなくなるからだろう。
彼等は賢い。人並み外れた能力は、秘匿するに越したことはないのだ。
俺は帰りに秋葉原の駅前の宝くじ販売窓口で一等100万円の東京都宝くじを買ってみた。公園のベンチに腰掛けて買ったばかりの宝くじの袋を開けてレジストリを見てみると、各等の当選確率が書かれている。とりあえず、俺は一等の当選確率を100%に書き直してみた。
◆◆◆◆◆
日曜日が終わっていく。ちくしょう。
心の安息を限界まで満喫するどころか、ほとんどの時間をレグエディットの検証に取られてしまったじゃないか。
だがその対価として、おそらく三週間後には100万円が手に入る。
更にマグカップ売却で得た168万円―― 俺にとっては結構な臨時収入だ。
こんなあぶく銭はきっと身につかない。社会に還元するべきだろう。
「……服部を誘ってちょっと豪勢に焼き肉にでも行くか」
俺は服部に電話をかけた。服部は独身で秋葉原にワンルームを借りて住んでいるのですぐ来れる筈だ。
「ああ、服部? 俺、今アキバにいるんだけど、今から焼き肉行かないか? 俺のオゴリで高い肉食いに行こうぜ」
「行く! 行く! 行きます!」
呼び出し成功。服部は光の速さでOKを出し、猛スピードで自転車を漕いで約束の場所、万世橋のたもとにやって来た。
「じゃ、行こうか」
万世橋の近くには有名な高級焼き肉店がある。
俺達は高めの席に通してもらい、とりあえず生ビールを注文した。
「しかしまたえらく張り切って来たな。汗びっしょりじゃないか」
「いやあ、久しぶりの焼肉ですからね。ダッシュで来ましたよ。ふぅぅ」
注文したビールが運ばれてきたというのに服部はまだ息を乱している。
同じ自転車を漕ぐのでも、俺のレグエディットとはやはり違うようだ。
「でもどうしたんすか影山さん。焼き肉奢ってくれるなんてチョー珍しいじゃないすか。しかもこんな高そうな店で」
笑顔だが、何かを探るような服部の表情。裏に特殊な事情があるとでも思っているのだろうか。
「ああ、競馬でひとヤマ当てたんで祝勝会やろうと思ったんだが、一人でってのは流石に悲しくてな。そこでお前に付き合ってもらおうってわけだ。ハハハ」
「ほええ……競馬っすか」
あらかじめ考えておいた嘘だが、服部は感心して目を丸くしている。
すまん。本当はお前が考えているよりもっとデカい裏があるんだけど、言えない。言えるわけがない。
「すごいじゃないですか! いくら勝ったんですか? 半分僕にくださいよ!」
「とりあえず言ってみた系の要求はやめろよ。な? それより、なんか頼め。ほら」
「あぶく銭なら遠慮はしませんよ!?」
服部は目を輝かせながらメニューに目を走らせ、仲居さんを呼んで大量の注文を始めた。
「ええと、上タン上ミノ上ロース上カルビ上サーロイン4人前、ハラミ2人前、オイキムチにご飯2人前追加でお願いします」
「遠慮がなさすぎるぞお前……まあ、でもいいわ。デスマーチ明けかんぱーい」
「かんぱーい」
日曜日の夜はうまい肉と後輩の楽しげな笑顔と共に更けていく。
さっきの物悲しさはどこへやらだ。
なんでも頼んだ肉は黒毛のブランド和牛のA4だかA5等級というものだったらしく、俺のマグカップの取っ手くらいの金額が服部と俺の腹の中に消えていった。
「影山先輩、ご馳走様でした! でも、大丈夫ですか? 相当いい肉食べましたよ?」
「フン、心配すんな。ほら」
レジの数字を見て青くなっている服部に分厚い財布を見せると、服部はほっとしていつものリスのような笑顔を浮かべた。
「うはあ……僕も競馬やってみようかな」
「ハハ、とりあえずお疲れさん。また明日な」
服部は幸せそうな顔をして自転車を漕ぎ出すと、夜の秋葉原のネオンの中に消えていった。
「うぉぷ……しかし食ったな」
焼き肉は存外、腹にもたれる。若い頃は無限に食えたものなのに、もうそんな無茶ができなくなっていた。デスマーチの疲れのせいなのか、年齢のせいなのか……。
俺は帰りの都営新宿線の列車の中で、まだ試していない「レグエディット」について考えを巡らせていた。
そう、生物、特に人間のレジストリ書き換えについてである。
(注1) レグエディット…… regedit.exe から。Microsoft社のOS, Windows シリーズで、システムリソースやアプリケーションの関連付けなどOSに関する多岐にわたる情報を編集するためのプログラム。
(注2) 御徒町……宝飾・貴金属関連業者が2000も店舗を並べる東京の宝石箱のような街。秋葉原と上野に隣接しているので通行人はそれ系




