第三十九話:地味な悪魔
「これじゃ何しにあちこち行ったのか全然解らないじゃない。そろそろ種明かしをしてよ!」
役員会議室として使用中の影山物産の応接室に入るなり、市川さんは普段より高いトーンで怒りながら俺に詰め寄った。
1ヶ月もの間、俺と一緒に海外を回って(といってもほとんど毎日自宅へ戻っているのだが)いたのに何の説明もなく、TVで海外ニュースを毎日チェックしていても何の変化もないから痺れを切らしたらしい。
具体的な間引きの手法を市川さんに言わないのは市川さんのメンタルが心配だからなのだが、これ以上黙っていると彼女との信頼関係に傷がつく。しょうがない、少しだけ解説しよう。
「わかった。話す。話すよ……。なあ市川さん、電線って何でできていると思う?」
「え……? 電線は銅でしょう? 銅線使うわよね?」
「そうだな。銅だ。送電量によってはぶっといのを使うさ。戦争で焼け野原になった街では電線を拾って売って儲けたなんて話もあるくらいだ。さて、その電線の材質を変えたらどうなると思う?」
「そうね。電気抵抗が増えたり減ったりするから、何かしらトラブルが起きると思うわ……ってまさか、インフラを手にかけたの? 酷いことするわね……」
「おいおい、今現在どこも酷いことになってはいないだろう? どういうことだと思う? 上海に行ってから4週間も経っているのに、市川さんの言うトラブルは報じられていないよな?」
「……わかんない。物理は得意じゃないのよ。電気回路は特に」
市川さんは博識ではあるが経済学部卒の文系だ。ガチな電気とか物理となるとてんでダメらしい。TVの科学番組が好きだと言ってたから、そこそこ知識は豊富なようではあるのだが。
「いいかい、銅の電気抵抗率は1.68 × 10のマイナス8乗……面倒だから1.68ってことにしよう。これより低いのは銀で、1.59。逆にこれよりちょっと高いのは金で2.44ってとこだが、この3つが電気抵抗の少ない金属のトップ3だ」
「へえ。で、銅は銀に比べてうんとお安いから送電線に利用されてるのかしら?」
「その理解であってると思うが俺も専門家じゃないからはっきりした理由はわからん。
でだな。俺はこの銅を銀9に対し金1の割合の合金に変えちゃったんだよ。これで抵抗率は1.675。理科年表風に有効桁数で四捨五入すると1.68でほぼ同じだ。
銅線の銅だってどこもかしこも銅100%ってことはないだろう。なんだかんだで1%ほど抵抗は減ってるんじゃないかな?」
「1%くらいならACアダプタや電源回路で余裕で調整できるのよね?」
「そうだな。それくらいは家電でも余裕を持って調整できる筈だ。だから、俺は発展途上国の送電事情をほんの少し、良くしたに過ぎないんだよ。
銀は銅より10%以上重いから、電柱や電線、コネクタにかかる物理的な負担は増えるかもしれないけど」
「それで、電線が重くなると何が起こるの?」
「いい加減なつなぎ方をしていたり、盗電してたりするところがブチブチ切れるかもしれない。あと、電柱が重みに負けて倒れたり、コネクタが接触不良を起こして火花が散ったりくらいはするかもな。
台風なんかで送電線が大きく揺れるようならもしかしたら電柱かコネクタか、どっちかがやばくなる」
「火花って、火事を起こすの……? あんな低層住宅地で焼け出されたらみんな生活を根こそぎ奪われてしまうわ。間引くって言っても、もう少しやりようがあるんじゃないの?」
「いや、火事になるほどじゃないから。そこは安心していいよ。被覆が焦げて周りに嫌な匂いが立ち込めたり、電圧が変動して精密機器が壊れたりすることはあるけど、そのくらいさ。
信じてもらえないかもしれないけど、俺は無差別に誰でも間引くわけじゃなくて、できれば悪人だけを間引きたいと思っている。巻き添えは申し訳ないが、そこまで考えていると何もできないしな。
一人ひとり消していたら、そのうち俺という存在と能力が特定されて自分が消されるからそれも避けたいんだ。
心正しき男女なら、送電線や電柱がおかしくなったら電力会社に電話するよな? これは電気工事屋さんの仕事をちょっと増やしただけだ。何も問題はないよ」
これは俺の基本姿勢だ。市川さんには今まで話さなかったが、これ以上関わるなら知っておいてもらったほうが良い。
「解らないわ。影山さんが何をどう組み立てているのか。ここまで出かかってるんだけど……」
「もうすぐ、いろんなところで何かが起きるよ。だけど、スラム街やダウンタウンの電線のトラブルなんてわざわざBSの海外ニュースで報道しないだろ? 俺達が知るのはもう少し後になるよ」
「線路資材は……?」
「ああ、それは超硬タングステンに変えておいたんだ」
「また分かりにくい物にしたのね」
「とても硬い金属だ……どっちかというとセラミックみたいなもんだな。ドリルの先とかに使うやつだよ。もともと駅の近くの資材置き場に雨ざらしで捨てられるように置いてあったものだし、そのまま使われるかどうかは怪しいね。線路に使われてもあまり問題は無いと思うよ」
「なんか地味ね……」
「おいおい、俺達の行った先々で人がたくさん死んでみろ。どうやったって俺達は目をつけられることになる。タイムラグはあったほうが良いんだ。それに君だって目の前で惨劇が起こるの見たいわけじゃないだろ?」
「それはそうだけど……」
これだという回答をもらえなかった市川さんはまるで高校生のように拗ねている。しょうがない。ご機嫌は取っておかなくては。
俺は大きなため息を一つついた後、市川さんに俺の考えている事を全部話してみた。
「あなた悪魔ね……でも、そんなにうまくいくのかしら?」
「成功率は6割を切るかもしれないが、それでも興味深い結果は出ると思うよ」
市川さんは念願の回答を手に入れたのに後味が悪そうだ。ほら見ろ。だから言いたくなかったんだよ。
◆◆◆◆◆
相田と服部はまだ自分の部下を雇ってくれと俺に言ってこない。限界を超えた作業量を全部自分達で丸抱えしている。これが、マネジメントの教育を受けてない若者の残念な行動選択というものか。
自分が言われた仕事、やるべき仕事を全部、自分一人で終わらせて評価をもらうという教義を社会人一年目から叩き込まれているから「私一人では無理です」などと上司に言うのは最後の手段くらいに思っているのかもしれない。
そういう俺でさえ、自分でスケジュールを守れそうにないのは全部自分の能力の無さが原因だと自責の念に駆られることが多かった。しかし、よくよく考えてみればスケジュールが無茶だったとか、そもそも一人ではできないことを押し付けられていただけだったのだ。人を使う立場になってその事がよく分かるようになった。
つまり、毎日終電になるまで仕事が終わらない日が続くようであれば、今の自分の業務量を客観的に見直したうえで「今の人的リソース配分では業務の継続性が維持できません」と上に直訴することこそが正しい。
しかし、優秀であることを誇りにしている労働者にとって、任された仕事を「できません」と言う事はギブアップと同じだ。彼等は基本ギブアップをしない。優秀だから。
「できません」は今まで積み上げてきた信用を叩き壊す言葉だと思いこんでいる。本当はそうではないのに。
彼等はマネジメント側が不可能を押し付けてきているとは考えもしない。相田も服部も、なまじ優秀であるがゆえにその思考の罠に引っかかっているのだ。
もしくは、目覚ましい成果や、具体的な利益の見通しが立つまでは増員などとても望んではいけない、と勝手に思い込んでいるのかもしれない。それも間違いで、二人共倒れるような仕事なら、仕事を振った奴の考えが浅かったに決まっているのだ。
奇しくも二人とも、沢森の無茶から引き起こされた業務量や精神的負担によって一度は潰れた連中だ。同じ轍は踏ませてはいけない。
俺はベンチャーファンドの仕事でヘトヘトになっている相田と服部を会議室に呼び出した。
「お前らなあ……何のために課長とか部長とかって肩書にしていると思ってるんだ?」
「へ?」
相田も服部も、わけがわからないという顔をしている。
「仕事が回らないほど忙しい時は人を雇っていいんだ。雇った奴らが気持ちよく実力を発揮できて、仕事が回ればそれがお前らの成果なんだぞ。それが課長とか部長とかいう連中の成果の枠組みだ」
「……マジっすか」
「きちんとしたビジネス想定があれば人なんか何人雇ったっていいんだよ。年に何件投資を実行して、投資したベンチャーの何%が5年で上場して……って想定を基に、じゃあ今、何人までなら雇えるかって計算、お前らならできるだろ? できないところはフェルミ推定でやるんだぞ。
特に相田、お前は部長なんだ。だから、株の方で儲けた利益を何%使えば何人雇えるとか、そういうところまで判断してみろ。採用は面倒な作業だが、後で楽になる筈だ」
「センパイ……僕らちょっと前まで完全に下っ端だったんですからそんなのわかりませんよ」
「……そうだな、解った。そのうち管理職研修を研修会社に頼んでやってもらおう。とにかく、今はあまり仕事に根を詰めるな。そのうちまた潰れるぞお前ら」
「しかし現実にこれだけの数のベンチャーが投資を希望しているんです。採用と並行して作業すると僕らは早晩潰れますよ」
服部が小会議室の55インチディスプレイに、Excelで綺麗に纏めた案件リストを映して俺に見せた。
「お前らは人が良すぎる……」
「へ?」
「例えばこの比較表にしても、お前らが定型フォーマットを投資先の連中に送って記載してもらって、それを吸い上げるマクロを作るだけで事足りるだろう?
業界情報も競合比較も市場規模予測も、なんでお前らがやってるんだ。そんなのは本来、投資される側がやることだ」
「え……でも、提出されたデータをハイそうですかと鵜呑みにするわけには……」
「そこは、コンサルの出している市場規模予測とかのレポートをサラッと買うんだ。そして桁の違う数字を提出してきたベンチャーは最初から弾いてしまえ。『該当する市場が無い』という場合だけ、ちゃんと話を聞いてやるといい。そうやって、いくつかの指標と基準を設けるだけで投資判断は相当楽になるぞ。それでどうだ?」
服部も相田も理解できたようで、コクコクと頷いている。
「それとな、この間も言ったが、投資を受けるベンチャーの代表者をこっちに来させろ。向こうに行って視察するのはとりあえず書面審査が終わってからだ」
服部と相田はそのミーティング以降仕事のやり方を変え、作業効率を劇的に上げてしまったようで、俺が推奨した人員の増強計画は実行に移されないままだ。
相田はオフィスの一角に20平米ほどのスペースを囲い、キッチンの設置工事を業者に発注した。中華の名店が使うような10万kcal級の炎さえ出るコンロまで据え付けた本格的なキッチンだ。
ベンチャーの中にはラーメン店などの外食産業への参入を希望する者も少なからずいるので、プレゼンでは目の前で調理させて調理技術をきちんと把握したいからだという。なるほど、いいじゃないか。
服部もキッチンの什器のカタログをウキウキとしながら見ている。
「それくらいの余裕があった方が良いんだぞ」
俺は軽く服部に声をかけてクールに去った。
★★★★★
「影山はいったいここで何をしていたんだ……?」
楊は上海郊外の鉄道の資材置き場に立ち尽くしていた。彼の目の前にあるのは山と積まれた線路資材だ。
「遼寧がギニア湾で沈んだ責任」というよく解らない責を受け、王と楊は彼の上司の鐘と共に冷や飯食いの状態にあった。
元は国務院の総意としての親善派遣艦隊だったが、例の水爆騒ぎが国際問題の火種となり、貴重な空母一隻とイージス艦4隻、随行補給艦も含めると頭の痛くなるような損害を出した軍事委員会は言い出しっぺにそれなりの責任を追及したのだ。
国務院のあちこちで部長級、司長級の首がピュンピュンと飛ばされた。特に通商部については追及がひどく、鐘はあっけなく左遷され、王や楊にも追及の手は及んだのだ。
一時はスパイ容疑までかけられそうになった楊だったが、尋問および身柄調査を徹底的に行われた後、無事シロと判断された。これには彼の日頃のぽやんとした言動・性格も味方したようだ。
だが、さすがに仕事はそれまでと同じというわけにはいかなかった。楊は展示会の営業担当というそれまでとは全く違った業務に就かされることになったのだ。
生来の呑気な性格が幸いしてか、楊はそれなりに前向きに今回の左遷を受け止めた。実際、いろいろ考えても上の判断が覆る事などない。だったら与えられた仕事を実直にこなし、実績を積んで返り咲くのが結局は近道だ。彼の考え方は正しい。
とはいえ、楊の仕事が今までよりは暇になったのも否定できない。
だが、そこは楽天家の楊だ。彼は国慶節を前に一足早い実家帰りをして地元の上海を満喫していた。
国慶節前後は鉄道、空路、バス、どのチケットも高騰する。国外勤務要員として多少は交通費の補助も出るが、私用帰国なのに時節でチケットが高騰するところまではさすがに国も面倒を見てくれない。
なので楊は小狡く前もって上海や深圳、北京で開かれる展示会5件に関連した出張の仕事を入れておいて、国慶節の2週間も前から中国本土に出張で来ていた。仕事の終わる日と国慶節をうまく繋がるようにしたのだ。この辺の抜け目なさは腐っても高級官僚ということなのだろう。
そんな彼が地元の上海を満喫していた時に目に飛び込んできたのが影山と市川の姿だった。
とっさに楊は影山達の後を車で追った。観光地でもない、特に見るべきところもない荒んだ住宅街や駅の資材置き場。そんな所に車を止めては数十秒で走り出す、その繰り返し。
「こんなところで何をしてるんだ、影山と市川は?」
影山は特に車を下りるわけでもない、ただ車を止めるだけだ。
「もしや、窓から何か撒いているのか?」
そう思って楊はこっそり影山の車が停車していた場所を調べたが、怪しい物が撒かれた様子もない。その日、楊の尾行は完全に徒労に終わった。
「あとはここだけか……」
翌日、楊は自分が共産党員であることと、自分の「前の」職務を鉄道資材置き場の係員に説明し、非公式に十分だけという約束で雨ざらしの資材置き場に入る許可を得た。
資材置き場と外の道路を隔てるものは粗末なフェンスが一枚だけ。外から中の様子は簡単に見られるようになっている。
上海に縦横無尽に伸びる地下鉄の資材置き場の一つだったが、地下鉄の整備も一区切りついたため、この資材置き場は近いうちにその役割を終えるのだと係員が楊に説明した。
ここにうず高く積まれた資材のほとんどはレールなどの大物だ。この資材を盗むには大型重機が必要になるので誰も挑戦しない。大型重機を買うカネがあるならそのカネでエンジョイすればいいので当然と言えば当然だ。
影山が見ていたであろう線路資材のホコリを払い除け、表面を観察してもさして不審なところはない。
「何もない……?そんなはずはない。もしかして……」
楊はカバンからiPad Proを取り出し、左側の磁石のついている方を近づけた。
「磁力が弱い。鉄ではないとすると……コバルトを混ぜた合金……タングステンカーバイドか! 」
なぜここに超硬タングステンがあるのか。なぜこれだけ大量のタングステンが放置されているのか? そしてなぜ影山はそれが判ったのか?
楊は考えた。タングステンはクロム族元素のレアアースだ。レアアースと言えば、自分が今、冷や飯を食っている理由の一つでもある。
そして影山もまた、その理由の一つだ。理由が2つあれば十分確証……とまでは行かないが、仮説くらいは立てられる。
「影山は、レアアースの場所を探知できるのか……?」
線路一本分の超硬タングステンの重さは2.3t。買取価格だと500万円を超える。そんなものがこんな雑な警備体制の中で50本近くも転がっているのは何故だ……?
「ダメだ、解らん。こいつはもう下手に関わらないほうが良さそうだ……」
楊は係員に丁寧に礼を言い、何もなかったと言って外に出ていった。
その後彼は実家に戻ると、家族と世間話をしながら月餅を2つ、茶をすすりながら喉の奥に押し込んだ。舌が曲がりそうなほど甘い月餅も、今の楊には気にならない。とめどなく沸き起こる謎の感情が彼の思考と感覚を押し縮めていた。
「もう、考えるのはよそう……これ以上関わってもろくなことがない。そもそも何が起きているのかも解らん。わけの解らないことでこれ以上冷や飯を食うのはまっぴらだ」
楊はそう結論づけると「影山が上海で何やら活動中だ」という報告だけを元麻布のオフィスに居る王に、定時報告に混ぜて報告した。これでいいのだと何度も自分に言い聞かせながら。
報告を受け取った王もまた辛い状況にあり、冷や飯食いのポストに異動になっている。長年の実績を買われてかろうじて日本に留まってはいたが、それだけだ。
しかしそれでも王は良かったと思っていた。王の娘はもう、中国語より日本語のほうがうまく話せるようになってしまっている。今更北京で新生活をというわけにもいかないだろう。
そんな状況だから、王も楊から影山の状況についての報告を受けても何の行動も起こせない。それは楊も理解していた。彼は「影山を上海で見た」ということを誰かに聞いて欲しかっただけなのだ。
だが、王から帰ってきた返事は楊の想像を超えていた。
「楊、冗談を言うな。影山が昨晩、麻布十番で焼き肉を市川と食っていたのをワシは見たぞ」
「王儿、冗談じゃないですよ。私は昨日一日、日が暮れるまで連中に張り付いていたんですよ?」
いったい、どうなっているのか。
楊は自分の見間違いということにして思考を停めようとしたが、それは叶わなかった。
いくら考えるのを止めようとしても、鉄のレールに混じってひときわ輝く超硬タングステンの事と、それをじっと見つめる影山の姿が彼の頭から離れてはくれなかったのだ。




