第三十七話:個人情報の恨み
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8月のある日、ラゴス沖の核テロについて、ナイジェリア北東部に拠点を持つ過激派武装組織が声明文を出した。
「あれは神の光である。神の光は神の怒りの現れである。神は我々とともにある。すなわち彼の光は我々の意思である」
と言った、判ったような判らないような声明だったが、人々はこの声明に飛びついた。すがりついたと言ったほうが良かったかもしれない。
誰もが毎日繰り返される同じ内容の報道に飽きていたし、同時に正体不明のテロリストの影におびえ、疲れきっていた。そこにこの声明文だ。
溺れるものは藁をも掴むとは正にこのこと。「得体の知れぬ誰か」ではなく、実体を伴った無法な連中が先進国の監視網を逃れてこっそり核開発をしていたということになれば、報復なり制裁なり手の打ちようもある。そして制裁ということになれば先進各国は経済、軍事どちらも中東で嫌という程経験済みだ。これに乗らない手はない。
結果、世界はその声明を両手を挙げて受け入れた。
これほど待ち望まれた犯行声明は過去に無かっただろう。渡航制限は解除され、株式市場も徐々に落ち着きを取り戻し、平穏な国際社会が戻った。ちょっとしたデマで株価が乱高下したり、避難警報が出て逃げ惑う人々が階段で将棋倒しになったりするような状況はひとまず沈静化したと言える。
ただ、軍事関連の株だけは乱高下が収まらなかった。米ロ中を始めとした核保有国による壮烈な核開発競争が再スタートしていたのだ。
メディアの中には一連の出来事を鋭く分析し、的を射た発言をする者も居なかったわけではない。しかし、誰に語らせても核テロを起こした人物・団体とその目的についてはグダグダな推測の域を一歩も出なかったので視聴者の興味は次第に薄れていった。
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ローレンス・リバモア国立研究所で米国国防総省からの委託調査のレポートを書いていたアンガスは、この声明文のおかげで今まで矢の催促だった国防総省からのメールがぱたりと来なくなり大喜びしていた。
相方のコリーもこの声明のおかげで助かった研究員の一人だ。従事していたプロジェクトのステータスが「最優先事項:国家機密」から「緊急性低/要継続調査:重要機密」へと移行したため、二人はようやく外出申請無しで機密扉の外に出られたのだった。
「久しぶりに、熱々のステーキでも食べに行こうぜ」
快晴の空の下、コリーはアンガスと街に繰り出した。
「いいな。中華のテイクアウトはもうコリゴリだ」
ジュウジュウと音を立てて脂を周りに飛び散らせるステーキ。それにナイフを突き立てると言い知れぬ幸福感が二人を包む。実に1ヶ月ぶりの外食だ。
おかしなうめき声を挙げながらでハフハフとフィレステーキをビールと一緒に空きっ腹にかっこむ姿は、二人合わせて4つの博士号を持つ研究者にはとても見えない。それほどまでに彼等は「娑婆の味」に飢えていたのである。
「なあコリー……アレ、あの声明、違うよな?」
食後のコーヒーの黒い水面に店の電灯が映るのをじっと見つめながらアンガスはコリーに問いかけた。
「んー。まあな。あんな美人の水爆を連中さんが作れる筈がない」
「だよなあ……」
「そういや今日ウェラーさんが追加の注文受けたってよ。ペンタゴンから」
コリーは付け合せのコーンをひと粒ずつ大事に食べながらアンガスに答えた。ちょっと焦げたところが美味いんだとコリーは説明するのだが、アンガスには正直どうでもいいらしい。
「ウェラーさんが? マジか?」
ウェラーは研究所のナンバー3にあたる科学技術担当の副所長だ。彼女が国防総省から何かしら受注した事が事実なら、それは、コリーやアンガスのように機密扉の内側でステーキが食えなくなる気の毒な科学者がまた何人か選ばれることを意味している。
「てことは、嘘と判っていて一旦ワルモノを設定したわけか……」
「大統領選もあるしな。戦争や紛争があると大統領は再選しやすくなるって言うだろ。軍事的な成果は現職の票に直結するんだ。この際、ワルモノ一味は我が合衆国の敵となって華々しく散ってもらわないと大統領が困る、と、こういう理由さ」
「……連中さん、いくら長いこと山に籠もっていて世間知らずだったからと言って、今回の嘘はちょっとおイタが過ぎたな」
「爆発の後、連中ラゴスで散々略奪を働いたらしいからな。懐が暖かくなって気分が高揚してたんだろう。ま、誰が大統領になっても俺達はまた当分、NIF(注)のご機嫌取りだよ」
しかし、ああ、世は無情。上機嫌で遅いランチタイムを終えて研究所に帰ってきたアンガスとコリーを待ち受けていたのは、誰かに「しばらくステーキはおあずけね」と宣告している筈のウェラーの笑顔だった。
「おかえり、アンガス、コリー。待ってたのよ。二人とも、話があるから私の部屋に来て頂戴」
全てを察した二人は力なく互いの顔を見、肩を落とす。
「畜生! もう2、3枚食っとくんだった」
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夏の蒸し暑い日曜日、市川さんが例の二人乗りの車に乗って俺の自宅にやってきた。
「かっげやっまくーん。あーそーぼ!」
嘘だ。遊んでも楽しいのはきっと市川さんだけだ。あれはそういう顔だ。なんだよ。可愛いニットのワンピースなんか着て。そんなふうに上目遣いで迫って来ても騙されないぞ。
「そんなに警戒しないでよ。無茶なことしないから大丈夫。どうどう」
「ほんとかー?」
警戒しつつも市川さんをリビングに通し、冷蔵庫から冷えた麦茶をコップに入れて市川さんに出してやる。水でも出るやつで俺の夏のお気に入りだ。これと三輪そうめんがあれば俺の夏は他に何も要らない。
「突然押しかけちゃってごめんなさい。今日はちょっと、お願いがあって来ました」
市川さんのお願いは「レグエディットをやってもらえないか」だった。
1年経過するごとに市川さんの肉体年齢はきちんとメンテナンスする約束だがそれは今月ではなかった筈だ。
「いや、今日はそっちじゃないのよ。あのね……」
よくよく聞くと依頼は若返り施術ではなく物質の組成のコピペだった。以前、拳骨大の石をベニトアイトにしたことがあったが、あれをまたやってくれというのだ。
「こっちが、ペースト側でぇ……」
市川さんはトートバッグからタオルを出してテーブルの上に敷き、その上にそのへんで拾ってきたような拳骨大の石を4つ並べた。
「こっちがコピー側」
市川さんが持ってきたのはピンクダイヤ、ブルーダイヤ、アレキサンドライト、フォスフォフィライトと言うらしい。ダイヤの方はダイヤに何か混ざっているそうだ。
価値が低いのか高いのかわからん。キレイなのは認めるが。
後の2つは見当もつかない。アレキサンドライトは昔やっていたネトゲでは貴重なアイテムだったが現実にもあったんだなへー、くらいなものだ。確かサンノゼでも名前だけは聞いたな。
考えてもどうにもならないので、俺はとりあえず言われたとおり組成のコピペをしてみた。同じ方向に同じ組成が連続しているとインクルージョンが規則正しく並んでしまってスクリーントーンみたいな変な模様になるので、拡大したり横にしたり回したりしてなんとなく均一かつなんとなく非対称に。それでいて結晶構造は美しく。……すでにコピペじゃないなこれ。フォトショ加工だわ……。
「ありがとう、助かったわ。三日後にちょっと来客の予定があってね。その時に使おうと思ってるの」
一体何に使うのかは聞きそびれたが、市川さんは4つの拳骨大の宝石を手に上機嫌で帰っていった。
三日後、オフィスを訪ねてきたのはアメリカの宝石商の二人だった。サンノゼで俺達のベニトアイトを偽物と見破っ……因縁をつけてきたヤツらだ。市川さんに話があるとかで律儀にアポイントをとって来たらしい。
肩書的には本部のバイヤーとサンノゼ店の店長だそうだ。
「お……お久しぶりです」
「お久しぶりです。どうぞお座りになって下さい」
市川さんと俺は二人を揃って出迎え、オフィスの応接室に通した。
「サンノゼの店の……確か店長さんでしたね。元気でしたか? 今日はあの石のことでしょうか?
偽物と判断されて買取を断られた後、二束三文で持って行かれそうになったのは良く覚えていますよ」
何をしに来たのかは知らないが、最初にカマしておくくらいは構わんだろう。
「ご無沙汰しております。その節はご無礼を……」
聞けばこのサンノゼの店長が「世界の大富豪特集」という経済誌の記事を眺めていて偶然俺達の顔写真を見つけたのだそうだ。俺達がそんな大富豪とは知らずに以前巨大ベニトアイトを売りに来た時に追い返した事を本部に報告したところ、本部がベニトアイトの真贋を含めて再確認を求め、今回の訪問になったらしい。
「私、影山様が『こんな石はモントレーの海にでも投げ入れてラッコにでもくれてやる』っておっしゃっていたので、毎週休日はモントレーに行って、ラッコの抱える石を一つ一つ、双眼鏡で見て回ってたんです……おかげで何故かラッコの専門家みたいに皆から言われるようになりました……」
サンノゼの店長さん、なかなか思い切った賭けに出る人だったんだ。確かに俺のテキトーな言葉が本当だったら一生遊んで暮らせてたんだものな……。
その会話を片手を上げて制したのがニューヨークから来たというバイヤーの人だった。
「今日はサンノゼの店舗に持ち込まれたという青い原石、あれをもう一度直に見せていただきたくて参った次第です。聞けばあの石は影山様が市川様に譲渡されたとか……」
要するにもう一度見せろってことか。
「そのように事前に伺っていましたけど、困りましたわ。あれがどれだったか判りませんのよ」
「なんと……どれだったか判らない、とは?」
「似たようなのをいくつか持ってますの」
市川さんは俺の家でやったように、しかしちょっと上等な淡い黄色のタオルを敷いて、そしてピンクダイヤ、ブルーダイヤ、ベニトアイト、アレキサンドライト、フォスフォフィライトを並べた。いずれも拳骨大だ。
「こっ……がはっげへげへげへっウーーぉオップ!」
バイヤーさんが盛大にむせた。
「けっ……血圧が……」
バイヤーさん、大丈夫か? ああ、危ない。お茶こぼすところだった。高いんだぞこの絨毯。
「こちらへどうぞ」
市川さんはバイヤーさんを窓際のソファに座らせ、水を一杯飲ませて背中を擦ってあげた。
「おお……どうもすいません。いや、長生きはするもんですな。こんなものが見られるとは……」
あんたどう見ても50そこそこだろうが……血圧はしょうがないとして、長生きとか、何プレイだそれ……
「一応、天然石ですわ。ほら、拡大してみると結晶の方向がところどころ違うでしょう? これがまたいい味だしてるじゃありませんか。といっても大きすぎてカットもできませんからこのままにしてるんですけど」
「ピ……ピンクダイヤが……こんな大きな……」
あれから少しだけだが俺もネット動画で宝石について勉強した。ピンクダイヤは3.8gのものが57億円でクリスティーズで落札されていた筈だ。眼の前のピンクダイヤはカット前だがその百倍以上は余裕である。おそらくカットした時に出る破片でさえ3.8gなぞ超えていくだろう。
「買い取っていただけるならお安くしますわよ。その手のものは趣味じゃありませんので……」
「どちらでこれらの石を……?」
とりあえず、本物認定はされたのかな。話が本物って前提で進んでるな……。
「ご存知の通り、それぞれの石には産地が限定されていますから、その産地周辺としか言いようがありません。それを集めたんですよ。最初の一つがベニトアイトなのは間違いありませんが」
市川さん、楽しそうだなあ。このあいだ沢森を虐めた時、相田がそんな顔してたっけ。
「ブルーダイヤを買うなら私からプレゼントを出しましょう」
せっかくだし俺も調子にのってみた。
「プレゼント……?」
「金♪銀♫パール♬などをプレゼントとしてお持ち帰りいただけますよ」
「……昭和の日本人にしか判らないわよ。それ」
突如市川さんが裏拳でバシッと俺の胸板に突っ込んだ。
あえて自己弁護するが、ライオンのブルーダイヤの金銀パールプレゼントは2008年くらいまではやっていたので、平成の日本人でも知っている人は知っている筈だ。
「お見苦しいところをお見せしてすいません」
「いえいえ。ところで、これほどのものとなるともう弊社では買い取りができませんよ。
王室とか、超大金持ちの家の隠し金庫の奥深くとかで人目に触れずに保管されるべきものと思われます……。
売却をご希望でしたらオークションをご紹介しますが?」
おっさん、目の前に超大金持ちが二人おるぞ……
「いーえぇ、どうしても売りたいってわけでもないので、買い取っていただけないのでしたらしまっちゃいましょうね」
市川さんがポイポイとトートバッグの中に宝石を投げ込んだ。その勢いで一番もろく、モース硬度が3.5にも届かないフォスフォフィライトが硬度10のダイヤモンドにぶつかって割れて飛散したが市川さんはそれを意に介さない。
しゃらん、ぱりんと音のするたび「あああ」とバイヤーさんが叫び、店長さんは破片を拾い集めて「こ……これもらって帰ってもいいですか? 記念に! ね? 記念に!」と市川さんに怒涛の勢いで詰め寄った。
なんという押しの強さ。市川さんもこれには負けて、破片は持って帰っても良いと承諾した。
「冒涜だ……こんなのは冒涜だ……」
ぶつぶつ呟きながらがっくり肩を落としたバイヤーと、なぜか上機嫌なサンノゼ店長をエレベータまで見送った後、俺は市川さんと目を合わせた。市川さんは何故か凄く楽しそうだ。
「ねえ! 面白かったわね⁉」
「お、おう。面白かったな。ああいうこと、やるんだな……市川さんも……」
俺にはそう面白くも思えなかったのだが、市川さんはやけにハイテンションだ。
「……そんなにあの件わだかまってたのか」
「うん、結構ムカついてたのよ。あの後アメリカの金持ちの代理人とやらが何組もホテルに来たでしょう? あれ、私達の個人情報をあの店長が売ったのよ。そこがね。
でもまあ、もう許してあげたわ。面白かったし。あの娘が持って帰ったフォスフォフィライトの破片、大きいやつは100gくらいあったわよね。あれカットして50gになったとしたらいくらぐらいだと思う?」
あの店長そんなことして小遣い稼いでたのか。汚い。やっぱり宝飾品業は怖い。
「わかんねーよ。宝石の相場なんて」
「カットの出来にもよるけど、1500万円くらいかしらね。アメリカからここまでビジネスクラスで20往復してもお釣りが来るわよ?」
「すげえな……そんなすんのか。ただの亜鉛と鉄のリン酸塩だぞアレ……」
「この手の遊びは何度でもできそうだから、アレはとっときましょうね♪」
上機嫌で鼻歌交じりにお茶の後片付けをする市川さんを見て相田が不思議そうな顔をした。
「どうしたんスか? 市川センパイ。甲子園で岡山代表が逆転勝ちでもしたんですか?」
「んー。まあ、そんなとこかな……」
俺は、地元の人達のプライバシーへの配慮の無さのせいで市川さんが散々悩まされていたのを思い出した。所持金の額から際どい個人情報まで興味の赴くままに探り、暴き、周囲にふれまわる事を日常の娯楽にしている人達が市川さんの神経を常に削っていたのだ。
そんな市川さんにとって例の宝石商は許せない存在だったに違いない。本来、富裕層向けにきちんとした顧客サービスを提供する筈の、しかも全米有数の宝石商が自分のプライバシーを売り飛ばしていたのだ。そりゃ市川さんも怒るわ。「遊び」くらいで済んで良かったと、喜ぶべき状況だなこれは。
ま、本人は機嫌が良いようだし一件落着でいいか。今回の件では誰も損はしていない。俺の作ったキレイな石ころが1個だけ、木っ端微塵になっただけだ。
(注)NIF……世界最大のレーザー核融合実験施設。ローレンス・リヴァモア研究所の管轄下にある。




