第二十九話:脅しの入ったキツい説教
「で、これが例の調査の第一次報告書だと、お前はそう言うんだな、楊?」
「はい、王儿。影山物産の役員2名、およびルーカス・マイニングの社長の血縁者が都内高級ホテルで次の事業について打ち合わせをしていたところに出くわしたので、その会話を要約し、自分なりの解釈をまとめたものです。第一次報告で間違いありません」
儿と呼ばれた方がため息をついた。
「影山という男に張り付いていたのは認めよう。会話もそこそこ聞き取れているようだ。直接接触に行かず、まずは様子を見ていたのもいい。しかしだ……」
「しかし……? 何かまずいところがありましたでしょうか?」
「内容がな……。まず調査対象だ。影山本人は良いとして、次に出てくる市川、こいつはいわゆるスタンダードな知的美人だな。
そして相田。米国帰りの理系メガネっ娘。さらに褐色肌のエルフ……じゃなくてアフリカから来た超美人、シャーロット……。
それが都内の高級ホテルのダイニングでキャッキャウフフと女子会をやっていた……と、こういうことだな?」
王がプリントアウトされた報告書と写真をポン、と叩いて楊をギロリと睨む。
「はい。影山、市川は共にルーカス・マイニングの出資者であり影山物産の役員でもあります。シャーロットはルーカス・マイニングの前社長であったルーカスの妹であります。
影山はその報告にある通り、相田と次年度の計画について話し合っておりましたし、市川とは影山物産の利益および納税額に関する会話をしております」
「これではまるで三文小説の御都合展開ではないか。これを本国に送っても、『楊は日本のジュブナイルに頭を犯された』と言われるだけだ。
そもそも、次年度の計画と言っても一部技術分野についての最新情報を影山が相田とやらに聞いていただけだろう?
納税云々は経営者なら誰でも口にする関心事だし、取り立てて報告することでもあるまい」
「儿、私は日本のジュブナイルについて知識を有しておりませんのでご指摘の点は理解が及びません。
ところで、報告したように奴らは我が国の科学技術政策について深い見解を持っておりまして……」
「ああ、清華紫耀のことか」
「そう、それです。看過できません!」
「清華紫耀の投資先は半導体にほぼ特化しておる……生化学分野への投資は行わんのだ。そこはその、相田というやつの説明が間違っとる。本国では知っとる奴の方が少ないが、日本ではウィキペディアにも書いてあるほど有名な事だ」
「!!」
「お前はその相田とかいう女に担がれたんだよ。普通の人間は盗聴やクラッキングみたいに非合法な形で得た情報は正しいと信じ込んでしまうのだ。
相田は盗聴されていると知ったうえで情報に嘘を混ぜ、報告者の信用の失墜を狙った……そうとしか思えん。実際、楊、お前は今回の報告で名を落としている。
ううむ……ヤツは本当に一般人帰りなのか? NSAかCIAの紐付きではないのか?」
「相田についても調査を進めてみましたが、それらしき事実はありませんでした」
「楊、思い出せ。我々が何故この調査を始めたかを。真っ白だったからこそ、真っ白に塗り固められているのではないかと疑ったのだ。違うか?」
「おっしゃるとおりです。儿」
「調査は継続だ。何かあったら報告しろ。とりあえず影山は要観察と本国には話しておく」
「はい。では調査を継続します」
「ああ、それからな、楊」
「はい?」
「影山にはハニートラップは仕掛けるなよ。日頃これだけの美女に囲まれている奴を落とそうとしたらとんでもない上玉を用意しなくてはならん。そんなにこの件に予算は割けんぞ」
「え……無制限の権限というのはどうなりましたか……?」
「言っただろう。勘付かれたら権限剥奪だと。お前は相田に勘付かれたかもしれんからな。
まだ帰国はしなくていい。だがここから先は通常の予算内でやるんだ。竹内に渡す筈だったカネがまだいくらか残っているだろう」
楊は自分が貧乏くじを引いたことにうすうす気が付き始めていた。
しかし悲しき宮仕え。彼も自分の未来と今日の糧のためには影山周りの諜報活動に戻るしか無い。
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「……日本で何をやっとるんだ。あの王楊コンビは……?」
王と楊の上司にあたる通商部市場運営調節司の司長である鐘は、北京のオフィスでため息をついていた。原因は日本に居る王からの定期報告書だ。
鐘は王から送られて来た日本での活動報告の最後の方に付け足しのように添えられていた「日本におけるレアアース調達のマルチソース化による我が国の影響力低下について」というレポートに目を留めた。
前半の前置きに書かれた鋭い問題意識から一転、ラノベのハーレム回のような意味不明な報告が始まり、結局何も解らないから継続調査する、と書いてある。
レアアースや金については懸案事項ではあるが、対日案件の筆頭ではない。それに、もしこれをネタに日本政府相手にゴネるにしても根拠が弱すぎる。
そもそも、本当に日本やアメリカが背後にいたのであれば南アフリカの企業なぞにあの鉱山を売り飛ばさせず、自国で傀儡化しただろう。金やレアアースの販売ルートの世話くらいいくらでもできるだろうに。仮にも両国とも大国なのだから。
中国が脅しの入ったキツい説教をするべきは影山などという小童ではない。ナイジェリアと南アフリカなのだ。いい気になって資源をほじくり返して世界市場を撹乱しているようだが、そもそも我が国に無利子借款や無償援助を提供されていながら恩を仇で返すとは何事か。
「王楊コンビの調査は中止させる。一方でアフリカ方面には一言言っておかねばな……」
鐘は天然資源部と外交部、国家軍事委員会でそれぞれ出世している大学時代の同期に連絡を取った。
「久しぶりに、同期で集まって一杯やらないか」
高級官僚にとって酒や会食の誘いは謀のお誘いだ。
どこの国でも官僚という生き物は常に上のポジションを獲得するための実績集めに邁進している。そんな連中が大好きなのが複数の組織をまたぐような大きなプロジェクトだ。
ゆえに、何か企むならそういう連中を一箇所に集めて一席ぶちあげるだけで良い。後は雪だるま式に話が膨れ上がって行くだろう。
その日の飲み代を持つだけで、自分の昇進ポイントが転がり込んでくる上に国のためにもなるのだ。そんな便利なシステムに手が届くのに、使わない手はないではないか。
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鐘の「同期会」は年末年始をはさんで5回にわたって開催され、関係者を巻き込みながら通商部の持つ問題意識を他の組織へと浸透させていった。
各行政府の上層部で共有された問題意識は多くの調整を必要としつつも提言として綺麗にまとめられ、立派な書類になってさらに上の方へと拡散して行く。
鐘の思惑通りだ。
この提言を受けて2月の半ば過ぎに国務院が出した結論は、6月にギニア湾沿岸諸国への表敬訪問と称して空母「遼寧」を中心とした練習艦隊を派遣するというものだった。
年始はアフリカに中国の外相が訪問するのが当たり前になっているのでこのタイミングを避け、比較的何もイベントのない6月に前世紀的な砲艦外交をやろうというのである。
「手っ取り早く、ナイジェリアの政府高官を空母の甲板に立たせてビビらせれば言うことを聞くんじゃないか?」
驚いたことにこの乱暴なアイデアに行政府の誰も反対をしなかった。
裏には空母保有国であることを今一度、全世界にアピールしたいという思惑があったとかなかったとか。
そもそも練習艦隊の親善寄港はよくある話だ。それは両国間の関係が良ければ逆に名誉なことでもある。
アフリカ諸国は長年中国からの経済援助を受けてきたため、表向きは良好な関係にある。なのでどの国も練習艦隊を派遣したいと言われれば断ることなどできはしない。
また、米国やEU諸国、日本もこの自称親善艦隊の派遣を「軍事力を背景に外交を有利にする砲艦外交だ」などと断じることができる筈も無いのだ。
あれよあれよと話は進み、3月の全国人民代表会議の外事専門委員会、および国家軍事委員会は001A型空母「山東」の就航後に練習空母となる「遼寧」を含む空母打撃群練習艦隊のギニア湾岸諸国への派遣および親善寄港を6月とすることを決定した。
王も楊も、自分達の不出来なレポートが発端で本国ではそんなことになっているとは夢にも思っていない。
「東京も、桜がそろそろ咲きますねえ」
「うむ、今年こそはいい場所を取りたいものだな。頼んだぞ、楊」
2人の頭にあるのはそろそろ咲くであろう桜を見ながら酒を飲む日本の風習、花見のことだけだった。
◆◆◆◆◆
12月のクリスマス前、シャーロットはカリフォルニア工科大学の合格の知らせを受け取った。第一志望のUCLAの合否通知はもう少し先だが、とりあえず来年から大学生になることは確定したわけだ。
年末年始、俺は市川さんとシャーロットを自宅に招待した。
くだらないバラエティ番組を延々見たり、餅つき機で餅をついたり、普段はやりもしないトランプなんかに興じてダラダラ過ごし、日本の年越しを一緒に満喫してもらうためだ。
「イェアアッ! オセチもいいけどカレーもネ! 心に沁みるフレーズだわ!」
最初はコタツとみかんに感動していたシャーロットも、松の内を過ぎるとすっかりスレて謎の言動を繰り返している。要するにカレーを食いたいのだ、こいつは。
「……なあ、市川さん。シャーロットはまだ子供だよなあ? カレー食って大喜びしてるしなあ」
「そうねえ。まだ子供かしらねえ……どう、シャーロット?」
「うーん……ナイジェリアの平均年齢って18歳かそこらだからね。20歳は大人だと思うんだけど……」
ナイジェリア、ホントに人がたくさん生まれてたくさん死ぬよな。
「でもまあ、私はまだ子供かなあって思うよ。何もできないし」
その言葉を待っていた。
「市川さん、シャーロットは子供だそうですよ」
「あらら、子供ですか。でしたらアレですか」
「アレですね」
「お年玉をあげなければなりませんねえ……フヘヘヘ」
「そうですねえ……ヒヒヒ」
俺と市川さんの意味ありげな笑い方。それを見たシャーロットは当然、引いた。
「オトシダマ? オトシダマってあれ? ヤクザが自分の失敗を許してもらうための代償行為? 私なにか失敗した?」
「シャーロット……それはオトシマエよ。そんなことで日本語能力検定大丈夫なのかしら?」
「アハハー。たぶん受かってるよ。たぶんだけど」
楽観主義者め。俺だったら合格発表までは次の試験に向けて勉強してるぞ。
「だったら、合格祝いも含めてお年玉をシャーロットにあげましょう」
「ん? オトシダマってオコヅカイのことなの?」
「日本の子供が年始にもらう、比較的高額なお小遣いをお年玉って言うんだよ。テレビでさんざん言ってただろ」
「あー。なんのことかわからず見てたヨ」
◆◆◆◆◆
「また……ですか。またあなたですか、市川様。そしてお久しぶりですね、影山様。そしてそちらの美しいお嬢様…… この度はおめでとうございます」
みずほ銀行の宝くじ高額当選者窓口の担当係員は青ざめた顔で市川さんを見ていた。その市川さんの手には年末ジャンボ宝くじの当選券が3セット握られている。
そして市川さんの横では、俺とシャーロットが二人してニマニマと気持ち悪い笑顔を浮かべていたのだった。
「聞いた? 美しいお嬢様だってワタシ! ヒャハー」
係員のお世辞にご満悦なシャーロットがすごいドヤ顔で迫ってきたが、俺はこれを華麗にスルーした。お世辞よりも良いものがあるのだ。今日は。
「高額当選の方はこれからどう過ごすか、きちんとした心構えが必要です。当行では当選者の皆様に……って下りはもういいですよね? はい。この冊子をお渡ししておきます」
担当の人、名札には「酒井」と書いてある。酒井さんは「その日から読む本」という冊子を3冊、市川さんに渡した。高額当選者に渡すトラブル回避のための心構えが書かれた本だ。
市川さんはこの冊子を過去に3冊もらっているので珍しくもないのか、ちらりと表紙を眺めただけでバッグにしまいこんでしまった。
それを見た酒井さんは恨み心頭といった様子だ。
「あのですね、ここはもう少し情緒のある空間なんですよ……。当選した人達は大抵喜びは半分。残りはいつ爆発するか解らない時限爆弾を抱えたような、そんな気持ちで冷や汗を垂らしながら私の話を聞くんです。時には涙を流しながらね。私が『よろしければ当行にお預入れを』って言っただけで号泣する人もいるんですよ……?」
それを見るのが楽しみなんですね? ええ、解ります。
「ああ、そうなんですね。すいません。なんかもう、慣れちゃって」
「そりゃ慣れもするでしょう。お二人ともそれぞれ当選は2回め。しかも影山様に至っては米国のパワーボールで500億円以上当選しているじゃありませんか……」
さすが宝くじ担当。俺の海外での当選まで知ってるのか。まあ、4割近く税金で持っていかれたけどな……。
「私は初めてでーす!」
シャーロットが明るく返したが、酒井さんは動じない。
「サマージャンボは買いませんでしたけどね」
動じなかった酒井さんが俺の一言でものすごく表情を曇らせた。
「夏とハロウィン、見逃していただいてありがとうございます。一等当選がここまで偏ると、良からぬ言説、良からぬ人達を招き寄せることも御座いましょうから、お二方におかれましては出来るだけ当選について口外されませんようお願いします」
酒井さん、なんだか可哀想。
確かにこれだけ当選者が偏ると宝くじそのものの存続が疑問視されるかも知れない。もちろん誰にも言わないよ。面倒事はゴメンだからな。
「ああ、今回は私達ではなく、ここにいるシャーロットが当選したんですよ。彼女は現在、銀行口座を持っていないので現金で受け取るとのことです(注)」
そう。一旦俺達が受け取って後でシャーロットに渡すと贈与税がかかる。シャーロットが全額受け取る場合はそれがない。もちろん確定申告をする必要もない。米国は当選金に課税されるが、日本は当選者に優しいのだ。
「ですので、今日は現金で当選金を受け取りに来ました。宜しくお願いします」
「オネガイシマース」
それを聞いた酒井さんが困った顔をした。
「と、言われましても……ジュラルミンケース21箱にもなりますがいかがしましょうか」
「ええ、そのために警備会社に専用車両を回してくれるようお願いしてあります。ご面倒でも、そこまでは運んでいただけないでしょうか?」
「ええっ? 現送車持って来てるんですか? わかりました。毎年何名かの当選者は『現金でくれ』っておっしゃいますのでご用意できますよ。用意しますので少しお時間を下さい」
警備会社の人達も現金の輸送は結構手慣れたものだ。20分ほどで当選金を載せた現金輸送車が地下の車止めから出発していった。
「さ、貰うもんは貰ったし、俺達も帰ろうか」
「ところで、私、いくらもらったの?」
帰る間際のシャーロットの素朴な質問に、酒井さんの心はボッキリと折られてしまったように見えた。根本から。
(注)シャーロットが日本の銀行口座を作るには就労ビザが必要になります。通訳技能者として影山物産に雇用されればビザ取得は可能ですが、そのためには日本語検定の合格を待つ必要があります。




