第二十七話:探りを入れろ
「どうだ? どのスジだったのかわかったか?」
中華人民共和国通商部―― 元麻布の有栖川記念公園の近くにある肌色のレンガづくりの建物の中で2人の男が話をしていた。
ふんぞり返って聞いている方は幹部クラス、報告している方は30歳くらいの使いっ走りといったところか。
「いえ、どうも背後には何も無いみたいです。本当に、あの山を『ここだ』と決めて掘ったら運良く資源が出たとしか」
調査はしたが結果は予想と違った、といったところだ。それを聞いて幹部の男は声を荒らげた。
「それで金やレアアースが何万トンも出るなら俺だって掘るわ! 影山物産とやらの背後関係はちゃんと洗ったのか?」
「勿論洗いましたよ。日本政府との関係、米国、EU、ロシア、そして身内の中国まで全部洗いましたがシロです。ただの民間人ですよ」
「ぬぅぅ。そこまで調べて尻尾を掴ませないとは……我が国を舐めやがって……」
幹部の耳には「シロ」という言葉は受け付けて貰えなかったようだ。
「あ、いえ、だから本当に民間人なんですって。社長は80歳のじいさんです。何か企んでいるようには見えません」
「……楊、お前のその、上海交通大学で首席だか次席だかって触れ込みのスッカスカな脳味噌にもう一度だけ、順を追って説明するぞ」
「はい。お願いします。王儿」
楊と呼ばれた若い方が背筋を正し、幹部の男の方を向いてキッと眉を上げる。それを見て王と呼ばれた幹部の男がなだめすかすように話を始めた。
「我が国のレアアースのシェアは今後どうなる見込みだ?」
「今年までは95%でした。来年は……総需要量が今年と大して変わらない場合、価格競争が始まります。計算課がはじき出したナッシュ均衡は78%です」
南アのゴールドプレーンは今後何年かに渡ってレアアースを販売するが、ナイジェリアのラゴス州東部の鉱山からは年間2万5000トンを採掘・販売できる見込みらしい。
「そう。我が国のこの分野の影響力が17%も削ぎ落とされるのだ。よりによって無償の政府開発援助やらなにやらしてやってる国にな。さらにだ。我が国の金生産量は毎年何トンだ?」
「460トンから490トンで、世界一です」
「あの山からは何トン採れるって?」
「毎年500トンです」
「じゃ、世界一は?」
「ナイジェリアになります」
「その金を世界一輸入してるのはどこの国だ?」
「我が国です」
「つまりだ、あの山があるせいで、我が国はどうなる?」
「……レアアースを武器にした影響力に陰りが出、金の生産世界一の座から転がり落ち、さらにはその山からの金を多く輸入してカネを失います」
……言われてみれば酷い有様だ。さすがに楊もこれはまずいぞと気がついた。
「……結構だ。現状把握はできているようだな。さて、そこからだ」
「どこです?」
「……さて、どこだろうなぁ?」
「すいません。昔なにかで読んで、いつかやってみようと思っていたボケでした」
場の緊張感をいくらかでも和らげようとした楊の気持ちも虚しく、王のこめかみには怒りの血管が浮き出ていた。しかしそこは幹部職、王は自らの怒りを巧妙に鎮め、低い声でその場の仕切り直しを図る。
「楊、ほどほどにしておけ。話の腰を折るな」
「わかりました」
「それほどまでに我が国のメンツと経済にダメージを与えておいて、背後を調べようとしたら逆に長年育ててきた枝を折られたのだぞ? それも極秘裏に、あっさりとだ。疑獄事件にでもなって、首相のクビが飛んだりした方がまだスッキリするというものだ。違うかね?」
「は。竹内はもう使えません。また、報道機関がこの件で政府を追及したといった事実は現在のところありません……」
「そこまでできる普通の民間人がいるのか? 私には、超国家規模の陰謀とエージェントが暗躍しているようにしか見えないのだが」
ここまで説明されても解らない人間はそもそも国外勤務に抜擢されない。楊は王の意図を全て汲み取って、自分が何をするべきかもだいたい理解し、その実行のプランを頭の中に組み上げ始めた。
この時点での楊の不幸は「そこまでできる民間人」が実際に存在したということだ。普通かどうかは怪しいが。
「言われてみれば……もう一度洗ってみます。竹内は最後の接触の際『影山物産は日本国内でも採掘を開始する計画がある』と言ってましたから、背後に動きがあるかもしれません」
「よろしい。楊同志は本日より市場運営調節司と兼務だ。本件の調査には共産党が通商部管轄下において、楊同志に必要な職務権限を無制限に与える。ただしこの調査について調査対象および背後にいると思われる国・団体等に知られた場合、全て調査を中止して速やかに帰国せよ。」
「拝命しました、儿。これより私は日本企業・影山物産とその経営者らについて調査を行い、資金の流れ、背景にいるであろう支援団体・組織、その他有用であると思われる情報を収集し、党に対し報告を行うことを目的に行動します」
市場運営調節司とは表向きはその名の通りの部署だが、いわゆる諜報活動や非合法活動を行う部署でもある。だが、彼等の活動の規模や手段は軍などよりは遥かに大人しい。
彼等の手口は古風だが効果的だ。ハニートラップや小遣い漬けなどで赴任地の官僚や民間企業の幹部の自由を奪い、自国の利益のために働かせるのである。
何かつけ入るスキを見つけたらうまく拗らせて、国際問題として大型化するのが彼等の活動の特徴だ。
国際世論が食いつけばしめたもの。次は外交の舞台で相手政府との調整に入り、半ば強引に利益をもぎ取っていく。手っ取り早くいうと「大騒ぎして引っ掻き回して有る事無い事言って相手に譲歩させちゃうぞ」というやつである。
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実家に戻った市川の毎日はお世辞にも快適だったとは言えなかった。陰鬱、という言葉がこんなにぴったり当てはまる状況は無いとさえ思えるほどだ。
影山物産の株の持ち分と、ルーカス・マイニング株の売却による現金資産、双方合わせて今や日本一の資産家になった彼女のもとには連日マスコミ、資金目当てのNPO、名前も知らない親戚、子連れの宗教勧誘、自称高校時代の同級生、そして昔の男を名乗る人間が絶え間なく訪れていた。
普通に考えてこの訪問者のラインナップで機嫌が良くなる方がおかしい。その中でも最も彼女を苛立たせていたのは昔の男、三箇山の再三の来訪だ。
何かの拍子に報道された市川の姿を見た三箇山は、市川が十歳近く若返っているのをその偏執的な年齢センサーで嗅ぎ取っており、執拗に市川に復縁を迫っていた。
「あのねえ、前連れて来た娘はどうするのよ? 三箇山さんあの娘とやって行くって言ってたじゃない?」
「心の迷い、気の迷いだったんだ。あいつとは別れるよ。君がそんなに若いなんて思ってもみなかったもんだから……」
「あら、私だって今は若作りしてるけど、いずれは老いるわよ? そうなったらその娘みたいに捨てられるのかしら?」
「そ、それは……」
「あなた言ったわよね。『25歳以下の女でないと付き合えない』って、私に、はっきりバッチリ言ったわよね? 私そろそろ三十路なんだけど?」
「君みたいな三十女はいない。僕は22歳の時の君をちゃんと覚えている。今の君は良く解らんが22歳だ」
変態というのは凄い―― 市川は驚嘆した。
週刊誌の写真を見ただけで自分の肉体年齢を的確に当てる能力、恋人と別れてまで復縁を迫る無恥厚顔な行動力、双方が常軌を逸している。
予想の付かない行動が恐ろし過ぎて味方にも敵にもできない、厄介なことこの上ない人種だ。
「買いかぶりすぎだわ。私には今唸るほどお金があるから、美容にお金かけようと思えば幾らでもかけられるの。あなたはその効果を見て発情してるだけよ」
「そ、そんな……」
「そもそも、あなた、私とやり直すにしてもどうやってやり直すの?
私と何か分かちあい、惹かれあい、解りあえるものをこれっぽっちでも持ってるのかしら?」
三箇山が市川と付き合っていた当時なんとか形になっていたのは、年齢にそぐわない高い年収と親の資産で実現した数々の手練手管があってのことだ。
高価なプレゼント、海外旅行、予約を取るのが難しいレストラン、高級外車でのドライブ……20歳そこそこの女性がそんなものをたて続けに与えられたら、たとえ市川でも抗しがたい何かに囚われてしまう。
それを恋愛感情だと錯覚した結果、大きなトラウマを抱えたのは市川のミスだ。しかし、現時点での市川はトラウマはともかく錯覚からは完全に抜け出せていた。
「君との楽しかったあの頃の記憶をもう一度……その続きを、というのではダメなんだろうか」
「なにそのセリフ。もしかして必死で考えてきたの? 」
市川の顔から失笑が溢れる。
「……」
「楽しかった頃の記憶って言うけどさあ、ミカさん、あなたとのお付き合いはもう相当な過去で、しかもありきたりの思い出よ? あなたに用なしって言われてから私はそれこそ修羅のような現場をくぐっててきたわ。
ミカさん、1年で6兆円稼ぐってどれくらいの体験かわかる? 私ね、別に6兆円の宝くじに当たったわけじゃないの。
この1年で会社を作ったり、ペーパーカンパニー買ったり、合併させたり、山ほどの重機を輸出させたり、身銭を切って鉱山会社に出資したり、金相場でバカみたいなレバレッジ利かせたり、合間にサルやワニに命を狙われたり、当たり屋の高校生の面倒見たり、多分、全部あなたが一生やらない事ばかりよ」
「俺との思い出はもうとっくに過去に置き去った陳腐な出来事だと言うのか……? しかも、今騒がれている君のカネ、全部自分で稼いだって言うのか……俺が君の足元にも及ばない人間だと……?」
「そうは言わないけどね。なんならミカさんに感謝してもいいわ。あなたが原因のトラウマとコンプレックスが無かったら今の私はないからね」
「だったら、そのトラウマを僕に癒させてくれ。お願いだ……やり直すチャンスをくれ」
「うーん、多分無理かな。私が今、こうなるために乗り越えた苦難は一つやニつじゃないの。しかも、その時運命を共にした仲間ってのがそれぞれ居てね。彼等と分かち合ったモノはとてもじゃないけどマンダリンホテルのコース料理やネズミーランドの花火じゃ置き換えられないなぁ。
それにね、何よりも無理な事があるの」
「何がそんなに無理なんだ?」
「ミカさんカッコ悪いよ。もう33歳くらいだっけ。お腹は出てるし腕はヒョロヒョロだし、歳とったわよね。生え際も後退してるじゃない?
それにまだ実家暮らしでママの作ったご飯食べてるんでしょう? 私、あなたのママに作って差し上げるご飯なんか作れないしねー。
ナイジェリアに居た時もずっとご飯作ってもらってたし」
「だ、誰に? 誰にだよ⁉」
「あなたが知る必要、あるのかしら?まあいいわ。教えてあげる。33歳以下で、ママと暮らしてなくて、若い女マニアではない人よ」
「なんだって……?」
「驚いたり怒ったりするのは筋違いだってのは分かってるわよね? あなたが何年か前に私にやった事、そのままよ?
あの時、私はあなたになにも言い返せなかったわ。あなたはどうなのかしら」
取り付く島もない市川の態度にガックリとうなだれ、去っていく三箇山。
なんだ。こんなもんか――
市川にとってもそれは拍子抜けな何分間かだった。さぞやトラウマの払拭に繋がる世紀のイベントかと思いきや、路傍の石を蹴飛ばしたほどの感想も持てないつまらない出来事だったのだ。
「あーあ、そう言えばここんところ影山さんと会ってないなあ……」
影山のことを思い出したタイミングで市川の腹がクゥ、と鳴った。急にカレーが食べたくなったのだ。市川の顔に苦笑いが浮き出る。
「ふふ。シャーロットじゃあるまいし……。そういえばあの子もそろそろ影山さんに会いたいんじゃないかな?」
念入りに出かける準備をすると、市川は買ったばかりの車で吉備津駅へと向かった。
駅舎の前に車を駐めて電車の往来をぼーっと見ていること20分、作業着を着たままのシャーロットが少々疲れた様子で改札から出て来る。今日も一日ボランティアでお疲れ様のご様子だ。
市川は軽くクラクションを鳴らしてシャーロットを呼び止め、悪戯っぽく話しかけた。
「シャーロット、ちょっと私、影山さんとこ行ってくるけどあなたも来ない?」
その提案にシャーロットの疲れた顔がぱあっと輝く。最近一番のいい笑顔だ。しかし、次の瞬間市川はシャーロットの後ろで鼻を伸ばしている男を見つけて眉間に皺を寄らせた。
「シャーロット、ちょっと、何そいつ?」
「ああ、ミカヤマって言うんだけど、さっき駅のホームで私を見そめたんだって。日本にもこんな情熱的な男いるんだね。だいたいみんな私を遠巻きに見てるだけなのに」
「シャーロット、そいつは世界に名高い日本のヘンタイって奴よ。近寄っちゃダメ」
市川はシャーロットの手を引っ張って三箇山から引き離し、蛇蝎を見るような蔑んだ目で見た。
なんだこいつ、私がダメならすぐ次か。しかもよりによってシャーロット。
目の付け所はさすがだが生憎、あんたの思い通りにはさせないわよ。てか、どうやってここまで来たんだ……?
「ああ、これがヘンタイかあ……。残念。私にはこんなのしか寄ってこないのね。最近じゃボランティア先まで大きなレンズのカメラを持った連中がいっぱい押しかけてきて、リーダーになんとかしろって言われてるんだぁ」
「それと同類よ。カメラ持ってないだけで」
「そうなんだあ。あの人達、すごい望遠レンズで私の胸の谷間や脇の下ばっかり撮ってるんだけど、ミカヤマもそれと同じかぁ……」
「ちょっとシャーロット、何残念そうな顔してんのよ。乗って。岡山空港にヘリを待たせてあるわ」
市川は手早く荷物を積み込みシャーロットを助手席に乗せると、玩具を取り上げられた子供のような顔をして車に近寄ってくる三箇山に言った。
「悪いわねミカさん。この車、2人用なのよ」




