第二十五話:一番簡単な恩の返し方
俺はラゴスを離れる決心をした。
理由はこの身の安全の確保だ。急に世界の金持ちランキングの末席に名を連ねることになったこの状況で市川さんがナイジェリアに戻ること、俺がラゴスに住み続けることはともに相当な危険がつきまとう。いつ身代金目当てに誘拐されるかわかったものではないのだ。
俺と市川さんは大場社長に今回の件を出来るだけ誠実に伝え、出向先の壬生商事と出向元の壬生システムに退職届を出した。俺は久しぶりに厳戒態勢を解いたラゴスオフィスで、市川さんは岡山からの退職届の提出だった。
「本当に辞めっちまうのかよぅ。やっぱり日本人はすぐ帰っちまうんだなあ……」
「命の危険があるならしょうがないねえ……こないだもタンザニアで大金持ちの誘拐事件があったばっかりだし」
ジャゴダさんと大場社長が俺との別れを惜しんでくれる。いい人達だ。
この1年で発電部門を立ち上げたし、当初の予定通り仮想通貨部門も建てつけた。結構頑張ったよな、俺……。
「大場社長、急な話ですみません。仕事の方はもう、私の方でできることは終わっていますので、後はしっかり稼いでください。
ジャゴダさん、娘さんへの化粧品とUVクリームちゃんと送りますね。蚊取り線香と虫よけスプレーは大場社長に言ってください。商社の伝票ついてない荷物はなくなっちゃうらしいので……」
「おう。お前は日本に帰っても、娘っ子に襲われないように気をつけるんだぜ?」
「ははは。結局こちらでは一度も襲われませんでしたよ。余程変な匂いでも出してたんでしょうかね。俺は」
ジャゴダさんが白い歯を見せてガハハと笑い、つられて俺も笑った。半分は苦笑いだが。
ジェットコースターのような一年だったが、決して辛かったわけではない。むしろ楽しかった。
2号建屋の操業も視野に入り、1号建屋の発電力で順調に仮想通貨のマイニングも欧米IT企業への電源供給も始まっていたので仕事には未練タラタラだ。せっかく持ち込んだEX8000だって結局自分で運転していない。
解っている。優先すべきは自分の命だ。EX8000 だって、自分で買っても全然大丈夫なだけのカネがあるのだから安全なところで溜池でも掘ればいい。
俺がラゴスでやるべきことはもう、ないのだ。
命の安全のためには未練は断ち切ろう。そう決めて俺は帰国の手続きを進めた。
◆◆◆◆◆
「ふう、こんなもんか」
部屋は解約したし、メイド部屋にあったシャーロットの荷物も全部まとめて岡山に送った。これで綺麗サッパリだ。
市川さんの部屋の整理は業者に任せるらしい。業者に任せられない小物や書類だけまとめて送ってくれと頼まれたので、俺の荷物と一緒に日本へ送っておいた。
出発の日まで、身辺の警護はデルフィノさんに依頼した。残念だがデルフィノさんはまた職探しだ。
しかしなんだ、彼のキャリアはこのままハイさよならをするには惜しい。彼のような専門家との縁は是非大事にしたいところだ。
そこで俺はデルフィノさんに1号建屋の住み込み管理人をやる気はあるかと聞いてみた。返事はOK。当面の職としてはまんざらでもないらしい。これを受けて、俺は大場社長に話を通し、デルフィノさんを管理棟の主に据えおいた。
管理棟の近くには例の金山があるので、管理棟に売店を作っての飲食物の販売や、簡易宿泊施設の提供ができたら採掘業者相手に儲かる筈だ。俺はそんな構想を大場社長に耳打ちしておいた。もしかしたらそれでデルフィノさんの給料くらいは出るかもしれない。
あの辺りは近いうちに世界最大の金山になる。電力需要も、従業員へのサービス需要もきっと増すだろう。さらにデルフィノさんによる防犯能力があれば壬生商事ラゴスオフィスの将来は結構安泰なんじゃないか? うん。きっとそうだ。
数日後、俺はロンドン経由で日本に向かった。さらばラゴス。
◆◆◆◆◆
日本に戻った俺は一応、形式的に壬生の本社の人事部に顔を出した。
いきなり出向社員が二人も退職届を出したことで、壬生本社では出向元への説明も含めて人事が大騒ぎになったようだ。
「大場社長が何か問題のある行動をしたのか」などと一通りの事情聴取を受けたが、退職の理由が「これ以上働く必要がなくなったから」だと俺がきちんと説明すると人事方面の混乱は収まった。
ただ、金属資源部からの問い合わせだけはいつまで経っても減らなかった。彼等は金属採掘のプロなだけに、世界中の鉱山・採掘業者に情報ネットワークがある。
話題の新興金山の元・持ち主が自社に籍を置いていたことやナイジェリアに自費で買った巨大な建機まで持ち込んでいたことを知った彼等は、どのような調査法を使って密林の中の禿げ山を資源の山だと見抜いたのか、確信を得たのはいつか、更には現地の治安状況や州政府との交渉にいたるまでを事細かく俺に聞いてきた。
俺が丁寧に……そう、非常に丁寧に練り上げた嘘と、ルーカスから聞いた州政府との交渉内容などについて彼等に教えてやると、やはりというか皆さん大喜び。彼等は物語でも聞くかのようにその成功譚に驚愕し、まるで我が事のように喜び、その後は決まってその興奮を肴に宴席へとなだれ込むのだった。
◆◆◆◆◆
ルーカスは俺と同じ便で日本へと飛んだ。あいつもナイジェリアを離れるらしい。
一生どころか百回生まれ変わっても豪遊しながら生きていけるだけのカネを手に入れたのだ。自由にやりたいことをやって生きていきたいというヤツの言い分にはおおいに賛成したい。
あいつは殺されてもおかしくない状況で、ゴールドプレーンの幹部とラゴスの産業局長を向こうに回してきっちりビジネスを成功させたのだから、それくらいの報酬はあって然るべきだろう。
あいつはもう月給9万円の運転手である必要はない。医者なりIT企業の社長なり、なんなら今回の稼ぎの501億ドルを毎日数えながらでも、好きに生きて行けばいいのだ。
俺はルーカスとの雇用関係を、ヒースロー空港のビジネスラウンジで清算した。
遺恨はなかった……と、思いたい。
★★★★★
ルーカスが来日後訪れたのは岡山だった。シャーロットに会うためだ。
シャーロットは倉敷の水害地域で通訳のボランティアを精力的にこなす傍ら、手が空いている時は炊き出しの手伝い、支援物資の仕分け、海外からのマスコミへの対応などやれることは何でもやっていた。
9等身近い抜群のプロポーションに彫りの深い顔立ち、褐色の肌、全体的にはスリムなのにカレーの栄養で膨らんだ大きな胸、そして完璧な日本語―― シャーロットが作業着を着て現れると誰もが目を奪われ、ほう、と息を漏らすのが毎日の現場のお約束だ。
「シャーロット、お客さんだ」
ボランティアリーダーが、ルーカスの来訪をシャーロットに伝えた。慣れない日本の地図と標識を頼りにようやく被災地域に辿り着いたルーカスは少し疲れているように見える。
「はぁーい。あ、なんだ。兄さん、どしたの?」
「やあ、久しぶり。頑張ってるね。今日は話があって来たんだ」
ルーカスは自分がビジネスで大成功を収めたこと、身の危険を感じてナイジェリアから出てきたこと、影山との雇用関係を清算したことなどをシャーロットに報告した。
「すごいね! やったじゃん兄さん!」
「で、だ。話した通り今じゃ十分な資金もあることだし、アメリカで気ままに暮らさないか」
「え?」
かなり魅力的な提案をしたつもりのルーカスだったが、シャーロットはその提案に眉をひそめ、首を横に振った。
「それで、兄さんは影山さんに『アリガトよ、ハイさよなら。お前とはこれっきりだ』って言っちゃったの?」
「そんな言い方はないだろう……俺だって随分苦労してきたんだよ。
ようやくまた二人で暮らせる日が来たんだ。喜んでくれたっていいんじゃないか?」
「そりゃ兄さんは今回は頑張ったよ。すごいよ。褒めてあげたい。でも、その500億ドルは影山さんが全部お膳立てして、兄さんにくれたも同然のものなんだよ? その証拠に、兄さんは会社を始める時に1ナイラだって出してないでしょ?
私は兄さんがそんなに鈍感だったなんて信じられないよ。だってさ、一番簡単な恩の返し方はもうできなくなっちゃったんだよ?」
「一番簡単な恩の返し方?」
「兄さんが持ってるお金を全部影山さんに渡しても影山さんはもう喜ばないんだ。一生使い切れないほどのお金を、兄さんの倍も持ってるんだからね。
まさか兄さんは、影山さんにこき使われた怨み心頭で今までの給料を叩き返したってわけじゃないよね?」
「そんなことはない……。俺だって、今までのことは感謝してるんだ。結構なストレスをかけられたことには腹も立ってるが……」
「忘れちゃいけない。あたし達が一番困ってた時に助けてくれたのは影山さんなんだ。あたし達を雇ったり、兄さんに会社を経営させたりすることって、影山さんには何の得もなかったよね?
あたしは家事なんて見よう見まねだし、兄さんの運転手の仕事だって、実際は月に三、四回しかなくて、それすら兄さんが実験に入ったら影山さんは呼ぶのを控えてたんだよ?
……あの人は、あたし達が困ってた、だから助けてくれたんだよ」
「……」
「それにね、兄さん。影山さんのミブでの給料っていくらだったか知ってる?」
「……俺が日本人の給料の額なんか知るわけ無いだろう。俺とお前を雇って、ベンツに乗って、さぞかしもらっていたんだろうさ。億万長者だったんだし」
「あたしは聞いたことあるよ。月額で6000ドルだってさ。でも、税金で四割近く持っていかれて使える金額は3700ドルってとこらしいよ。だから、あたしの高校の授業料2万6000ドルを払うにはあの人の半年分以上の給料が吹っ飛んだんだ。
もちろん影山さんには貯金があるから痛くも痒くもないかもしれないけど、私はそれ聞いた時頭が上がんなかったよ……」
「……そうか。そうだったか……」
「あたし達兄妹は、影山さんに受けた恩をなにか違う形で返さなきゃいけないんだ。まだそれがどんな形かはわからないけど……。
兄さん、あたしは絶対、あの人が困っている時に一番近くに居て、あの人を助けるんだ。そうしなきゃいけないと思ってる。
だから、アメリカの大学には行くけど、それは兄さんと二人でアメリカで面白おかしく暮らすためじゃないんだ」
「……わかった。俺の認識が間違っていた。影山さんには感謝だな。その気持ちは忘れないでおこう。一度、ちゃんとした席を設けて二人でちゃんと、ありがとうって言うことにしよう。
ところで、大学には行くんだろう? 俺は一足先にアメリカに行って家でも借りておくよ」
ルーカスもまた、米国籍を持っているので彼の国の大統領が何を言おうが不法移民扱いを受けずに米国に居を構えることができる。シャーロットのために地ならしをしておくことくらいは今の彼には朝飯前だ。
「大学には行くよ。今のあたしには何もできないからね。そんな人間が側にいても影山さんの役には立てないよ。あたしはあの人の役に立つために、大学に行って武器を手に入れるんだ」
シャーロットの意思は固い。今ここで頭ごなしに何かを言ってもこじれるだけだろう―― そう感じたルーカスは引き下がり、市川の家に土産を持って挨拶を済ませると米国へと旅立って行った。
「妹をよろしくお願いします、それと、カレーは週一までにしておいてください」
その一言でシャーロットには相当恨まれたようだが。
ルーカスは別に落ち込んではいなかった。シャーロットがアメリカに来て、安全なキャンパスライフを送ることまでは確約されたも同然だ。
そう遠くない未来、彼女は嫁に行くなり職を得て家を出ていくなりで離れ離れになる。残された数年間を大事に過ごせればルーカスはそれで満足だった。
「俺達が困っていた。だから助けた……か」
ルーカスは初めて体験する秋の風に吹かれながら、自分も何か、やれることをやってみようかな、と考えていた。
★★★★★
その後しばらくして、ナイジェリアの若い起業家達の間である噂がまことしやかにささやかれ出した。将来有望だがカネのないヤツのところに「ルーカスの使い」と名乗る女弁護士が来て、資金援助や投資をしてくれるという噂だ。
「……逃げたくせに、人使い荒いわよ」
ルーカスからIT企業の株を半分譲り受けて社主兼顧問弁護士になったライラはちょっと疲れた顔をして、主のいなくなった社長室の天井に向かってつぶやいた。
「逃した魚、おっきかったかなあ……」
ライラさん33歳。実は年下好みだったりする。




