第百四十二話:日々の未来
とりあえず、俺は「あいつ」からもらったよく判らない機器を、その機器の大きさと色合い、形状から「アケビ」と名付けた。試しに「アケビ」と呼んでみたが応答はない。
うん。知ってた。そういうもんじゃないってことは。
アケビには表面に独立した突起部が一つある。おそらく何かの起動スイッチだろう。
ただ、これを押さなくても外殻を触るたびに触った場所が鈍く光ったりするので表面全体がスイッチということも考えられる。
触るとほんのり温かいし、いつもどこか光ってることから考えるとおそらく電子機器の類なんだろう。それくらいは俺にも判る。
だがその機器の持つ機能が俺には全く想像がつかない。うん、全く。
『今日は国立大学の二次試験が全国各地の大学で一斉に実施されました。三重県津市にある三重大学では県内県外各地から訪れた受験生が真剣な面持ちで――』
寂しいから何となくつけていたテレビの音声にアケビが反応していた。やはりところどころ光っている。いったい何をしているのやら。
あれ? そういえばこれを「あいつ」から渡されてもう数日になるのにやけに景気よく光っているな……。充電した覚えもないのにずっと稼働し続けている。さすがは「あいつ」の世界の工業製品と言うべきか……。
え? まさか、バッテリー残量に当たる部分のレジストリを自分で書き換えてるのか?
えええええええええええええええええ?
レグエディットって小脳みたいな複雑な構造の生体組織じゃなくても実装可能なの? というか、機械で実現可能なのか?
あ、当たり前か。もともと接続先はコンピュータシステムなんだから、クライアント側が機械であっていけない筈がない。
てことは、アケビのテクノロジーを使えば誰でもレグエディットと同等のことが出来るんじゃないのか? そしたら外宇宙航行だって、宇宙船の座標を書き換えるだけで実現するじゃん!
おお、人類の新たな科学文明の幕開けが!
いや待て。そのためにはこの世界がシミュレータ上の世界、すなわち仮想世界であることを世に知らしめることと、たった一つしか無いアケビの作りを解き明かすための技術基盤が必要だ。
俺1人でこんな大きな文明の扉を押し開けられる筈もないから、それなりの人数の科学者や技術者の協力が必要になることは間違いない。
だが現状、今の地球文明には自分達がいる世界が仮想世界であることを受け入れるだけの素地はないのも確かだ。
実際にそれをレグエディットを使うなりして証明して見せたら見せたで、俺はまたどこかに拐われてしまうだろう。熱心な宗教家の皆さんになぶり殺しにあうかもしれない。
では、どうすればいい? マナが貯まる度に賢そうなやつを選んでレグエディット的な能力を付与するか? いや…… それはモンスター化が怖い。普段品行方正だからと言ってもこんな力を手に入れたら人間どういう風に豹変するかわかったもんじゃないしな。
じゃあ、小脳がすでにシステムに繋がっている女性陣4人と子供をもうけて貴子さんのような天然能力者を増やし、世代を経て当たり前の概念へと昇華させる?
うーん……そんなこと言い出しただけでみんなに殺されそう…… というか能力者とそうでないもので壮絶な階級闘争が始まりそうだなあ ……。
「これは寓話的な思考実験の命題を考えて、それに対する天才的な解答を待つしかなさそうだな……」
アケビは俺のそんな考えを知ってか知らずか、蛍のように明滅を繰り返していた。
◆◆◆◆◆
「え? 結婚?」
相田が雑談気味に自分の結婚について役員メンバーに対して発表したのは、6月の影山物産のボーナス査定判定会議の後のことだ。
青天の霹靂。びっくり。なんだそれ。
「影山さんのことはもういいの?」という市川さんからの質問があったが、相田本人としてもこの決断は断腸の思いで下したらしい。相田は俺を救出・介護していたシャーロットと瞳を見て「とてもかなわない」と思ったようで、幾度かの逡巡の後、静かに自分の想いを閉じたようだ。
俺はそれをじっと聞いていた。彼女の想いに自分が男として応えられなかったことについては申し訳ない気持はある。だが、こんな時、どういう態度をとれば良いか分からないのだ。
余程の女たらしでない限りこんな状況に慣れた奴など居ないと信じたい。
傷心の相田を親身になって支えたのが相田の同窓でストラトマインド社のダグ=クラークだった。そこから2人の関係はとんとん拍子に進み、この度めでたくゴールインとなったとのこと。
「か……簡単に諦めたんとちゃうからなっ!」
「……」
俺はただ頷くしかなかった。そのセリフの悲しさとは正反対に相田の顔は明るく、未来に希望を持った顔になっていたのが俺にとっては救いだ。
「あ、そうや。言うとくけど会社は別に辞めたりせえへんからな。コーズファインダーを使ってアホみたいな利益出てるとこやし、仕込んでる隠し玉もまだまだあるんやから」
俺もお前には用があるんだよ。まだ辞められちゃ困るんだ。俺のAIの完成にも、アケビを地球人のテクノロジーで再現するにもお前の頭脳と笑顔が必要だと腹の底から思ってるんだからな。
相田の結婚式は10月くらいになるそうだ。よかったな。おめでとう!
◆◆◆◆◆
「え? 貴子さんも結婚してくれって言われた? 誰に?」
相田の結婚話で社内が盛り上がる一方で、貴子さんにもそんな話があったらしい。ドイツ出張中にスフヤーンにプロポーズをされたのだそうだ。
もともと、俺がスフヤーンに投資したのは難民に経済力をつけさせ、地元民との軋轢を拡大することが目当てだったのだが、スフヤーンはそのあたりの取り回しを極めて上手にやってのけていた。
おかげでスフヤーンの会社の従業員だった元難民から市会議員に立候補するようなヤツまで現れてもデュッセルドルフ市民は静かなものだ。デュッセルドルフ市民はスフヤーンが雇う難民達と支援施設に居る難民達を完全に分けて考えているらしい。
結果、スフヤーンと彼が経営する企業は安い人件費で難民を雇うことで順調な成長を続け、一方でデュッセルドルフ市民は次々と発展途上国からやって来る難民の収容施設だけをゴキゲンに襲撃し続けた。このあたり、まったくもって難民問題は根が深い。
羊飼いの経済戦争の隙間を縫って実直な地元経済に貢献してきたスフヤーンはわずか数年で稀代の経営者として毎月ビジネス誌のどこかに名前が載るほどになっていた。
影山物産がスフヤーンに投資した額は合計で30億円程だったが、羊飼い同士の潰しあいでプレイヤーの居なくなった各地の不動産業に手を出したスフヤーンの企業グループは瞬く間にその数十倍の資産を抱えるまでになっていたのだ。
スフヤーンが満を持して、恩人でありブレインであり、いつまでも若々しい東洋の神秘のごとき貴子さんに求婚したのはなかなかいいタイミングではあったと思う。
「で、どうすんの?」
「別にスフヤーンさんには恨みもないけど好意もありません。今は他にやりたいことがあるので結婚に興味もありませんわ」
うん……たぶん今の貴子さんは俺への興味も薄れてるな。貴子さんの頭の中はあれ以来、月へのジャンプでいっぱいなんだろう。
英語で狂人を意味する lunatic の lunaは月を意味する。月へのジャンプ、あのスリルは貴子さんを虜にしてしまったようだ。
飯高に行くと、貴子さんがいつもチラチラとモビーディックの方を見て貸して欲しそうにしてるのを俺は知っている。時々新しい粘着テープを買って来ては何か考え込んでいるし、最近では素材や建材の開発ベンチャーへの投資がはっきり判るほど多くなっているのだ。
……何やってるか分かるよ貴子さん。
でもモビーディックはダメだよ。あんなデカイのをホイホイ月の上に持っていったらいくらなんでもいろんな人に見つかってしまうから。
俺がモビーディックを貴子さんに貸す気が無いのが分かったせいか、それより前から計画はあったのか良く分からないが、貴子さんは相田と組んで壬生グループホールディングスの株を買い進めていた。このまま行くと、貴子さんが壬生翁から議決権を委任されたら壬生グループの経営に介入できてしまいそうな勢いだ。
とは言っても貴子さんの興味は壬生重工のエンジニア達と壬生化学の研究員にしかないんだろうけどさ。
「もうアラフォーだってのにあっちもこっちも結婚結婚ってかまびすしいわね。私なんか35超えたあたりからすっかり心は尼寺の住職さんよ」
市川さん、外見は20歳そこそこじゃないですか……。
「で、どうすんの? 私か貴子かシャーロット。外見はこんなのでも中身どんどんオバハンになっていくわよ」
髪の毛の先をくるくるといじりながら市川さんがいたずらっぽい目で俺を見た。だが、流れで何か決めるようなことは自殺行為なのは俺も経験上分かってきている。口車には乗れない。
「俺もおっさんだしなぁ」
貴子さんはあの調子だし、シャーロットはStep2に向けて勉強してるし……。かといって消去法で市川さんを選ぶのも失礼だろう。
「すでに付き合いが長すぎて家族みたいな感覚なんだよなあ……みんな。俺の軽率な判断で誰か一人でも欠けるのは嫌なんだよ。だからそうやって急に判断を求めないで欲しいんだ」
「そうねえ……実際私も貴子もシャーロットも、もちろん相田さんだって影山さんが居なくなるのは嫌だと思うわ。あんな思いをするのはもうごめんよ」
大変な時間を共に過ごした故の吊り橋効果か、それとも時間のなせる業か、俺は彼女達の居ない生活は考えられなくなっていたし、その生活を壊すような真似もしたくなかった。
「いっそ、みんな一緒に暮らせればいいんだけどな。うちの家なんか部屋はいくらでも空いてるんだし」
「あら、いいの? そんなこと言って」
「相田はともかく、市川さんや貴子さんがいいなら俺はそっちのほうがいいよ。取り付く島のないほど自己抑制の強い市川さんやいいとこのお嬢様の貴子さんなら間違いも起きないだろ。ほんとに引っ越してくるならシャーロットの部屋も確保しておかないとな」
「ふーん……。まあ、この年で一人暮らしもそろそろ寂しいし、そうさせてもらおうかしら。あくまで本宅はちゃんとあるけど、ということにして」
「建前は俺にはどうでもいいよ。来るならいつでもどうぞ」
「マスコミや何かの対策はしておかなくちゃね。でも大筋合意ってことで貴子と話をしておくわ。影山さんはシャーロットへの説明をお願いね。シャーロットの同意が得られなかったらこの話はナシでいいから」
「了解。説明しておくよ」
シャーロットはシャーロットで、俺がフラッシュバックなどを起こした時の事を考えると、このまま俺が1人暮らしを続けるのはまずいと思っていたらしい。
いくらかの議論の後「第一夫人の権利を認めてもらえるなら」という不穏な条件がシャーロット側から出されたが市川さんはこれを笑顔で快諾し、相田を除く東京勢は奇妙な共同生活を始めることになった。
ちなみに瞳は今、UCLAで企業研究員のようなことをやっている。俺のヘロインの依存症状を治療した時の記録がシャーロットの指導教官の目に触れ、なんだか大変な評価を得たのがきっかけらしい。
学位が取れるプログラムかどうかは知らないが、瞳本人が妙にやる気を出しているようで、シャーロットも応援しているそうだ。
「みんな、それぞれやることがあってよかったなあ……気が抜けてるのは俺だけか」
それぞれが前を向いて歩いている中で、俺だけが取り残されているんじゃないか―― 俺は「あいつ」からのミッションが無くなった自分のこれからについて、妙な寂しさを感じていた。




