第百四十話:銀盤に跳ぶ女
現運営による最後のバージョンアップが実行されたと同時に、俺達が今まで便利に使っていたクリップボードの中身はすっかり消えてしまった。
貴子さんはこれまでせっせとクリップボードに登録して数を増やしてきたテレポート先の座標が消えてしまったことで喜んでいる? が相田はコトはそんなに簡単な問題ではないと言う。俺はこの件で相田から、まるで俺がクリップボードを消してしまったかのように責められていた。相田に言わせれば、この件に関して無関心でいるのはおかしいのだそうだ。
なんだか、あっちの世界からの通達があったら俺は必ず誰かに詰め寄られている気がする。確かに大切な話かもしれないがその理不尽さには納得がいかない。
「キミタチも等しくノーリョクシャなんだから当事者意識を持ってギロンしたまえよ……」
なんてことを面と向かってお嬢様達に言えるかというとまだ無理だ。救ってもらった恩が、負い目が、引け目がある。しょうがない。話にだけは乗っておかなくてはなるまい。
「解ってるぞ。大変なことだと認識はしている。だからこうして狼狽えてるんじゃないか」
「クリップボードがバージョンアップでクリアされたってことは、クリップボードはサーバー側にあった可能性が高いんですよ?」
「そういえばそうだな……。それがどうかしたのか?」
これまで、クリップボードは俺達の脳にあるんじゃないかという仮説が立っていた。でも、いくら詰め込んでも消えないし情報は正確なまま残っているし……俺も何かおかしいなとは思っていたのだ。脳に詰め込んだ記憶ならそれなりに忘れていくのが普通だからな。
ネットワークゲームの場合、バージョンアップがあったとしても普通運営側はユーザーの所有するデータを断りもなく消したりしない。便利なマクロだったりスクリーンショットだったり、そういう個人的にバージョンアップの前後を跨いででも使いようがあったり取っておきたかったりするものを運営側の一方的な都合で消したら大事件になる。
そういうファイルはプレイヤー側の機器のストレージに収納し、バージョンアップがあっても運営はそこにタッチしないのがお約束だ。
だからこそ、今回消えてしまった俺達のクリップボードはサーバー側にあった可能性が高い。もちろん、サーバーのバージョンアップによって今までのクリップボードとデータ形式が変わってしまって使えなくなったから混乱防止のために消された可能性はあるのだが……。普通そういう時は運営が互換性を保証して然るべきだろう。
「脳から直接使える不揮発性メモリがおよそ無制限に使えるかも知れない可能性を前に何の感動もないんですか……」
「いやいや、クリップボードのデータ形式が今回のバージョンアップで変更になったせいで使えなくなったから、ということもあるだろう?」
「その場合は、運営から一言くらいあってもいいんじゃないでしょうかね……」
「うーん、それがなあ……あの運営だからなあ……」
「あいつ」も運営のことは快く思っていなかったようだが、俺の知る限り現運営というのは本当にクソなのだ。市川さんと検討した前回の通達の16番目の項目。あれだって本来書くべき情報は山とあるのにごく一部だけを書いて済ませていたわけだし。
権限の剥奪が行われた後の演算主体がどこに行くのか、権限を移譲された代理人はどうやって権限を行使するのか、何もわからない。
「言わなくても分かるよね」なのか「都合の悪いことは言わないよ」なのか、どっちにしたって利用者にとって行き届いたサービスからは程遠い。
もし日本のゲーム会社が「実装したけどやり方はヒミツ。プレイヤーの皆さんで是非いろいろ探してみて!」などと言おうものなら ……いや実際そういう会社はあったんだが……伝説級のハレーションが起きてしまうだろう。
「相田、少ない情報を基にいろいろ推し量って体系を構築するの、俺はもう疲れたよ。なるようにしかならんって……」
「まあ、もう財も成したし名誉や資格を欲しがってるわけでもない影山さんにはあまり興味ないことかも知れませんね。クリップボードを使いまくれば暗記科目の試験はほぼ満点が取れるってことなんですが……」
「そうだなあ……俺には通りたい試験も欲しい資格もないしな」
米国医師国家試験のStep2を受験するシャーロットが聞いたら小躍りしそうな情報だ。しかし、あいつはそれを聞いても実力で挑むだろう。そういうところ、あいつはなんというか、律儀だから。
さておき、地球人類の海馬にある長期記憶のうち個人の体験に紐付かない知識に関してはリンクに置き換えられていることを俺は知っている。確かこのことは相田にも話した筈だ。
海馬を介して脳とシミュレーションのシステムが境目なく接続していることが理解できている俺には、クリップボードがシステム側にあるからと言って相田のように取り立てて騒ぐほどのこととも思えない。能力者に限ってもう一つシステムとの直結回路があるというだけだ。
「それよりも『あいつ』に会う方法がないか考えてくれよ。先に言っておくが、『あいつ』が嫌がってることをやって怒らせて説教を誘発しようとかするんじゃないぞ?」
それをやろうとして貴子さんに怒られたことがあるからな。
俺と相田の話を後ろで聞いていた貴子さんはニコニコしている。ええ、前に叱られたことは忘れてませんよ。
「ああ、それでな。俺はしばらく貴子さんとテレポート先の座標の再取得をしてくるよ」
「そりゃ構いませんが、どうせまた運営母体の変更の時にクリアされますよ?」
「いつ始まるか分からんことのために何もしないでいるのも気持ちが悪いんだよ。テレポートは俺達の最大の武器の一つでもあるからな」
そう言って俺はノートPCを開き、これまでメモっていたセーフハウスの位置をもう一度クリップボードに叩き込んでいった。
貴子さんはこのやり方が出来ないそうなので、俺が貴子さんのセーフハウスの場所を教えてもらって貴子さんを飛ばし、ついでに俺も跳んで……という具合の作業になる。
その日の午後、俺と貴子さんは国内をあちこち跳びまくった。頑張って跳んだおかげでクリップボードの消失で消えたディゾルブ先は国内の分はあらかた回収できたと思う。貴子さんも、今まで行ったことのない場所に行けて嬉しそうだった。
うん。たまにはこんなふうに外出するのも悪くないな。長くても一箇所あたり数十秒で帰ってくる外出だけど。
結局俺は調子に乗って夜までクリップボードの再構築作業を続けた。いつ何時どこにテレポート要請があっても良いように、と言うのは建前で、バージョンアップ後の世界や俺自身が何も変わっていないのが嬉しかったのかもしれない。
ここ数ヶ月、バージョンアップに関して俺がそこはかとなく抱えていた不安は杞憂だった。レグエディットはなくなったらなくなったで構わないが、突然前触れもなくなるのは俺も嫌だったのだ。
◆◆◆◆◆
「影山さん、もしお時間あったらでいいんですが、今晩にでも、私のイスタンブールのセーフハウスにも跳んでいただけませんか?」
「え? もちろんいいけど」
国内のテレポート先をあらかた再設定した後、貴子さんが国外の拠点も再設定したいと言ってきた。貴子さんが俺にお願いなんて珍しいこともあるもんだ。
考えて見れば、今日の俺は貴子さんを振り回しっぱなしだったのに彼女は文句一つ言わずに付き合ってくれていた。軽いお願いなら是非もなく聞き届けてご機嫌の一つも取っておきたい。
俺は貴子さんの要請を快く承諾した。
貴子さんちは結構ご近所さんだ。俺がタクシーを拾って壬生邸に赴くと、貴子さんは大荷物を抱えて玄関に現れた。絢爛豪華な大豪邸の玄関先にふさわしくないいでたちだ。
「何? その荷物? レギンスもなんか凄いの履いてない?」
着ている服はお嬢様らしくない作業着だし、インナーはレーサーが着ているような加圧タイプのものに見える。異様に大きな荷物の大半は酸素缶とパッキンだそうだ。
「うふふ……これらは皆、必要なものなんですよ。じゃ、行きましょうか」
貴子さんの指定した座標にディゾルブで跳ぶとそこは夕方のイスタンブール。誰も居ないコンドミニアムの裏庭は夕日が差して神秘的な雰囲気を醸し出していた。あとは東京に戻って、貴子さんをここに飛ばすだけだ。
「あ、できれば影山さんもご一緒に!」
現地で晩飯でも一緒にということだろうか。メシくらいなら俺に断る理由はない。俺は貴子さんのお誘いに乗って、再びイスタンブールに跳んだ。
◆◆◆◆◆
「た……貴子さん?」
インスタブールで飯を食うのかと思っていた俺は、メルセデスをチェックしている貴子さんのアレな表情にドン引きしていた。そのメルセデスも見た目に怪しさ大爆発。後ろのドアは最初からなかったかのように滑らかにボディと一体化しており、窓のパッキンは見たこともない材質だ。
「これでお出かけしましょう。どうぞ、乗って下さい」
誘われて助手席に乗ってみたが、ドアを閉めると耳がツンとするような軽い痛みを感じる。恐ろしく気密性が高いらしい。最近の高級車はドアを閉めるとき少しだけ窓が開いてこのツンとなるのを防ぐ機能がついているがこのメルセデスはやや古く、そういった機能が無いようだ。
「いやあ、すごく気密性が高いね。この車」
「うふふふふふふ」
貴子さんは車を発進させて近くの森へと向かった。こんな人も通わぬような山奥の通りで何をするつもりなのか。先程からの貴子さんの嬉しそうな顔といい、何か危険な香りがするがそれがなんだか解らない俺は助手席で凍りついていた。
「私、他人を助手席に乗せても、車と合わせて単一オブジェクトとして認識できるんですの……」
「え?」
よく分からないなりに解釈すると、貴子さんの認識力では俺と車はひとまとめに能力の対象に出来るということらしい。
「月が出てきましたねえ……ふふ」
貴子さんはそう言うと車内に酸素缶の中身を開放し始めた。
「え? 何? 何なの貴子さん?」
「窓、ちゃんと閉まってるか確認してください」
「――っ!」
俺はその数分後、貴子さんが俺を救出した日にどうやってイスタンブールからコンゴまで移動できたかを追体験することになった。
「今回は気密も完璧! UVカットに断熱も完璧! 2人で乗っても想定許容時間を1分にまで伸ばした自信作ですのよ!」
解説してくれている時の貴子さんは今まで見たこともないほど楽しそうだったが、瞳の奥に狂気じみた何かを感じた。六分の狂気四分の熱。
うう……粘着テープや防水気密テープの使い方がようやく解ったけど、知りたくなかったかも……。
……こんな事をしなくても良いように普段からあちこちの座標をクリップボードに入れておくのはやはり大事だ。どうせクリアされるとかそんなこと言ってないで……。
◆◆◆◆◆
「いや悪かった……勘弁してもらいたい。どうにも君達に会うためのマナを確保できなくて」
クリスマスを過ぎ、年が明けてて世の中が少し落ち着きを取り戻した1月の半ば、俺達が手の打ちようが無いと諦めていた「あいつ」との話し合いは意外にあっさり実現した。向こうから出向いてくれたのだ。
「この星では主恒星からの惑星位置と造物主への祈りがリンクしてるようでね、このくらいの時期が一番マナを確保できるらしい」
ああ、そういえばそうかもしれんな。12月から1月には宗教行事が多いが、そこでマナを回収してるってことなのか。どういうシステムになってるんだ?
「いったい何にそんなにマナを使っているんだ?」
「うん……様々だな。君達に一番身近なところで言えば、代理人に付与した能力の実行1回につきいくらかは必要になる。微々たるものだがね。他には、既に君も知っているようにこうやって君と話すだけでも結構必要になるな」
今回、例の白い空間にいるのは俺と「あいつ」だけだ。前回のように他の4人全員が居るわけではない。こいつの言い分を信じるとすれば、人を増やせばそれだけマナが必要になってキツいんだろう。
現状マナのやりくりはカツカツらしいし、会えただけでもこちらとしてはラッキーだ。
うん。全員揃わないのはしょうがないと諦めるべきだろうな。
「この1年、運営からお知らせってのがチョイチョイ来ててな。あんたの権限を俺が引き継ぐことになるなんてことも書かれてた。それでマナの使い方もそうなんだが、いったい何が起こっているのか出来れば詳しく教えてほしいんだが……」
「もちろんだ。今日はそのために来たんだからな」
お、今回は説明に時間を割いてくれるようだ。
「まず、何が起こっているか―― だがね……」
「運営母体が変わるんだろう?」
「順を追って話させてくれ。まず、君達の世界をシミュレートしている我々の世界なんだが……」
ん、何の話だ? 上位世界の話でもしてくれるのか? 不況でゲーム会社が倒産しかけたところに別の会社がやって来て買収したとかそういう話か?
「我々の世界もまた、上位存在によって演算されていることが判明したのだ」




