第百三十九話:引き裂かれた世界に響く時の海鳴り
影山物産溜池オフィス、朝の7時に俺と市川さんは久しぶりに二人きりで話をしていた。最後に市川さんとこうやって話したのはいつだったろうか。つい最近のようでもあるし、かなり昔だったようにも思える。
だが、話す内容は昔も今も変わらない。極めて実務的で実利的で実質的な、変動する状況への対応と今後の方針策定。これに尽きる。
俺がヘタレなのではない。俺と市川さんのここでの会話というのはそういうものであるべきなのだ。たぶん。
俺はその状況への対応のため、運営からの通達文書の16番目の項目の文章をPCに書き写し、改めてその内容について吟味してみた。
『xvi)新しい運営団体への管理権限移譲に伴い、局部銀河群の演算を担当していたプレイヤーの権限は剥奪され、プレイヤーが持っていたマナと権限はそのままエージェントに移譲されます』
「いや、この16番目は普通に考えておかしいだろう」
やや興奮気味の市川さんに俺は冷静に返した。忖度しようにも、おかしいものはおかしいのだ。
シミュレータの運営母体が変わるのは理解できる。しかし、これまで地球周辺14の銀河の演算を担当していたのは「あいつ」のPCなのだ。「あいつ」が権利だけ剥奪されてPCは動かしっぱなしにするとかそういう事があって良い筈がない。
ま、もっとも地球人の理屈が高次元知的生命体に通用するかどうかはまったくもって不明だが。
「じゃ、権限剥奪の際は『あいつ』の担当していた演算を別のPCか何かが引き継ぐってことなのかしらね」
「かもな。それも名指しじゃない以上『あいつ』を含む全プレイヤーの演算をどこか別のコンピュータに担当させるってことになる」
「きっと凄いことなのよね……」
「ああ、きっと凄いことなんだろう。想像もつかない」
ここまでの会話と通達内容を継ぎ合わせた結果うすぼんやりと解ったことだが、今俺達地球人が考え、観測してきた全宇宙というのはある大きさで切り分けられてエリア別に演算されているようだ。
そして、シミュレータ内のオブジェクトはこれまでは不具合があってエリアの境界を越えることは出来なかったらしい。無理にエリアの境界を越えようとするとシステムはフリーズするとあるが、これも不具合だったようだ。
とすると、遠い銀河からのエリアの境界を越える光などは実際は別エリアから届いたものではなく、エリア内で再構成されたものが観測装置に届けられているのだろうか。シミュレータが巻き戻しを行った際の他エリアとの時間的な調整はどうやっているんだろう?
「改めて整理すると驚愕の事実が次々と……」
「宇宙物理学者が憤死しそうね」
「まあ、彼等はこの事実を知ることのないまま死んでいくから良いんだよ。きっと。
で、太陽系を含む天の川銀河を担当していたのが『あいつ』のPCなんだな」
「そして、それがどこか別のコンピュータに召し上げられるということね」
「そういうことだな。そっかー。グリッドコンピューティングで実現していたのかぁ……」
グリッドコンピューティングは地球でも20世紀末頃から行われている大量並列演算のやり方だ。コンピュータやディスクなどの計算機資源をネットワークで結びつけて一つのシステムを構成するやり方で、薬品の開発や宇宙からの電波の解析などの使用例がある。
「でも、おかしいよなあ……」
「いろいろおかしすぎて何がおかしくないのか分かんなくなってきたけど、聞くわ。何がおかしいの?」
「『あいつ』はこのシミュレータのことをゲームって言ってたんだよ。翻訳揺れの可能性はもちろんあるけど、運営からのお知らせなんか見るとまさにネトゲそのものでさ。あながちゲームって翻訳も間違ってないと思うんだよな」
「それで?」
「じゃ、この世界がゲーム世界だったとしてだ……なんでそれをプレイヤーから取り上げるんだ? しかもプレイヤーの権限の移譲先があるってことはシミュレータそのものは廃止じゃなくて存続するんだろう? プレイヤーのいないシミュレーションゲームでシミュレータだけ動いてるなんてことがあるものなのかな?」
「それは確かに……」
MMORPGでログインユーザーが一人もいない世界……そんな感じだな。世界にはNPCがたくさんいるがプレイヤーは代理人だけで、その代理人がGMを兼務ってか……。そらまた随分寂しい世界だな。
あ、いやまてよ。「あいつら」のシミュレータはNPCって言っても俺達人類みたいに自由意志を持って動き回ったり増えたり減ったり文明を発展させたりするんだよな。
うわ何それ楽しそう……。ってか、それが楽しくて「あいつ」はこの世界をウォッチしてたんだった。
「あいつら」にとってこのシミュレータは「知的生命体をつくろう!」てな感じのゲームで、恒星の成り立ちやら宇宙のガスから惑星を作るところからやってるんだものな……。今の地球みたいに知的生命体がうようよ現れてPCのリソースが逼迫するのはゲーム終盤、最後の方のお楽しみにくっついてきた「嬉しい悲鳴」みたいなものか。
知的生命体どころかアミノ酸さえ発生しなかった超銀河団も多くあるみたいだし、そこを考えると「あいつ」はかなりうまくやったトッププレイヤーなんだろう。
超銀河団は十万個程の銀河を含んでいるから……えーと……一人あたり14個の銀河を担当してるとして1超銀河団あたり7000人ってことにしよう。今回の通達でアミノ酸発生率のテコ入れがあった超銀河団が12個あったから、およそ84000人のプレイヤーが今までアミノ酸すら発生させることもなくシミュレータを稼働させていたことになるのか……。
ゲームバランスの崩壊っぷりも異次元だ。それを考慮に入れると、「あいつ」は相当な凄腕やりこみプレイヤーだったらしい。そして地球という惑星の特殊性がなんだか解ってきた。そうそうあるもんじゃないってことなんだな。知的生命体の発生は。
「ねえ」
「ん?」
「一人で考えに没頭してないで、何を考えてるのかちゃんと教えてね?」
市川さんが心配そうに俺の顔を見ていた。若干上目遣いで目が潤んでるのは反則だと思う。半袖のブラウスも胸元が開いててちょっと目のやり場に困る。
しかしこれは誘惑されてるんじゃないな。俺が勝手な考えを巡らせて一人で突っ走った判断をしないようにしている……? これまでの説明不足が祟ってるなあ……。
心配されるのはもちろんありがたく感じるが、反面、あまり信用されてないって感じもしなくもない。
「お、おう。じゃあまず局部銀河群と銀河団、超銀河団のスケールから話そうか。今回の通達であったけど馴染みのない言葉だろう?」
「そのあたりは大丈夫よ。私、ここんとこずっと科学雑誌の定期購読してるからその辺りはわかるの。結構ヘヴィロテでその手の話が図解入りで掲載されてるからね」
……市川さんあれからずっと物理の勉強してたのか。能力の効果を最大化するためにこれまで苦手な物理を頑張って勉強してきたわけだし、今回のバージョンアップで能力の剥奪なんて話になったらマジで嫌がるだろうなあ……。キレるかもしれん。
「そうか。じゃあ、俺がおかしいと思ったことを続けて話すよ。マナと権限の移譲ってやつだ。俺か、他の惑星にもいるかも知れない代理人に『あいつ』が持っていたマナと権限が移譲されるって話だよな?」
「そうね」
「何か、権限を行使する時に使う、システムと連携するためのデバイスってあるのかな? スマホみたいな……ノートPCでもいいけど。まさかそれも身体知にってことはないよな」
確か「あいつ」が俺にレグエディットやメンタル強化をインストールした時は何も持っていなかった筈だ。一方で市川さん達に「ガチャ」を回させた時はサイコロのようなものを持っていたような気がする。あれは確率を便宜上視覚化しただけなんだろうか。
「普通に考えると何かしらのコントローラ機器が与えられると思うけど、こればっかりはねえ……権限の移譲には拒否権すら無いみたいだから、その日になるまで分からないわ」
「俺に人類のマナが集まるなんて……どう考えれば良いのかな」
「わかんない。山中さんが本格的に宗旨変えをして良かったって思うくらいじゃない?」
「なんだそりゃ」
「いや、実際私も混乱してるのよ。一から十までおかしい話ばっかりで」
この後、相田も出社してきて同じような話になったが、結局会話の中からは実のある知見は産み出せなかった。
◆◆◆◆◆
「そういえば、壬生重工さんから納入先の問い合わせが来てたわよ。閉鎖環境適応訓練設備を改造したアレ。もう返事しておいたけど」
「おお! 出来たのか!」
「各ブロックは重工の方で既に完成していて、納入場所で組み立てが必要なんだって」
以前、貴子さんと相談して作ろうという話になった「エンジンなし宇宙船」だ。設置すればそこが南極でも月の裏でもどこでも一定期間生きていられる空間。耐熱・耐寒・耐圧・耐放射線な上に二酸化炭素処理装置など、国際宇宙ステーションで使われていたような装置までついている本格派だ。
発注する時にさすがに「エンジンなしの宇宙船」と注文書に書くわけにはいかないので閉鎖環境適応訓練の設備だということで重工さんにお願いしたんだが、あの名称が正式化してたとは驚きだ。
設備が出来上がったら、当面は襲撃されたときのためのセーフハウスにでもしようと思っている。実際には既に襲撃されてえらい目にあってるわけだが、2回目3回目が無いとは言えないのでそういう設備はあったほうが良い。
というか、せっかく注文したものが出来上がってきたんだ。ぜひ使わせてもらおう。
「設置に広いスペースが必要だって言うから飯高町の倉庫前の広場に設置してくれってお願いしておいたけど、いいよね?」
「さすがだな市川さん。俺もそこしか無いと思ってた」
「たぶん今日くらいから設置工事に入る筈よ。とは言えあの山道じゃあ運ぶのも大変そうだからしばらくかかるかもね」
俺の買い物でははじめてかも知れない大きな玩具だ。今まで忘れていたのに急に完成が待ち遠しくなってきた。
「それとさ」
「ん? まだなにかあるの?」
「これからはどこぞの秘密結社との会合だの手打ちだのにお誘いがあってもホイホイ出かけて行って欲しくないの。幸い『羊飼い』も含めて有名どころは全部あんな感じで弱体化しちゃったし、これからは余程の相手でない限り『用があるならそっちから来い』って言って欲しいのよ」
やはり今回の俺の一件は全体の方針に結構影を落としたなあ……。防御がなってないところにきて実際に拉致されたんだから何も言えない。
「でも、まさか溜池山王に来いとも言えないだろ?」
「だから今、影山物産は本社ビルの建設計画を進行中なの。地上5階地下3階の防御特化型。壬生建設の設計部に要塞マニアが居て、その人に設計に入ってもらってるわ」
……要塞……どこと戦う気でいるんだ市川さんは……。しかしどんな設備なんだろう? 塹壕? バリヤー? 要塞砲? それに要塞となると建設じゃなくて土木業じゃないのか……?
「要塞と聞くと妙に興味が出てきた。で、どこに作るの?」
「未定だけど、今の社員の通勤に困らないところにしたいとは思ってるわ」
ということは東京だよなあ……。うん、面白そうだ。例のアップデートや運営母体の変更の結果次第だけど、これはこれで楽しそうだよな。
◆◆◆◆◆
11月、俺はこれ以上のリハビリは必要ないと担当の医師のお墨付きをもらったので日本に戻って来ていた。
あの「お客様へのお知らせ」が通達されてからはや3ヶ月が経とうとしている。なんでこんなに間が開くのだろう。「あいつ」の世界とこちらとでは時間の流れが違うということなんだろうが……。
そういえば「あいつ」はこの世界シミュレータには倍速モードがあるとか言ってたからその関係もあるのかもしれない。
「ん?」
俺が会社の役員室で雑用をしている間に例のバージョンアップがあったらしい。
何故「らしい」のかというと、新たな「お客様へのお知らせ」の通達があったからだ。これで現運営による最後のバージョンアップが終わった、ということは次に運営母体の変更があるからおそらくもう一度サーバーは止まるんだろう。
通達内容をそのまま鵜呑みにするなら、その時、俺達は「あいつ」と決別することになる。
長いようで短かったこの何年か、俺がちゃんとやれたことは一体いくつあっただろうか。などと自席で茶を飲みながらしんみりしていると貴子さんが血相を変えて俺のところにやってきた。
「かかかかか影山さん! アップデートが終わったみたいです!」
「うん。何も変わらないねえ。ビビってて損したよ」
何かがあると誰かが俺のところに急いでやって来るところまで変わってないのはどうかと思うが……。
「何言ってるんですか! ちゃんとチェックしました?」
……え?
「クリップボードが全部クリアされてるんですよ!」
……え?
………ええ?
えええええ⁉
「じゃ、今まで日本や世界のあちこちに行ってクリップボードに溜め込んでた座標、もう一度拾いに行かなくちゃいけないじゃん!」
「そう! そうなんですの! 大変ですわ♡」
何故か貴子さんがウキウキしている。どうしてなんだろう?
何故か浮き立つ貴子さん。それににつられて右往左往している俺。それをしばらく後ろで見ていた相田が突然斬り込んできた。
「アホですか、影山さんは……これはそんな小さな問題とちゃいますよ?」




