第百三十八話:虚空からの通達
「これ、何……?」
誰もが自分の脳裏に浮かぶメッセージが理解できなかった。皆は俺に解説を求めているのか、すがるような目つきで俺を見つめているが俺にだって分かるわけがない。
「ちょっと待ってな。えーと……」
相田はこの文章を書き出して、その内容が他のメンバーが見たものと相違ないかを確認し始めたが、細かいところで多少差があるものの内容はほとんど同じだった。
だが、その僅かな差にこそ何かヒントがあるのではないか? 相田はそう考えたようだ。
まず相田のメモと一番大きな差があったのはシャーロットだ。シャーロットの場合当然ながらお知らせは英語でのものだったらしい。日本以外ではあまり使われない「バージョンアップ」ではなく全ての文章がupdateまたはupgradingと書かれていたようだ。貴子さんと市川さんのところでも「バージョンアップ」という言葉は無く「アップデート」が使われていたらしい。
一方で俺と相田はそのあたりの表記が揺れていた。俺や相田は日々の趣味と開発の中で「バージョンアップ」という言葉をよく聞いていたからだろう。
「あいつ」の世界の翻訳装置が読む者、聞く者の知識背景を配慮して単語を選ぶのは知っていたが、比べてみるとなるほどと思う。ネトゲ経験や開発経験の有無で翻訳結果も変わるのだな、と俺は妙に感心してしまった。
「この『お客様へ』も気になるなあ……私らお客様と違いますやん。一応お客様の代理人っぽいものではあるけど……」
「そこはたぶん、慣用句みたいなもんだと思うぞ。『皆様へ』でも何でも良かったんじゃないか?」
「それより問題はこの『かねてよりのアナウンスどおり』ってところじゃないの? 今までこんなアナウンスあったの? 影山さん?」
市川さんが斬り込んできた。俺がまた何かを隠しているとでも思っているのだろうか、妙に表情が固い。各人向けの表記の違いに何か手がかりがあるかと考えていた相田は話をぶった切られてちょっと不満げだ。
「いや、こんなメッセージは始めてだよ。運営から何かしらのアナウンスがあったと『あいつ』から聞いたこともない。通常はこんな形じゃなくて、もっとこう、俺達の知らない手段でメーカーとプレイヤーがコミュニケーションをとっているんじゃないか?」
ここでプレイヤーってのは俺達じゃない。「あいつ」のことだ。
「ということは、こういうお知らせの仕方をすることそのものが例外措置ってことになりますわね……。本来ならこの『お知らせ』もその通常ルートでプレイヤーに通達されるものの筈ですから……」
貴子さん、ナイスフォロー。そうなんだよ。どうして「あいつ」に知らせるべき内容を俺達にまで知らせているのか。そもそも、俺達のような存在ってこのゲームにどれくらいいるんだろう?
「しかし、ネトゲで運営母体が変更になるて言うたらめっちゃえらいことですよ。ユーザーは蛍の光でカウントダウン、ITマスコミは運営母体変更で起こるユーザーの不利益やシステムの不具合を様々予想して、それを読んで勝手に絶望したユーザーが連鎖的に引退するみたいな……」
うん。相田、どこの会社のゲームのこと言ってるんだ? それとその阿波踊りっぽい仕草は右往左往する人達を皮肉った何かか? 面白すぎて場にそぐわないから止めてほしんだが……。
「そうだな。アップデート内容もそうだがそこがキモだよな。これまで知的生命体が増えすぎたケースを考えてこなかったクソ運営が頭ごと変わるんだから、下手をしたら俺達がやってきた間引きや人口抑制がまったく意味のないものになってしまうかも知れない……。
プレイヤーにとっては神アップデートかもしれんがな」
急に場が冷えた。
せっかく自分達も能力を得て使命を果たそうとしていた彼女達に、使命がなくなるかもと言えば場が冷えるのも当然か。
俺は俺で廃人と紙一重の状態にまでなりながら人口抑制をやり遂げようとしていたのに、急に「そんなことしなくていいよ」と言われたらやっぱり面白くはない。あのまま廃人って可能性もあったわけだからな。
何より、「あいつ」に与えられた使命がなくなるということは「あいつ」に与えられた能力を剥奪される可能性も十分にあるということだ。俺はレグエディットがなくなっても別にいいと思っているが、能力が欲しかった市川さんなんかはさぞかし複雑なことだろう。
「現開発陣による最終アップデートなんでしょ? 運営が変わる前に今までのプレイヤー側の不満を解消するようなアップデートを現運営がやって、立つ鳥跡を濁さないようにするって可能性はないの?」
「市川さん、ソフトウェアにおけるリソース不足ってのは多くの場合、リソース増やすしか手がないんだよ。メモリ不足や保存領域、一部のバス帯域の不足なら圧縮伸張技術を使ったりしてせこい努力をすると2割3割はなんとかなるかもしれないけど、その分今度は計算側のリソースを食っちまう。
それに、リソースは幾何級数的に食いつぶされているって『あいつ』は言ってたから、圧縮みたいな線形的な効果しか生まない対策はどのみち間に合わないよ。だから、リソース不変のままパッチ一発でそのあたりが解消するようなことはないんじゃないかな」
「でも、影山さんも言ってたじゃない。本当は『あいつ』のPCのメモリが足りないんじゃなくて、ソフトウェア側が使っていいメモリの総量を予め規定しちゃってるんじゃないかって。
今回のアップデートでその規定を緩和することは考えられない?」
「そういう大幅なアップデートは最後にやるもんじゃなくて、新しい運営がやるもんだろ? 大手柄みたいな顔してさ。
最後のアップデートってのはだいたい、次の開発担当者にコードを手渡す時に、放置してたら恥ずかしくてしょうがないようなパンツの穴を塞ぐためにやるもんだと思うけどな」
「そそ。コードのクリンナップもな。あれやっとかんとめっちゃ恥ずかしいねん」
「リソース不足の件はその、恥ずかしくてしょうがない穴には該当しないってこと?」
俺と市川さんの議論と考察が加速していく。相田は余裕でついてきているが貴子さん、シャーロット、瞳の3人は退屈そうだ。貴子さんなんか米国で買った粘着テープの説明書を読み始めている。でもなんで粘着テープ買ってるんだ貴子さん? あ、それ、真っ2つに割ったボートも元通りにするやつじゃないか!
「どーでもいい。眠い。何があっても私達にはどうにもできないことなんでしょ? 影山さんも明日からまたリハビリなんだしさっさと寝たら?」
シャーロットが何かの核心を突いた。そう、俺達はこの事態を目前にして何も出来ないことだけは確定しているのだ。
反対意見も言えなければアップデート内容に沿った準備や対策も出来ない。それどころかアップデートの日時すら俺達の意識の埒外なのだ。気がついたら終わっているだけ。そんなことに気を揉んでもしょうがない。
「わかった。シャーロットの言う通り、さっさと寝ることにしよう。懸念事項は……そうだな……『あいつ』がこれまでの俺達のやりように不満で、どこかに置いておいたセーブデータを使ってバージョンアップの前に巻き戻しをするかもってことくらいか。でもそんなこと懸念してもどうにもならんな」
「それはないから安心していいよ。この間私達に能力付与したおかげであのヒトは今、巻き戻しが出来るほどのマナを持ってない筈だから」
あのヒト? 「あいつ」のことか……? なんかシャーロットは「あいつ」に対してアタリが柔らかいな。それにどうしてシャーロットがマナのことなんか知ってるんだ?
うーん。やっぱりブランクがあるのは辛いなあ……。皆の考えがチョットずつ分かんなくなってきたよ……。
「あの、皆さん……その……さっきから変な顔を繰り返してるんですが……」
それまで蚊帳の外だった瞳がおずおずと手を挙げた。俺達の話す内容が何のことやらわからないのでずっと黙っていたのだろう。可哀想な事をしたかな?
自分以外が変な顔を繰り返しているのを見るのはさぞかし恐ろしい光景だったろうに。皆も相田みたいに書き出せばいいのにその場その場で読みに行くから……もう……。
「ああ、山中さん。これは何というか……必要な手順なの。お見苦しいところを見せてごめんなさいね」
「私はいいんですがその……パーティからの流れでさっきからカメラが回ってまして……」
それを聞いた瞳以外の女性陣は皆、血相を変えて瞳の持つカメラを奪い取らんばかりに瞳に詰め寄った。
「け、消してっ! 早くっ!」
「お嫁に行けなくなっちゃう!」
お前ら……まだ嫁に行くつもりあったのか。というか、お前ら以前は全員俺んとこに来たいとか言ってなかったか? そのへん、俺の意識がどうにかなってる間に状況変わったりしたのか?
突然の警告音にかき乱されたミーティングは瞳の機転で幕を閉じた。俺のそこはかとない疑問を会場に残して……。
何にしても「かねてよりのアナウンス」とやらと「詳細なアップデート情報」については「あいつ」と話が出来ないと何とも言えない。どうにかして「あいつ」と連絡を取らなければ。
◆◆◆◆◆
翌日、「誰にも解ってもらえないだろうけど」という前置きで例の大音量警告音のことがあちこちのSNSに書き込まれていた。おそらく俺がベルンハルトに見せられた、過去の担当者達の子孫の中に、貴子さんのように担当者の小脳の形質が遺伝していた人が居るのだろう。その人達の頭にもあの警告音が盛大に鳴り響いたようだ。
俺も相田に言われてSNSを見てみたが「夜中に大音量のイモビライザーみたいな音がして叩き起こされたけど誰もそんな音を聞いていないって言うんだ」とか「頭の中で変な警告文みたいなのが貼られている気がする」だとか、まさに俺達が昨日経験したことが、ぼやけた輪郭を与えられて書き込まれていた。
書き込んでいる人数も少ないし、反応している人はそれに輪をかけて少ない。そして実際書き込まれた内容も社会不安を起こすほどのものではないのだが状況を知る者としてはなんかこう、申し訳ないような教えてあげたいような気はしないでもない。
俺は捨てアカウントを作って「俺も俺も」と書いてみたり、「いいね!」を押してあげたりしてみたが、そんなことでこの人達の疑問が解けるわけはないか。
そんなことより「あいつ」と会うための方法を考えなければ。
◆◆◆◆◆
2週間後、リハビリを兼ねてサンタモニカビーチをジョギングしていた俺の脳に、今度は警告音なしにアップデートの詳細らしきものが送り込まれてきた。
パッと読んだだけでは解らないほど長い上にバリエーションが豊かだ。この量をいちいち読んでいると結構な時間公衆の面前でアヘ顔を晒すことになってしまう。それは避けたい。
俺はシャーロットに電話を入れて、これから溜池山王の影山物産の役員室に跳ぶと伝えた。皆と話しながら検討をすれば楽しいだろうし、何か意外な発見があるかもしれないと思ったのだ。
しかし、これほどの数の不具合を把握しておきながら放置していたとは、運営団体の開発陣ってどんな連中なんだろう……。
そんなことを考えながら俺は東京にディゾルブで跳んだ。だが跳んだ3秒後に俺は自分が馬鹿なことをしたのを自覚した。そう、時差を忘れていたのだ。東京はまだ朝6時……もちろん誰も出社などしていない。
役員室で汗を吹き出しながら棒立ちしているTシャツ短パンの俺……うーんシュール。
馬鹿なことを言っていても始まらない。時間もあることだ。俺は汗を拭くとまだ始末されていなかった俺の席に座り、通達文を読み始めた。
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お客様へのお知らせ
今回のバージョンアップに伴う変更・修正は以下のとおりです。
i)局部銀河群間の接続を一部閉じていたものを再開しました。
ii)セーブデータをロードしてゲームを再開した時の、他接続領域との時間差について、干渉領域のアルゴリズムを変更しました。
iii)一部地域で特定の溶媒内を進む光の速さが正しくなかったのを修正しました。
iv)&■9f$版でプレイしていると、非観測領域における抽象化レイヤーの生成頻度が極端に低くなる不具合を修正しました。
v)知的生命体が局部銀河群接続領域に達するとシステムがフリーズしていた不具合を修正しました。
vi)以下の超銀河団において、無機状態の惑星における有機アミノ酸の発生確率を大幅にアップしました。
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多いなあ……俺がやってたネトゲの2年分くらいの不具合修正が一気にって感じだな。
俺達に直接関係しそうなのは……5番目かな。何やら不穏な感じがする……。確か「あいつ」はこのゲームの終了条件に「外宇宙への進出」を挙げていたが、あれと関係があるんだろうか。
俺は、前回の通達の時に相田がやったように、今回の通達内容を上から順番に書き写していった。読むと飛ばしてしまいがちな細部に何かしらの真実があるかもしれないからだ。
どばん!
俺が11番目のアップデート項目を書き写していたところで役員室の扉が激しく開いた。現れたのは市川さんだ。出来ればそういう現れ方は止めて欲しい。心臓に悪いから。
「影山さんっ! いる⁉」
「いるよー。早いね、まだ朝7時だよ」
「あああよかった。シャーロットにここだって聞いて急いで来たのよ。通達文見た?」
「今読んでるところ。市川さん的に何か気になるところはあった?」
「大ありよ! 影山さん16番目読んでないの?」
「16番目?」
俺はまだ読んでいなかった16番目に急ぎ目を通した。
『xvi)新しい運営団体への管理権限移譲に伴い、局部銀河群の演算を担当していたプレイヤーの権限は剥奪され、プレイヤーが持っていたマナと権限はそのままエージェントに移譲されます』
「……これって、「あいつ」がクビになって俺達が『あいつ』の代わりになるって書いてるよな?」
「そう書いてあるわよね? 一体何なの? 私全然わかんないわよ!」
いったいどういうことなんだこれは……。




