第百三十一話:身から出た錆
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「やられたっ!」
コンラッドの会議室に飛び込んできた長身の白人男性3人が、もぬけの殻となった会議室を見て叫んだ。つい先程まで影山とベルンハルトが嫌味の応酬とも停戦交渉とも区別のつかぬやり取りをしていた会議室は無人となり、綺麗さっぱりその痕跡を消していたのだ。
「ベルンハルトを追うぞ!」
「どうしたんだよケンネス。まるでベルンハルト卿が敵みたいな言い方だぞ?」
「ピーター・ジャン、ここから一番近い、ベルンハルトが船を停めていそうな港はどこだ?」
「お台場ってところの国際クルーズターミナルだ……っておい、今から行くのか?」
「ロビン、先に行って駐車場から車を回してくれ。ピーター・ジャンは俺と一緒に遺留物のチェックだ」
ロビンと呼ばれた少し浅黒い顔をした男が投げられた鍵を受け取り、一度頷くと来た方へ走って行った。3人の中ではリーダー格らしいケンネスと呼ばれた男は床や壁を見たり、備え付けのロッカーの中を次々に明けたりして何がここで何が起こったのかを調べはじめた。
彼等3人はベルンハルトが会議に生身で参加するようなら急ぎ駆けつけろとそれぞれの主人に言われていた荒事用のエージェントだ。エリザベスⅡの向こう側で会議を注視していたのは「羊飼い」の主要メンバーだけでない。中にはこのように別の誰かを代理参加させている者も何人か居たのである。
彼等はそれぞれ雇用した主人が違うだけに主人の懸念や情報の伝達・把握レベルもまちまちだ。この中ではケンネスが、今日ベルンハルトがここに来たことのリスクを最も理解している人間だった。
一通り部屋を見て回り、なにも見つけられず「ちきしょう」と言いながらただ焦るだけのケンネスの顔をピーター・ジャンがピシャリと叩いた。ここに来るまで軽薄なチンピラのような顔をしていたピーター・ジャンが、プロらしくあれとケンネスを正気に引き戻そうとしたのだ。
「なあケンネス。冷静になって、俺に解るように説明をしろ。今のお前はプロには見えない。うまくいかないからってモノに当たるチンピラみたいだ。俺が雇い主から聞いているのはベルンハルト卿が万が一、生身で会議に参加しておかしなことをしそうなら止めろと言われただけだ。やっちまった事についてどうこうしろとは言われて無い。お前はどうなんだ?」
ピーター・ジャンの意外な行動に目を丸くして一旦動きを止めたケンネスに無線で連絡が入った。ロビンが車を車止めに持ってきた合図だ。
「ありがとうピーター・ジャン。すこしシャッキリした。車の中できちんと話す。行こう」
目が覚めたケンネスとピーター・ジャンは急ぎ一階の車止めに向かった。
彼等3人は上司部下の関係ではない。それぞれに雇用主が違う。ただ「同じように動く者が居たら連携せよ」と言われていたので一緒に行動しているだけの関係だ。ピーター・ジャンとケンネスはたまたま2人ともNATO軍出身で、除隊前の階級を考慮してなんとなくピーター・ジャンがケンネスの言うことを聞いているに過ぎない。
汐先橋の長い赤信号が終わって、3人を乗せた車がようやく汐留ジャンクションから首都高速都心環状線に乗れた時、落ち着きを取り戻したケンネスがピーター・ジャンとロビンに状況を話しはじめた。
「まず確認だ。お前ら全員コンラッドに宿泊できなかったよな?」
ロビンとピーター・ジャンが頷いた。3人が3人とも、コンラッドに泊まれなかったためJR新橋駅を挟んで反対側にある帝国ホテルに宿泊していたのだ。
「ああ、昨日と今日は無理だと断られた。だからお前と同じ帝国ホテルを借りてそこから駆けつけたんだ」
「俺もだ。だが今日のコンラッドはそんなに混んでいるようには見えなかった。おそらく事前に予約が入っていた部屋以外はベルンハルト卿が抑えてたんだろう。俺達のような連中を宿泊させないためにな」
「……一泊600ドル以上もするホテルを300室近くもか?」
「人気のホテルだからな、全部ではないだろうが……ベルンハルトにはそれだけの価値があったんだろう。今日の会議で影山という男とサシで話をすることに」
「それでか……会議参加者は最初に接続状況を見るからとかなんとか言ってあの妙ちきりんなヘッドセットをつけさせられていたが、その間は俺達は各自のホテルの部屋を動けない。
ベルンハルト卿は、会議開始時点であの会議室に俺達みたいなのが居ないようにするための細工をしたってわけだ」
各自が雇い主の命令を守ろうとするなら彼等は今日、会議室の近くで待機しておくべきだった。しかし事務局から事前に「会議参加者は点呼終了まではヘッドセットを着用すること」と連絡があったため彼等は帝国ホテルの各々の部屋で点呼終了まではヘッドセットを被り、参加パスワードを入れなければならなかったのだ。
そうしなければベルンハルトが生身で参加しているかどうかすら分からないのだからやらざるを得ない。それに、まさかコンラッドのラウンジでVRヘッドセットを被るわけにも行かないではないか。
車はすぐに芝浦ジャンクションに到達し、首都高速11号台場線へと乗り換えた。スペクタクルな風景にロビンが「ウォゥ」と声を上げる。
「いろいろ小細工をされたんだろうが俺達にも甘さがあった。会議室に着く頃には30分以上経っていたからな。その間にベルンハルトは何かしらの手段であの会議室から綺麗さっぱり居なくなり、おそらくは影山を自分と一緒に連れ出した」
「なあ、ケンネス。何がそんなにヤバイんだ? 元NCSAのアンタがそんなにヤバイと思うコトだとは思えないんだが……?」
「どこまで話して良いものか判らんが……今日はあの影山ってヤツと俺達の雇用主の間で起きた揉め事の手打ち式だというのは聞いてるか?」
「ああ、聞いている。ベルンハルト卿は好戦的な継戦派で、彼が生身で出ていくと手打ちどころじゃなくなるから止めてくれって俺は言われていたんだ」
ピーター・ジャンが後部座席でスマートフォンの地図アプリを操作しながら答えた。運転しているロビンも深く頷いているのだからだいたい、2人の雇用主の理解もそうなのだろう。
「考えてみろ。その情報が本当だとしたら、影山って奴は1人で俺達の雇い主と互角の戦いをやり合ってたことになるんだ。もしベルンハルトが影山と組んだらどうなる? 俺は雇い主達の組織のパワーバランスを詳しく知ってるわけじゃないが、ベルンハルトが持つ組織の情報が全部影山に渡ったら互角じゃ済まない戦いになることは目に見えているだろう?」
元情報将校のケンネスらしい分析だ。そしてその分析は当然、彼の雇い主にも伝えられていた。そしてケンネスの懸念が現実のものとなりつつある。2人に説明していると彼の中で様々な情報が一本に繋がっていった。
「く……あのロボットを船で運ぶ役を買って出たのも、遠隔会議を提案したのも全部このためか……」
ケンネスが頭にまたもや血を上らせている間に車は東京国際クルーズターミナルに到着した。国際的なスポーツイベントを観戦しにきた個人所有のギガヨットでも停泊できるように整備された港だが、今の時期にはそんなイベントはないため停泊中の船もごく僅かだ。
「あれだ!」
ケンネスが停泊中の船の中でもひときわ大きいアーテム・デア・ゴゥティン号を指差し、車から降りて走り出した。ピーター・ジャンがその後に続く。ロビンは駐車場に車を駐めると2人に続いた。
「おいケンネス……追いついたはいいが、どうやってあの船に乗り込むんだ?」
アーテム・デア・ゴゥティン号はすでにスラスターを起動させている。離岸間近だ。放っておけば目の前で取り逃がすことになる。
「こうするんだよ」
追いついたロビンがアーテム・デア・ゴゥティン号に向けて銃を乱射した。もちろんそんなことで船は止まらない。
「何をしているッ!」
ケンネスの怒声がロビンに向けられたがロビンは怯まず、綺麗にマガジンの中にある弾を全弾撃ち尽くした。ロビンは後ろを振り返ってニヤリと笑う。
「なあケンネス。あの建物は何か知ってるかい?」
ロビンが指さした先にあるのは東京湾岸警察署だ。ロビンはよりによって警察署の目と鼻の先で銃乱射事件を起こしたのだ。
「貴様、ベルンハルトの……」
「想像にお任せするよ。あ、俺はアンタの仲間だって言っとくぜ。数日は食らい込むと思うが悪く思うなよ」
呆然として膝を落とすケンネスが見たのは、銃を海に投げ捨て逃げるピーター・ジャンの姿だった。
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アーテム・デア・ゴゥティン号の船底近い船室に影山は囚われていた。予期せぬ監禁。逃げることは叶わない。否、影山には逃げるどころか絶望することすら許されていなかった。
影山の耳に装着された極大音量のヘッドフォンからは悲鳴や卑猥な声に赤ん坊の声、様々な爆発音やおかしな宗教がかった呪文のような声が様々な不快音と折り重なって四六時中流れてきていた。このため影山はこの音を無視することも、眠ることさえも出来ずにいたのだ。
この大音響と度重なる拷問のため、影山は数時間おきに気絶と覚醒を繰り返し、まともな意識は持てなくなっていた。
彼の膝は銃で撃ち抜かれ、手足の腱は切られており移動は絶望的。起きている間は1秒の集中力も出せないよう考え抜かれた拷問が行われ、合間合間にヘロインが影山の静脈に打たれていた。
「さんざんトイレトイレって弄ってくれたわよね」
アンネリーゼが時折やってきては影山の腹を蹴飛ばすせいで影山の腹には青黒い痣が何箇所もできていた。だが、影山にとってはそれはもう、薬物と拷問の向こうに感じる小さな痛みに過ぎない。
彼の頭の中には常にモヤのようなものがかかったようになっていた。そのため影山は外的刺激の何もかもを非現実的に感じはじめており、肉体的な暴力はだんだん意味を成さなくなってきていたのだ。
影山はアーテム・デア・ゴウティン号に同乗した麻酔科医達の最大限の知識と努力の結果、死ぬことも出来ず、生きているとも言えない状態だった。彼は今や気絶と睡眠、時折薬物の中毒症状を繰り返すだけの肉塊に等しい。影山が早晩、まともな判断力を失くし、薬欲しさにベルンハルトの言うことなら何でも聞く魔法のランプの住人となるであろうことはこの光景を知る誰の目にも明白だった。
「やめなさいアンネリーゼ。彼にはこれからうんと働いてもらわねばならん」
ベルンハルトはこの状況に大いに満足していた。この影山を意のままに動かすことによって、シプリアーノが第一次大戦前後に築いた富と同レベルの財産を手に入れられるかも知れないのだ。その富は自分を政財界の、そして権力の頂点に押し上げるだろう。
そうなったらもうカタストロフィを待つ必要すらない。むしろ人口を減らしてカタストロフィを避ける組織を立ち上げてしまう方が余程理にかなっている。
「羊飼い」のメンバーの情報を全部持っているベルンハルトは、影山を使って他のメンバーを全滅させることすら今後の選択肢の中に入れていた。
麻酔科医達が「影山は完全に薬物依存の状態であり、明識困難状態となった」という診断をベルンハルトに告げると、彼は影山を金の卵を産むガチョウへと仕立て上げ始める。
「さあ、影山君、薬が欲しいかね……? だったらちゃんと働かなきゃあ……そうだ。君ならこのレンガを金の塊にできるんじゃあないか? そう、ゴールドだ……そうだ……そう……おお……できるじゃないか。良くやった。これはご褒美だ……」
網膜が火傷して視界の大部分が役に立たない影山がかろうじて見えたものをたどたどしくレグエディットで金に変えると、ベルンハルトは嬉々としてその重さを計り、金額を計算していた。
この船倉で影山が見ているのは地獄か、それともヘロインが見せる天国なのか。
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影山があの日、姿を消してからすでに1ヶ月以上が経過していた。
主がいない役員室は火が消えたような有様だ。中では残された役員達が全力を振り絞って影山を探し続けていたが、未だ望む結果を得られないでいた。
「駄目。どこをどう探しても見つからないわ……他に何か考えられないの?」
「うーん……ベルンハルトがどうやって日本を出たのかも分からへんし、影山さんがどこに居るかもわからん。船も飛行機も全部見て回ったんやろ? もうネタ切れや……」
彼女達が見て回れるのは船や飛行機の持ち主や出港時間といった公的な記録がほとんどだ。ベルンハルトのように自分の名前を表に出さない人間には公的な記録などほとんど意味をなさない。調査が空振りに終わるのも無理からぬ事だ。
「うかつにベルンハルトの所有企業や自宅を攻撃して彼を殺してしまったら影山さんに辿り着けなくなるし……」
「ベルンハルトがアフリカに持ってる鉱山から金がえらい出たって言うて世界の金市場がえらいことになってるねん……影山さんが何らかの形で協力させられてるのは間違いないと思うんやけどなあ……」
「……シャーロットは、何か言ってた?」
「あかんて。わからんもんはわからんねんて。誘拐されたって聞いた直後はめっちゃ焦ってたけど、最近ではもう何考えてるかわからんわ。案外あの娘もドライなんかなあ」
影山が四人に渡した指輪。影山は誰がどこに行っても追いかけられるように指輪のレジストリのリファレンスをクリップボードに叩き込んでいた。だがその逆、つまりシャーロットや貴子が影山を追跡できるようにすることは決して許さなかった。
朝起きたら隣で誰かが寝ていることを避けるため、というとおちゃらけて聞こえるが、四人との距離をできるだけフェアに保つために思いついた影山の苦肉の策だったのだ。
それがこんなところで裏目に出るとは……。
市川は、影山が自分の位置を追跡しないように貴子とシャーロットに厳命していたのは自分と相田を気遣ってのことだと理解していた。それが原因でこんなに何の手の打ちようも無くなるとは夢にも思わなかったのだ。
この1ヶ月と数日、何度同じことで自分を責めたか分からないほど市川は自分を責めていた。それは他の2人も同じだった。なにせ、眼の前で見ていたのに何も出来なかったのだから。
それでも影山ならなんとかしてくれる、ある日ひょっこり顔を出してくれると信じていた3人だったが、実際にはそれが叶わないままいたずらに日々は過ぎて行く。
3人にとって今ではベルンハルトの持つ鉱山会社が金を産出し続けているという事実だけが救いだった。ベルンハルトは影山に金を作らせてそれを鉱山から出たものと書類操作して売りさばいているに違いないからだ。
シャーロットにしても不安を抱えていることは同じだ。影山に対しての好意がストレートな分、彼女の影山に対する心配は、市川や相田のような悔恨の念混じりのものよりもっと純粋なものだった。
決して相田が言うようにドライな割り切りをしているわけではない。
泣きわめいても状況は変わらないからやれることをやっているだけだ。
影山が拐われて41日目、相田からの「進展なし」の報告を受けたシャーロットはあることを思い出していた。それは夢うつつの中で聞いていた影山と「あいつ」との会話だった。
「おい『アブソリュート』初回発動のブレーキサービスは付いてるのか?」
「それは勿論」
アブソリュート―― 影山に決して安易に使うなと言われていた移動メソッド。ブレーキサービスとはなんだ? わからない。分からないが、今の硬直した状況を打開するには何か思い切った事をやってみるしかない。
「これに賭けるしかないか」
シャーロットの腹は決まった。
眼前の25セントコインのレジストリを展開し、移動を選択する。メソッドは「アブソリュート」。目標はムカつくパパラッチの溜まり場。
「行けっ!」
シャーロットが実行指示を出した直後、彼女の目の前に突如白い空間が現れた。激しい混乱の中、彼女の目の前に現れたのはどこかで見たことのあるような人物だ。
その人物はこちらを見てほほえみ、ゆっくりとシャーロットに語りかけた。
「これこれ、君ィ。アブソリュートの利用には注意が必要だよ?」




