第百二十九話:夢は五臓の煩い、神は脳の患い
都内では久しぶりの長く揺れる強めの地震。震度は3と4の間くらいだろうが、この会議室があるのは28階だ。たとえこのビルがパンフレットにあるような4つの制震・耐震スキームを装備していたとしても高階層での体感震度は4か5くらいに感じてしまうだろう。
クッキーの載った皿が、続いてグラスとコーヒーカップが床に落ちてがちゃんがちゃんと音がした。ミシミシとどこからともなく聞こえてくる建物のきしみ音はなかなかにスリリングだ。地震に慣れた日本人でも冷や汗の一つくらいはかいてしまう。
「じっ、地震かっ! こ……っこんなっ! あっ! アッ! アンネリーゼ!」
「おおおおお祖父様! ああ、神様っ!」
地震に慣れていないのか慌てふためくベルンハルトと、秘書かと思っていたらまさかの「お祖父様」発言をした女性。気丈に振る舞ってはいるが、慣れないとこれだけの地震は辛い筈だ。実際、2人の顔は血の気をすっかり失っていた。
俺の目の前でエリザベスⅡ達がガラガラと椅子から転げ落ちて行く。エリザベスⅡには大臀筋に相当するアクチュエータはないし、地震があっても椅子に座り続けるためのバランス機構もない。座りながら足を踏ん張り、尻のどちらかに荷重を移動させるということができないエリザベスⅡは為す術もなく絨毯の上に滑り落ちていった。
もし揺れが始まった時に2本足で立っていたなら、エリザベスⅡ達は転ばないために加速度センサーの情報をフルに活用してバランスを取っただろう。エリザベスⅡには「立っている時は転ばないための最善策を取る」というミッションプログラムが入っているからだ。
だが、エリザベスⅡには「何があっても座り続ける」というミッションプログラムは存在しない。椅子の上に置かれたエリザベスⅡは着せられた服と会議室の椅子の表面との摩擦、そして重心の位置によってしか座る姿勢を維持できないのだ。
(余談だが、ビッディ・ペッソン社が「ベアトリスを車に乗せる時には必ずシートベルトを着用させてください」と言っているのはこのためだ。)
「あ〜あ、酷い有様だな……」
床の上に散乱したエリザベスII達のうちの何体かは関節があらぬ方向に曲がっていた。シャーロットが酔っ払って床に寝っ転がっているようにも見えるが、何体もあるとちょっとしたホラーだ。
なんだかこちらの心理的なダメージが蓄積しそうな気がするので、俺は椅子からずり落ちたエリザベスⅡを一つずつ抱きかかえて部屋の端に寄せ始めた。もちろん首のブルートゥースの起動ボタンを押すのも忘れずに。
「お……収まったのか? ワシは助かったのか?」
ベルンハルトがようやく口を開いた。どのくらい揺れていただろうか。おそらく地震そのものの揺れは30秒も続かなかっただろうが、このビルの制震耐震システムと高層階の組み合わせが揺れを長引かせていたのだろう。
慣れてない者にあれはきつい。自分が踏んでいる床が信用できなくなり、眩暈を起こしているような錯覚に陥ってしまう。俺も東京に来て長いが、この高層ビル特有の揺れには慣れるまで時間がかかったものだ。
「大きな地震には余震がある。気を抜かないほうがいい」
「ひっ」
俺は余裕たっぷりにベルンハルトにアドバイスをくれてやった。孫の方はトイレかどこかに行ってしまったようだ。何があったか聞くと殺されそうだな。うん。
「地震大丈夫でしたか? 今こちらで速報を見ています。震源は鹿島灘沖で最大震度は水戸で震度5、都内は震度3だったそうです」
貴子さんから電話が入った。結構揺れたがやはり震度は3程度か。俺は「ああ」とだけ呟いておいたがインカムは拾ってくれただろうか。
「……君はなぜそんなに頑張ってロボットを片付けているのだ?」
「なに、こいつらには並々ならぬ愛着ってやつがあるんだ」
クッキーカスの散らばる床に、ロボットとはいえシャーロットの姿形をしたものを放っておくわけにはいかない。遠隔存在システムの中の人達が自分で立ち上がろうとしない以上、俺がどうにかする他ないではないか。
俺は合計9体のエリザベスⅡを脇に寄せた後、手と膝をパンパンと叩いてホコリを拂った。中の人がまだいるかどうかは知らないが、寄せたエリザベスⅡの電源は切らずに置いてある。
あとは怪しまれないように俺がベルンハルトと世間話でもしていれば、相田が片っ端から俺がスイッチを入れたエリザベスⅡにログインして必要な情報を取って回るだろう。
「少しは身に染みたか?」
俺はコップに水を入れてベルンハルトに持っていってやった。ベルンハルトは一口だけその水に口をつけるとコップをぶっきらぼうに机の上に置き、しかめっ面をこちらに向ける。孫娘がまだ帰ってこないのが気になっているのだろうか、ベルンハルトはしきりにドアの方に目をやっていた。
「何がだ?」
「日本じゃ小学生でも平気な震度3だが、あんたは今、お孫さんと抱き合ってこの世の終わりのように感じてたんじゃないか? お孫さんは恐怖に耐えきれず、今じゃトイレでお着替えの真っ最中。染みたのは恐怖だけじゃなかったようだな」
「う……」
「あんた達はこれの何倍も恐ろしい、本当の『この世の終わり』ってやつを人間の世にもたらそうとしていたわけだ。自分達は穴ぐらに隠れてな」
「我々の崇高なカタストロフィと日本のちっぽけな地震を一緒にするな」といった反論が周囲のエリザベスⅡから聞こえてくるが、俺は気にしない。
「君が何と言おうと我々は諦めない。さっきも言ったように、君が生きている間は活動を止めたとしても、その間に力を蓄え我々は必ず計画を再開する。君が我々のうち何人を消そうとそれが我々の全てではないのだ」
「強気だな、あんたは。さっき名前を言った4人を今すぐシメに行ってもいいんだぜ?」
それを聞いた何体かのエリザベスⅡから短い悲鳴が上がった。
「なぜ分からん? 人類がこのまま増え続けるのは自然の摂理だ。我々が餌を与えようが与えまいが奴らは無批判に、無造作に、鼠のように増えていく。管理は不可能だ」
「今後、当然予見されるカタストロフィに備える事の何がいかんのだ? そしてカタストロフィ後に生き残った連中から、生き残る知恵の代わりに遺伝子をちょっと戴く事の何がそんなに気に入らんのだ?」
「人間は群れを作り、なんとか生き残って来た種族だ。群れを増やし生き残る確率を上げて何が悪い⁉」
俺のふてぶてしい態度に業を煮やしたのか、椅子からの脱落を免れたエリザベスⅡ達が俺の心に全然届かない虚しい言葉を次々と吐き続けた。
「群れを成し、社会性を持って弱者を救い生存数と多様性を確保して環境に適応し、生存圏を広げていくのが人類の生存戦略だ。多くの犠牲を払って一部が生き残るってのはマンボウの産卵と同じで戦略とは言えん。いいか? あんたらの脳みそはマンボウ並だ。二度とその口で自らを人間だなどと語らんほうがいいぞ」
……たぶんこの数年間で最も酷い悪口だ。言うと意外にスッキリするが、言われた方は推して知るべし。見ればベルンハルトの顔がさっきまでの青ざめた情けない顔から血の気の引いた怖い顔になっていた。あれだ。ヤクザが本気で人を殺す時の顔だ。たぶん。
「ならば人類の敵として君を排除するしかない。覚悟したまえ。裁判も証拠もいらない。我々はただ君を潰す。君がやってきたことと同じだ」
「とはいえあんた方に政府や軍、諜報機関を動かすほどの力はないだろう? せいぜい政治家に献金するのが関の山のくせに大きな口を叩くじゃないか」
ベルンハルトは眉一つ上げていない。もう俺の安い挑発には乗らないようだ。
「我々は君達の弱点を知っていると言ったら?」
「……実に興味深い話だな、マンボウのくせに俺の弱点を知っているなんて。続きがあるなら聞かせてもらおうか」
「怖いかね? 声が震えているぞ」
俺の声が震えていたのは笑いをこらえていたからだ。今まで何人か「俺は知ってるんだぞ」という態度を取ってきたヤツがいたがことごとく大笑いの仮説をぶちまけてくれた。今回はどんな話を聞かせてもらえるのやら。
俺は余裕たっぷりにコーヒーのおかわりを注いで席に座った。
肝心の休戦交渉は何一つ進んでいない。相田の作業は一通り終わったようだし、俺も時間稼ぎのために口汚く罵り合うのはやめて交渉に専念した方がいいだろう。どうやら相手もそのつもりのようだ。
今、ベルンハルトは自分が優位に立っていると思い込んでいる。この状況で交渉を進めようという腹だろう。
ベルンハルトの脇にはいつの間にか孫娘が戻り、部屋に設置された中央のスクリーンには連中が用意したプレゼンテーション資料が映し出されていた。
「見たまえ」
映し出されたのは十数人の男女の顔写真や肖像画だった。壬生翁やシプリアーノの顔もある。歴史の教科書で見たことのある顔もいた。一番右にあるのは盗撮のようだが貴子さんの顔だ。俺の顔もあるが、ぼやかしてある上に「?」と書かれている。
「これが過去200年に人口の減少を企て、実行してきた者達の姿だ。そのへんの虐殺者と違う共通点は人口削減に至る理由らしい理由がないこと、または神の啓示を受けたような発言をしていることだ」
何をどうやったかは知らないが、これほどの数の担当者をこれまで特定してきたのだとしたら大したものだ。これら歴代担当者と接触し、話を聞き出していたのだとしたら彼等の「あいつ」に関する知識の多さも頷ける。裏ビルダーバーグ会議でのパリス議長が確信に溢れた物の言い方をしていたのはこういう裏付けがあったからか。
「君は自ら作り上げた企業を人口の抑制機関へと作り替えてきた。そうだな? その企業の実態はここに顔が映っている壬生由武の作り上げた壬生グループの劣化コピーみたいなものだ。そして実際、君は壬生由武の娘で特殊能力者と思しき壬生貴子を自らの組織に招き入れている。
君達は壬生貴子の起こす超常現象によって巨万の富を得、お遊びの企業活動をする傍ら遠い異国で大量殺人をしてきた。おっと、君自身が超能力者である可能性もまだ否定できないんだったな」
うん……よく調べてあるなぁ……見過ごせないほど凄く大きな間違いが数点ある以外は……。訂正してやる義理もないし、面白いから乗っかってやるか。それにしても貴子さん担当者説は根強いなあ ……。
しかし、裏の議長のパリスは俺自身が担当者に違いないと言っていたのに、なんでひっくり返ったのかね。過去に何か貴子さんが能力持ちだと確信させる決定的な事件があったのかな……?
「ああ、何なら俺の超能力であんたの孫娘がトイレで何をしていたかを当てて見せようか?」
俺のせっかくのアメリカンジョークを交えた挑発も、精神的に余裕のある今のベルンハルトには通じないらしい。
「君もまた、壬生貴子から神の啓示に関することを聞いたのではないかね? もしくは自分自身で聞いたか?」
「オスロでも言った筈だが、俺達に上位存在とやらとのコンタクトの事実はない。貴子さんもそんな存在は知らないと言っている。俺達は俺達の意思と経験に基づいて人口を削減し、抑制しているだけだ」
ベルンハルトが再び俺を見下し、フンと鼻息を鳴らしながら片方の口角を上げた。高貴な出だとか言う話だが人間性というのは仕草一つであっさり解るものだ。さっきまで地震でビビってげっそりしていたくせに……。
よし、俺はもう、こいつをおちょくり続けることに一片のためらいもない。
「そうだろうな。上位存在―― そんなものはいないかも知れないのだからな」
……なんかまた面白いことを言い出したぞ。
★★★★★
「貴ちゃん、なんかあんたの話してんで、聞かへんの?」
相田が画面を指さしながら貴子に話しかけた。
地震の直後だけに、知人や家族の安否を気遣う人達の通信が激増してモバイルネットワークが混んでいるのか、影山の盗撮キットから送られてきた映像はガクついていた。それでも豪雨の日のBS放送よりはマシな映像だ。音声はこの状況でも映像と違い、終始クリアに聞こえている。
貴子は耳まで真っ赤になっていた。ベルンハルトが自分の名前を知っている。自分が能力者であることまで。しかもすごいドヤ顔で何か言っていた。
「そういえば、アントニオが貴子を誘拐した理由も結局良く分かんなかったわね。まるで最初から、貴子には何かしらの能力があることを知っていたみたい」
「さ、さあ何の事かしら?」
貴子には思い当たることが無いわけではなかった。
スイスの寄宿舎学校時代、学校行事の冬山登山合宿で貴子の班が遭難した時の事だ。地元救助隊の必死の捜索が続けられたが貴子達は発見されず、班の6人全員が絶望と報道されていた。しかし遭難3日目の朝、貴子達は学校の裏山で倒れていたのを教員らに発見されたのだ。
見つかった生徒全員、どうやって自分達がそこに移動したのか覚えておらず、この事件は冬山のミステリーとして地元の新聞の3面を面白おかしく飾った。
今となってはその奇跡の生還は自分の仕業だと貴子もはっきり自覚していた。自覚した上で、貴子は自分にとってそれは黒歴史だと認識していたので今更蒸し返されたくなかったのだ。
市川や相田には決して知られてはならない。救助隊に発見された時の涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔が当時の新聞にでかでかと載ったことは……。
「小さい頃は神隠しによく合う子だって言われていたの……。400km離れた街で保護されたこともあったし……そういうのを調べられたのかしら」
嘘ではない。が、こんな話で市川と相田がごまかせるとも思えない。貴子は祈るような気持ちで画面から目をそらしていた。
「あれ……? なんやのんこれ? ……おかしいやん、なんで?」
それまで影山から送られてくる映像をチラチラ見ながらエリザベスⅡの内部データを分析していた相田が、不意に驚いたような恐れたような声を上げた。
「もしかして、ヤバイんちゃう?」




