第百二十四話:得手に紐が絡まる
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市川から「羊飼い」との実質的な戦闘状態に突入したと聞かされた相田は、自動売買システムで扱っていた株と仮想通貨と先物を現金化する作業に入った。オフィスが直接爆破等の攻撃にさらされる可能性と、システムに侵入される可能性があったからだ。
「システムはそろそろクラウドでなんとかしたいんやけどなあ……これから先、何回こんなことがあるんやら」
相田の表情は重い。敵勢力からの襲撃の危険がある度に手仕舞いしてシステムを落とすのは投資成績に影響が出すぎる上に膨大な手間がかかる。できれば社外、例えばクラウドにシステムを移植してそちらで運営したいというのは相田の切なる望みだった。
しかしそのためには越えなくてはならない障壁もいくつかある。
米国大手企業のクラウドサービスが提供するシステムはそれぞれ凝った作りでセキュリティ的にも機能的にも相田のシステムを運用するには十分以上ではあるのだが、予測演算に欠かせない多くのGPUを確保しようとすると結構お高くついてしまう。
クラウド上のサーバーから証券取引所へアクセスする際のネットワーク遅延が許容範囲に収まらないのも問題だった。
取引所のシステムからネットワーク的に1ホップでも近いところに自社のシステムを抱えたい。これは株などの金融資産の売買システムを持つ身なら必ず考えることだ。
売買の注文がシステムに届く時間がコンマ一秒違うだけで年間の収支が数十億円も変わることだってある。
諸々考えると相田のシステムをクラウドで再構築するのは現時点で良策とは言えない。
「やっぱりクラウドはまだまだやんなぁ……」
システムに関する相田の悩みは尽きない。
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溜池山王の影山物産オフィスは「羊飼い」による襲撃が想定されるため、2週間ほど閉鎖する事になった。社員にはこの期間、休暇が付与される。市川からの通達で、オフィス内には歓喜の声が上がっていた。
一応、投資先や取引先との関係で休暇を取れない社員はリモート勤務をしても良いという附則も同時に通達されたが、オフィスへの立ち寄りは厳禁。原則出社禁止だ。
従業員に説明するオフィス閉鎖の理由は貴子が知恵を絞り、「欧州並みの長期休暇制度の導入実験を行い、その間に大規模なセキュリティ監査と内部監査を実施する」ということにした。
実際に欧州企業では一斉長期休暇中に社員のメールを総チェックするなどして不正の調査をするところもあるらしい。影山物産でも後ろ暗いところがある社員は戦々恐々となるだろうが、それは自業自得であろう。
この休暇に際して、会社から社員へは一時金が支給される。これは穀物市場が混乱したのに乗じて相田のシステム「リスクテイカー」が先物で大儲けしたのを原資に充てた。上場もしていないプライベート企業なので、一時金を景気よく社員にバラまいても株主から何か言われることもない。
急な話にも関わらず、従業員らはこの施策を好意的に受け入れた。海外旅行を予約するにはやや急だったため海外リゾート嗜好の社員達には若干不興も買ったようだが、これを理由に徒党を組んで経営陣を糾弾する者は現れなかった。
「お前、何する?」
「うーん……家でゴロゴロしてるかなあ」
ゴールデンウィーク前に聞いたような、少し浮わついた会話を耳にした相田は誰にも聞こえないような小さな音で舌打ちをした。
相田にはシステムの停止、資産の現金化から始まってクラウド導入の再検討、従業員のメールのチェックをするための法的・道義的妥当性やシステム導入に関する議論などが降りかかっている。つまり、今回一番割を食ったのは相田なのだ。舌打ちの一つくらい出てもおかしくはないだろう。
「2週間も休むんかいな……ゴールデンウィークからまだ1ヶ月も経ってへんのに……」
別に相田はワーカーホリックなわけではない。事実、彼女は壬生システム勤務時代は連休を心待ちにする普通のエンジニアだった。だが、会社役員に立場が転じた今となっては長い休みが会社の業績や他社からの信用に与える影響をどうしても考えてしまうのだ。
「それにしても2週間か……中途半端な時間やな」
無為に過ごせばあっという間、本格的な計画を立てて何かするにはやや短いと感じるのが2週間という時間だ。何の計画もなくこの休暇を充実して過ごせるのは恋人と過ごせる人だけだろう。独り身は孤独に苛まれ、家族持ちは家族サービスで消耗してしまうに違いない。
一方で、何かにつけて欧米と比較して日本人は働きすぎだのなんだのと言い出す輩に言いくるめられた日本政府が2週間程度の長期休暇制度を法律で導入するとか言い出さないとも限らない御時世だ。政治家が人気取り目的でそういう法案を出す可能性だってある。
ある日いきなり政府から長期休暇制度の導入をと言われて右往左往するより、自分達で何が起こるかくらいは知っておいても損は無いかもしれない。
「なるほど、長期休暇の導入実験か……やっとくべきやわな。いきなり言われたら上げ下げ激しそうやん」
貴子と田辺が用意したとってつけたようなこのオフィス閉鎖の名目に、相田は妙に感心してしまっていた。
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「まあ、いろいろやれることやっとくか……。ゴロゴロするのは死んでからナンボでもできるさかいな」
休暇初日、日本橋のマンションの一室で相田は朝食後一息ついてからPCの電源を入れた。無駄にコア数の多いデスクトップPCだが相田には何をするにもこれが必要だ。
その時代の最高解像度を持ったディスプレイ2画面と、静電容量無接点方式のフルキーボード、待ち時間を限りなく最小化したシステムが無いとクリエイティブな作業は何一つ出来ないと相田は普段から周囲に言っている。
彼女から見れば、小洒落たカフェで背を丸めながら薄いノートPCをポチポチ叩いている人間は異人種そのものだ。デスクトップPCこそがPCであり、他はただの端末。これは彼女の矜持であり信仰でもある。
「ポチっとな」
電源投入直後の「フォン」というCPUファンの音がすると、ものの数秒でシステムが起ち上がる。相田はカチカチとマウスを鳴らしてエディタを開き、ラノベの続きを書きはじめた。
「★転生したチキン魔王は人類絶滅の詔を下す。ただし猶予は300年 ★」はここ数ヶ月、一話も更新できていない。読者の間では作者死亡説が出ていたほどご無沙汰だったのだ。
「そういえば『あいつ』さんと会ったのも貴ちゃんがラノベの話をしてた時やったなあ」
相田は最近あったことをいろいろ思い出しながらラノベを書き進めたが、しばらくするとぱたりと彼女の筆は止まってしまった。人口削減案、抑制案……さて、次はどんな策をこの異世界に展開しようかと思案を始めたがどうにもネタが思い浮かばない。
「あかん……ネタがあれへん……」
相田は最悪のタイミングで自分に追い打ちをかけた。影山が読んでいると知った以上おかしな話は書けない。できればウィットに富み、読んでいて楽しく、それでいて影山の役に立つような文章を……。
彼女は自分で自分に幾重にも足枷を嵌めてしまっていた。
相田はウィットに富んでスマートなネタはないものかと今現在の世界で多数の死者を出している要因を各種統計情報やWHOのレポートから探してみたが、酒、受動喫煙、耐性菌、自然災害、テロ、高血圧、ガン……といったものしか出てこない。
「あかん、魔王が世界に酒バラまいてアル中増やして人殺すってどんなファンタジーやねん……ていうか、これ、35話の焼き直しやん」
相田はしばらく七転八倒し、ネタを求めて目をギョロつかせながらネットの海を彷徨った。しかしネタは探せば見つかるという類のものではない。
彼女がネットからネタを拾うのを諦め、自分でロジックを構築して話を書き上げた時にはもう日が沈もうとしていた。
「これ、読んでくれる人おるんやろか……」
―――第124話「父の望み、母の夢」―――
「彼の王国では男子を尊ぶようだな……であれば彼等に産み分けの知恵を授けよう。男か女か、腹の中にいるうちに判るようにしてやれば男ばかりを産むようになろうて……それがどんな結果になるかも分からずにな」
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男子を欲しがる社会で実際に親達の望みを叶えてやると男女の出生数に不均衡が生じ、何世代も経ると随分と歪んだ男女比の社会が出来上がってしまう。
影山が読めば大喜びしそうなネタだ。きっとこれを読めば「途上国でも超音波なしで簡単に胎児の性別判定ができるキットを開発している会社はないか」と言い出すだろう。急ごしらえにしてはよく出来た話だと相田は1人鼻息を荒くした。
―――第125話「参上! 四天王」―――
「相変わらず見目麗しいな我が四天王達よ。今日は揃ってどうした?」
「はっ! 我ら四天王、魔神より授かりし新たな能力にて魔王様をお助け申す所存です。本日はその能力のお披露目にと罷り越しました」
「ほう、魔神とな。面白い。そうか……貴殿らも会ったのか、あの魔神に……」
「はい。魔神にお会いし、各自それぞれ能力を授かりました。これがまた難儀難解な代物で、未熟な我らは使いこなすための稽古に明け暮れておる次第で……」
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魔王を助ける四天王が現れ、魔神から授かった能力を使って魔王を助ける超展開だ。相田は四天王の美貌を、超絶の能力を、その能力開花のための苦難を書き上げたところではたと我に返った。
「あかん……これはなんか、あかんような気がする……」
そうは言うものの何がいけないのかを相田自身言語化出来ない。自分の書いた小説が影山にアレンジされてこちらの世界で実行されるのは良いが、逆はプライドが許さないのか、それとも現実に起きている事の方がよほど面白くなりそうだからなのか……。
結局、相田は自身の心に従い、書き上げた第125話は封印。お蔵入りとなった。
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翌日、相田は昼から寝っ転がってテレビの情報番組を見ていた。もちろん彼女は情報番組に何も求めていない。ただ生活BGMとして使っているだけだ。だから数年前から人気があるという「日本って凄い!」系のコーナーが始まっても相田は鼻でせせら笑っていた。
「凄いのは伝統工芸やら下町やらの職人のおっちゃんとサービス業の人達だけやん……」
海外留学を経たせいか盲目的な日本最高神話を日頃否定する相田だが、そんな彼女も日本のサービス業のクオリティだけはまだ世界の第一線に立てていると信じている。番組の情報コーナーではその日本の飲食サービスの海外展開という話題になってきたので、相田は少し画面を気にしはじめた。
「はい! 次はですね! 地中海沿岸で大ヒットしているという日本のラーメンチェーン『サーレ・インクレデイビレ』のご紹介です! ここのラーメン、スープの材料はになんとダツ! こちらではガーフィッシュと言うんですが、それを一旦干物にして使ってるんですね〜〜〜!」
やけに「!」の多いセリフが耳につく。次の瞬間、相田の眼は画面に釘付けになった。紹介されていたのは「サーレ・インクレデイビレ」―― 影山物産の投資部門が初期にベンチャー投資を実施した会社だったのだ。
「おぉ、そういえばテレビで取り上げられるとか言うてたなあ」
影山物産が投資した企業がマスコミに取り上げられることは最近ではさして珍しくもない。だから彼女はこの手の報告をあまり気に留めることもなくなっていた。
だがこうしてTVで放送されているのを直に見ると、嬉しいようなくすぐったいような、多幸感のようなものがこみ上げてくる。
「私達、今日は『サーレ・インクレデイビレ』ナポリ店にやってまいりました! こちらへどうぞ! あ、店長さん! 日本の方ですよね?」
やかましいリポーターの声を我慢して聞きながら画面を見ていると、照れくさそうな笑顔で取材に受応じていた男の顔が55インチのTVに名前とともにアップで表示された。その顔は相田が良く知っている顔だった。
『サーレ・インクレデイビレ ナポリ店 店長 沢森さん』
「沢森やん! あのクソハゲこんなところでラーメン屋やっとったんか!」
忘れもしない、あの沢森だ。パワハラ以外の芸がなく、影山物産が発注したシステムの開発中に職場を放棄して逃亡を図り、受注側発注側双方に大混乱を引き起こした男がイタリアでラーメン屋をやっているのである。
「アっホみたいにヘラヘラしやがって……ようテレビなんかに出て来れるもんやわ。自分が何したんか忘れてんのちゃうかこいつは……」
幸いにしてシステムはなんとか完成したし、受注側の管理職を1人降格させることで手を打ったので今となっては恨み心頭というほどではない。しかし、相田は沢森が何のペナルティも受けていないことが腹立たしかった。実際に彼への報復行動など出来ないことは解っているが、気持ちの整理が難しいのだ。
「もぉええわ。こんなヤツに好かれてたとか、服部さんも冗談キツイわ」
一言呟き、相田はも沢森に関することを考えるのを止めた。いくら嫌いな人間がテレビに映っているとはいえ、テレビに向かって延々愚痴を言い続けるのは滑稽でしかない。相田はそこに気がついたのだ。
きっとナポリの店員は、口だけで何もしないパワハラ店長に悩まされ続けるだろう。従業員の心のケアだけはしっかりするように山本社長に言っておかなくては……
相田は山本社長に簡単なメールを書くと、テレビの電源を切ってしまった。
「さて、これから木場かぁ」
夕方から大型二輪の教習の予約が入っている。先月、市川と貴子にお揃いのヘルメットとウェアを渡されたのだが、それを見ているうちにバイクに乗りたくなってしまったのだ。それ以来、相田は土日を使って教習所に通い続けていた。もう買うバイクも決めてある。
これから2週間の休みがあれば大型自動二輪免許を取得した後、バイクに乗って江戸川の船舶教習所へも行けるようになるだろう。ラノベもまだまだ書いて、作者死亡説は払拭しておかなくてはならないし……
そう考えると2週間は決して十分ではないなと思う相田であった。




