第百二十二話:風前の灯火
チータが知らせてくれてからほんの数十秒でリムジンは視界の開けた場所へと辿り着いた。周囲にはショッピングモールやガソリンスタンド、そして巨大な家具店が見える。
「影山さん、あれ……」
「うわ、何やってんだ2人とも……」
瞳が指さした先、案内標識が設置された鉄塔に2人の黒いスーツを着た女性が宵闇に隠れるように立っているのが見えた。顔はフルフェイスのヘルメットで遮られて見えないがおそらくは市川さんと貴子さんだろう。瞳は瞳で、良くあんな見えにくいところにいる2人を見つけるものだ。
しかし……ピッチピチの黒いライダースーツとか……ハリウッド映画みたいだな。
「ああっ影山さん! ヘリが!」
「おおっ!?」
俺達を乗せたリムジンが案内標識の鉄塔脇を通り過ぎた直後、それまで威勢よく俺達を追いまわしていたヘリが突然、直上方向へ落ちていくように上昇し、視界から消えてしまったのだ。
あっけない……あまりにもあっけない幕切れ。こんなことをあっさりやってのけるのは貴子さんか。いや、やるもんだ。
「攻撃、止みましたね……」
「ああ……」
それまでリムジンのボンネットや天井をしつこくノックしていた銃弾の音も、ヘリのエンジンの爆音もすっかり止み、リムジンは快適な高速道路のクルージング走行という本来の役目に戻った。
チータの短い解説によると、防弾がしっかりしている車でヘリから銃撃された際、最も大事なことは慌てず運転をし続けることだそうだ。実際に銃弾が車に当たって走行不能になるよりも、上空から狙われていることでパニックになった運転手が事故を起こしてしまう方がよほど危ないらしい。
撃つ方もそれが解っているから間断なく弾を撃ち続けるのではなく、何分かおきに撃って来ていたのだ。ヘリ側は「撃つよ。撃ちますよ。こちらはまだまだ諦めていませんよ」という意思表示をし続けるだけで良く、こちらを焦るだけ焦らせた後はゆうゆうと上空でこちらの自滅を待っていたのである。
そんな思惑も貴子さんと市川さんにかかればあの通りなわけだが……。
「何だぁ? 何をした……?」
俺たちにはこう答えるしか無い。
「ドン、当社のシークレットサービスがヘリを穏便に始末したようだ」
「当社のシークレットサービスはすでに撤退済みのようですよ。社長」
後ろの車窓から状況を確認していた瞳が小声で言った。
「だが、これで終わりじゃないだろう。蜂の巣になった俺達の死体を確認するための車が向かってる筈だって当社のシークレットサービスは言ってる。実際どうなんだろうか?」
「ふむ……ヘリからの銃撃に耐えたって連絡は入ってるだろうから、もしかしたらオスロからえっちらおっちら追いかけてくるより沿線の街からもうちょっと強力な陸上部隊が来るかもな。だとしたらイェーテボリからか……厄介だな」
チータの使い所のない豆知識といいアントニオのほろ酔いながらも的確な推測といい、いくら銃撃されるのに慣れていると言っても慣れ過ぎだろう。
「たぶん……そっちも大丈夫な筈だ。一応、君の分析はシークレットサービスに伝えておくよ」
「……今日の分のコンサル料はサービスしておいてあげよう。ミズ・ミブと勇ましいご友人達に宜しくな」
ああ、そう言えばアントニオは影山物産の女性幹部が全員能力持ちだと知ってるんだもんね……現実が後追いになっちゃったけど。
アントニオはすっと目を瞑るとほんの1分ほどで寝息を立てはじめた。合法非合法双方の勢力に武器を供与して人口調整を図る秘密組織の長とはここまで肝が座っているのか……俺はその常識外の胆力を見せつけられて感心せずにはいられなかった。
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ヘリを撃退した貴子と市川はすぐに役員室へと戻った。宵闇にまぎれていたとはいえ高速道路わきの鉄塔の上に居たのだ。長居して人に見られたら大騒ぎになってしまう。
「あー怖かった! めっちゃ怖かったわ! 貴子ぉ、なんであんな所で待たなきゃいけなかったのよ!」
まだチークパッドがキツい新品のヘルメットを引き剥がすように脱ぎながら市川が不満を漏らす。高速道路の案内標識に身を潜めるのは市川の胆力をもってしてもかなりの恐怖だったらしい。
「何言ってるのよイッチー……貴方の光学迷彩が無かったら今頃動画サイトで私達超有名人よ?」
「いや、イケアの屋上からでも出来たでしょ? あれ」
「あのねえ……あそこからだと右の山陰から現れたヘリが左の山陰に消えてしまうまでの数秒間でなんとかしなくちゃいけなかったでしょ? 無理よそんなの」
「そうかなあ……」
「そりゃ『今からヘリが通りまーす。3・2・1……』って誰かが言ってくれるならともかく、いつ山の影から現れるか分からないのよ? あそこからヘリを正面に捉える以外に方法はなかったわ」
「あー、そういえばそうか……ごめんね貴子。言い過ぎた」
「解ってくれればいいのよ。光学迷彩、ご苦労さま」
影山達の窮地を救うためには影山達の乗った車を上空から銃撃しているヘリコプターをなんとかしなければならない。そこで貴子は鉄塔上で飛んでくるヘリをターゲットすると、自分がデュッセルドルフからウッデバラまで跳んできた時にやったように、ヘリと地表との位置エネルギーを負の値に設定した。その結果ヘリはあっけなく上方向に落ちていったのだった。
山岳地などの高所や気密性を要する場所を飛ぶヘリコプターには予圧システムが装備されているものもあるが、今回アントニオのリムジンを襲撃したヘリコプター、H120にはそんなものは装備されていない。
制御不能な状態で高度2万mにまで放り上げられた襲撃者達の乗るヘリの中で、搭乗者は全員低温・低酸素とパニックの合わせ技で人事不省に陥ってしまった。
また機体にしても、そもそも高度2万mでH120の回転翼が姿勢制御に十分な揚力を得られるかどうか、内燃機関に必要な酸素が供給されるのか……実用限界高度の3倍以上の高さに放り出されてしまってはそれらは望むべくもない。
結果として乗組員が全員意識を失ったH120は貴子が上方向 ――正しくはその方向は東方向にも15°ほど傾いていたのだが―― への加速度をリセットした後、制御不能なまま下降してウッデバラの市街地ギリギリの森林に墜落し、翌朝の地元のニュースを賑わせることになった。
ではこの時市川は何をしていたか―― 影山と瞳が見つけたように、鉄塔の上に現れた直後の2人は目立たないなりに視認が可能な状況だった。ここで市川は鉄塔の高さに恐怖しながらも自らの能力、空間情報エディタで2人を包むごく狭い空間の光線の屈折率を器用に操り、周囲からの視認性を著しく下げたのである。これにより2人はほとんど誰にも見られること無く一連の「シークレットサービス」を成功させることが出来たのだ。
「さて、次は後続の地上部隊よね……」
「イッチーにはもう考えがあるんでしょう?」
「まあね」
影山の位置をPCで確認しながら次はどうするかを話す2人に影山から連絡が入った。2人は「地上の追撃部隊はイェーテボリから現れるだろう」という影山からの情報を基に地図を見ながら実行場所を絞り込む作業に移る。さっさと決めなくては、時速150㎞で走っているリムジンは自分達が検討している場所を通過してしまうかも知れない。
この面倒な作業を手早くこなすため、2人は「どうせ周りに迷惑がかかるにせよ、できるだけ関係ない人達への害が少ないような場所が良い」という大方針を先に決めた。これにより選択肢は大幅に絞り込まれ、実行場所は比較的短時間で決まったのだった。
「うん。ここね」
その後わずか数分で2人は戦術の枝葉末節までを事細かに決め、それを伝えるために影山に連絡を入れた。計算が正しければそんなに時間の余裕はないからだ。
「影山さん? イェーテボリからはE20に乗ってるのよね? クングスバッカって街を通り過ぎてしばらく行ったところにインラッグスルデーンってインターチェンジがあるの。その近くで、一般の人の車が居ないような状況を作れる? うん。じゃあね」
市川が電話をしている間に貴子は再び、いそいそとヘルメットを被って出動の準備をしていた。
「イッチー、私先に行って場所確定してくる。また後で」
「うん。頼んだわ」
市川は、またこのキツいヘルメットを被るのかと少しげんなりしながら電話を置いた。
◆◆◆◆◆
「だ、そうです」
俺は市川さんからの指示をそのままアントニオに伝えた。さっきヘリを撃退したおかげでアントニオもこちらの処理能力を信頼してくれているのか、ちゃんと聞いてくれている。一方で瞳は俺が何もしていないのを不満に思っているのか、市川さん達の活躍が面白くないのか少々むくれていた。
「チータ、聞こえてたな?」
市川さんからの電話の着信音で起きたアントニオがチータに確認する。市川さんも手慣れたもので、俺からアントニオへの伝達ミスを無くすために英語で連絡してきたのだ。全くもう、出来る人というのはこれだから。
「アイ・サー!」
チータの張り切った声がスピーカーから車内に響いた。船の中に居たときとは全然印象が違うが、こっちが本当のチータなんだろうな。
「では、後はどうやって後ろの怖いお兄さん達からインラッグスルデーンってところまで逃げ切るかだが……」
アントニオがリムジン後方にちらりと目をやった。
イェーテボリを通過した直後から俺達の乗るリムジンの後ろには何台かの防弾車と思しき車両が張り付いていた。こちらのように高級車を装うふうでなく、どちらかというと装甲車と言ったほうが良さそうな車両達だ。
「いかついなあ……あの車」
「ナイトXVか。昔はあれを使ってたんだがな……」
「何か欠陥でもあったのか?」
「快適すぎて中に住みたくなるんだ。ワインセラーからゲーム機まである」
「それは欠陥なのか?」
この車にだってワインセラー代わりのクーラーボックス仕込んでたくせに……。
「それがな……なんと中で仕事も出来てしまうんだ。オフィスに居る時となんら変わること無く……」
「それは大問題だな……」
「だろう? そんなけしからん車には乗りたくない」
次世代モビリティサービスを考える中で「移動中にも仕事が出来る快適な社会を!」と提唱する人達が結構な数いるようだが、何が快適だ。移動中までPCを触らせるなと言いたい。世の中には深く考えたりメモ書きを量産する仕事だってたくさんあるのだ。
従業員が猫背でノートPCを開いてれば仕事をしていると思い込むような経営者は絶対に心の病気に違いない。
「ところで、あのいかつい車に追いつかれて囲まれて……なんてことはないよな?」
「まあ、6トンの車重にフォードの300馬力チョイのエンジンじゃ、こっちが加速で頑張ればなんとか逃げ切れそうだが……」
「ボス、お言葉ですがあちらさん、たぶん同じフォードのV10でも700馬力くらいはありそうです」
チータのほうが車に関しては目が利くのだろう。アントニオはぎょっと目を剥いて首を2回横に振ると、下を向いてしまった。なるほど、1.8トンで210馬力のグランドツアラー(注)とパワーウエイトレシオが変わらないんじゃ高速道路で逃げ切れるわけがない。
その直後、後ろにぴったりつけていた装甲車モドキは猛烈な加速を始め、あっという間に俺達の車と並んだかと思うと、タイヤを軋ませながらリムジンの鼻先へと尻を滑り込ませた。
「囲まれます!」
「意外に早かったな」
俺達を乗せたリムジンは頭をナイトXVに抑えられ、横と後ろを後から追いついて来たこれまたいかついSUV車に囲まれてしまった。だがこの状況にあってもアントニオは落ち着いている。なんなんだこいつは……ここまで部下や他人を信じきれるものなのか……?
「だが予定通りなんだろう?」
アントニオがくいと顎をやった先には案内標識があり、そこには「クングスバッカ出口」と書かれていた。とすれば長くてもあと数分、スピード次第では数十秒で市川さん達が指定したポイントだ。
「え? あれ?」
チータが混乱して声を挙げた。さっきまで目の前数mにいたナイトXVが300m程後ろにいるのだ。いつの間にこのリムジンは追跡者の包囲網をくぐり抜けたのか……、助手席のオズワルドもチータと同じ様に混乱していた。
「チータ! いいから行け!」
混乱してブレーキを踏んだチータに俺は叫んだ。貴子さんが包囲網を抜けさせるために俺達の車を跳躍させたのだとすれば、次に市川さんのキツい攻撃が来るのは間違いない。ブレーキを踏んでこの場に留まると巻き添えを食ってしまう。
「後ろ、混乱してるようです!」
瞳の、ひときわ高い声が車内に響く。
きゅるきゅるきゅる
ガガン! ドン!
チータが言われるままにアクセルを踏んだ次の瞬間、後ろで盛大なクラッシュが起きた。車は激しくぶつかりあいながら高速道路の柵を飛び越え谷へと落ちていく。二台が谷の傾斜面にぶつかって炎上し、残る二台はくるくる舞いながら谷底の川へと落ちて大きな水柱を立てていた。
「うわ。派手にやったな……」
「自爆でしょうか?」
インラッグスルデーンを少し過ぎたところには深い谷をまたぐ橋があり、谷底には細い川が流れている。
おそらく市川さんはこの川に車を落とすべく、空間情報エディタで橋上の道路の摩擦をほんの一瞬だけ無くしてしまったのだろう。700馬力を叩き込まれたタイヤはアスファルトを掴むこと無くホイールを空回りさせた後、急に復活した摩擦力を得て車体をあらぬ方向へと吹っ飛ばしたに違いない。
人為的ハイサイドみたいなものだ。なんとまあ、恐ろしいことを考えるものだ市川さんてば。
それにしても市川さん……能力を付与された直後は発動すら出来ずに半べそをかいていたくせに、今じゃ空間情報エディタをかなり使いこなしているようだ。
「ミッションコンプリートです」
「ああ、貴子さん? こちらでも見てたよ。ありがとう」
貴子さんから嬉しそうな連絡が入ったので俺は丁寧に礼を言った。俺がスウェーデンに跳ぶならパソコン1台あれば目標の緯度経度をアフィン変換して……と方法が確立しているが、その方法を知らない貴子さんがどうやってセーフポイントのないスウェーデンへ跳んで来ることが出来たのか……おそらく結構な無茶をしてくれたに違いない。
「お、タカコが電話に出ているのか? 代わってくれ」
俺と貴子さんの通話を横から聞いていたアントニオが俺のスマートフォンを渡せと手を伸ばしてきた。なんだか孫と話したがるおばあちゃんのようだ。
「ドン、君はこの前貴子さんの年齢を聞いて態度を豹変させただろう? 彼女はかなり根に持っているよ」
「タカコはどう見ても20歳そこそこの、ミステリアスでセクシーな女性だ。実際の年齢を気にした私が馬鹿だった。謝るきっかけをくれないか?」
俺はしぶしぶスマートフォンをアントニオに渡したが、俺とアントニオの会話を聞いていたのか、貴子さんは既に電話を切っていた。
その後1時間半かけて、最後は渋滞につかまりつつもリムジンはコペンハーゲンに到着。空港ではアントニオの持つガルフストリームG650ERというやたらゴージャスなプライベートジェットが俺たちを出迎えてくれた。行き先は米国、デンバーだそうだ。
「これ、南極行く時に乗ったのと同じやつですか?」
「いや、それよりも1ランク上のやつだ。太平洋も横断できる優れものだぞ」
恐怖の2時間を過ごした俺達の顔は離陸後にようやく明るさを取り戻せた。これで一晩寝れば米国だ。仮に俺達が大西洋上を飛行中に潜水艦から対空ミサイルが飛んできても、その時はその時でなんとでもなるさ。
それにしても俺も瞳も、よく会議場にパスポートを持って行ってたものだ。
(注)……三菱自動車のGTOのノンターボモデルがこれくらいです。