第十二話:イッツ・ソーデリシャス!
俺は夕食の準備をしながら、石膏から作った3つの金塊について思いを巡らしていた。
あの金塊はいい仕事をしてくれた。銃撃戦は結局2日2晩あちこちで起こったそうだから結構な数の命を刈り取ったに違いない。
去年、自分の身に起きたちょっとした事件を思い出す。俺はとある民事事件の裁判の被告となっていたのだ。
俺の曾祖父が昔、二人の仲間と三人で山梨の奥の方の男に無利子で金を貸したらしい。曾祖父達は利子は取らなかったが、その男の土地を担保にとったんだそうだ。男は金を返せなかったが、なんだかんだで祖父達はその男から土地を取り上げないうちに時効に。曾祖父と仲間は丸損だ。
その後百年近く経った去年、俺のもとに知らない弁護士から手紙が届いた。曾祖父達が担保にした土地の抵当権を外すぞ、文句があるなら裁判で聞くからから出てこい、という内容で、240人の住所と名前が同封されていた。曾祖父と二人の仲間の相続人のリストらしい。
俺は文句がないので放っておいたが、俺の興味は別のところにあった。
「三人は百年経てば240人になる」のである。途中に世界大戦が二回あってもだ。
ニュースを見る限りあの金塊は少なくとも40人の命を奪っている。ざっくり考えて俺は今後百年で増えるであったろう3200人の命を減らすことに成功しているのだ。
しかし、この手もずっと使えるわけではないだろう。
今回の抗争が終われば「出処不明の金塊を見つけたらとりあえず街の顔役に渡せ」みたいな決めごとができてしまうかもしれない。
金塊の入っていたスポーツバッグの本来の持ち主を探す奴らも出てこないとも限らないしな。
実はそういう事態を避けながら、それなりの人口を減らすやり方を俺はすでに思いついてはいるのである。そのためには現地人の協力者が必要なのだ。
「影山君、顔が邪悪になってるわよ」
手伝いに来てくれた市川さんの心無い一言が今日も俺を傷つける。
◆◆◆◆◆
「私はルーカスです。カゲヤマさんこんばんは。お招きありがとうございます」
侵入者を阻む2つの砦、コミュニティゲートとセキュリティゲートを通るため、ルーカスはインターフォンのカメラの前で良い子ぶっている。
俺は吹き出しそうになりながらゲートを開け、二人に部屋まで来るように伝えた。
リンゴーン
チャイムが鳴ったのは3分後。ルーカスもシャーロットもさっきと同じ格好だ。
ルーカスはアロハのようなシャツに膝まである短パン。シャーロットはへそが見える黒のノースリーブとスカンツ。どちらも南国的なセンスだ。
「よく来てくれた。ささ上がって。ああ靴はそこで脱いでこちらのスリッパに履き替えてくれ。なに、日本の風習でね。床は地面の延長ではなく、ベッドみたいなものなんだよ」
「うちと同じだ。前のママがそこだけはパパに譲らなかったって聞いたよ」
ルーカスが少し嬉しそうに靴を脱いた。シャーロットがそれに続く。
「バス通りからは3㎞ほどか。あの通りを歩くのは大変だったろう。ソファにでも座っててくれ。冷たい飲み物を出すよ」
「ありがとう。正直、喉がカラカラだよ」
「ビールがいいか? ナイジェリアには良いビールがあるらしいが日本のビールもなかなかだよ」
「ありがとう、でもやめておくよ。明日からまた実験と研究の毎日だからね。今晩はその計画を立てなきゃいけないんだ」
俺はリビングに兄妹を通し、よく冷えたコーラと日本製のチョコレート菓子を出した。
「シャーロットもよく来てくれた。歓迎するよ」
「ア……アリガトゴザマス」
ふむ、シャーロットはルーカスほどには日本語はできないのか。
「実験計画……てことは当たり屋はもうやらないのか?」
「うん、なんというか……君達に大笑いされて、僕には当たり屋の才能がないと思い知った。シャーロットは才能あると思うけどね」
ぽかり
シャーロットの拳がルーカスの頭にヒット。
なるほど、日本語会話を聞き取ることはできるらしい。
「さあ、ご飯できたわよ~」
気になる今日のメニューは日本風カレーライスとサラダ。
いろいろ悩んだが、地元料理のパウンデッドは難しそうなので人にふるまうのはまた今度にした。
辛い料理が人気があるそうなので、日本のカレーで勝負することに。
ちなみに、配膳は市川さんに任せたが料理を作ったのは俺。今日の夕飯は俺の心づくしの膳だ。
「見馴れない家具ばかりだね」
ルーカスが部屋を興味深げに見渡す。
それもその筈、俺はサマージャンボ宝くじの当選金を使って、できるだけ自分の部屋を日本スタイルに仕上げたのだ。そのために引越荷物として大量に日本の物資を持ち込んだくらいだからな。
海外赴任での引っ越し荷物の輸送費用は100㎏までは会社が負担してくれるのだが、俺は自己負担上等で500㎏近い物資を持ち込んでいた。この家の中は家具、家電製品、トイレットペーパーやウォシュレットに至るまで全部日本メーカーで統一してある。
もちろん、今日のカレーのルゥなども日本からの直送品だ。
まだ現地の住環境に慣れていない市川さんは、業務終了後毎日俺の部屋に入り浸っている。日本にいる彼女のファンが聞けば歯噛みをすることだろう。
「いただきます」
意外にもルーカスもシャーロットも手を合わせてからスプーンを持った。かなりきちんと日本のしつけが行き届いているようだ。
「これがカレーライス……変わった味だね。でも、美味しい!」
「イッツ・ソーデリシャス!」
最初にそう言ったあと、シャーロットは無言でカレーライスをかっこむ……かっこむ……二杯め……かっこむ……かっこむ……三杯目……。
カレーライスの美味さというより、ひどく空腹だったようだ。歩かせて悪かったかな。
「喜んでくれて何よりだ。前のママはどんな日本料理を作ってくれたんだい? 今度までに練習しておくよ。多分市川さんが」
「影山君……?」
「はは。冗談だよ」
市川さん、放つ殺気が怖すぎて正視できないよ。
「君達は恋人同士なのかい? 日本の会社は恋人同士を海外に派遣するの? 面白いね」
「面白い冗談ね」
市川さんの殺気が容赦なくルーカスに突き刺さる。
その殺気を感じ取ったのか、四杯目をこっそりよそおうとしたシャーロットの手はしゃもじの前で止まっていた。
◆◆◆◆◆
炊飯器が空になったところで食事会は継続不能となり終了。五合ちょい炊いたのに……。ナイジェリア人の胃袋恐るべし。
食事の最中、ルーカスとシャーロットは日本語英語を織り交ぜて自分達の境遇を俺達に語った。
亡くなったルーカスの父の話。親の葬式に出ると言って日本に帰ったきり帰ってこなくなった母の話。北部の暴動で難民となったシャーロットの母とルーカスの父が再婚した話。シャーロットの母が過激な武装勢力に拐われて帰ってこなくなった話。シャーロットの躾はルーカスが頑張って行った話などヘヴィな事情説明が終わった後、リビングでルーカスが真面目な顔で切り出した。
「では影山さん、そろそろ本題に入ろう。悪いが英語で頼む。僕達をここに呼んだ理由はなんだい?」
「いきなり本題か……良いだろう。ルーカス、君を雇いたい。シャーロットもまとめてだ」
「夕方言ったと思うが、僕は大学院生でフルタイムでは働けない。フルタイムで他で働くと奨学金を切られてしまう。それはまずいんだ。
それに君はまだ20歳そこそこだろう?僕らを雇うと言ってもそんなことが可能なのか?」
「君には20歳そこそこに見えるかもしれないが俺は正真正銘29歳だ。商社のディレクターを勤めているから君を雇うくらいの権限はある。
だが、会社ではなく個人的に君達を雇いたい。もともとフルタイムで雇うつもりもなかったが、奨学金を切らせたくないなら名目上はシャーロットを雇って君の分と二人分給料を出そう。
一人月30万ナイラ。二人分で月60万ナイラ、それでどうだい?」
月30万ナイラはナイジェリアの平均月収の軽く3倍を越える額だ。日本人の感覚だと、一人月75万円くらいになるだろうか。二人で150万円くらい……だと思ってほしい。実際の出費は二人で18万円ほどだが。
「ずいぶんと気前がいいんだな? 君もやっぱりチャイニーズマフィア達と同じくシャーロットが目当てなのかい?」
「別に君の妹を愛人にするためにこんな金額を出すわけじゃない。金額に違和感があるなら二人で月50万ナイラでどうだ?」
「シャーロットに興味がない? じゃあどうして行きずりの俺達にそんな大金を出すんだ?」
「月40万ナイラ」
「なっ⁉」
俺はけちな欲望のために破格の金額を積んでいるのではない。この二人には直接的、間接的にこの国の人口を減らす手伝いをしてもらうつもりだ。
多めの金額は俺なりの贖罪といったところだが、グダグダ言うなら減らす。それだけだ。
「どうした。もう少し減らそうか?」
「……仕事って、何だ……。やばい仕事なのか?」
「やばくはないさ。ルーカス、君には表向きは俺のプライベートの運転手をやってもらう。だが、他の運転手のように一日中運転手の待合部屋で他の運転手とカードをやって暇を潰す必要はない。
俺が呼んだ時以外は研究室にこもって、博士号取得のための研究に勤しんでもらって構わない。俺に必要なのは裏付けされた知性を持った現地人との協力関係なんだ」
「何だって?」
「この国の北部や海岸東部は俺達日本人にとっては渡航禁止か、または渡航制限区域なんだよ。そこで何かするとなると、俺の代わりに動いてくれる手足が必要になるのさ。
その時に必要なのは自分で自分の身を守れそうなくらいには頭が良くて、どこにいてもおかしくなくて、しかも俺の言うことがちゃんと解るヤツなんだ」
「俺は鉄砲玉か何かか……影山さん、あんたそんなとこまで行って金儲けするのか?」
「まだ違和感があるなら月30万ナイラに減らす。シャーロットは表向きは俺のメイドということでどうだ?
この家にもメイド部屋はあるし、結構広い上にエアコンまでつけてある。ここからシャーロットを学校に通わせてもいい。この話に乗るなら学費は俺が面倒を見よう。
どうする? なんなら週一回、カレーライスを出してやってもいいぞ」
このやりとりを蛇蝎のように見つめる市川さんの視線が痛い。
いいじゃないか、やってみたかったんだよ逆オークション。
ちなみに外国人富裕層向けのコンドミニアムや一流ホテルのレジデンスでは四畳半くらいのメイド部屋とメイド専用のトイレが併設されているのが普通で、俺の家もそうなっている。
この国ではメイドはメイド派遣会社と契約するか、会社の人の伝手で紹介してもらうのが普通らしい。まあ雇い入れ方は様々なので特に面倒事にはならない筈だ。
「影山さん、あたしを雇って下さい!」
徐々に下がる金額に焦りながらも即答を避けるルーカスを見かねたのか、シャーロットが割って入った。
「何を言い出すんだシャーロット!こういう話はもっと良く考えないとあとあと後悔するかもしれないんだぞ!」
「あたしはこの人に雇ってもらうよ。当たり屋までやって私を食べさせようとしてくれたのは感謝してるけど、私は兄さんにそんなことをさせるくらいなら自分が愛人になったほうがマシなんだよ。
影山さん、あたしを月30万で雇ってよ! あのカレーってのが食べられるなら10万でもいいからさ!」
口の端にカレーのルウをつけてはいるがシャーロットの表情は真剣そのものだ。
そんなに気に入ったのか、カレー……。
市川さんは目で俺にこう訴えている。
「グダグダじゃねえか。なんとかしろやオイ」
ちょ……俺、悪者かよ。
鬼気迫るシャーロットの勢いに俺の思考は停止していた。
いかん。金額の落とし所を見失ってしまったぞ。どうしよう?
シャーロットだけ雇ってもいいのか……? いいやルーカスの日本語能力は必要だし……
あれ、なんだろう。グルグルする。
「ねえルーカス、影山君は最近宝くじを当てて、ちょっとしたミリオネアになったのよ」
見てられないわ、という顔で市川さんが口を挟んだ。
「彼が……億万長者……?」
「そうよ。その彼のお金を目当てに物乞いをする人が彼の元に押し寄せてきたの。
彼はそんな人達を嫌って、この国に逃げるようにしてやってきたわ。
で、最近やっと何かやりたいことを見つけたらしいのよ。
それで、あなたに是非手伝って欲しいんですって」
おお! 市川さんがすごい助け舟を出してきた!
超安心感のある武装付き6万トン級の助け舟だ。ありがたや。
「彼女の説明に間違いはない。で、ルーカス、どうするね? 今ならウェルカムバックキャンペーンで最初の金額に戻してもいいぞ」
妹の輝く目には勝てなかったのか、単に市川さんの説明に納得がいったのか、ルーカスは少し晴れた顔をして俺に右手をさし出した。
「わかった。世話になろう。僕一人なら研究所の独身寮にも入れるから、妹はここに置いて行く。よろしく頼む」
俺はガッチリとルーカスの手を握った。やった! 念願の現地の協力者だ!
「もし良かったら君もここに住むか? ルーカス。君の日本語能力を強化するためにもそうした方が良いと思うが」
「ありがとう。この街の夜は怖いから今日はご厄介になるよ。しかし住むのは遠慮しておく。
日本語は確かに強化したいところなんだが、メイドでもないこの国の人間があの二重のゲートを毎日通るのは結構なストレスなんだよ。それに、君は良くてもこのコンドミニアムの住民が反対するだろう。それくらいのバランス感覚は持ってるつもりさ。
そうそう。シャーロットの学校の手続きとかは僕の方でやっておくよ。終わったら連絡しよう。
それと、彼女の身の回りの品は悪いが雇い主のあんたが買い揃えてやってくれ」
なるほど、そういうもんか。この辺のバランス感覚はまだこの国に慣れていない俺にはないものだ。ふと市川さんを見るとうんうんと頷いている。
「ちなみに、シャーロットはいくつなんだ?」
「18歳。シニア・セカンダリの三年生だよ。次に進学すれば大学生だね」
「ヨロシクー」
18歳! これで⁉ こんな18歳、いる?
「うっそだろ……マフィアが愛人に欲しがる18歳かよ……」
「ウソよね……いくら白人の発育が良いって言ってもねえ……」
俺も市川さんも、信じられないものを見るような目でシャーロットを凝視せざるを得なかった。
いやあ凄いわ……。何がどう凄いかを言い表せないけど。
◆◆◆◆◆
その夜、ルーカスは実験計画の立案を諦め、シャーロットとしばしの別れを惜しみながら過ごした。
「少しの間離れて暮らすだけだ。いつでも会えるさ」とシャーロットをなだめるルーカスの姿はよくできた兄そのもの。こうして見ていると、この二人が当たり屋をやっていたとはとても思えない。
翌朝、俺は防弾ベンツのカギをルーカスに渡し、携帯電話の契約ができるだけのカネと給料の前払いをしてやった。これで、俺は用事がある時はルーカスを呼び出せる。
ルーカスは俺に何度も礼を言い、シャーロットを頼むよと言いながら研究所のあるヤバ地区へと走っていった。




