第百十八話:臭い物には蝿たかる
一応ビルダーバーグ会議の裏会議と言う触れ込みなので、アジェンダが展開され、それに沿った議論が進行すると俺は思っていたが違ったようだ。ディナーミーティングの名の通り皿は次々と運ばれて来るし、高そうな酒もグラスに注がれては減っていく一方なのに司会のパリスとやらは何も言い出さない。
「お久しぶり」
「お元気でしたか」
「お仕事の調子はどうですか?」
参加者同士の会話はあるものの、それを会議とはとても呼べない。2皿目が過ぎ、スープが出てくる頃には俺とアントニオはその空気に我慢が出来なくなってきていた。
「おい、なんだよこれ。なんで俺達こいつらと飯食ってるんだよ?」
俺は隣に座るアントニオに八つ当たり気味に噛み付いたが、アントニオも気持ちは同じらしい。
アントニオはアントニオで苦虫を噛み潰したような顔をして出された料理をモソモソと食っている。出された料理は彼の嗜好に合ってはいない筈だ。可哀想に。八つ当たりして悪かったかな。
「私にも分からん。ところでミスタ、参加者の中で誰か一人でも見覚えのある顔がいるか?」
アントニオに言われて参加者の顔を見渡してみたが、この会議に参加する前に頭に入れておいた大企業や国際機関のトップ達の顔は見当たらなかった。
考えてみたらそういう人達は「表」の方に行っている筈だからここに来るのは……どういう人達なんだ? 少なくとも昼間「表」に出ている人達ではない。
「な? ビルダーバーグ会議を名乗るなら参加者もせめて多少は世間で影響力のある人物だと思いたいところだがどうやら違うらしい。あそこに座っているパリス以外は私も会ったことのない連中ばかりなんだよ」
ひょっとして俺達二人は世界的に評判の悪い秘密会議の名前を非公式に剽窃した会議にうっかり誘い出されてしまったのではないか。であれば「表」の人達のお行儀の良さを「裏」に期待するのは間違いかもしれない。
「さて……そろそろ話を始めようか、兄弟達よ」
スープを飲み終わったパリス議長がようやく口を開いた。もしかしてスープを飲み終えるまでは議事進行をしないのがこの場のお約束なのか。
「今回は二人、ゲストをお招きしている。『天秤の管理者』ペドロサ氏と影山物産の社長の影山氏だ。皆で歓迎しよう。我々とは異なる思想を持っているので、彼等の意見は大いに参考になるだろう。実りある議論を期待する」
会場からオォ、という声が聞こえた。参加者達は少なくともこちらが何者であるかくらいは把握しているということか。
「ペドロサ氏はあのシプリアーノ殿の直系で、家業を継いでいるご様子だ。そしてその隣の影山氏はここ最近勢いのある日本の事業家だ。知っているものも多いだろう」
これは知らない人向けの解説だが全員がシプリアーノについては知っているようだ。ならやはり人口系の話になりそうだな。
「シプリアーノ殿……というと、確か奇妙な技を使って財を成した方でしたな……ペドロサ氏も奇術はお得意なのかね?」
「よせよせ、氏は新人類の誕生を夢見ておられるお方だ。怒らせると新人類の仲間に入れてもらえんぞ」
アントニオを当てこするような声が長いテーブルのあちこちから聞こえたが、アントニオはそれを気にするふうでもなかった。日々組織の古株から嫌味を言われているのでこの程度ではそよとも感じないのだろう。
「影山……はて、聞いたことがありませんな」
「ほら、数年前にアフリカのどこそかで大きな金山を掘り当てたとか……」
「ああ、例の……ほほう。若いですな。いや実に若い。ああも若いのに大金を持つといろいろと大変そうですな」
俺に関する情報も破擦音で飛び交っている。聞こえてるぞコノヤロー。
「シニョール・ペドロサ……」
「アントニオでいい。そのペドロサってのは苦手なんだ。重くてな」
「では……ドン・アントニオ、そしてミスター影山。君達は古代ローマ時代に綴られた『変身物語』についてご存知だろうか?」
パリス議長のゆっくりとした口調の質問にアントニオは「当たり前だろう」という素振りで答えた。
「我々は『天秤の管理者』を名乗っている。その天秤の持ち主アストライアーの話が書かれているのが『変身物語』だ。知らない筈がないだろう」
俺達がアルティミシア号に乗り込んだ時は「仮に」って言ってたくせに意外に有名なのな、「天秤の管理者」って名称は……。あれか? ちょっと中二っぽいからか?
「結構。ではそこに書かれている黄金の時代についてもご存知だろうね?」
「当然だ」
黄金の時代―― それはローマ神話で語られる神の時代だ。人が理想郷に暮らし、飢えず、争わず、平和に暮らしていたとされる時代。
確かゼウスの介入で終わりを迎え、三度の移り変わりを経て現在の鉄の時代へと至る。人々は労働しなくては食っていけなくなり、武器を作り、そして争いをするようになった―― だったかな。
ローマ神話に詠われた時代の変遷は、採取・狩猟の時代から農耕の時代、その後格差が生じ、争いを起こしてきた人類史と重なる部分がある。それについての話だろうか。
よし大丈夫だ、まだ話にはついていけてるぞ。ヨーロッパの上流階級は詩や古典文学が分かってないと話についていけないと聞いたので、付け焼き刃だが俺もいろいろ読んで来たのだ。
「結構。最近イスラエルの歴史学者が似たような題材を本にしていたので知っている人間も増えたようだが……要するに人類はもはや黄金の時代には帰れず、この鉄の時代を生きるしかないのだ。
さてミスター影山、あくまで仮定だが、今現在の人口をもってしても人類を滅ぼし得る存在、たとえば黄金の時代を終わらせたゼウスのような……そういう存在がいたとして、人類が種として生き残るために採り得る戦略とはどんなものだろうか?」
なんだ、時代の変遷より黄金の時代を誰が終わらせたかの方が主眼だったのか。ふむ、人類を一方的に虐殺可能なゼウスのような存在……それって「あいつ」とか「運営」とかか? それが実力行使をする前提でいたとしてどんな生存戦略が採れるかということなのか……?
「面白い質問ですね。そうだな……種として取り得る生存戦略の選択肢は多くは無いでしょう。種ではなく、個としてならもう少しなんとかなりそうですが」
「ほう。種として考えられる生存戦略とは例えばどういうものかね?」
「まず考えられるのは、殺し尽くせないほどに増え、環境に対する適応度を高めるために遺伝子を多様化させる戦略でしょう。相手が惑星規模の天変地異をやらかしたとしても、多様化した遺伝子の中にはその環境を生き抜ける者が現れるかもしれない。ずいぶん数は減るでしょうが絶滅は避けられるのではないかと。人類は過去に数十人レベルにまで減ったことがあるようですが、そこから70億にまで増えることは出来た前例もありますし」
あれ……俺は一体何を言わされているんだ……? これではまるで人類を増やしまくらないと「あいつ」や「運営」の気が変わった時に生き残れないって言ってるようなものじゃないか。
「しかし、殺し尽くせないほどに増えるためには食糧を含めリソースが足りない……となればどうするね?」
パリス議長が畳み掛けた。口元にはうっすら笑みが見える。
「人間社会にリソースの再配分を効率的に行う機能を持たせるしか無いですね」
駄目だ駄目だ……俺は何を言わされてるんだ。これでは「羊飼い」の方が正しいと言っているに等しいじゃないか。
「または、高度な科学技術を以て他の恒星系へと進出し、居住可能な惑星を見つけてそこで増えていくことです。そうすれば地球は滅びても人類という種は安泰になります」
とりあえず相手の話の流れをぶった切ることができた……かな?
「なるほど……ところでドン・アントニオ……あなたの曽祖父、シプリアーノ殿は言っておられた。『このまま人類が増え続ければ神の裁きが下される。ノアの洪水のような、誰も生き残れないような裁きになる』と。違うかね?」
「昔を知る人達からはそう聞いている」
「では、もし私達が貴方達の口から得た情報だけで直近の人類の危機を把握し、人類の生存戦略を選ばなければならない立場に居たとしたら、残念ながらミスター影山が挙げた最初の戦略を取るしか無いわけだ。まだ人類は恒星間航行も他惑星への入植も果たせていないからね。
そしてシプリアーノ殿が実際に見せていた数々の奇跡は歴代の資料を見るにどうも本物のようだ。軍艦数十隻分の鉄や何百万人の将兵を養うだけの小麦を何処からともなく生み出していたあの力は実際に誰かから与えられたとしか思えない。
そしてシプリアーノ殿にその奇跡の力を与えた存在は人類が増え続けるのを好まず、滅ぼそうとしているかもしれない。違うかね?」
論理で戦うというのはこういうことだろうか。パリス議長とディベートをして勝てる気がしない。要するに「羊飼い」は「あいつ」や「運営」が機嫌を損ねて人類絶滅の勅を出したとしても大丈夫な体制を作るために活動していると言っているのだ。
なにそれ、凄い……というか、完全に俺は人類の裏切り者じゃないか。
「……俺も曽祖父が嘘をついていたとは思っていない。そして俺は実際にそのような科学を超えた存在に会ったことはある」
アントニオは俺の方をちらりと見てウインクをした。これは「貴子さんをこいつらに売り渡したりしないよ」という意味だろう。
「だがパリスさん、考えてみて欲しい。シプリアーノは『このまま人類が増え続けたら』と言ったんだ。今、世界の半分くらいの国ではすでに人口減少に転じている。このまま増え続けるインド、アフリカを上手く抑えられたら神の怒りは落ちないんじゃないか?」
おおアントニオ……お前ただの始祖直系なだけで祭り上げられているバカ殿じゃなかったんだな。なんかそれっぽいこと言ってるじゃないか。
「しかし、シプリアーノ殿が神から警告を受けたのが仮に西暦1900年だったとしたら、現在の世界人口は既に当時の5倍に達している。ここまで人を増やしてしまった我々を神が赦す筈がない」
「ならばこそ、開き直ってしまうのではなく謙虚に神に赦しを請うということは出来ないのか? 神の堪忍袋の緒はそこまで短くはあるまい。それに絶滅ではなく、半分残す可能性だってあるだろう」
いや、堪忍袋の緒は結構短いと思うけどな……あと19年くらいだっけ。それに、今のまま半分に減らしてもすぐに増えてしまうことも考慮にいれないと。まずは人口を増えない方向で安定させないと同じことを繰り返すだけになってしまうぞ。
「あの、すいません。人口を増やし、人の遺伝子の多様性を以て難局を生き抜くという戦略については私が言い出したことですが、ここにおられる方々は神の怒りとやらが本当に発現された時、どこでどうしているのでしょう? 人を増やし神の怒りをわざわざ買った後、特定の遺伝子を持つ者だけにそれを乗り越えさせ、自分達は魚の餌にでもなるおつもりですか?」
「フン。我々は皆、何十年も暮らしていける魔宮のような高度なシェルターを持っている。特定の遺伝子を持つものが生き延びたことを確認できたなら、その遺伝子の中から環境に適応した因子を抽出してそれを自らにノックインするだけでいいのだ」
パリス議長のすぐ近くで座っていた、ラテン系っぽいロマンスグレーの男が俺を見下すようにそう言った。うーん。そのシェルターで「あいつ」が投入してくる殺人鬼や「運営」さんの中性子星キャンペーンが乗り切れるならそうかも知れないけど……。
てかあれね。要するに自分達は「有り余る財力で準備してるから大丈夫よ」って言いたいのね。
パリス議長が大きな咳払いをすると、その男は萎縮して黙ってしまった。
彼の一言でこの会議体の参加者達は「種の存続」という大きな目的ではなく、あくまで利己的な目的で人口を増やしていることになってしまったのだ。あとでキッチリ搾られるだろう。可哀想に。
「それで、私がここに呼ばれたのはまさか人工知能の開発をしているせいですか? 人を知識を軸に用と無用に分断するであろう人工知能の開発は人口抑制をもたらすからやめろと?」
アントニオがここに呼ばれた理由は今の話でだいたい分かったが、俺がここに呼ばれた理由は依然として謎だ。ここでその理由とやらをはっきりさせておかなければ後々禍根を残しかねない。
人工知能の発達とともに職を追われる人達が出てくるのはすでに必然の未来として巷で語られている。今後人類は人工知能とロボットに職を追われる側に残るか、人工知能を従えてより高度な知的産業に従事する側に進むかに分けられるという予測はある程度正しいだろう。
その分断が成った時、職を追われた人々はどうなるのか? 無用の人達として淘汰されていくのか? それをこの「羊飼い」達は心配して俺をこの場に呼んだのだろうか?
「君の人工知能に関する知識は大したものだと聞いているが、我々にとってはさほどの脅威ではない。だが、君が投資している企業のいくつかは確実に我々にとって脅威と成り得る。もし君が意図せずして人口抑制に手を染めているのだとしたら我々はこれを実力で排除せねばならない」
俺の向かいに座ってる神経質そうなスラブ系の男が「実力で」のところにアクセントを入れて返答した。ついに正体が見え隠れしてきたということか。
「あなた方が無闇に増やした人間を拐い、臓器を抜き取って売買したり性的倒錯者に売り飛ばしたりするのは良くて、性具やロボットを売るのはやめろというのはどうなんでしょう?
ここにいる誰も、まともな商売をしていらっしゃいませんよね? 多くはブラックマーケットの顔役や、貧困層を食い物にしている方々だ。違いますか?
私が仮に意図的に人口を抑制する方向で企業活動を行っていたとして、それを止めてほしい理由は遺伝子の多様性の確保とやらが1割、残りの9割が私利私欲というところなのでは?」
「成金がなめやがって……」
「はい、続きまして本日の魚料理、ご当地ノルウェーサーモンを使ったコンフィにジャパニーズワサビのコンディマンを載せております」
俺・アントニオ連合とその他参加者の間に火花が飛び散り会議場が一触即発状態になろうとしていたところに料理を載せたワゴンがやってきた。
惚れ惚れするほど絶妙なタイミングと、給仕達の心のこもった給仕にほだされたのか、参加者たちの表情が緩くなっていく。
「いけませんな。若い人の情熱についつい引っ張られてしまったようだ」
皆、適当な理由を自分に言い聞かせて配膳された鮭に手を付けだしたようだが俺の脳の交戦スイッチはONのままだ。ああ言えばよかった。こう言い返してやればよかったと頭の中で口喧嘩シミュレータがバンバン回っているのが止まらない。
「ミスタ影山、食わないのか? こういう状況になるのはなんとなく分かってただろう。あまり入れ込みすぎないことだ」
アントニオの一言で俺はようやく我に返った。ふと皿に目をやると、料理の飾り付けにごく自然に竹串が一本入っている。これは他の参加者の皿には無いものだ。
あれ……見覚えのある竹串だな……?
スパークリングウォーターを注いで回っているウエイトレスの顔を見上げると、彼女は灰色の瞳を片方だけそっと閉じた。
あ……変装した瞳だ。シャーロットに張り付いてろと言っておいたのに……。
俺は席を立ち、トイレの場所を聞くフリをして変装した瞳に何故ここにいるのかと問い質した。瞳によると自分がここにいるのはシャーロットからの要請らしい。
やれやれ……なんとも至れり尽くせりのお嬢様方だ。そう思いながらも俺は後半戦に臨む自分の気持ちが幾分か軽くなっているのを実感していた。




