第百十三話:昔千人今一人
年が明けて1月、ビッディ・ペッソンの狭山社長がダボス会議に招待された。ダボス会議というのは年1回、世界経済フォーラムという団体が催すイベントで、世界のリーダー2500人をスイスのダボスに集めて行う会議だ。政治家、宗教家、閣僚、CEO、いろんなリーダーが集められ、さまざまな世界の問題について話し合うらしい。ちなみに完全招待制で、自薦での参加は認められていない。
このダボス会議は金持ちの寄り集まり、セレブの社交場、上から目線の支配者会議などと散々に言われることもある。御大層なテーマでディスカッションが行われるものの、拘束力のある声明などを発することは無いし、会議のおかげで世界が良くなる方向へ進んだという評価もない。
この会議に加われない人達の嫉妬と批判は近年、陰謀論に姿を変えてまことしやかに囁かれるようになっている。招待制会議という言葉は秘密会議に置き換えられ、大した発表がなければ裏で別のことを話しているのだとうがった見方をされてしまうのだ。参加者は秘密結社のメンバーであるかのようにその名を晒され、参加者による明るいレポートはプロパガンダだと非難される有様。
……どないせえっちゅうねん。
狭山社長はこのダボス会議のヤング・グローバル・リーダーズというコミュニティに招待され、ロボット工学の先端を切り拓いた功績によりテクノロジー・パイオニアアワードを受賞したということだった。
「それって凄い賞なんですか……?」
帰国して受賞の報告に来た狭山社長に、俺は前のめりになって聞いてみた。聞いたこともない名前の賞だが、貰ったと聞くとなんだか狭山社長が輝いて見える。
「いえ、年に何十社も受賞する賞なのでそんなには……受賞も結構もめたみたいです。ほら、うち、今人肌の大きなお友達用ロボット作ってるでしょう? あれがどうにもイカンって人達もいて」
「えー? 電源さえあれば寂しい人を孤独から救い、残酷な性犯罪から女性を守る素晴らしい発明なのになぁ」
「いやもう、私の受賞のときだけブーイングと拍手が半々くらいで……リーダー教育を受けた人達でさえああなのかと思うと、方向性を間違ったかなあと……」
「思います?」
「思いませんよ。はは。ただ、往復の旅費と滞在費で400万近くもかけて貰ったのがこのよく分からない賞と酷いブーイングだけかと思うと少し情けないですがね」
将来の世界に関わる問題か……だったら人口爆発をなんとかしなくちゃだよな。
「で、現地では何か面白いことありました? なにせ世界のリーダーとして選ばれたんですから普段会えない人と話ができたりとかしませんでしたか?」
「昼間はいろんなセッションに参加したんですが、そこには国のトップや閣僚、高名な学者や財界人なんかもいましたね。でも、あまり面白いことは言ってませんでした。セッションの様子や閉会式の様子なんかはYouTubeでストリーミング放送とかしてましたから見れますよ。ほら」
狭山社長がスマホで当日の様子を見せてくれた。政治家が気分良く当たり障りの無いスピーチをしているような動画や、夜の街で高そうな酒をポンポン空けている参加者達の動画が次々と検索リストに上がってくる。俺はそれらをチョイチョイと流し見して、溜息を吐いた。
「なんだこりゃ。世界を裏から操る秘密会議って言う奴もいるからどんなものかと思いきや、参加者層がセレブなだけの緩い懇親会じゃないですか……」
「ですよね……私もちょっと期待してたんですが、昼は本当につまらなかったです」
「てことは、夜は……?」
「あ、何度か『嵌められたかな? 』って思うことありました。
年代物の酒をたらふく飲まされた後でやたら突っ込んだ技術談義をしてくる技術企業のCEOとか、一緒にメシ食ってた人達が全員、『お前のロボットは神への冒涜だ』って言い出して怒ったりとか……」
ビッディ・ペッソンの女性ロボは中国企業の猛追を受けてなお、追いつけない高みにあるからな……酒を飲んでうっかり口を滑らせた内容にさえ価値があると思われたのだろう。それにしてもエゲツないなぁ参加者。
「狭山さん、そういう連中の顔って覚えてますか?」
「いや、CEOの方はともかく、冒涜ズは昼間どれだけ探し回っても見当たらないんですよ。狐につままれたような気分です。一応、店の前でその時のメンバーと何枚か記念写真も撮った筈なんですが何故かどこにも残っていないという……」
薬物でも盛られてその間にスマホも全部チェックされたってわけか。マズイな。今度からこういうことがある時は瞳にでもガードを頼むか……しかしそうするとシャーロットの警護が手薄になってしまうし……うむむ。
「なんとも物騒ですね。財布や携帯は無事でしたか?」
「あ、財布も携帯電話も盗まれたりはしませんでしたね。私、携帯で仕事しませんので見られても大丈夫ですし」
「まあ、まともに受け答えをしているのに記憶が飛ぶような薬もあるらしいですから、今後は一人で海外の会議に参加するのは止めましょうよ。せめて二人か三人で。マイナス15℃なんでしょ、外? 道端で酔いつぶれたら死んでしまいますよ」
努めてにこやかに、脅威を柔らかく説明しつつ狭山社長の安全を図る。狭山社長にとっては「不愉快な連中と飲み会した後記憶と画像を無くしていた」という微笑ましい失敗談なのだろうが、俺には敵対勢力からのちょっかいにしか思えず、気が気ではない。
「……わかりました」
狭山社長は一言短く返事をした後、少し表情を強張らせて帰って行った。彼も空気を読むのは上手な方だ。俺の言葉の裏側を理解してくれたのだろう。
ダボス会議には全く謎が無いわけでもないらしい。1970年代に経済学者がはじめた世界を憂い考えようという会議がいくら高邁な思想と理想に基づくものであったとしても、わずか30年かそこらで国家元首を数多集める会議体となるものだろうか? 何かしらの組織の力を得たのではないか? そんなところも陰謀大好きピーポォのツッコミどころになっているのだそうだ。
俺としてはその「何かしらの組織」とやらが今現在俺と敵対している組織かどうかが特に気になるのだがな。
……そう言えば壬生のセキュリティ専門家の先生、「羊飼い」の資料をなかなか送ってくれないけどもしかしたら忘れてるんじゃないだろうか。
◆◆◆◆◆
「うーん……どうしたものかしらねえ……」
昼の役員室で、貴子さんが昼食中にボソリと呟いた。
「どうしたの貴子さん?」
「なんや貴ちゃん、どないしたん?」
貴子さんはもう、相田に「貴ちゃん」呼ばわりされるのは役員室限定で諦めたようだ。「そんなん、いまさら『壬生さん』とか言われへんやん……」という相田の切実な訴えに貴子さんが折れた形だ。それにしても切実……ねえ……?
「いえね、相田さんに倣って私も小説を書いてみようとしたんですの。人は最低、1本は自分の人生を写すことで小説を書けるというじゃありませんか。
壬生商事を辞めてからというもの随分面白い体験もして来ましたし、何か書けるかと思ったんですが……こう、面白くなりそうでならなくてどうしたものかと……」
それを聞いた市川さんは、何も言わずにただ呆然と貴子さんを見ていた。
相田も市川さんと同じ顔をしている。失礼な奴らだ。そんなに貴子さんが小説を認めるのがおかしいか?
「私、何かおかしいこと言いまして?」
「いや、だって……ねえ?」
「うん……影山さん、貴ちゃんの書いた報告書とか見たことないでしょ?」
「メールはいつも見てるぞ。主に会議招集とか経緯報告だが、簡潔にまとまっていて余計な修飾が一切ない、誤解の余地も全く見当たらない素晴らしい文章だと思っているが……」
俺の話を聞いて、市川さんはお手上げのポーズをした。
「ってなんだよ? 何か俺、変なこと言ってるか?」
「あのね、影山さん。貴子は簡潔に纏めようとしてるわけでも誤解の余地を無くそうとしているわけでもなくて、あの家電の説明書のような艶も技巧もへったくれもない文体が彼女のデフォルトなのよ。今年の年賀状、彼女から来なかった?」
来た来た。電子メールで「あけおめー」って時代にまだ芋版で年賀状くれるのなんか貴子さんだけだ。なんて律儀な人だろうと感心して目を潤ませたりしてたんだぞ俺は。
ええと確か……でっかく「賀正」って書いてあったな……うん、それだけだったな……。
「……え?」
「解ったみたいね。貴子には残念ながら相田さんほどの文才は無いのよ。天は二物を与えず。貴子にはテレポート、相田さんには文才。そういうことなの」
「いや、市川さん……私の方のそれ、文才やのうてコンピュータの方にしてや……私、貴ちゃんのテレポートと自分の文才比べられるのはちょっと違うと思うねん……」
「私も遺伝した能力が才能って言われると努力で勝ち取ったものが無いみたいで……」
「どっちだっていいのよ。要は貴子には文才は無いってことなの。例えば、愛する男女の告白シーンをあの文体で書いてご覧なさいな。なにか違うと思うでしょう?」
俺はそう言われて、頭の中で貴子さんの文体ジェネレータを走らせてみたがどうにもうまくいかない。見てみると悔しいと思ったのか貴子さんも頭の中で文章を紡いでいるようだが上手く行ってないようだ。
ああいかん。せっかく貴子さんが何かをやろうとしているのに。やりたいことはやればよろしい。どんな形で才能が花開くかなんてわかったもんじゃないんだから。
「で、貴子さんはどんな小説を書いてみようと思ってるの?」
「ふふん。よくぞ聞いてくれました。書くのはジュブナイル、所謂ラノベですわ。ファンタジー小説に挑戦しようかと」
「なんで私と同じ土俵に来んねんなぁ……堪忍してやもう……」
「だって、ここ数年の体験を文章にしたらどう見てもファンタジーか偏執愛者にストーキングされる悲しいOL物語か、どっちかにしかならないんですもの……。さすがにストーキングされて気持ち悪がってるだけのOL物語は誰にも読んでもらえないでしょう?」
まあ、貴子さんの言うことももっともだ。ファンタジーにしたらテレポートしたことやら金持ちに拐われて船に軟禁されたことやらその船で不味い料理を出されつつ求婚されたことやら書けるしな。加えて貴子さんは日本有数のご令嬢だ。ラノベでも令嬢モノは受けるジャンルみたいだしもしかしたら行けるんじゃないのか?
「な……なるほど。じゃ、タイトルとかもう決めたの?」
「タイトルは決まってますわ。『異世界かと思ったら伊勢界隈でした』ってどうかしら? ほら影山さん、以前伊勢志摩の別荘にお連れしたことあったでしょう? あの島に人が流れ着いたところから始まりますの」
異世界……伊勢界隈……タイトルでダジャレかよ……
「貴子さん、それは出落ちってやつになるからやめたほうが良いよ ……それに、そのタイトルはたぶん、伊勢のラノべ好きなら必ず考えてる筈だから絶対もうどこかで書かれてるって」
「ひどい! 影山さんまで!」
相田も市川さんも、俺が貴子さんの相手を買って出たと思って席に戻って思い思いの行動を取り始めていた。一方、せっかくのアイデアを否定されて機嫌を悪くした貴子さんはプライドをいたく傷つけられたのか大層なご立腹だ。俺はなんとか彼女の機嫌を取り戻そうと頭を捻っていた、その時だった。
「あれ……?」
その時、窓の下を走る車の音やオフィス向けのうるさいエアコンの音がパタリと止んだ。
「おいおい、随分と賑やかだね。今年のノルマが未達のようなので尻を叩きに来てやったぞ」
聞き覚えのある声とともに、眼の前にあの白い空間が現れた。実に3年半ぶりの「あいつ」との対面だ。それにしてもタイミングが……いや、今回ばかりはタイミングは良かったと言わざるを得ない。
「よう、ひさし……」
「ぃやったあああぁ! 大勝利!」
「へ?」
この緊張感高まる空間で、喜びと勝利の雄叫びを雄々しくぶち上げたのは市川さんその人だ。
その声に俺が驚き振り返ると、いつも「あいつ」と2人だった空間に市川さん、相田、貴子さんまでが揃っている。市川さんを除く2人は状況が掴めないのかしばらくうろたえながら周囲をキョロキョロしていたが、一分もしないうちに落ち着きを取り戻してしまった。
やはりウチの女性陣は肝が座っている。
「うわあ……話には聞いてたけどホンマに白いんやなぁ……これ、壁? 何で出来てるんやろ?」
「っしゃああああああああ!」
「待て、待ってくれ。とりあえず好き勝手に動くんじゃない! あと市川さん、黙って!」
「まずかったかね? 彼女達が君の献身的な協力者だと知って、招待してみたんだが……」
「一言、先に言ってくれたら良かったかな。あと、騒々しくてすまん。ところで、ノルマだが未達って本当か? 億の単位で減らしていた筈だが」
「ああ、君がいろいろ手を尽くして人が産まれないようにした数はもう2億2千万にも届こうとしている。それは認めよう。だが私は君に『年に1万人くらいはなんとかしたまえ』と言ったな? それは何もやっていないだろう?」
確かに、去年の正月前後に南極で大暴れしたがあれで死んだのも瞳が殺った数名だ。結局抗不安薬を野に放つのも止めたし……なんてこった。こいつの言う通り本当にノルマ未達じゃないか。
「まあ、君は結構やってくれているからな。去年分は見逃さないでもない。本当ならあと8500人、きっちりやってもらうところだが仏の顔も三度と言うし……」
うわ、諺を出して来やがった。相変わらずの翻訳性能だな。言ってることが家賃滞納した時の大家さんのセリフにちょっと似ているのがまた趣き深いが……。それにしても俺、1500人もどこで減らしたんだろう? 救世聖杯信教の人達の抗争分かな?
そんな感じで久しぶりの「あいつ」との会話に頭を絞っていると、市川さんがすすっと俺の近くに寄ってきて背中をツンツンと突いてきた。
「ねえ! 自分ばかり話してないで私達にも紹介してよ!」
ああ……市川さんはそれが念願だったものね……。




