第十一話:金のウサギと土のカエル
「考えって何よ、具体的にどうすんのよ? 影山君!」
外国人向けスーパーで今夜の夕食の買い物をする間、市川さんはずっと俺に食って掛かっていた。
しかし今は説明している暇など無い。これからルーカスやシャーロットにふるまう料理を作らなければならないのだ。人をディナーに招待しておいて、インスタント食品をチンと温めて出すわけにも行かないじゃないか。
俺は日本で買う値段の倍以上する輸入食材をポイポイとショッピングカートに入れながら、夕食のメニューのことを考えていた。
「影山君、聞いてるの?」
「聞いてますよ、市川さん。少し待ってもらえませんか? 後でちゃんと話しますから」
「じゃあいいわ……後ででも。私、影山君とはゆっくり話したいことがあるの」
「影山さん」から「影山君」になってるのは市川さんとの心の距離が縮まっていると期待して良いのだろうか。むーん。
しかし困った。彼女とゆっくり話せる機会はありがたいが、内容が問題だ。ルーカス兄妹と今後どう付き合うかを話すには、俺の抱える事情と構想をまず話す必要がある。
いや、無理だろ。どう考えても。
地球の人口を半分以下にする。そのための特別な力を授かりました。そんな事市川さんに言えるか? 言ったところで信じてもらえるだろうか? そしてそのためにあの兄妹を巻き込むことの同意は得られるだろうか?
幾重にも設置されたハードルがいちいち高すぎる。
市川さんの眼の前で石膏を金に変えてしまって協力を仰いでも良いのだが、そうすることで彼女が俺の味方になるという保証はないし、市川さんが状況を全て理解したうえで、俺を人類の敵、将来の大量虐殺者とみなして騒ぎ立てられたらそれはそれで困る。
やはりお茶を濁すしかないか。なんとか誤魔化しつつ粛々と事を進めるしかない。
「あら、パウンデッド(注1)でも作るの?」
俺と後でちゃんと話をすると確約を得たことで、市川さんの興味は今日の夕食に移ったようだ。
パウンデッドというのはナイジェリアの古き良き国民食で、ヤム芋やセモリナ粉、米粉などを混ぜ込んで杵でついて作る餅みたいなものだ。製法的には北海道の芋もちが近いだろうか。これを食卓において、手でちぎってスープやソースにつけて食べるのである。
これにペッパースープというヤギ肉とレバーの入った辛いスープがあればこの国で文句を言う人は居ないらしい。ちょうど日本人の御飯と味噌汁みたいなものなのだろう。
250もの部族が入り乱れているだけあって、ナイジェリアの食事情はさまざまだ。
最近は米国製の小麦粉の侵略が激しく、この数十年で新旧の食事情が大きく入れ替わりつつあるらしい。
パン食や、トウジンビエではなく小麦で作ったクスクスのようなものが相対的に主食になりつつあるとか、そんな話を研修で聞いた。
「まあ、郷に入っては……という感じですかね。うまく作れるかはわかりませんけど」
何を作るかはもう決まっている。実のところパウンデッドを作るつもりはないけど。
ま、もう少し内緒にしておこう。
「ふーん。あたしは招待してもらえないのかなぁ?」
市川さんがそう来ることはお見通し。3人で食べるには多めに食材は買ってあるさ。
◆◆◆◆◆
「いつも晩御飯ご馳走してもらってるし、お茶くらい出すからちょっと寄ってよ。話もあるし」
俺が両手いっぱいに抱えたスーパーの荷物をキッチンテーブルに置いて、必要なものを冷蔵庫に入れ終わったタイミングで市川さんから電話が来た。会社の上下関係を離れたせいか、言葉の使い方が年上の男性向けだ。
市川さんは学部卒で一年先輩なので院卒の俺より一年は若い筈だ。礼儀正しい彼女はそのあたりを分かっていてきちんと使い分けている。さすがだ。
「これから仕込みもあるんで、うちに来てもらえませんか。うちで話せばいいでしょう?」
これからルーカスとシャーロットにふるまう料理を作らなければならないのだ。市川さんの家でゆっくりくだを巻く時間はない。
「もうお湯沸かしちゃったし……そんなに時間はかからないので、是非……」
まあ、俺も市川さんの部屋に興味が無いわけではない。押し切られる形で俺は市川さんのお宅にお邪魔することにした。
コンドミニアムの隣なので家を出て数秒で到着。ドアベルを鳴らすと少しラフな格好に着替えた市川さんが中から出てきた。
「いらっしゃい。まだ引っ越しの荷物そんなに片付いてないけど、どうぞ」
市川さんの家の中をぐるりと見渡す。間取りがほとんど同じだし、リース家具付きの物件なので淡く上品なカーテンやセンスの良い小物以外は俺の家とそう変わることはない。
運送会社のロゴが入ったダンボールがまだたくさん隣の部屋に積まれているのも俺の家と同じだ。
「その辺に適当に座って下さいな」
俺は勧められるがままにキッチンにある椅子に腰を下ろした。
キッチンでお茶を淹れる市川さんは私服のせいかいつもより少し若く見える。市川さんのTシャツ短パン姿なんて眩しいものを見るのは初めてなので俺はドギマギしていた。
コポコポと急須からお茶を淹れる音。ああ……なんかいいなあこういうの。
立ち上る湯気が逆光で乱反射して市川さんが神秘的な存在に見える。俺はすっかりリラックスして、頭に湧き出すいろんな感情の変化を楽しんでいた。
「お茶です。どうぞ。熱いから気をつけて」
出されたのはマグカップに入った日本茶だ。こういう生活に密着して、日本に居ては有り難みのわからないような日常にありふれたのものを海外に来て出してもらうと本当に嬉しい――
「――っ!」
次の瞬間、俺の目はマグカップに釘付けになっていた。鳥獣戯画のカエルが描かれたマグカップ。目の前にあるのは俺が金に変えてしまったウサギのマグカップと明らかに対だったであろうマグカップだったのだ。
うろたえて市川さんの顔を見ると、彼女の顔からはさっきまでのにこやかな表情が消え失せ、どんな小さな変化も見逃すまいとする観察者の顔になっていた。
「あ、可愛いでしょそのカップ。芸大に行った友達がね、私のために焼いてくれたのよ。前はウサギのカップとペアだったんだけど、ウサギのは職場で失くなっちゃった」
職場、というキーワードからか、市川さんの口調がオフィスに居る時の口調に戻っている。しかし依然として市川さんの鷹のような目は俺を捉えて離さない。
俺と市川さんの間の空気がだんだんと張り詰めていくのが分かる。
「鳥獣戯画の……マグカップ……」
鳥獣戯画のウサギが描かれたマグカップが俺の家に来たのは確か、前の会社でオフィスのレイアウト変更があった後だった。
オフィスのレイアウト変更をする際、自分の荷物はダンボールに入れて所属と行き先を書いたラベルを貼って指定の場所に置いておく。週末に引越し業者がやってきて、集積された荷物をそのラベルのとおりに目的のフロア・机まで運んでくれる段取りだ。
だが俺はレイアウト変更前の金曜日にインフルエンザで会社を休んでしまったため、服部が荷物の梱包を代わりにやってくれたのだ。ウサギのマグカップはその箱の中に何かの拍子に間違って入ったものらしい。
翌週、見覚えのないマグカップが自分の荷物に混入しているのを見た俺が混乱したのは言うまでもない。
俺はマグカップの持ち主を探したが結局見つからなかった。その後、会社から「私物は持って帰れ」と号令が出た時に自宅に持って帰って机の上に放置していたのだ。
そして、あのマグカップはもう俺の手元にはない……黄金に変えて売り飛ばしてしまったからな。
「それでね、影山君。ウサギのほうは影山君が持ってたんだよね?」
「え? 知ってたんですか?」
「影山君が持ち主探してるって聞いたのはレイアウト変更のだいぶ後かな。でもさ、なんで影山君の荷物に入ってたかとか分かんないし、もう誰かが使った後かもしれないと思ったらちょっと嫌じゃない? だから大事なマグカップではあったんだけど、諦めたの」
なるほど、確かに。誰かが使ったかもしれないという可能性があるだけで俺だって諦めるかもしれない。
「そうでしたか、すいません。お返ししたいんですがあのマグカップはもう無いです。割ってしまって……」
割れたというのは嘘だがもう無いのは本当だ。
「それはどうかなあ……。影山君が持ってたいばかりに嘘をついてる可能性もあるよね」
「あの、ほんと、弁償しますので……」
「170万円くらいするよ?」
「へ?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。
市川さんが「あのマグカップは168万円で売れたことを私は知っていますよ」と言っているように聞こえたのだ。
「あはは、カマかけてみたけど本当にそうなのね。影山君」
「どういうことですか?」
「影山君、私ね、御徒町にはよく行くのよ。でね、ある日、ショーウィンドウに黄金のマグカップがあるのを見つけたの。なくしたウサギのマグカップと大きさ、絵柄、全部同じ。だけど黄金だったのよね。それ」
「そりゃまた、すごい偶然があったもんですね」
「で、店員さんに話を聞いたのね。誰が持ち込んだのかって。でもまあ、普通は取り合ってくれないよね。
『お客様からの買取品ですので、詳しいことは申せません』だってさ。
それで、私はこの、カエルの方を持って行ってなんとか話を聞こうとしたの。でもダメだった。売り主については何も教えてもらえなかったよ」
俺は何も言えなかった。言える筈がなかった。
「でさ、その後、あの高級肉騒ぎじゃない? これは何かあったと思うわけですよ。
影山君が持ってる筈のマグカップが金になって御徒町の貴金属取扱店に飾られていて、そして影山君がすごい大金を競馬で勝ったか何か、そういうイレギュラーな理由で持ってる、と」
「はあ」
「信じられないしありえない話だけど、あのマグカップは偶然同じ形、偶然同じ図案が描かれたものでないことは私は確信してる。
だって、カップの底の私の友達の陶印まで残ってたからね。一応友達にも問い合わせたよ。同じものを金で作った覚えあるか? って。当然、そんなことしてないって言ってた」
「はあ」
「はあ、じゃないでしょ。影山君。どういうことなのか説明してもらえない?」
「はあ」
「はあ、じゃないって言ってるでしょ!」
気分はすっかり、スケジュールに遅れが出てプロマネに詰められるプログラマーだ。俺は生返事を返すくらいしかできなくなっていた。
「ええとですね、その……オリンピックで金メダルを電子機器から抽出した金で作るって聞いて、自分でもやってみたんですよ。
王水で酸化させて金を溶解させて、溶液を亜硫酸塩を使って還元して、それでそれをマグカップで取った石膏のカタに入れていったんです。それで丹念に、割ってしまったマグカップの複製を金で作りました」
「はぁ?」
「ホントですよ。俺は石膏、こっちにも持ってきてます。あとで夕食の時にお見せしますよ」
思いつきにしてはいい嘘だと思った。石膏がここで役に立つとは。
「あのね、だとしても、400gもの金をつかってやることじゃないわよね。400gって、どれだけの携帯電話やCPUを隠し持ってたとしても一個人がやるにはほぼ不可能な量よ? それに、石膏じゃ王水に耐えられないわよ。電気還元やる前にカタが壊れるわ」
化学の知識は市川さんのほうが上だったらしい。俺のバカ。
「じゃ、市川さんは俺が魔法使いか何かで、陶器を金属に形状を変えずに変えられるとでも言うんですか? それこそ不可能じゃないですか?」
「だから、そこをどうなってんのか聞いてるわけですよ。影山君」
考えてみれば、俺が事情を人に教えないのは俺自身の保身のための取り決めだ。「あいつ」から他言を禁じられているわけでもない。
仮面ライダーだってオヤっさんには自分の正体を教えてバイクの整備を任せていたではないか。市川さんがオヤっさんになってくれないとも限らない。人口削減云々を言わなければいいんじゃないだろうか。
賭けてみよう、と俺は腹をくくった。
「市川さん、今から俺が少々変な顔をしても絶対にそこから動かないでください」
「な、何よ急に」
「それから、これから起こることを秘密にしてくれると約束してください。約束できなければ命の保証はありません」
「脅すの……?」
「違います。この秘密を知っていることが解ると、必ず誰かに命を狙われます。競馬の予想システムの時でも周囲にとんでもない連中が群がってきて、部屋は狙われるわパスワードを盗もうとするやつはいるわ……。それが金ですよ? 想像つきますよね?」
「待って! 待って! そんなヤバイんなら知らなくていいから」
「じゃ、いいんですね。市川さんは御徒町で自分が持っていたマグカップに似た黄金のマグカップを見た。それでいいですか?」
「いいわけないじゃない! だけど、そうするしか無いってことでしょ?」
「秘密を知って俺の協力者になるって道も、一応あるんですよ?」
「うぅぅうぅぅぅぅぅ〜この秘密を知りたいがためにナイジェリアにまで来たのにぃ〜」
考えるのに時間をくれ、という市川さんの要請を俺は快く飲んだ。ただし、猶予は一日ということにした。
……さて、帰って夕食の準備をしなければ。
(注1)作中ではパウンデッドとだけ書いておりますが、正式にはパウンデッド・ヤムのように呼称します。




