第百三話:悪企み初級編
今年の夏はやけに暑い。しかしそれは俺が海流を弄ったせいかも知れないので不満を口にするのは躊躇われる。テレビのスイッチを入れると高校野球の全国大会の予選会場では毎日熱中症で選手が倒れ、全国大会の開催が危ぶまれていると報道されていた。
伝染病の蔓延で中止になるならともかく、異常気象で中止となると主催者側も大変だな。
そんなカンカン照りの7月のある日、暑すぎてセミも鳴くのを止めてしまった昼の一時を過ぎた頃にシャーロットから電話があった。
「あー影山さん、シャーロットです。例の年間ノルマについて一度お会いしてお話ししたいんですが、お時間いただけますか? いつなら大丈夫でしょうか?」
……どういう勉強の仕方をすればナイジェリア出身のアメリカ人がこんなセリフを詰まりもせずにサラッと日本語で言えるようになるんだろうか。それはともかく、俺も例の敵対組織のあぶり出しのために、一度人口削減アクションを起こさないとなと思っていたところだ。シャーロット側に何か企画があるなら渡りに船。ぜひ聞かせてもらいたい。
「そうだな。今晩あたり一度話をしようか。ビクトリアはそちらにいるのか?」
「ううん。ビッキーは今、シカゴ店のキャンペーンに行ってるよ。その後はニューヨークでテレビに出るんだって。忙しいねえ」
「じゃあ今は1人なんだな。戸締りは厳重にな。誰かがこっそり家に入って来るかも知れないからな」
「了解! 今晩は誰が来ても家には入れません!」
俺は電話を切るとオフィスの連中に「少し出てくる」と言って、新宿の伊勢丹に向かった。シャーロットが好きそうな高級レトルトカレーと少しばかりの小物を買うためだ。
冷房のよく効いた店内であれこれ買い物をした俺は、本館五階のデザイン家具売り場を軽く冷やかした後、トイレに入った。
「よっ」
「イヤァアアアアアアアアアアアアアアア! マイッ! ガーーーーーーーーッ!」
ルーカスの家にシャーロットの悲鳴が響き渡った。何やらネットで調べ物に熱中していたシャーロットの背後に俺が現れたからだ。
「おいおい、一応今日現れることは伝えただろう?」
「あ……いや、今晩って言ってたから日本時間の今晩なのかと…… いやそれにしてもやっぱりびっくりするね。さっきまで電話してた相手が背後に現れるとさ」
一応、「そちらに行くぞ」という符牒は決めてあったのでシャーロットには前知識とそれなりの覚悟はあった筈なんだが……まあ最初の一回はこんなものか。相田に比べたら冷めていないところが可愛いじゃないか。
「ちゃんと言わなかった俺が悪かったか。それよりほら、卒業おめでとう!」
俺は伊勢丹でついさっき買ってきた小物やカレーをシャーロットに渡した。
「ありがとう。まだメディカルスクールに通うからあまり生活は変わらないんだけどね。あ、カレーだ。影山さん、私にはカレー与えとけば大丈夫って思ってない?」
「すまんな。毎度芸がなくて。いやしかし、UCLAのメディカルスクールに合格できただけでも大したもんだ。俺も誇らしいよ。是非今後も頑張ってくれ。
それで……今日は俺に年間ノルマ達成のための知恵を貸してくれるんだろう?」
「あ、うん。そう来たか……もうちょっとイチャイチャできると思ったのに、意外と真面目だね影山さん」
シャーロットは若干アテが外れたのか指をぱちんと一回鳴らしたあと、残念そうな顔を見せた。
「まあ、俺も自分を好いてくれてる美女と2人きりで何も出来ないのは心苦しいんだがな、市川さんに『何かあった? 』って聞かれた時にとぼけ通す自信がない」
「まあねー。こないだ成田で怒られたのまだ覚えてるわ。『あんたはC&Vをマタニティブランドにするつもりか』って。いいじゃんねえマタニティブランドでも。ま、それはさておき、企画です。ジャジャン!」
「いや、ジャジャン! とか、何を見て日本語を勉強しているんだお前は……」
シャーロットはそれまで座っていた椅子から立ち上がり、机の上のPCモニタを指し示した。フィリップスの32インチ4Kディスプレイだ。その画面にはシャーロットが調べたであろうさまざまな事象とそれを用いた人口削減計画が映し出されていた。
「お薦めはこれ」
シャーロットがスペースキーをカタカタと何回か叩いた。
そこに映し出されていたのはテムズ川に生息するヨーロピアンパーチという魚が、川に微妙に流されている抗不安薬のせいで警戒心が薄くなった上に食欲が増進し、捕まえやすくなっているという話だった。
「ほう。俺も抗不安薬は普段から飲んでるが、腹が減ったりしたことはないな。警戒心が薄いのは俺の性格だと思ってたが」
「うん。これそのまんまだと私達、ロンドンに行って魚釣りしてヒャッハーたーのしー! って話になっちゃうよね。でもそうじゃなくて、人間の抗不安薬は他の脊椎動物にも効くってことと、それで警戒心が薄くなった動物が浅慮で大胆な行動を取るってことなんだよ」
「パーチは関係ないのか?」
「ないよ。それよりも、いつもなら人間を怖がったり警戒したりして寄ってこない動物がかなり大胆になるところが応用のポイントだと思う」
つまりこの現象を利用して、どこかで抗不安薬を与えた動物に人間を襲わせるということか。
「それは難しくないか? 控えめに言ってそれって無差別殺人になるぞ。川でワニが大胆になったとしてみろ。洗濯に来た女の人とかみんなデスロールの餌食になってしまう」
「無差別殺人ではなく、悪人を減らすってのが影山さんのポリシーだよね。最終的に40億人減らすなら悪人かどうかは関係なくなる日が来ると思うんだけどなあ……」
「それでもまずは悪人をターゲットにしたいな、俺は。悪人だけが住んでる街なんてのがあればそこを焼き払うだけで良いから楽なんだが……何かいい手はないかなあ」
現実問題として、俺はそのあたりに悩むことが多くなった。1万人の悪人を一気に削減するというのは悪人だけを載せた大型客船を沈めるとか、悪人だけが寄ってくる匂いを開発するとか、そういう手っ取り早い方法でもない限り難しいような気もしている。
「あるよ」
「ん? どこにそんないい方法があるんだ?」
「再犯率の高い国や地方の刑務所をシメるんだよ。どうせ出てきてもまたやらかすんだったらもう慈悲は要らないだろうってこと」
「いい考えだが、刑務所をぶっ潰すと次から悪いやつをブチ込んでおく場所が無くなるぞ?」
「建物を保持したまま、人間だけ居なくなればいいんでしょう?」
シャーロットがコン、と小さなビンを机の上に置いた。
「お前……これ……」
「うん。コカイン。こんなことがない限り私は買ったりしないけど、ハリウッドでこれを手に入れるのは簡単よ。影山さんならこれを大量生産できるよね? それを刑務所内のギャング達に流せるルートに置けばいいのよ。最悪、投げ込んじゃえばいいんじゃないかな。しばらく大量供給をした後、供給を絶てば離脱症状を起こした人から自殺するわ」
「刑務所のギャングか……俺にそんなツテはないからなあ……上からまとめて落としたって看守に回収されるだけだ。うまく囚人に拾われたって、出所不明のコカインなんか警戒されるに決まってるだろうし……」
「意外にネガティブだね、影山さん。じゃ、さっきの抗不安薬の話に戻しましょうか。やり方としては狂犬病ウィルスに感染したネズミに抗不安薬を与えて刑務所に解き放つやり方と……もう一つはこれ。回りくどいけどね」
「む……日本か……」
「影山さん、悪人の他に『害悪を成すアホ』もターゲットに入れてたよね? だったらこれなんか良いんじゃないの?」
確かに、害悪を成すアホは悪人以上にタチが悪い。なるほど、これはシャーロットの言うとおりだ。
「わかった。これを採用しよう。間引けるのは多くても……そうだな、150人ってところだろうけどな。狂犬病ウィルスの方は入手方法が無いから見送りだ。あと、これは没収しておく。二度とこんなものを買うんじゃないぞ」
そう言って俺はシャーロットからコカインのビンを取り上げた。
「はーい。あ、私、感染症の研究室に行こうと思ってるからそのうちヤバめのウィルスもマウスも手に入ると思うよ。乞うご期待!」
無理して言ってるんじゃないとしたら、何がシャーロットをそこまでさせているのか、俺はそこから目をそらしてはいけない気がする。俺は成り行きとは言え嫁入り前の娘に大量殺人の企画をさせていることについて、申し訳なく思った。いや、思わないわけがない。
「ん」
シャーロットが俺の方につむじを向けてきた。
「何のマネだ」
「ご褒美」
「しょうがないやつだな」
俺はシャーロットの頭を撫でてやった。ラゴスでメイドをさせていた頃、家事がうまく出来た時に時々こうやって褒めてやっていたのだ。久しぶりの「なでなで」にシャーロットはご満悦のようだった。
その晩はシャーロットに泊まって行けと何度も言われたが、俺の体内時間はまだ夕方かそこらなので眠くもなんともない。それに、その気になったシャーロットが俺のベッドに潜り込んでくる可能性も無いわけでは無い。
ここは欲望に負けずに丁重にお断りしなければ明日の我が身が危ないと考えた俺は、シャーロットがシャワーを浴びに行っている間に書き置きを残してそそくさと日本へと帰った。
★★★★★
「チキショー……タマ無しめ……」
机の上に置かれた書き置きを見たシャーロットは舌打ちをした後、ふぁあとアクビをしてソファに身をうずめた。影山のあの様子だと今年中にあと2,3回はここに来て自分と相談しなければならないだろう。その時また頑張ればいいか……日頃顔を見れないのは残念だけどこうして邪魔が入らないところで2人きりになれるアドバンテージは結構貴重だなぁ、などとシャーロットはライバル3人との差を確認していた。
「さて、勉強勉強」
そう言ってシャーロットはインターネット経由で見られる日本のさまざまなコンテンツを視聴しはじめた。最近のシャーロットのお気に入りは岡山でも視ていた関西のバラエティ番組で、視聴者からの依頼に基づき探偵がさまざまな謎や疑問を徹底的に究明するやつだ。登場人物が早口な上に状況を読む必要があるので日本人とのコミュニケーションを学ぶには何かと役に立つのだ。
「いずれは依頼を出したいな……そしたら探偵さん来てくれるのかな?」




