番外編 不思議の国のミシェル 8
あたしの穏やかな時間は、たった三十分だけだった。
キラに連れられて、ロイドがお世話になっているおばあちゃんと、その娘さん夫妻、(すでにこの宇宙船内で小さな結婚式をあげたそうだ。ロイドとキラはそれに参加した、っていう話はまた今度。)ラムコフ夫妻にあたしは挨拶し――キラとロイドの結婚式に必ず出るという約束をして、別れた。
ロイドとキラが、もうそんな話になっているのも驚いたけど、そのおばあちゃんたちは、このセレブ集団の仲間にしては、気さくないい人たちだった。
あたしのスーツに対してなにも言わなかったし、ドレスを用意しなかったクラウドを責めるようなことも言わなかった。
ひとつだけ悲しいことがあるとすれば、もうすこし彼らといられたらよかったのに、そうはいかなかったことだ。
「ごめんね。おばあちゃんに無理はさせられないからさ。もう帰ることになってるんだ」
キラは申し訳なさそうにあたしに謝った。
ドレスだけではない。孫同然に、さまざまなことに世話してもらっていながら、あたしに付き合って、自分ひとりだけべつの帰りの車を用意してもらうというのはできないだろう。
「ミシェルちゃんも、恋人と一緒に、こちらに遊びにおいでなさい」
おばあさんは、帰り際、そう言ってくれた。
キラは、もうそっちの区画に引っ越したことになるのだろうか。
あたしは、ちょっと寂しさを覚えながら、うなずいた。
――まだ宇宙船に乗って、一ヶ月足らず。
ルナと、リサと、キラとで、あのアパートで暮らしはじめたころが、ものすごくなつかしいような気がした。そんなはずはないのに、もう何年もむかしに感じられる。
宇宙船に乗ったばかりのころは、なんでもめずらしくて、なんでも楽しくて。
進路のことや、お金の心配もしなくてよくて。
ただ、楽しかった。
リサは、最初から、あたしたちと行動することは少なかったけど、キラとルナとあたしはよく三人で遊んだ。
リズンを見つけてきたのはキラで、三人ではしゃぎながらランチとケーキを食べて。自由を満喫した。ルナがほとんどごはんを作っていたけど、キラのカレーも美味しかったし、あたしもたまにチャーハンとか作って。みんなで食べた。
四人でK12区に行って、一日ショッピングして遊びまくったのが、一番楽しかった。
絶対に、四人でリリザに行こうね、そのころには彼氏もいたらいいね、なんていっていたのに。
(こうやって、あっというまに彼氏ができて、みんなバラバラになっちゃうのかな)
ちょっぴりしんみりしたあたしだったが、あたしは、そのときちゃんと、二人を待つべきだったのだ。
あたしは、勘違いしていた。
キラとロイドも、いっしょに帰ったと思っていた。
キラとロイドはあたしのことが心配で、ラムコフ家族を先に見送って、会場に残ってくれたのだった。ラムコフ氏がそうしろと言ってくれたらしい。
その後、「消えた」あたしを捜して、キラとロイドがどれだけ右往左往したか――あたしはあとで、平謝りに謝ったけど。
「無事でよかった」とふたりは言ってくれた。
さて。
ここからは、あたしが、ずいぶんあとになってから、知った話ね。
ロビンとクラウド経由で、聞いた話。
じつは、アンジェラはすでに会場にいたんだ。
あれだけのことを起こしたので、パーティーの主賓でありながら、奥に引っ込んでいただけで。
そしてもちろんクラウドの姿も見ていた――ララさんといたのだから。
もちろん、あたしの姿も。
「あの子、クラウドの女?」
アンジェラは言っていたかもしれない。そう、そんな感じで――アンジェラは、バーベキューにいた、あたしの顔も見ていた。
クラウドと一緒にいた女だということも。
「ええ」
アンジェラの担当役員のアレニスは、あっさりうなずいた。
「おかしなかっこうしてるのね。仮装パーティーじゃあるまいし」
「どんな格好をしていたって、ミシェルはミシェルだ。彼女はこのジャガイモだらけのパーティーじゃ、めずらしい大輪の花さ」
ロビンがおどけてそういうと、アンジェラの目が光った。
「あんた、好きなの」
「好ましいね! あんたもあのくらい洗練されてないときがあったろ。俺は、そのころのあんたに会いたかったね」
ロビンが言うと、アンジェラは大笑いする。
「ガキのころに出会ったって、あたしはあんたなんてごめんだわ」
「そうかな? 俺は要求にこたえられると思うぜ。あんたが望むなら、どれだけ残酷な真似もできる」
「そう」
アンジェラは微笑んだ。
「なら、あの子をモノにして」
「飲みすぎだぜ。お嬢ちゃん」
庭と星を見ながら、考えにふけっていたあたしは、急に背後からグラスと瓶を取り上げられた。ふらつく腰を、強い足腰に支えられて――。
クラウドの香水の匂いじゃない。
このセレブづくめの、香水の入り混じった世界の中に、ただのオトコの汗の匂い。
別に汗臭かったんじゃないよ? 彼は、タキシードは着ていたけど、香水はさっとしか、つけていなかったの。ただ、それだけ。
彼は、その気はないようなふりはしていたけど、あきらかにあたしを抱きすくめようとしていた。
「そんだけスキだらけだとな。ナンパオーケーって言ってるようなもんだぜ」
「あっ!!」
あたしは、やっと気づいた。
このあいだ、ムスタファのバーベキュー会場で、入り口ゲートにいたイケメンだった。
「やあ」
「や、やあ……」
思わずそう返したら、彼はプーっと吹き出した。
クラウドが消えてしまったので、あたしは庭と夜景を見ながら、ひとりでシャンパンをあおっていたのだった。もちろんあたしは、ルナみたいに強くない。
でも、ヒマだったし、クラウドが帰ってこないと、帰れないし。
――アンジェラは、姿を見せてくれないし。
「のみすぎ」
「そうかな? でも、こんな高いシャンパン、なかなか飲めないじゃない」
半分、本音だった。すごくおいしいシャンパンだった。
「こんなとこで君みたいなお嬢さんがひとりで酔っぱらっていたら、空いてる部屋に連れ込まれてもおかしくないって言ってんの」
彼はあたしに、瓶もグラスも返してくれなかった。
あたしは、飲みすぎで、かなり気が大きくなっていた。
「あたしはだいじょうぶ! こんなカッコだし――あなたもあたしなんかにかまっていないで、会場にもどったら? その辺に、綺麗なお嬢さんならいっぱい転がってるじゃない」
「俺に、じゃがいもを口説けっていうのか」
L18では、美人以外=じゃがいもなんだろうか。あたしは、クラウドもじゃがいもをたとえに出していたことを思い出した。
あたしは、そこで初めて、あたしに密着しているオトコの顔を、ちゃんと見るために振り返った。
そこには。
あたしの理想を体現したようなオトコが、さわやかに(?)笑いながら立っていたんだ。
ちょっと逆立った短い茶色の髪、明るそうな目の色と表情、笑いじわができる目もと、アズラエルくらい大きくて筋肉質な――長身の。
きりっとした眉を、困ったようにへの字にして、彼の両手はあたしに触れないように。でもその頑丈そうな腰はふらつくあたしを支えるように、立っていた。
あたしは、思わず目をそらしてしまった。
ルナが、セルゲイさんを超絶好みだっていうなら、彼は、あたしにとってセルゲイさんみたいなひとだ。
ものすごく、好きな顔だった。
「やっと、俺を見てくれたな」
彼は言った。おどけた調子で、あたしのグラスを口に運ぶ。
「俺は、ロビン・D・ヴァスカビル。L18の傭兵だ」
「――あた――あたしは、ミシェル……」
「知ってるよ。……クラウドの彼女だって?」
彼は、肩をすくめて言った。
「だけどまア、俺は今日のこの出会いに、感謝するよ。とくにムスタファ親父にさ。親父さんがしつっこく俺に、パーティーに来いって言わなかったら、君との出会いはなかったんだからな。仕事帰りだし面倒だったけど、たまにゃあ仕方ねえかって、来てみたら、めずらしく可愛いコがいるじゃねえか。しかも、こんなじゃがいも畑の中に、シンプルで美しい、凛とした一輪の花が」
……ふざけているのか、本気なのか。
やっぱり彼の口からは、一発では理解しがたい口説き文句が飛び出す。
口調はおおげさな抑揚、話しながら、徐々に、彼の両手はそっとあたしの肩を抱く。
「ジャガイモ畑のなかじゃ、本物の花は居心地悪いだろう――そりゃあ、いくら鈍い俺でもわかる。しかも――クラウドはララといる――君を放っといて」
「えっ」
それは当然のことだったけれど――いきなりそんなことを言われて、あたしの目は急に冴えた。
「俺なら、君をひとりで放っといたりしない。……わかるだろ? こんなに綺麗な花を放っといたら、いつだれに摘みとられちまうか、わからない」
L18の男に女を口説かせると、こういうことをえんえんとしゃべりまくるのか。クラウドと似たような感じなので、あたしは笑いそうになった。
酔った頭が、ふわふわする。
「君は――綺麗だ。ほんとうに。ひと目で俺の心を奪った」
あたしはたまらずに吹き出した。さっきのロビンと同じように。
ロビンは、「笑うなよ」と口をとがらせ――「俺がどんなに君に惚れてるか、君に分かってもらえるまでしゃべりつづけるぜ、俺は」
両手は、もはや遠慮なくあたしの腰を抱いていた。
「アズラエルのバカ野郎は、あとでぶん殴る。こんな可愛い彼女と知り合いなら、クラウドのやつじゃなく、先輩たる俺にまず紹介すべきだ。そうだろう?」
あたしは、呂律の回らない声で聞いた。
「――クラウ、アズラエルと、知りあいなの……? って、きゃっ!!」
あたしは急に抱きあげられ、思わず悲鳴をあげた。すかさず、ロビンがしーっと指を唇にあてる。
「話は、べつのところでゆっくりしようぜ?」
「でも――あたしは」
「この会場に来たときから、俺は君を見てた」
ロビンは、にやっと笑った。
「不安そうに震えても、毅然と立ってる君は、健気で可愛かったし、カッコいい女だった。この会場の誰よりもな。なにが目的でそんなカッコしてんのかは知らねえが、ひとりで立ってらんねえなら、俺が支えてやる――」
そう言って、彼は、初対面にも関わらずあたしの頬にキスをした。
さすがにあたしは、あわてて振り切った。
この男性が超絶な好みであることは間違いなかったし――このままいっしょにいたら、酔った勢いとはいえ、最後まで許してしまいそうで。
「あたしは、クラウドと付き合ってるの」
そういうと、ロビンは苦笑いした。
「それは、知ってる」
そうして、ちらりと視線を、背後にやった。
「アンジェラが見てるよ?」
「――え?」
「俺に、君を口説けって。君とクラウドが別れてくれるのをご所望みたい」
いつまでもおどけて言う彼に、今度は本気で頭が冷えた。正気にもどった。
「そして、できれば俺も、“そうなってほしい”」
「――!?」
あたしの問いは、言葉にならなかった。ひと気の少ないバルコニーで、あたしはロビンにキスされた。
彼の大きな身体に覆われて、あたしの存在は、パーティー会場から見えなかった。
ロビンの熱い舌がねじこまれた口には、シャンパンがあふれた。でもそれは、たぶん、今まであたしが飲んでいたシャンパンではなくて――「特別な」シャンパン。
だってあたしは、次の瞬間には、ロビンの腕の中で意識を失ったのだから。
そのころ、キラやロイドも会場にもどってきていた。やっとララから解放されたクラウドも。
「ミシェル……?」
クラウドは、必死であたしを捜した。キラも、ロイドも。
アンジェラはきっと、笑いながら、その様子を見ていたに違いないと思う。
あたしは、ロビンに抱きかかえられて、パーティー会場から消えていた。




