番外編 不思議の国のミシェル 7
あたしとクラウドは、翌日の夕刻、迎えだというリムジンに乗って、ムスタファ氏の私邸まで来た。
最初から、波乱はあった。リムジンの運転手が、クラウドに、「お嬢様のお着替えは、あちらで?」と聞いてきたのだ。クラウドは首を振り、「いや。彼女はこのままで」と答え、それに対してひと悶着あったのだ。
リムジンの運転手は「これではムスタファ氏に失礼です」とか「お嬢さんがお気の毒」なんて譲らなかったのだが、クラウドはなんとか説き伏せた。あたしは、その運転手の同情なのか、見下した目なのか、よくわからない視線を浴びて車に乗った。
無理もない――あたしは、スーツ姿だったのだから。
しかも、眼鏡をかけて、ちいさなチョビヒゲまでつけた、男装。
着いた私邸は、大きなところだった。
パーティーができるくらいだからあたりまえだけど、何台も何台も、大きな門から、リムジンが入ってきては玄関に横付けされる。
あたしたちが乗ったリムジンも、広大な庭に真ん中に噴水があって、そこをぐるっと一周するように行って、開け放たれた扉まえに横付けされた。
もう、リムジン運転手はなにも言わずにあたしに手を出してエスコートしてくれたけど、なんともいえない視線は、変わっていなかった。
クラウドを責める視線も。
たくさんの人が入っていく回転扉の、ライトアップされた壁面に噴水がキラキラ映りこんでいる。
そんな曇りひとつないゴージャスな扉に、あたしの滑稽な姿が映った。
あたしを後ろから追い越していくご令嬢たちは、みな赤や白、ピンク、ブルー、華やかなドレス姿。綺麗にお化粧して、髪をアップにして、ゴージャスな髪飾りをつけて、可愛いハンドバッグを下げている。
本来なら、あたしもこういう格好で、ここに来ているはずだった。
けれど今は、生地の薄い、安物のスーツを着て、髪はそのまま、おかしなチョビヒゲまでつけたあたしが入っていく。
自分で考えた作戦ながら、さすがに半分くらい後悔し始めていた。
クラウドが、あたしの手を取って、後ろからそっとささやいた。
「ミシェルがやっぱり一番キレイ。……化粧取ったら、みんなじゃがいもだよ」
あたしはその冗談に、強張った顔のまま、笑った。
お城かと思うくらい、広い屋敷だ。
入ってすぐの吹き抜けは玄関で、パーティー会場じゃないって、あたしはがく然とする。ここでだって、パーティーできそうじゃない。
金で縁どりされた階段の手すりをあたしは恐る恐るつかみ、手あかが付きそうでやっぱり手を離す。
赤いじゅうたんが敷き詰められた二階の廊下の先には、完全に開け放たれた広いパーティー会場があった。
高い天井に、シャンデリア――まるで、結婚式会場みたい。
あたしがあのドレスを着てきていたら、結婚式と勘違いもできそうな、そんな舞台だった。
入って右側には、大きな円形のベランダが七つ、ならんでいる。そこからライトアップされたさっきの庭が見える。左側の側面には、美味しそうな料理が並んでいて、シャンパンを持ったタキシード姿の男性があちこちに見え、来る人々にシャンパンを勧めていた。
クラウドは、出入り口付近のタキシードの男性に招待状を見せ、中に入る。
「こちらへ」
彼は、あたしたちをまっすぐに、ムスタファ氏のところへ連れて行った。
クラウドと一緒に確認したけど、まだアンジェラとララさんの姿は見えない。ふたりはおそらく遅れてやってくるだろうからと、あたしたちは、早めに来たのだ。
ふたりがいないあいだに、ムスタファ氏にあいさつをすませるために。
「ムスタファ。お招き、ありがとうございました」
クラウドが、悠然と笑み、ムスタファと握手をする。
「君はいつまでたっても他人行儀だな。アズラエルと一緒で、親父さん、でかまわないんだが」
ムスタファがそう言って、クラウドの背をばんと叩く。クラウドは少しむせ込んだ。
「おや。お嬢さんは……」
「あっ! 先日は失礼しました」
今日も、失礼と言えば失礼だよね――この格好は。
「あのときはまともに話せなかったな。先客がいたものでね、いや、失敬――改めて、よろしく。私は、ムスタファ・D・バージャ。今日は、楽しんでくれたまえ」
あたしはあわてて、自己紹介をした。
「ミシェル・B・パーカーです。きょ、今日はありがとうございました……」
「どうかね。別荘の居心地は」
「あっ、ほんとうに――最高です!」
緊張で、ほとんどなにを言っているか自分でも分からなかった。
でも、ムスタファ氏は、アズラエルが「親父さん」なんて言っているだけあって、ものすごく気さくで、いい人だった。
口ひげが貫録あると言えばそうだけど、このひとが、一代で財を築き上げた石油王、なんていってもピンとこないのはたしかだ。
「口ひげも、私とおそろいだな」
「あっこ、これは……」
「なに、心配いらない。クラウドからぜんぶ聞いている――しかし災難だったな」
あたしは、返答に困った。
「ララ殿とは、私も事業提携を結んでいる部分もあるし。あからさまに君たちの味方はできないが、困ったことがあればいいたまえ。私でなんとかできることなら、相談に乗ろう」
「ありがとうございます」
そう言ったのは、クラウドだった。
「アンジェラも芸術家だ――エキセントリックな部分もあるのはたしかだよ」
ムスタファは苦笑した。
そのとき、ムスタファに話しかけてきた客がいて、あたしたちの会合は終わりを告げた。
あたしは、緊張にこわばっていた肩を落とし――さすがに、チョビヒゲは取ることにした。
「ミシェル、それ、取っちゃうの」
クラウドが言う。
「取るわよ。さすがに目立つ気がするし――」
「ミシェル!」
なつかしい声に、あたしは反射的にあたりを見渡した。
「ミシェル! あたしだよっ!!」
最初、その黄色いドレスを着た美人がだれなのか、あたしには分からなかった。
「あたしだってば! うっわ。気付かないわけもしかして。キラだよキラ!」
「キラ!?」
あたしは、周りの黄色い声のお嬢様たちより、五オクターブは高い声を出して絶叫した。
よく見ればキラだ。たしかにキラ。
でも、いつもの濃い化粧はあとかたもなくって、薄化粧に紫のリップではなくピンクのグロス。何色にも染められていた髪はしっとり落ち着いたブラウンになり、まとめられてアップに。
肩を出した黄色のドレスは、セクシーな形だけど、色のせいか、そんなに大人っぽく見えない。
いつもの面影はあとかたもない。
気付くわけないって。
「うっわひど! や、いつもより美人すぎて気付かなかったって? 分かる分かるそれ」
なにいってんだか。
あたしは、何時間かぶりに全開の笑顔で笑った。
ひさしぶりにキラに会えて、正直、涙が出るほどうれしかった。
「ひさしぶり」
ロイドもやってきた。あたしとキラにシャンパンを持って。彼もしっかりタキシードだった。あたしは、ロイドの穏やかな表情にほっとして、ゆるみそうになった涙腺を必死で閉じた。
さすがに、自分でたてた作戦とはいえ――いますぐ帰るか、ドレスに着替えたい気持ちのほうが、強くなっていたんだ。
「にしても、……目立つよ、コレ」
あたしのスーツに対する、キラの意見は当然だった。
「しかも、似合わないチョビヒゲ」
「見てたの」
「取って正解だと思う」
「ははは……」
あたしは、乾いた笑いを返すしかなかった。
じつは、ロイドとキラには、すでに説明済み。
昨夜のうちに、あたしとクラウドは、算段した――アンジェラたちに気づかれず、パーティーに行き、ムスタファ氏にあいさつして、失礼のないよう、ちょびっと参加して、早々にもどるという作戦を。
作戦を立てたのはほとんどあたしで、クラウドは手配してくれただけ。
キラとロイドも、富豪のおばあさん経由でパーティーに招待されているはずなので、あたしは彼らの「執事」として同行する、という作戦だ。
正直言って、あたしはもう一度、アンジェラを見たかった。
あの美しい姿を、もう一度。
こんな格好で、隠れてまで。
「ミシェルが見たい人って、もう来てるの」
キラが聞いてきた。
「ううん――まだみたい」
ほんとうだった。まだ、アンジェラの姿は、影も形もなかった。
「どんなひと? 俳優?」
「う、ううん――芸術家っていうか、」
「ぼくたちも、さっき階下で見てきたけど、女優のケイジー・G・ミラーがいたよ。モデルのセアド・H・ヒューストンも」
「宇宙船に乗ってたんだね」
「ウッソ!?」
あたしは絶叫するところだった。世界モデルに、映画にバンバン出ている女優だ。
「このパーティー、まじやばいって」
キラが肩をすくめる。
各界の著名人や、芸能人、モデルが大勢、出席しているパーティーなのだ――。
あたしはロイドの説明を受けて、くらりときた。
(そんなとこに、こんな格好できたあたしって)
いや、逆に、コメディアンとでも思われているだろうか?
「やあ、キラ、ロイド」
クラウドが、シャンパンを持ってもどってきた。
「ごめん、君たちの分は――あれ? 持ってる」
「ひさしぶり、クラウド」
ロイドとキラは、シャンパンを掲げて見せた。あたしも、ロイドからもらったシャンパンを持っていた。クラウドはしかたなく、両手のシャンパンを飲んだ。
「いきなり悪かったね、ヘンな頼みごとして」
「いいの。でも、ミシェルの見たい人って、どんなひとなの」
「一発でわかるよ。真っ青な髪の色で、女優みたいなオーラの、ゴージャスな女性だから」
あたしは熱のこもった声で言った。
「ミシェル」
クラウドが、あたしに囁きかけた。
「俺はこれから――ララのところへ行ってくる。君をひとりにしなきゃいけない」
あたしは、驚いて、クラウドに振り返った。それから、会場を見回したけれど、どこにもアンジェラはいなかった。ララさんがどんなひとかは、あたしはわからない。
「アンジェラの姿はまだないな――でも、ララはきた」
クラウドは、見つかってしまった、とちょっと悔しげな顔をした。
「心配しないで。俺は、あそこに――見えるだろ? ララとすこし話をするだけだ。絶対に、別の部屋へ行ったりしない。しばらく、君をひとりにしなきゃいけないけど、俺は君から目を離さない、いいね」
「う、うん……!」
クラウドはあたしから離れて、大股でララという女のもとに向かった。
(うっわ)
あたしはその日初めて、ララというひとを知った。
ララは、あたしから見える位置に、女王然と座っていた。豪奢な椅子に足を組んで、白い太ももを露わにし、長い黒髪を悠然と床まで垂れ流して。どこからどう見ても、女性としての自信にあふれた女王様だった。チャイナドレスを着た、あたしも目を見張るほど美しいひと。
L44の高級娼婦だった、という――。
色濃く縁どりされた大きな目が、あたしの位置からでもはっきりと見える。
ほんとうに、クラウドが言っていたように、周りに群がる男どもは、みな奴隷みたいだ。
あたしはあっけにとられて、その姿を見つめていた。
クラウドが彼女に合流し、あいさつする。ララの微笑みが、大きくなった。
「ね、ミシェル」
キラが引っ張ったので、あたしはララさんから目をそらす羽目になった。
「あのさ、リサとミシェルも来てんのよ。さっき、いっしょにムスタファさんに挨拶して――」
「あの二人、どこに行ったのかな」
ロイドも、捜しているようだった。
「会場にはいないし、廊下のほうかな」
三人で、会場を出て廊下のほうへ行った。クラウドに、アイコンタクトしてから。
「あ」
ひと気が少ない、はるか廊下奥に、ミシェルとリサの姿が見えた。ふたりは、ケンカをしているようだった。
「またやってる――」
ロイドが、眉をへの字にした。
また?
(リサとミシェル、そんなにケンカしてるの?)
「あたし帰るわ」
「いい加減にしろよ。なにを不貞腐れて――」
「分からない? わかんないんだったらいいわ。人をバカにするのもほどほどにしてよね!」
「バカにしてんのはおまえだろ! 俺に恥をかかせるなよ!」
「――あーあそう。だったら、あたしのドレスもキラみたいに特注にしてくれたらよかったのに。髪も美容院でなくて、特別なアーティストにしてもらえたらよかったわ。そうしたら、あんたの自尊心も満足なんでしょ。悪いけど、それができないのはあたしのせいじゃない。あたしが田舎っぽいのも、図々しいのも、気にいらなかったら別れれば? 別にあんたに未練なんかないし。この安物ドレス、返しとくわ、あんたの部屋に。じゃあね」
「――!!」
ミシェルが手を上げかけたのに、あわててロイドが割って入った。
「だっだめだよミシェル!!」
ミシェルは、廊下の向こうに、キラと、それからあたしを認めて――バツが悪そうに、階段を走り下りていく。ロイドが、それを追って、降りて行った。
「――な、なにアレ――」
しばらくふたりで呆然としたあと、キラが憤慨したように叫んだ。
「しっ――信じらんない! なに言ってんのリサ!? なにあのこ!? あのドレスいくらすると思ってんのよ!!」
「……なんか、……揉めてんの?」
「あたしもくわしくは知らないけど――久々に会ったから。会ったときからふたりとも険悪ムードでさ。でも、あのリサのドレスだって、ミシェルがリサに買ってあげたんだよ? 数百万もするやつ。ミシェル、いくらL5系とかで稼いでたっていっても、あのドレスはきつかったと思うよ。あのリサの言い方はないよ」
「……そうだね」
でもあたしは、なんだか、リサの言い方が気にかかった。
――それができないのは、あたしのせいじゃない。あたしが田舎っぽいのも、図々しいのも、気にいらなかったら別れれば?
あの言い方を聞いていると、まるでミシェルが、リサを田舎モノってバカにしていたみたいに聞こえるけど。
あたしが顔をしかめていると、キラが、「ちょっと、調子乗りすぎだよリサは!」と肩をすくめて、怒りをとりあえず納めた。
キラは、爆発も早いけど、一瞬で収まる。
「ね、ミシェル」
「なに?」
「ロイドとあたしがお世話になってるおばあちゃんとラムコフ夫妻に紹介したいんだけど、いい?」
あたしに、断る理由なんてなかった。




